@toasdm
「待ってた」
ビールを注ぐ手は止めずに、葛之葉さんは隣で、ぽつりと、やや食い気味にそう言った。
「ま、待って、たんですか」
「ああ。ずっと待ってた」
グラスを促され、おずおずと差し出した私にもビールを注ぎながら嬉しそうに言う葛之葉さんに、私は最終確認をした。
「……いつ、からですか」
「さて、な。俺も気がついたらお前さんを意識してたもんでね。いつからってのは、正直よくわからないのさ」
枝豆をつまみながら、いつもと同じ調子の葛之葉さんは記憶を手繰り寄せるように目を細める。好きです、付き合ってください、と告白するにはおよそ場違いな、くたびれた居酒屋のカウンター席。これを「いつも」と言えるくらいにプライベートでも飲みに行くようになって、そういえばどのくらいになるんだろうか?
「…………私も、いつの間にかなので……」
ビールを一口すすって、私もそれに応える。この日常がいつまでも続けばいい、と執着してしまったのは、いつの間にかとしか言いようがなかった。同じだ。くすっと笑いを零して、私は隣の葛之葉さんを見上げた。
「お待たせしてしまって申し訳ないです」
「ん? ああ、気にするなよ」
さほど飲んでいないはずなのに、葛之葉さんの頬は心なしか赤い気がする。耳もそうだ。もしかしたら、照れているのかもしれない、と思うと、なんだかこちらまで恥ずかしさが増した気分になる。葛之葉さんは続けた。
「待つのは苦じゃないんでね」
はぁ、と溜め息をついてまた目を細めて、ちらりとこちらを見る。気のせいじゃない、やっぱり顔が赤い。
「……お前さんが俺を好いてるのは気付いてた」
ぎくり、と胸が苦しくなる。バレてました?と笑って誤魔化したけど、内心冷や汗モノだ。うわ、っていうか恥ずかしい……。
「だが、俺からは言わないと決めていたのさ」
「どうしてですか……?」
遠くを見つめるように顔を上げて、それからフッと目を伏せて。葛之葉さんは自重まじりに漏らした。
「……自分からは踏み込まない。踏み込んじゃいけない、ってな。卑怯かい?」
「卑怯、ではないと思いますが……臆病なのかな、と、思いました」
「臆病? はは、そうかもしれねぇな」
枝豆をまたつまんで口に放り込んで、それをビールで流し込む。見慣れた光景も、今日だけは少し違って見える。滅多なことでは感情を表に出さない葛之葉さんが、今日はやけに、饒舌に、自分の事を話している。やっと言えた、といわんばかりに止まらない口は、にやりとにやけてまたビールを飲んだ。
「今の関係が壊れちまうのが怖かったのさ」
その気持ちは、私もよくわかる。痛いほど。ただ、誰かに取られるくらいなら、という独占欲めいた気持ちが抑えきれなくなってしまって、私だって決死の覚悟で告白したんだ。……臆病で、ずるい人だと思う。待ってた、なんて。
「歳を重ねれば重ねただけ、人は臆病になるのかもしれないぜ? 失いたくないもんが増えていく」
空いたグラスをカウンターに置いて、葛之葉さんは手酌でビールを追加する。いつも私がと言っても、まあまあ、とスマートに取り上げて私にも注いでくれるような優しい人は、失うことが怖いのかもしれない。
「……今日またひとつ、失いたくないもんが増えた」
お前さんも飲むかい、と言われて初めて、自分のグラスも空になっていることに気がついた。いつの間にか、一緒に飲むようになって、ペースをあわせるクセがついてしまっていたんだと思う。またくすくすと笑う私のグラスを満たしながら、葛之葉さんは伏せていた目をゆっくりと上げて、私の瞳をじっと見つめた。
「……お前さんの事だぜ?」
お前さんを、失いたくない。
静かな瞳が、そう言っている。卑怯でも、臆病でもなく、この人は。葛之葉さんは。
「ずっと、待ってた」
失う辛さを知っているだけの、ただの優しい人なのかも、しれない。そんな事を思いながら、私はもう一度、お待たせして申し訳ありませんでした、と笑うしかなかった。