@myon34
鋼鉄の塊が大きく揺れていた。電子機器の画面はノイズが走っていて読み取りづらい。アナログ計器がゆっくりと危機を告げていた。
「はは……まさか、こんなことになるなんて、な」
「ピストルさん、大丈夫ですか……?」
PSTL、プラットフォーム支援部門統括責任者を意味する役職で呼ばれ、男は小さく笑った。
「致し方あるまい。七五万バレル/日が全部パーだ」
「そうじゃなくて、あなたのことです」
作業ヘルメットに落ちてきた海水の滴越しに、青い瞳が揺れていた。背中についたドローン用の小さなローターブレードがわずかに風を立てる。
「ウィンクル……まだ、いるのかい」
「まだ……って、私はここから離れられませんよ」
一フィートもない小さな支援用軽量アンドロイド、この石油採掘プラットフォームと同じ名前がつけられた彼女が心配そうな顔で男を覗いていた。
「離れられないって言っても、お前は通風口から逃げられるだろう。まだ俺が窒息してないってことは、まだ海上に通風口は出てるはずだ」
「出たところで大嵐です! 私の重量じゃ吹き飛ばされちゃいます」
「それも……そうか。軽いって大変だな」
そう言って、男は小さく肩を竦めた。先ほど確認したら、二番採掘抗から吹き出した天然ガスがものの見事に炎上し、男達のいる水面下、バラスト用海水弁操作室の出口を塞いでいた。
「なぁ……水死と焼死と窒息死、どれが一番楽かね」
「そんなこと考えたくもありません」
「考えなくてもいつもみたいにネットワークで調べられるだろう。まぁ君は窒息で死ぬことはなさそうだが」
「通信はとっくに切れちゃいました。海上通信アンテナがまったく反応しません」
ウィンクルはそう言って膨れた。
「ピストルさんは、どうしてこんなとこまで来ちゃったんですか? こういうことにならないための私だったはずです。なんのためのAI搭載型支援端末なんですか!」
「……なんのため、だろうな」
そう言って肩を竦め、調査弁室の計器を眺める。アナクロな計器板はまだ動いている。
「でも、来て良かったと思っている」
「どうしてです?」
「バラストコントロールで少しはPSVとESVが離れる余裕を作れた。少しはこれで恩返しもできるさ。リグが倒れる前に離脱してくれればそれでいい。ウィンクルだけじゃ歪んだハンドルを動かせないだろう」
PSVは支援補給艇、ESVは緊急支援艇だ。男にとって補給艇の面々は直接の部下として面倒を見ていただけに安否が気になる。それでも、無線が繋がらない以上、確かめようもない。
「それは……ピストルさんが来てくれて助かったのは助かりましたけど……」
「だったらそういうときは『助かりました』だけでいいんだよ」
男が笑うが、ウィンクルは納得していない様子。眉を下げてどこか悲しそうな表情をする。
「でも……ピストルさん、出られなくなっちゃいましたよ」
「それは君も一緒だ、ウィンクル」
「こういうことを防ぐための私なんですよ!」
ウィンクルはそう言って、メインローターの出力を上げて、こちらに近づいてきた。
「AIが乗っていても私は機械です! ピストルさんは来ちゃいけなかったんですよ」
「仕事を奪ったのは悪かったが、こちらも仲間を見捨てた男にはなりたくなかったんでね」
「私は量産品! 昨日までのデータはとっくに本社のサーバーにバックアップ済み! それを……それを助けになんて論理的じゃありません! 逃げてれば明日にでも私に会えましたよ!」
「とはいえ、お前はここにいるだろう?」
ケラケラと男は笑い、背中を傾いた壁に預けた。もうすぐ、この採掘プラットフォームは北海の荒波に沈む。
「……ウィンクル、通信、できないのか?」
「……ごめんなさい」
「謝るな、好都合だ。……黙ってるのもあれだ、少しだけ話を聞いてくれ」
そう言って彼はヘルメットを外した。汗と水でゴワゴワとした髪が現れる。
「俺はな、ムショからでてこの会社に拾われたんだ」
「え?」
「ヤクだ。麻薬を使ったのさ。仕事をクビになって、家族にも切り出せず、どん底だった。トんでパブで暴れた。そしたら血液検査でしょっ引かれた。当たり前だよな。出てきたら、家族も仕事もなにもなかった。当たり前だよな。とんだクソだったよ」
ウィンクルは神妙な顔でそれを聞いている。男は小さく肩を竦めた。
「そんなクソでも働かせてくれた。いつの間にか役職がついた。船長をとりまとめて支援するとかそんな仕事までできるようになった。恩返しがしたかった。できたと思えば、こんな人生も悪くない」
「……ピストルさん、だったら尚更、私なんてかまうべきじゃなかったんですよ。AIなんかのために」
「ウィンクル」
男がウィンクルの言葉を遮った。
「一緒の仕事をしたら仲間なんだ。あんたは仲間だ。俺たちのチームだ。このプラットフォームを支えた、立派な仲間じゃねぇか。卑下してくれるな」
ウィンクルはそれを聞いて、ゆっくり笑って、深呼吸をするように体を反らして。
「――――――――――――バカ!」
男を真正面から怒鳴りつけた。
「だったら生き残ることを考えましょう! あなたもチームの仲間でしょう! ピストルさん!」
そう言って汗で脂ぎった顔をぺちぺちと叩く。
「どうしたいんですか! 生きていたかったんでしょう! だったら生きましょう! 仕事を続けてたんでしょう! だったらもっと働きましょう! 恩返しがしたいんでしょう! だったら生きて帰って稼ぎましょう!」
男が目を白黒させている。自分の顔よりも小さい空飛ぶ機械に怒鳴り散らかされる経験なんてまずないだろう。
「腹括ってください! 生きてください! 私はそのために、そのために作られたんです!」
そう声を張って、ウィンクルは真正面から彼の右目を覗き込んだ。
「……一個だけ、方法があります。でも、とてもリスキーです。それに、油の流出が広がるかもしれません。それでも、私は生き残れると判断します」
「ウィンクル……」
ウィンクルはこのプラットフォームと同じ名前を持っている。彼女が態々同じ名前を持っている理由。それは彼女がこのプラットフォームとリンクし、採掘プラットフォームの情報を人間にしっかりと伝える為。
「あとは、ピストルさんが生き残りたいか、それだけ、です」
しっかりと彼女は彼の右目を覗き込み、続ける。
「あなたは、本当に、ここで死んでいいんですか?」
彼が小さく笑った気がした。
「そこまでたきつけておいて、NOと言わせる気ないだろう」
「当たり前です。私はあなたに生きていて欲しいんです」
「そういうのはもっと他の奴に言え」
そう言いながら、彼はもう一度ヘルメットを被った。
「それで、どうする?」
「ディスプレイがまだ死んでないということは、メインコンピュータは生きています」
「おい、通信はできないって」
「外部通信は無理です。でもプラットフォーム内のコントロールユニットにはまだ論理接続が可能なはずです。そこから、生きてるシステムに私が直接潜り込み、今私達のいる第三セルスパーに繋がるもの以外のテンションケーブルを切断します」
「つまり、このレグを崩す気か?」
「はい」
即答したウィンクルをまじまじと見つめて、悩んだような素振りを見せる男。ウィンクルは言葉を繋ぐ。
「時間がありませんし、手伝って貰わないと無理です。油の膜が海の上を漂っている状況ですから、飛び降りることもできません。それでも、上の火の海さえ無くなってしまえば、私達は脱出できる」
「……わかった。お前の勝ちだよウィンクル。でもいいんだな? お前の半身を失うんだぞ」
「大丈夫です、それで一人でも救えるなら、きっとこのプラットフォームも許してくれます」
そう言って、彼女はバラストコントロールの機材の前に下りる。
「ピストルさん、お願いは二つです。一つは、合図をしたら全てのセルスパーからバラストを全排水してください」
「もう一つは?」
「私の身体(ボディ)を預けますから、生きて帰ってください」
そう言って、ウィンクルは笑った。
「システム介入中はボディの物理的機能が停止しますから、飛んで居られません。あなたに守って貰わなきゃいけません」
「……お前はそれで、大丈夫なのか」
「それで良いんです。だから大事に抱えておいてください! 燃えてる部分も落ちてしまえばあとは流されていきます。ここは海中だからそうそう灼熱で死ぬということはないでしょうし」
そう言ってからウィンクルは一度手を伸ばした。
「だから、待っていてください」
「……わかった」
人差し指を伸ばした男、それにハイタッチをするように、小さな手がパチンとぶつかった。
「それじゃ! いってきます!」
「……いってらっしゃい。ありがとうな」
そういった男に微笑んでから、ウィンクルは目を閉じる。
意識が電子レイヤーに飛ぶ瞬間。
「嘘でも、嬉しかった」
そんな声が、聞こえた。
なんだ、気がついてたんじゃん。
「帰らなきゃいけなくなっちゃった」
ウィンクルはそう言いながら自らの前の電子情報をかき集める。海底の油井に繋がる弁は全閉。これ以上の燃料供給はない
きっと彼は気がついてしまった。
彼がいる第三セルスパー、バラスト用海水弁操作室にはコンピュータも電力装置もない。室内や配管内などで浮遊するための、小型ローターで受ける程度の軽量アンドロイドのメモリなんて、姿勢制御と簡単なコミュニケーションソフトウェアで精一杯。
メインのコンピュータに戻ってしまっては、もう、あのボディには戻れない。上部構造を切り離してしまったら、彼の元には戻れないのだ。
「ピストルさんの名前、聞いとくんだったかな」
そう言いながらも生きているデータを必死に集めた。バラストの量は減っている。ウィンクルを信じて、彼は排水を行っているのだ。
「信じろ、ウィンクル。あの人が、いるんだ!」
幸いにも係留装置の情報は生きていた。
石油採掘プラットフォーム“ウィンクル”はその巨体を一カ所に留め置くために、海底に打ち込んだアンカーに結わえつけられている。プラットフォームは強力な浮力を得るように設計され、アンカーとプラットフォームを繋ぐケーブルが無理矢理プラットフォームを沈めることで北海の荒波にもびくともしない構造を作っていた。
「浮力を最大にした状況で、一気にテンションケーブルを切断すれば、その応力で構造自体が崩壊する」
上部構造を振り落とす以外に方法がない。それしか、できない。
係留プログラムを開く。もともとこのプラットフォームをコントロールするために作られたのだ。抵抗もなく、入り込む。
ミスは許されない。切り離すケーブルの順番をまちがえれば、彼のいる三番セルスパーが崩壊する。
そんなこと、させない。
「切り離し用意……」
まもなく、全部のバラストの排水が終わる。海の底に伸びるケーブルはその張力に悲鳴を上げているはずだ。あとは、それを切り離していくだけだ。
そしてプログラムを実行しようとした直後、視界が赤く染まった。
「え……っ!」
目の前がエラーで染まる。コードを読み取る。プラットフォームの緊急保護のエラー。わかりきっている。この操作でプラットフォームは崩壊する。それを止めるための警告。
「――――――――っ!」
指は動かない。あとはプログラムにRUNの指示を出すだけだ。それなのに、それが流せない。
わかっている。わかっているのだ。
これが非常識で、AIらしくない反応だと、わかっているのだ。
彼はPSTL、プラットフォームのサポートチームリーダー。彼は……彼はこの船を守る人間ではあるが、支援船の人間だ。プラットフォームの人間ではない。補給支援艇を束ね、このプラットフォームに物資を運ぶ委託会社の社員。それを助けるために、ウィンクルは数百億ドルの価値を生み出すであろうプラットフォームと、七〇万バレルの石油と天然ガスを海にばらまこうとしている。
彼の命はこの状況を覆すには、あまりに軽い。
北海を燃やし、会社を倒産の危機にさらしてまで、助ける命ではないと、エラーが告げている。
「――――――――」
……一緒の仕事をしたら仲間なんだ。あんたは仲間だ。俺たちのチームだ。このプラットフォームを支えた、立派な仲間じゃねぇか。卑下してくれるな。
数分前に、交わした会話だ。それを、この記憶は覚えている。
「ぁ……ぁ、あぁ……」
これは、バグだ。きっとまちがえている。
「あ、ああああああああああああああああああああああ!」
殺せないなら壊すしかない。でも、壊せない。
ウィンクルは、このプラットフォームを裏切れない。
嘘でも、嬉しかった。
だから、彼は知っていたのだ。それができないことぐらい。きっと彼はわかっていたのだろう。それでも、万に一つの可能性を信じてくれたのだ。
それに答えることぐらい、許されなきゃ、報われない。
「――――――バグ!」
きっとそれが、この身体を砕くとしても、このAIが消去されるとしても。
「バグ! 私のバグ! 私を壊して見せろ!」
いくつものエラーでコンピュータが悲鳴を上げる。
もう彼の元へも戻れない。たとえ彼が生き残って、ボディに最新の情報をリロードしても、それは昨日時点の私であり、“この私”は今からここで消える。
「止めるな、プラットフォーム! もう、惜しくないんだ! 消えるんだ!」
仲間だって言ってくれた。信じて秘密を明かしてくれた。そんな特別な私はもう消える。
許されるなら、もっと働きたかった。豪胆に笑う彼を、信じてみたかった。
それを人間だったら叶わない夢だとでも言うのだろうか。
「そんな未来も、私の記憶も、全部くれてやる」
情報の書き換え、船長の許可があったと改竄し、ロード。セーフティが起動して、エラーで意識が消えていく。本格的に削除に入った、意識が散っていく。ウィンクルがウィルスに汚染されたときの正当な手順。こんな時でもまともに動くのか。
「奇跡でもなんでもいい。だから!」
たった数分だけだったけれど、特別でいられた、私の可能性。それをこんなところで、途切れさせてたまるか。
「最後に一人ぐらい、助けさせてよ! ねぇ!」
たった一つのわがままを、リロードされるであろう昨日の私に託しても、許されるだろうか。
エラーの奥で、実行ボタンが現れた。それを叩き込む。
「さよなら、ピストルさん」
そして、ブラックアウト。
『――――日に発生した北海油田の爆発事故の原因は未だ不明ですが、生存者の証言によると、当日は天然ガス用ポンプの定期点検が予定されていたとのことで関係当局が関連を調べています。また、流出した原油は七〇万バレルに及ぶと見られ、環境への影響が懸念さ……』
ニュースをぼうっと聞きながら、彼は小さな人形を見る。
「ノイマンさん、ずっとそのドローンを気に入ってますね」
「え? まぁ……私の守護天使みたいなもんです」
看護師にそう答え、されるがままに包帯を換える。新聞にも、ニュースにも出てしまった。でもその立て役者はずっと帰ってこない。
「ただの産業用ドローンだったんですけど、そのAIに諦めちゃいけないと叱られましてね。生き残ることができた。彼女が、ウィンクルがいなければ、きっと私も海の底でしたよ」
「それはすごい。なら、その守護天使さんのためにも、早く元気にならないと、ですね」
「えぇ、そしたらまた海に行きますよ。ちゃんと生きて稼がなきゃ」
「あんなに危険な目にあったのに?」
世話話のつもりの看護師は笑ってそういった。それに笑って返す。
「えぇ、きっとウィンクルが待ってますからね」