@myon34
栗色の羽織に身を包んでいる男は、その左手に握る小さな命の灯火を離すまいと、強く、しかし優しく握っていた。
その手には───四、五歳程の少年の小さな手があった。
少年は男の隣で、今日体験したことを身振り手振りを交えて、心の底から楽しそうに笑っていた。それはいつか男が忘れていたもので。そして同時に、何よりも求めていたものだった。
─────あぁ、なんだ。こんな身近にあったのか。 灯台もと暗し、とはよく言ったものだな、と内心で苦笑する。
「なぁ円(まどか)。君は将来、どんな大人になりたい?」
知らず、口から漏れたその言葉に驚き。しかしもう彼に託すべき時期なのだと男は悟った。
少年───円は屈託のない笑顔で答える。
「もちろん、お父さんみたいな人になりたい!そして、みんなを笑顔にするんだ」
その真っ直ぐな想い、汚れなき心象は。男の目には眩しすぎた。
そうか、と呟き。もう一度、円の小さな、それでいてとても暖かい手を確かめながら。男は告げる。
「なら、その夢を見失わないよう、思い出すんだ。なんでこの夢を掲げたのかを。
そして忘れないで。今お前が掲げるその想いは、尊いものだから」
───そう告げる男の顔は、とても寂しい笑顔だった。
「───へぇ。海外での慈善活動、ね。
………うん。個人的にはいいと思うよ。立派だとも思う。でも、宛はあるのかい?」
ある高校の一室──生徒指導室──にて、担任である澤田に呼ばれた円は、彼からの問に自信を持って答える。
「そこら辺のことは、父親の会社に入ってやりたいと思ってます。自分の父親も、幾つかの国を跨(また)いで慈善事業をやっているので」
うん、と澤田は一度頷く。
澤田にとって円とは弟のような存在だった。小さい頃から彼の父親が居ないときは遊んだりしていた仲なので、彼の父親がどのようなことをやっているのか、澤田自身も親から聞いていた。そしてその危険性も、朧気ながら感じている。
親の背中を追っていく。世界の貧しい人々を助けたいと思っている。そして何より、円という少年のこの夢は、それこそ彼が小さい時から何度も、他ならぬ彼自身から聞かされていた。
だからこそ、悩む。教師としては、生徒の夢を支えてやるべきだと理解している。しかし個人としては、正直迷っているのだ。
彼の父親が活動中、紛争に巻き込まれその生涯を閉じてしまった場所に送ることに。
あのときの彼の顔を間近で見てしまったが故に。
「……………ねぇ、澤田さん」
円が声をかける。澤田は顔を上げ、円の目を真っ直ぐに見つめた。
「澤田さんが俺のことでこんなに悩んでくれるのは嬉しいんだ。他でもない、貴方に気にしてもらえるから。
でも、俺は行きたい。行って、父さんに夢の続きを見せてやりたいんだ」
「……………………なら。約束してくれるか。毎年じゃなくてもいい。数年に一度でいいんだ、必ず、日本に戻ってきてくれ。
そして絶対に。俺を、悲しませないでくれるか」
───思い出したのは、円の父親の死が伝えられた日のこと。
その時一緒にいた澤田も、その知らせを聞いていた。
そして悲しむよりも先に、隣にいた円の顔を見た。
無表情に涙を流し、狂ったように泣き叫ぶ少年の姿を、思い出した。
「……………」
「……………」
沈黙が、重い。
しかしこれだけは、澤田は譲れなかった。この時を失えば、円という少年は必死に隠すだろうから。そういう直感のようなものが、澤田に゛逃げ゛という選択をさせなかった。
そして、円は答える。
「えぇ、約束します」
その答えに安堵して、澤田は緊張した体を解(ほぐ)すよう、大きなため息を吐いた。
「そうか」
ありがとうございます、と退出する円の、大きくなった背を眺め。そして一人残された室内で、澤田は暗くなりつつある夕暮れを眺めながら、呟いていた。
「お前も、宗一(そういち)さんと同じことを言うんだな。嘘を吐く時の表情も同じ。
……………結局は、似た親子だったんだ。彼とあの人は」
俺はただ、貴方たちの眩しさに、心を奪われただけなのに。