@toasdm
さっと降ってさっと上がった秋の冷たい通り雨。降られてしまいました、と雨を滴らせてクリスは事務所に戻ってきた。
「すみません、プロデューサーさん」
「いえ、大丈夫ですよ」
あとは自分で拭けますから、と彼女を制して、クリスはジャケットを脱ぎ髪をがしがしと拭き上げた。
この時期は急に降ってきますから、と冷えた体を気遣って、彼女はコーヒーを用意する。ありがとうございます、とそれを受け取って、クリスは革張りのソファに品良く腰掛けた。
「ふぅ……やっと人心地ついた気分ですよ」
肩にタオルを引っ掛けたまま、ふぅふぅと、行儀よく両手でマグカップを持ち、クリスはコーヒーをすすった。まだしっとりと濡れた髪の毛は色のトーンを少し下げ、雫こそ垂れては居ないものの、しっかりと乾いているとは言えなかった。
「シャワーブースにドライヤーもありますから使ってくださいね」
「ありがとうございます」
温もりを飲み込んで、クリスはまた、ほぅ、と息をついた。濡れた前髪が張り付くのを、クリスは大きな片手でがしっと後ろへ撫で付ける。
「…………」
レアだな、と彼女は素直にそう思った。普段から長い髪の毛をおろしていることが多く、前髪は当然のように、上げることなどない。ダンスレッスンの時などは稀にポニーテールにしていることもあるが、前髪はだいたいそのままで、彼女はもしかしたら、その時初めて、クリスが前髪を上げたところを見たかもしれない。プロデュースを担当するようになってさまざまな仕事をこなしてもらったが、彼女は今の今まで、クリスのそんなところを見たことがなかった。
「なにか……?」
「え、あ、いえ、その……」
まじまじと見つめすぎたのだろうか、クリスは訝しむように彼女の視線に理由を求める。しどろもどろになりながら、彼女はなんとか、事情を説明する。
「その、おでこ出してるの、初めてみたな、って」
「……ああ、そういえば、そうかもしれませんね」
言ってくすくすと上品に笑い、クリスは撫で付けた前髪をぎゅっと頭頂部で押さえる。
「珍しいですか? ふふ、レアでしょう」
「れっ、レア、ですね……」
見えないところまで完璧な美形かよ、と心の中で呟いて、彼女は遠慮なくクリスを見つめた。中性的でどこかミステリアスな雰囲気があるような気がしたクリスの、額を露出した印象は、知的なムードが強調されて、かつ、なんとなく爽やかさが増したような気がする。ドキ、と胸が高鳴って、いやいや、美形だからときめくのは仕方がない、と自身を納得させながら彼女は思わず目を逸らした。
「印象、そんなに変わらないかと思いますが」
「そんなことないです!」
「おぉ……」
食い気味ですね、と多少面食らったクリスは、前髪をばさりと元に戻す。
「変わりましたか?」
「あ、う……そ、その……」
もじもじと視線を泳がせる彼女に近付いて、クリスはもう一度、ニコリと微笑みながら前髪を上げてじっと彼女を覗きこむ。
「髪を下ろしている方と上げている方、どちらの私がより魅力的でしょうか?」
「?!」
ばくばくと心臓が早鐘を打ち、クリスが笑って、呼吸はしてくださいよ、と言うまで彼女は、自分が息を詰めていたことにすら気付かないほどに動揺する。
「い、や、あの」
「どちらの方が、より売れると思われますか?」
「売、れる……」
そういえば自分はプロデューサーだった、と彼女はクリスの言葉で我に返る。冷静にまじまじと観察すると、クリスは整った笑みを浮かべて、どちらでしょう、と――…。
これは、からかっている、ぞ?
気付いた彼女は綺麗な額にピン!と一度デコピンを食らわせる。
「あ痛っ!」
「どっちでもいいですけど、からかう人は嫌いですっ!」
「これは手厳しい……」
くすくすと笑い元通りになったクリスが、ドライヤーお借りしますね、と部屋を出る。連れてきた雨の残り香が消えるまでしばらく、彼女は思い出して一人、顔を赤らめていた。