@toasdm
そろそろかと思ったらやっぱりそろそろだったな、と、時間ぴったりに事務所に現れた道夫の声に、彼女はくすりと笑った。時間に正確なところも彼らしい。集合時間のきっかり十五分前、いつもどおりの登場だった。
「む」
いつもどおりソファにかけて本でも読むのかと思ったが、今日に限って道夫はなぜか、彼女の方へと近付いてきた。
「?」
「甘い香りがする」
「あ、もしかして」
デスクの引き出しからリップクリームを取り出すと、彼女はキャップを外して道夫に見せた。
「これでしょうか?」
「なるほど……焼き菓子のような香りがする」
アップルパイとバニラの香りなんですよ、と嬉しそうにリップクリームをくり出して、彼女はそれを唇に乗せた。お菓子代わりにもなりますしね、とダイエットに気を使っているような発言をして、彼女はパチンとキャップをしめて、また引き出しへとしまいこむ。
「かえって食欲が刺激されたりはしないのだろうか」
「あー……そうですね、お菓子が欲しくなったりします」
「逆効果だな」
「そうかも」
フッと笑った道夫の目線が、艶めく彼女の唇に吸い寄せられる。甘い香りの発信源の柔らかさを、道夫は十分に知っている。
「リップクリームひとつとっても、君は可愛らしいな」
道夫としては、何気ない感想だったのだが、言われた彼女の方としては気恥ずかしさでたまらない。冗談ばっかり言わないでください、とそれを誤魔化して、彼女は別な引き出しを開けた。
「お腹すいた時用にお菓子の備蓄もありますから」
「ふむ……用意周到だな」
ガラガラと開けた引き出しの中には、キャンディやらチョコレートやらがぎっしりと詰まっている。種類もバラバラで、恐らくは、この時期限定のものであろうオレンジ色の包装が多いのは、もしかしたら彼女が、誰かからおすそ分けをもらってはそこにしまいこんでいるのだろうか、と道夫は思考をめぐらせた。
ならば、恋人である自分も、彼女に何かをおすそ分けするべきだろう。
半ば対抗心のような思いが胸を占め、そういえば、とポケットを漁った道夫は、棒のついたキャンディをひとつ取り出して、彼女に差し出した。
「君にはこれをあげよう」
「わ、懐かしい!」
平たい楕円形の棒付きキャンディは、ハロウィン限定のパッケージだ。宿題をみてくれたお礼だ、と高校生のアイドルたちから貰ったものがまだポケットに入っていた。今度はきちんと彼女の為に、自分で用意したいところだと一人決意を固めて、道夫はさっそくパッケージを開けて口に含む彼女を見つめた。
「ん、じゃあ、私もお菓子のお返しを……」
お菓子の詰まった引き出しを漁る彼女の姿に、ハロウィンなのだから悪戯も可能か、と眼鏡の奥の瞳をすぅっと細めて、道夫は彼女に呼びかける。
「プロデューサー」
「ん? ――っ!?」
軽く咥えたままのキャンディをスッと取り上げて、すぐさま道夫は、彼女に自分の唇を重ねた。リップクリームの甘く香ばしい香りと、キャンディの甘い味、柔らかな感触はまるでマシュマロのようだ、と、驚いて硬直したまま動けなくなっているのをいい事に、道夫は啄ばむようにはむはむと、何度も何度も唇を重ねて彼女を味わう。
「な、んっ……」
「お菓子のお返しを、いただいたまでだが?」
味わいつくした唇を名残惜しそうに親指でなぞると、道夫は半開きになった彼女の口の中に棒付きキャンディを再び咥えさせた。
「君の唇は、味も香りも感触も、お菓子のようだと思う」
ソファに腰掛けていつものように本を読み始めた道夫のその一言が、彼女の中の時間を停止させる。いつもどおりのふりをすることすら難しいくらいには、彼女は道夫の悪戯に、まんまと引っかかってしまっていた。
口の中のキャンディは、しばらく彼女に甘いときめきをもたらしていた。