残存数や伝承が多くて把握が面倒な家康所有の刀剣をリスト化。
一頁:拵が残る刀剣、二頁:愛刀の逸話がある刀剣、三頁:遺品、四頁:家康所有伝承(説)がある刀剣に。一〜三までが所有がほぼ確実な刀剣。(2021.11.11追加)
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徳川家康の所有刀剣は、大まかに3つに分類できる。
1、家康の愛刀とされる刀剣
2、家康所有が確実な刀剣
3、家康所有説(伝承)がある刀剣
「物」は物自体の価値で評価される場合と、その物を「所有」した人物により大きな「付加価値」が付く場合がある。
徳川家康は、その知名度から所有物に「付加価値」が付く。
よって、「1」の伝承を持つ刀剣や「3」に該当する刀剣類が数多くある。
家康の遺品刀剣分配リスト『駿府御分物刀剣元帳』にある刀剣だけでも1000本を超えるため、「2」に該当する刀も多い。
家康の所有刀剣の特徴は、先ずもって「数が多い」ことにある。
多過ぎて全体の把握が困難であるため、整理及び確認用に以下にリスト化を試みてみた。
数が多いので、上の「1〜3」を以下の「一〜四」に分類する。
一、拵(こしらえ)が現存
二、愛刀伝承あり
三、遺品
四、所有説(伝承)あり
*使用史料・本は『詳註名物刀剣帳』『徳川実紀』『寛政重修諸家譜』『駿府御分物刀剣と戦国武将画像』『徳川家康・秀忠の甲冑と刀剣』『将軍徳川家御腰物台帳』『日本の美術No.107 山城鍛冶』・図録『家康の遺産』『徳川美術館蔵 刀剣・刀装具』『紀州東照宮の名宝』『東照宮の文化財Ⅱ』『日光東照宮の寶物』『久能山東照宮傳世の文化財 刀剣編』『特別展戦国!井伊直虎から直政へ』『京のかたな』他である。
一、拵が現存する刀剣
この「拵」は家康が作らせた「拵」となる。
刀の拵は刀身より劣化が早く、刀より残らない。
次の所有者が新しい拵を作ると、前の拵はだいたい失われる。
特定の人物が作らせた「拵」が残るのは、それが特別な人物のときである。
家康の所有刀剣は拵の残存数が多い方である。
以下に脇差→打刀→太刀の順で、★「拵の形状」で載せる。
家康の時期には太刀を打刀拵にして腰に差していた。
そのため、太刀であっても「打刀」に分類される刀剣が幾つかある。
刀剣横の( )内は継承した家や神社。
●脇差
1:物吉貞宗(尾張徳川家)―蠟色塗合口拵
柄:黒鮫柄 鞘:黒漆塗
目貫:瞬きの龍(後藤祐乗) 小柄:鳳凰or盲亀浮木(後藤祐乗)
2:貞宗(久能山)ー黒鮫柄合口拵
柄:黒鮫柄 鞘:黒漆塗
目貫:獅子(後藤乗真?) 小柄:倶利伽羅龍(後藤宗乗?)
3:行光(久能山)ー黒鮫柄黒漆鞘小さ刀拵
柄:黒鮫柄 鞘:黒漆塗
目貫:七夕図(後藤家?) 小柄・笄:川烏,波,紅葉図(後藤家?)
4:備前國住長船勝光・宗光(日光)ー合口拵
柄:黒鮫包茶糸巻 鞘:金梨子地
目貫:獅子 小柄:桐 笄:三匹獅子
5:行光(徳川将軍家→日光)―合口拵
柄:白鮫皮 鞘:蠟色塗
目貫:三葉葵 小柄:三葉葵
上記の脇差は全て「鍔」のない「合口拵」である。
「合口拵」は家康時代の脇差の特徴で、同時代の他の大名の肖像画でも腰の脇差に鍔がない。
「1」の物吉貞宗だけが子の徳川義直から尾張徳川家に受け継がれ、他は東照宮(神社)所有。
「5」は家康所有の脇差を4代将軍家綱が奉納したとの伝来をもつ。
「5」だけに葵紋あり。
「4」以外は無銘の相州伝。
「1〜3」の黒漆塗と「5」の蠟色塗は同じ。
「1」「2」の貞宗の拵は名称に差があるが、柄や鞘の作りはコピーしたように類似する。
色彩は「黒+金」でほぼ統一されている。
下の打刀拵でも似た色合いが使われているように、それが家康好みであったのだろう。
●打刀
1:助真(日光)ー打刀拵
柄:黒鮫着藍革巻【立鼓形】 鞘:黒漆塗 鍔:鉄丸形四葉地透し
目貫:赤銅蛙子交 小柄:赤銅 笄:赤銅,丸に葵紋三つ
2:伝三池(久能山)―革柄蠟色鞘打刀拵
柄:黒鮫着藍革巻【立鼓形】 鞘:黒漆塗 鍔:赤銅竪丸型
目貫:赤銅波に川烏(後藤家?) 小柄:這龍(美濃彫?)
笄:倶利迦羅龍(後藤乗真?)
3:江雪左文字(紀州徳川家)ー打刀拵
柄:黒鮫着茶革巻【立鼓形】 鞘:黒漆研出鮫 鍔:鉄浅い木瓜型
目貫:金丸に抱茗荷三つ 鍔に櫃孔はあるが、小柄・笄はなし
4:真長(紀州徳川家→伊予松平家)―打刀拵
柄:黒鮫着藍革巻【立鼓形】 鞘:金梨子地刻
目貫:金 笄:倶利迦羅龍
5:分部志津(紀州徳川家)ー打刀拵
柄:白鮫着熏革巻 鞘:黒漆塗 鍔:鉄車透し
目貫:赤銅牛図 小柄:牛図 笄:牛図
6:来国光(徳川将軍家)―黒蠟色塗打刀拵
柄:黒鮫着熏革巻【立鼓形?】 鞘:黒漆塗
目貫:金
?:大倶利伽羅(徳川将軍家→伊達家)―打刀拵
柄:黒鮫着白革巻【立鼓形】 鞘:黒漆塗 鍔:赤銅分銅
目貫:赤銅桐鳳凰(後藤光乗) 小柄:倶利伽羅龍(後藤宗乗)
笄:桐鳳凰(後藤光乗)
番外:拵のみ
(1)本庄正宗(紀州徳川家→将軍家)ー打刀拵
柄:黒鮫着藍革巻 鞘:黒漆塗
目貫:色絵丸桐 小柄:色絵桐八ツ(後藤光乗) 笄:色絵八つ桐(後藤祐乗)
(2)長船長光(紀州徳川家)ー打刀拵
柄:黒鮫着燻革巻 鞘:黒漆塗
目貫:色絵丸桐 小柄:金無垢 笄:色絵八つ桐(後藤家)
「?」は家康の所有伝承がないが、所有説があり拵が家康の好みに合致するため入れた。
分部志津が刀、真長が小太刀である他は「太刀を打刀拵で」使用。
先にも書いた通り、太刀を打刀拵で用いるのは安土桃山時代の特徴でもある。
脇差の合口拵も同様で、太刀を打刀拵にするのも家康の個性ではないようだ。
「1〜?」のうち、「1」と「5」は『駿府御分物刀剣元帳』に記載がある。
分部志津のみ柄が立鼓(りゅうご,柄の中程が細い)形ではない。
真長の鞘が金の「梨子」で、江雪左文字の鞘が「黒漆研出鮫」である。
他の鞘は全て漆の「蠟色」塗。(但し、6の来国光は鞘が18世紀の再現品)
色彩は「黒+金」が基調。
「1,2,6,?,(1)(2)」は形状が「天正拵」になる。
「1」の笄(こうがい)に葵紋がある。
脇差と違い、「1」の助真「2」の伝三池以外は家康の子孫が継承。
神社所有が少ないのが、打刀拵の刀剣類の特徴になる。
刀派はバラエティに富むが、脇差と合わせると相州伝優位に変化はない。
拵のみの(1)(2)は、2020年の東博「特別展桃山」で実在が確認されたため追加。
(1)(2)は笄の「桐」装飾などに共通点が多い。
この2振が追加されたことで、
家康は打刀拵を天正拵とする事例が増えた。
また、拵ありの家康刀剣が紀州徳川家へ継承されたのが多いのも分かる。
これは紀州徳川家の初代頼宣(よりのぶ)が紀州へと動く前に、
家康が病没した駿府城に元和5年(1619)までいたためであろう。
●太刀
1:国宗(日光)―糸巻太刀拵
柄:浅葱綿包に濃茶糸巻 鞘:梨子地に蒔絵の桐紋
目貫:金
2:左近将監景依(紀州東照宮)―糸巻太刀拵
柄:紺地金襴に茶糸巻 鞘:梨子地に菊紋桐紋の金蒔絵
目貫:桐紋二双
3:守家(紀州東照宮)ー糸巻太刀拵
柄:紺地金襴に茶糸巻 鞘:梨子地に蒔絵と金貝の葵紋
目貫:菊紋三双
4:光忠(紀州東照宮)―糸巻太刀拵
柄:紺地金襴に白綾と茶糸を巻く 鞘:梨子地に蒔絵の桐紋
目貫:桐紋三双
5:長船住人長光(静岡浅間神社)―糸巻太刀拵
鞘:梨子地に蒔絵の桐紋
6:則包(水戸東照宮)―糸巻太刀拵
柄:茶糸菱巻 鞘:黒漆塗に蒔絵の菊紋桐紋
7:来国次(紅葉山)―糸巻太刀拵
柄:赤地金襴に濃茶糸巻 鞘:梨子地に蒔絵の葵紋
目貫:丸に葵を挟んで桐二双
番外:拵のみ(日光)―金唐革包太刀拵
柄:黒鮫柄 鞘:金唐革包(スペイン産?)
目貫:金無垢,桐と丸に三葉葵 総金具:金作り,五三桐と唐草文
番外を除けば、全て糸巻太刀拵である。
「3」の守家の鞘と「7」の来国の目貫と鞘に葵紋があるが、他は桐だけか桐と菊。
脇差からトータルで見ても、家康の拵は葵紋の装飾が少ない。
寧ろ、太刀拵では装飾金具の部分も含めると「桐」が多い。
鞘は「1,4,5」が桐のみ、「2,6」が桐と菊である。
桐の形状は全て共通しており、秀忠が久能山に奉納した真恒も同じデザイン。
番外の革包は試しに日光助真を入れたところ入らなかったそうだ。
これには目貫部分に葵紋が一つある。
1振の例外もなく、太刀拵の刀剣は全て神社に残存している。
また、長船派と古備前に偏る特徴がある。
『徳川家康・秀忠の甲冑と刀剣』には紀州東照宮の太刀2振(安綱,真守)が家康所有とある。
しかし、『家康の遺産』や『東照宮の文化財Ⅱ』に家康所有とないため、外した。
以上が現在把握できている「拵」が残る家康の所有刀剣である。
「?」扱いとした大倶利伽羅まで入れれば、19振が拵附で残っていることになる。
写真でしか確認できない拵もあるため、図柄が不明な部分は分かり次第追加する。
脇差は「合口拵」、打刀拵は「天正拵」、
太刀拵は「糸巻拵」が家康所有刀剣の基本のようだ。
色は色彩が決まっている太刀拵を除けば、
助真のようなほぼ全身黒から、黒と金を基調にじわじわと色に変化を持たせる感じである。
安土桃山時代には、赤や金、白の拵が流行っていた。
家康の拵は、柄が白(5脇差の行光,大倶利伽羅,分部志津)はあるが、鞘に赤は1つもない。
太刀拵の鞘は金が基本なので、これは流行りとは関係しない。
脇差と打刀拵の鞘に漆の黒が多いこともあって、家康の好みは地味とされる。
しかし、赤や金、白が流行っているときに、敢えての黒は逆に目立ったのではないだろうか。
太刀の番外の拵は、黒地の革包に大きな3つの半月文を置き、
その間にクルスまがいの文様を配して、これらを金や銀で着彩する珍しい品で、
通常は地味な革包にしては大胆で派手である。
日光の備前國住〜と江雪左文字、真長の鞘も漆の黒のみではない。
家康の好みを「地味」とするのは、もしかしたら部分的な見方かもしれない。
*本庄正宗は現在、所在不明の刀剣である。
『将軍徳川家御腰物台帳』によれば、家康→頼宣→1667年に将軍家と移動している。
家康の拵が残る刀剣として将軍家では「重宝」扱いとなり、4代将軍家綱から15代将軍慶喜まで代々継承された。
昭和14年5月27日に「旧国宝」に認定されたが、終戦後に行方不明となった。
この刀剣については、次の「二、愛刀〜」でも触れる。
ーーー
二、愛刀の逸話がある刀剣
先の「一、拵が現存する刀剣」は拵がある時点で家康の愛刀である。
ここでは拵は現存していないが、「愛刀」との逸話がある刀剣を記す。
「愛刀」や「御秘蔵」の伝承は多いため、ここでは『徳川実紀』記載の刀剣とする。
家康の徳川実記に載る愛刀は★マークを付けた4振である。
三池は既に「一、拵が〜」に載せたため省く。
『東照宮御実記附録』巻二十三
又本阿弥をも召出て、絶ず御差料の実刀ども数多かりし中にも、★宗三左文字と名付けは、織田右府が桶狭間にて今川義元を討し時、義元がはきてありしなり、長さ二尺六寸あり。★菖蒲正宗と号せしも野中何がしといふ微賤の者の献りしにて二尺三寸あり。この二振は殊に御秘愛にて、替鞘をあまた作らせ置て、御身さらず帯しめしなり。関原のときは菖蒲、大坂には宗三をはかせられしとか。また★三池の御刀も御長器にて元和二年薨御の前かた、都筑久大夫景忠に命じ罪人をためさしめて、御遺言にて久能の御宮に納め置れしなり。また★本庄正宗といふは、上杉謙信が家臣本庄越前守繁長が差料なりしが、繁長窮して売物にせし時御手に入て御重愛あり。後に紀伊頼宣卿に進せられしを、また彼家より献られ、今に御宝蔵として、歴世遷移の御ときにはまづこの御刀を進らせらるゝ事にて。三種の神器うけわたさるゝごとく。いとおもたゝしき御先規になりしなり。(藤堂文書、武功雑記、坂上池院日記、武林叢話)
1、義元(宗三)左文字(徳川将軍家)
2、菖蒲正宗(徳川将軍家)
3、本庄正宗(紀州徳川家→徳川将軍家)
この3振に「伝三池(ソハヤノツルギウツスナリ)」を加えた4振を『東照宮御実記附録(=家康の徳川実紀)』は家康の愛刀として特に記す。
義元(宗三左文字)と菖蒲正宗は明暦の大火(1657年)で焼け、その後、再刃された。
そのためか、紀州徳川家に伝わり、家康の拵が無事だった本庄正宗が徳川将軍家では代々伝えられる「重宝」として扱われた。
4振のうち、菖蒲正宗は江戸幕府滅亡時点から、所在が不明。
本庄正宗はGHQに没収されてアメリカに渡ったとの話(噂)があるが、詳細は不明。
義元(宗三)左文字は、徳川慶喜が織田信長を祀る建勲神社に奉納した。
家康没後に久能山東照宮に納められた伝三池以外は、家康時代の姿や拵を残していないばかりか、菖蒲・本庄の2振は所在・実在すら不明瞭なのだ。
明暦の大火がなければ、将軍家所有の家康の刀剣は拵もある状態でより多く残っただろう。
しかし、愛刀で無事なのは伝三池だけなのだ。
上記の史料には家康は関ヶ原の戦いで「菖蒲正宗」を、大坂の陣で「宗三左文字」を佩いたとある。
関ヶ原の戦いでの佩刀は、
家康の実記:菖蒲正宗
秀忠の実記:不動国行、江雪正宗
家綱の実記:菖蒲正宗、脇差は信国
水戸徳川:児手柏
尾張徳川,秀康年譜:大左文字
と史料や家によってばらばらである。
確たる史料が「ない」ためであろう。
菖蒲正宗,不動国行,江雪正宗は明暦の大火で、児手柏は関東大震災で被災している。
現存して無事なのは大左文字のみである。
このように徳川実記が記す家康の「愛刀」や関ヶ原ゆかりの刀剣類の残存率はかなり悪い。
「一、拵が残る刀剣」で分かるように、家康時代のまま残る刀剣は「神社」に納められる刀に偏る。
ーーー
三、遺品
徳川家康の膨大な遺品はリスト化され、御三家(と将軍家)に分配された。
その中に刀剣のみを記載した『駿府御分物刀剣元帳』がある。
これには「一、拵が残る刀剣」の半分以上がなく、「二、愛刀の逸話がある刀剣」がゼロである。
『駿府御分物〜』は家康の所有刀剣全てを記載してはいないのだ。
だが、これに載る刀剣は家康所有が確実となる。
「一、拵えが〜」に記載した刀剣と、「号」付きの刀剣に限って以下に記す。
『駿府御分物〜』は刀剣をランク&分類しているため、その順で載せた。 番号は並び順のまま、数の確認を兼ねて記した。
( )内は受け継いだ家で、尾張は尾張徳川家、紀州は紀州徳川家、水戸は水戸徳川家。
*印は『駿府御分物〜』の段階では「号」がない刀剣。
×印は明暦の大火で焼けた刀剣。
△は「一、拵が残る刀剣」記載のもの。
○は元豊臣(羽柴)家所有。
?は推測と不明。
なお、遺品刀剣の総数は777振で、没収品を含めると1172振になる。
●上々御腰物(将軍家)
1、笹作正宗×
2、注連丸行平×
3、南泉一文字○
4、御掘出貞宗
5、大左文字○
6、大国綱×○
●上々御脇差(将軍家)
1、浮田志津*
2、岐阜国吉×
3、清水藤四郎○
4、包丁吉光×○
5、太鼓鐘貞宗
●中之御腰物
1、敦賀正宗(将軍家)
2、大垣正宗(将軍家)
3、鍋島江(尾張)*
4、分部志津(将軍家)*
5、御賀丸久国(将軍家)
6、生駒左文字(紀州)*
7、中務正宗(将軍家)*
8、会津正宗(将軍家)*
9、中川江(将軍家)*
10、香西長光(水戸)○
11、枡屋江(水戸)○
●中之御脇差
1、斎村貞宗(尾張)*
2、庖丁吉光(尾張)
3、宗喜貞宗(将軍家)*
4、櫂切り吉光(紀州)
5、堀尾正宗(将軍家)*
6、庖丁正宗(将軍家)
7、金森正宗(将軍家)*
●被下物御腰物
1、毛利正宗(紀州)*
2、日光助真(日光へ)*△
3、池田正宗?(将軍家)*
●被下物御脇差
1、なかミつ(日光へ)△?
●御太刀
1、景より(紀州)△
2、国宗(日光へ)△
3、もり家(紀州)△?
4、光忠(紀州)△?
ー以下、大坂の陣で焼身となった再刃刀剣。
●御腰物○
1、一期一振(尾張)
2、豊後正宗?(?→大久保忠方)
●御脇差○
1、若江十河正宗(尾張)
2、大坂長銘正宗(尾張)
3、上下龍正宗(水戸)
4、大坂新身藤四郎(?)
5、親子藤四郎(?)
6、鯰尾藤四郎(尾張)
7、獅子貞宗(紀州→伊予松平家)
8、海老名小鍛冶(尾張)
9、小尻通新藤五(紀州→伊予松平家)
トータル48振である。
「上々〜」分類の刀は一括して将軍家行きであり、また「号」付の刀剣の大半(23振)を「将軍家」が継承した。
(但し、『駿府御分物〜』の時点で号がない「*印」が14振もある。家康→将軍家所有により格が上がり、家康と将軍家をはばかって「前所有者由来」の号が付けられたのだろう)
この中で「拵」が残るのは「中之御腰物」の分部志津と「被下物御腰物」の助真、「被下御脇差」のなかミつ、「御太刀」の国宗、景より、もり家、光忠の7振で、「上々〜」には1振もない。
どうも「上々」「中」の分類は、家康の「愛刀」としてのランクではなく、「刀剣」及び「贈答品」としてのランクのようだ。
その証拠と言えるかどうか不明だが、「二、愛刀逸話がある刀剣」は1振も『駿府御分物〜』に載っていない。
家康の愛刀は、遺品分配リストである『駿府御分物〜』作成(11月26日)以前に駿府城を出たのだろう。
2代将軍秀忠は元和2年2月末から4月まで駿府城にいた。
家康が亡くなる前にある程度の遺品を整理・分類し、没後に家康の愛用品だけを持って江戸に戻るのは十分に可能だ。
ランク付けは豊臣(羽柴)家所有を考慮してるらしく、○豊臣(羽柴)所有の刀剣は「上々〜」に幾つか見られる。
南泉一文字と包丁吉光以外の○印は大坂の陣の後に所有した刀剣で、家康の所有期間は1年数ヶ月と短い。愛用した刀とはとても言えないため、この点からも愛刀ランクは否定できる。
将軍家は家康の遺品刀剣を「贈答品」としてかなり手放した。
×印以外の刀剣は全て他家に「贈答」され、燃えなかった刀である。
皮肉なことに、将軍家を離れた刀剣こそ残存率が高い。
1657年の「明暦の大火」のせいである。
将軍家と異なり、分家は「家康所有」であったからこそ、遺品刀剣をあまり贈答に使わず大事にした。
特に尾張徳川家はそれが顕著であり、現在でも遺品が多く残る。
大坂の陣で焼身となった再刃刀剣は家康没前に駿府に届かず、犬山城にとどめ置かれていたとの話がある。
家康が再刃後の姿を一度も見ていない可能性があり、所有刀剣とは言い辛いが、『駿府御分物〜』に号(名)があるため、家康所有扱いになる。
家康は元和2年4月17日に没し、『駿府御分物刀剣元帳』の日付は元和2年11月26日である。
尾張徳川家の遺品受取帳と思われる『駿府御分物御道具帳』の日付は元和4年11月1日。
上々御脇差の「太鼓鐘貞宗」は元和3年12月に伊達家に贈与された。
『駿府御分物刀剣元帳』の日付前に「右之分改渡申候三所之書付 無御座候分者長持壹つニ入御天主ニ預ケ置申候」とある。
将軍家分の遺品刀剣には分与先の記載がない。
それが「無御座候分」なのだろう。
将軍家に譲られる刀剣(46振)は1つの長持に入れられ、駿府城の天主に納められた。
(日光行きの3振も含むか?慶長12年に家康は伏見城を引き払い、秀忠に大量の金銀を譲った。同年中には駿府への隠居も決めている。刀剣を含む道具類の何割かもこのときに秀忠所有となった可能性が高い。それで、将軍家への贈与数が最も少ないのだろう)
太鼓鐘貞宗の贈与時期からして、将軍家への分与刀剣は元和3年12月以前に長持ごと江戸城に移されたのだろう。
尾張徳川家の受取日付はそれより1年近く遅い。
将軍家より数が多い(水戸174振、紀州269振、尾張267振+再刃刀剣)こともあり、分配と受取に時間がかかったのだろうか。
豊臣(羽柴)所有であっても、再刃刀剣は将軍家に1振も伝来していない。
再刃で価値が下がっているためか、駿府城への到着が遅かったためかは不明だが、御三家のみで分配を決めたのだろう。
余談ではあるが、「上々御腰物」にある「御掘出貞宗」は将軍家に分与された後、前田家に伝わった。
この御掘出貞宗は家康が前田利常に「お前を殺せと秀忠に言ったが、秀忠は何も手を打たなかった〜云々」と死去前に言って渡したとの逸話があるが、元和2年11月26日の日付がある『駿府御分物〜』に記載がある以上、死去前の贈与は有り得ない。
(必然的にこの逸話の信憑性も下がる)
前田家の『寛政重修諸家譜』には「元和2年4月東照宮の御遺物貞宗の御刀」を利常が得たとあり、この貞宗が御掘出貞宗に比定されることがあるが、これは間違いなく別の貞宗か、別の刀である。
前田家の『御拝領御道具品々帳』は「(名物)貞宗」(恐らく御掘出貞宗)を家康拝領と記すが、これも違うことになる。
そのため、記録は確認できずとも、現在では「御掘出貞宗」は家康ではなく秀忠のときに拝領したとされる。
御掘出貞宗は前田家で「御掘出」という「号」の由緒(家康が分捕り品から掘出した)も失い、形状から「幅広貞宗」で文化財に登録された。
この点でも前田家の(特に江戸初期の)記録や逸話はあまり信用がおけないと言える。
(部分的に擦っているため、「参考」にはなる)
御掘出貞宗以外にも『駿府御分物〜』と伝来ルートや分類が一致しない刀剣がある。
水戸家の『駿府御分物刀剣元帳』が発見されたのが昭和48年。
そろそろこの遺品分配リストが刀剣類の伝来に反映されて欲しい。
ーーー
四、家康所有伝承(説)がある刀剣
先ずは享保名物帳の写しである『詳註刀剣名物帳』から。
家康所有の記述と、所有伝承がある刀剣を全て書き出した。
『駿府御分物』に載る刀剣でも家康の記述がない刀剣が多数あった。
○は『駿府御分物』『詳註〜』の双方に記載がある刀剣。
▲は「二、愛刀〜」の刀剣。
□は『駿府御分物』に記載あり、『詳註〜』に所有記述がない刀剣。
?は家康所有説がある刀剣。
??は江戸時代の存在自体が不明瞭な刀剣。
刀剣の右の数字は「正宗」の数のカウントである。
1、岡山藤四郎
2、清水藤四郎○
3、本庄正宗▲ 1
4、岡本正宗 2
5、伏見正宗 3
6、金森正宗○ 4
7、九鬼正宗 5
8、堀尾正宗□ 6
9、不動正宗 7
10、包丁正宗○ 8
11、会津正宗○ 9
12、若狭正宗 10
13、式部(榊原)正宗 11
14、後藤正宗 12
15、観世正宗 13
16、敦賀正宗□ 14
17、中務(桑名)正宗○ 15
18、池田正宗?○ 16
19、大垣正宗□ 17
20、武蔵正宗 18
21、稲葉郷
22、中川郷□
23、鍋島郷□
24、鳥飼国俊
25、鳥飼来国次
26、児手柏包永
27、鬼丸国綱
28、氏家貞宗
29、徳善院貞宗
30、物吉貞宗
31、宗喜貞宗□
32、御掘出貞宗○
33、齋村貞宗□
34、大倶利伽羅広光?
35、稲葉志津
36、浮田志津□
37、分部志津□
38、南泉一文字○
39、香西長光○
40、順慶左文字
41、吉見左文字
42、生駒左文字□
43、大典太三池(光世)
44、童子切安綱
45、脇屋郷
46、一期一振○
47、骨食藤四郎
48、大坂新身藤四郎□
49、豊後藤四郎
50、鯰尾藤四郎□
51、親子藤四郎□
52、庖丁(包丁)藤四郎○
53、薬研藤四郎??
54、若江十河正宗□ 19
55、三好正宗 20
56、大坂長銘正宗□ 21
57、江戸長銘正宗 22
58、紀伊(片桐)正宗 23
59、八幡正宗 24
60、黒田正宗 25
61、上下龍正宗□ 26
62、紅(江)雪(雲)正宗 27
63、笹作正宗□ 28
64、菖蒲正宗▲ 29
65、西方郷
66、甲斐郷
67、蜂屋郷
68、肥後(熊本,紀伊)郷
69、枡屋郷□
70、海老名宗近□
71、不動国行
72、増田来国次
73、大国綱○
74、岐阜国吉○
75、小尻通新藤吾□
76、獅子貞宗□
77、注連丸行平□
78、義元(三好,宗三)左文字▲
79、豊後来国次
80、御賀丸久国□
『詳註刀剣名物帳』記載の301振のうち、80振に家康所有、もしくは家康を経た(かすった)伝来があった。
この中で『駿府御分物刀剣元帳』に記載があるのは□○の合計36振。
36振のうち、□印の23振に家康所有表記がなかった。
『詳註刀剣名物帳』は『享保名物帳』の写しで、刀剣の伝来でよく参照されるものだが、情報に「抜け」や「誤り」が多いのはこの比較でも確かめられた。
また、名物帳に正宗の号が多くあり、そのうち29振が家康所有であった。(刀剣の右の数字)
29振のうち、家康所有が確実なのは12振である。
どうも正宗と家康は関連づけがよく行われた傾向があるようだ。
家康は縁起がいいからと、吉光(藤四郎)を好んだとの話があるが、上で所有伝承があるのは10振のみで、そのうち7振は大坂の陣に入手or家康の前を通過(骨喰藤四郎)していった刀である。
??印の薬研藤四郎は家康から秀忠に受け継がれた逸話があっても、刀の存在自体があやしい。
「一、拵が残る〜」や「二、愛刀〜」にも吉光はなく、「三、遺品」でも刀派は多様で偏りはほぼない。
以上から、家康が吉光を好んだとはとても言えない。
大坂の陣後に所有する吉光(藤四郎)が増加することから、吉光(藤四郎)を好んだのは羽柴秀吉(もしくは秀頼)と言うべきであろう。
以下は『詳註刀剣名物帳』に記載がないが、「号」があり家康所有が確実な刀剣と、所有伝承がある刀剣を載せる。
伝承ありの刀剣で出典が分かるものは( )内に記した。
●確実な刀剣―『駿府御分物刀剣元帳』
1、大左文字
2、太鼓鐘貞宗
3、庖丁吉光
4、毛利正宗
5、日光助真
●所有伝承がある刀剣
1、大般若長光(徳川実紀)
2、ソハヤノツルギウツスナリ(伝三池)(徳川実紀)
3、獅子王
4、白鳥鞘の槍
5、毛利藤四郎
6、熊野三所権現長光
7、江雪左文字
8、兵庫守家
9、鳥居正宗
10、切刃正宗
11、波游ぎ兼光
12、大黒正宗
13、愛染国俊?
14、徳用守家
15、聚楽左文字
16、細川正宗
●同時代の日記に記述がある刀剣
1、三好郷『宇野主水日記』
13の愛染国俊は薬研藤四郎同様にかなり所有があやしい。一応、伝承があるので載せておいた。
トータルで「102振」である。
102振のうち、前の頁の「一〜三」を合わせた「49振」がほぼ確実に所有している刀剣となる(除:大倶利伽羅と拵のみの2振)。
残りの「53振」は所有の確証がない刀剣。
遺品刀剣の総数が1172振なので、この53振も家康が所有していた可能性はある。
しかし、『駿府御分物刀剣元帳』記載の刀が『詳註刀剣名物帳』では23振に家康所有がなかった。
刀剣の所有情報は『駿府御分物〜』のように信用に足る史料がほとんどない。
参考にできるのは、押し形や大名家の道具帳くらいであろう。
名物帳にしか伝来がない刀もある。
『駿府御分物〜』も「号」と進上相手、分与先しか記載がないため、押し形のように刀本体の確認はできない。
上で「?」としている池田正宗は『駿府御分物〜』に池田輝政が進上した「正宗」に比定されている。(号の記載はない)
現在、「池田正宗」とされている刀剣は2尺1寸3分の長さがある。
だが、『駿府御分物〜』での分類は「御脇差」なのだ。
2尺以上の刀剣を脇差とするか?との疑問があるため、「?」とした。
(一応、総数にはカウントしてある)
所有伝承を有する刀剣はまだ存在するだろうが、手持ちの書籍や図録で確認できるのは以上である。
今後、まだあれば、見つけ次第追加していきたいと思う。
3/20:徳用守家を追加。
2020/11/9:長船長光の拵情報と聚楽左文字、細川正宗を追加。
2021/11/11:三好郷を追加。