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源氏兄弟に飼われる話 第19話

全体公開 6965文字
2018-10-31 18:36:53
Posted by @ayame0601s



 目の前の人物に唖然とし、その場に立ち竦んでしまった。目に映るその人はたった一回しか会った事がないけれど、その雰囲気はどこか安心するものがある。
 彼がいる、という事は、この見慣れない家は彼の住まいなのだろうか。予想もしていなかった人物に驚き、理解が追い付いていない。

「大丈夫か?」

 鶯丸に問われ、ハッと我に返った。こちらの様子を気にする瞳と、視線がかち合う。
 とりあえず挨拶を。そう思い、「お久しぶりです」と口に出したその声は大分掠れたものになってしまった。
 鶯丸はその片目を柔らかく細める。

「具合はどうだ」
「具合は、大丈夫……です。あの、ここは?」
「ここ? ここは、俺の家だが」
「鶯丸さんの」

 やっぱり、ここは彼の住まいらしい。部屋を見回せば、彼の座るシンプルなパソコンデスクと、テレビと二人掛のソファーが置いてある、こじんまりとした室内。
 けれど、どうして私が、彼の家に。
 疑問に思えば、それが顔に出てしまったのかもしれない。鶯丸は私の表情を窺った後、口を開いた。

「あの兄弟に頼まれたんだ。しばらく君を預かってほしいと」
「え、」

 何気無い様子で説明されたその言葉に、どこか胸がずしりと重くなるのを感じた。
 その重みがどこから来たものなのか把握する前に、「そうなんですか」と、とりあえず返事をする。
「詳しく説明はするが」と鶯丸は言葉を続けた。

「茶を飲みながらでもいいし、腹ごしらえをした後でもいい。時間はいくらでもあるんだ。君の都合に合わせよう」
「ありがとう、ございます」
「どうしたい? まだ体が辛ければ、また寝てきてもいいぞ」
「あ……それでしたら、あの」
「うん?」
「先に、シャワーをお借りしてもいいですか?」

 身体がベタベタしている事もある。けれど、一度冷静になりたくもあった。
 昨日から色々とありすぎて、頭も心も混乱している。その状態でこのまま鶯丸の話を聞いても、全て呑み込みきれないかもしれない。
 それに、覚悟をしておきたい、というのもあるのかもしれない。この先の、私の在り方について。
 鶯丸は私の言葉に、快く承諾してくれた。静かに席を立った彼は、浴室まで私を案内すると「ある程度は揃えたつもりだ。好きに使うといい」と言って、タオルを渡すとその場から出ていった。
 パタン、とドアが閉まり、洗面所を見回す。一人暮らしの自分の部屋と、大差無い造りと広さだった。洗面台があって、洗濯機が置いてあって、浴室への扉があって。
 揃えた、と言っていた通り、洗面台には、彼には必要のないメイク落としや、洗顔フォームや歯ブラシなど、真新しい状態で置いてある。まるで一流ホテルかのような品揃え。ここまで気遣ってくれたのかと、彼の出ていった扉を意味もなく見つめた。

 浴室もとても綺麗な状態だった。白い壁も浴槽も、備え付けの鏡も、光を反射して浴室内は明るい。全てが比較的新しくも見える。
 もしかしてここに引っ越してきたばかりなのたろうか……そんな事を思いながら蛇口をひねった。
 きっと、引っ越してきたばかりなのだろう。あの兄弟だって、カルト集団の件があってこの街にやって来たのだから。鶯丸も同じ理由だと考えるのが自然だった。
 温かいお湯を浴びれば、身体の緊張はほぐれていった。それに伴って、段々と冷静になっていき、ふと鶯丸の言葉を思い返す。

『あの兄弟に頼まれたんだ。しばらく君を預かってほしいと』

 心が、つきりと痛む。胸が押し潰されるようなこの感覚が、どこから来ているのか。冷静になるにつれ、自覚し始める。
 私は、あの兄弟に見限られてしまったのだろう。 
「君が、嘘をつけないと思ったからだよ」髭切は私にそう言った。嘘をつく人間は裏切る、と。私が嘘をつけないから、彼らは私を側に置いていたのだ。
 裏切らないと……確証は持てなくても、少なくとも可能性としてそう思ってくれていたに違いない。
 そう考えれば、思い当たる節はいくつかあった。

 彼らと初めて会った、あの夜。追い詰められた路地裏で、髭切は言っていた。「この子、嘘はつけない」

 あの時は恐怖に支配され、目の前の人物に嘘は通用しないという意識が強かったけれど。思い返してみれば、それが彼にとっての決め手だったのだ。
 その後も、殺されてしまうかもしれないという恐れから、私は決して彼らに嘘はつかなかったし、嘘をつくような状態を作らないようにしていた。それは全て自身の安全のためとはいえ、髭切にとっては大切な要素だったのかもしれない。

 君って本当に分かりやすいよね、と言われた時もあった。カルト集団から追いかけられた後、彼に手を引かれて帰路についていた時だった。
 あの時、彼が浮かべた、その笑みの理由は。
 もしかしたら、少しでも信用してくれていたのかもしれない。思い上がりかもしれないけれど、もしかしたら。それなのに、私は嘘をついてしまった。

『大抵の人間はすぐに嘘をつくからね。そういうのは、必ず裏切る』

 彼の言葉が不意に脳裏に浮かび、胸が詰まる。兄弟の正体を話した訳ではないけれど、あのタイミングは、裏切ったと思われてもおかしくない。
 けれど、鶴丸の事を考えると、居ても立ってもいられなかったのだ。

 シャワーヘッドから流れ出るお湯を、ただ肌に受け流しながら、当時の事を思い起こした。当時の状況と、その時の感情を。 

 覚悟の上で起こした行動だった。友人が殺されるかもしれないのを、黙って見ているなんて出来なかった。
 後悔は、していない。後悔しない選択をしたつもりだった。最悪の結果になり得る可能性だって、十分予測していたのだ。
 そもそもバレていたにも関わらず、殺されなかっただけ幸運だというのに。兄弟からの信用を失おうが、傷つく資格などないというのに。

『きみ達は、いつもそうだ。こちらが隙を見せれば、すぐに裏切る』

 お湯の流れ落ちる音を聞きながら、耳の奥で彼の言葉が木霊する。
 彼は一体、どんな気持ちであの言葉を吐き出したのだろう。
 そう思えば、ただただ、胸が張り裂けそうなほど痛んでしょうがなかった。

 シャワーを浴び終え、居間を覗けば、鶯丸はお茶を飲みながらテレビを見ていた。
 私に気づいた彼は微笑みを向ける。
「上がったか」その声は柔らかく、浮かべる笑みは温かい。目の奥に熱いものが込み上げそうになり、ぐっとそれを堪える。

「好きにくつろいでくれ。茶でもいれてやろう」

 鶯丸はそう言うと、とりあえずソファーに座るよう促した。お礼を言ってソファーに座る頃には、彼は奥へと消えていた。
 入る前は気づかなかったけれど、この部屋はL字状の構造をしている。その角に、どうやらキッチンが備え付けられているらしかった。

「足りないものはなかったか?」

 キッチンから戻ってきた彼から、湯飲みを差し出される。丸い小ぶりのもので、ほんのり緑がかっているそれを受け取りながら、問われた言葉に「はい」と頷いた。

「十分すぎるほどでした。あんなに揃えて頂いていたなんて。ありがとうございます」
「いやなに、気にするな。不足が無ければ良かった」

 彼はパソコンデスクの前に座ると、自身の湯飲みに口をつける。

「なにせ、人と暮らすなんて久しぶり過ぎてな。勝手を忘れている」

 一口飲んだ後、彼はそう言った。え? と思わず聞き返せば、視線が交わる。

「人と、暮らした事があるんですか?」
「ああ。意外か」
「はい……少し、驚きました」
「まあ、長く生きているからな。そういう経験だってあるさ」

 穏やかに微笑むと、鶯丸はお茶をすする。
 彼らも、人間と生活を共にする事はあるのか。その場合、私のように彼らの正体を知っているという前提なのだろうか。なんだか意外で、呆然としてしまう。
 鶯丸は湯飲みを眺めながら「俺は、人間が嫌いじゃない」と続けた。

「そりゃ嫌な思い出だってある。昔は、特に俺達の存在が信じられていた時は、何度殺されかけたか。だが、そんな思い出ばかりじゃない。良い思い出も、沢山あった」
「そうなんですか」
「ああ。俺はな」

 俺は。その一言が何に対しての対比なのか、聞かなくても察しがついてしまった。
 鶯丸はそれを感じ取ったのか、苦笑を溢す。

「こればかりは、仕方がない事だ。俺は運が良かった」

 そう言って、彼は再びお茶を飲んだ。
 鶯丸から、視線を手元の湯飲みに落とす。微かに揺れるお茶の水面を眺めながら、彼の言葉を頭の中で反芻した。
 良い思い出が作れないのは、仕方がない事。

「それは……裏切るから、ですよね」

 言葉が口をつく。言うつもりなんてなかった。けれどまるで、罪悪感を吐き出すように、気づけば口にしていた。
 鶯丸がこちらを見る気配がするも、顔を上げられない。

「人間は、すぐ裏切るから」

 脳裏に浮かぶ髭切の言葉に重ねて言えば、胸がぐっと締め付けられた。あんな言葉を、彼が溢すなんて。彼は──彼らは一体、どんな経験を今までにしてきたのだろう。

「それは、あの兄弟が言ったのか」
……はい」
「へえ、珍しいな。そんな事をわざわざ口にするなんて」

 鶯丸の声色は、少し驚いているように聞こえる。

「まあ、そうだな。こちらが心を寄せても裏切られ、殺された仲間は何人もいる。それは事実だ」
……
「だが、逆もしかりだろう。君達にとって俺達は、恐怖の対象でもある。現に、食事のために残虐な殺し方をする輩もいるしな」

 残虐な殺し方。その言葉に、ふと思い出す。
 恐怖は血を濃厚にするのだと、髭切は言ってた。だからそのために、わざわざ恐怖を煽る輩もいるのだと。
 同時に、鶴丸の事が脳裏を過った。鶴丸の、並みならぬ吸血鬼に対しての憎しみは。親の仇だと言っていた、その言葉の背景は、そこから来ているのだろうか。

「だから、こればかりは仕方がない。……だが、」

 鶯丸はそこで一度、口をつぐんだ。途切れた言葉に、湯飲みに落としていた視線を彼に向ける。
 交わる視線は、柔らかいものだった。  

「俺は、あの兄弟に会えたのが君で良かったと思っている」

 微笑みながらそう言われ、つい言葉に詰まってしまった。まさか、そんな事を言われるとは思ってもいなかった。
 どうして──喉まで上がってきたその言葉を呑み込む。
 鶯丸は、詳細をあの兄弟から聞いていないのだろうか。

「それは、買い被りすぎです」
「ほう。なぜだ?」
「私も、人間なので」

 言葉を濁してしまったのは、罪悪感からだった。

「それは、裏切った、という事か?」

 けれど鶯丸は、私の濁した部分を的確に突いてくる。
 胸がずしりと重くなるまま、「はい」と頷けば、鶯丸はなるほど、と呟いた。

「君は一体、いつの間に俺達の正体をバラしたんだ」
「え?」
「裏切るとは、そういう事だろう。俺は、君が裏切るような事を喋っていないように聞こえたが」

 あの兄弟も人間だと。吸血鬼なんて存在しないと、君は頑なにそう言っていたじゃないか。
 続けた鶯丸の言葉がすんなり理解出来ず、唖然とする。
 彼は口角を上げた。

「悪いな。いわゆる、ストーカーってやつだ」 

 肩を竦めてそう笑った彼は、どうやらあの時、私達の近くに居たらしかった。
 私と鶴丸が会ったあの時。私達の後をつけていたのだと、鶯丸は説明した。

「俺は、彼に顔が割れていないからな」

 彼、とは鶴丸を指しているのだろう。私達の居た個室から近い席で、会話を聞いていたらしい。
「耳がいいんだ」自分の耳元をとんとん、と指しながら鶯丸は言う。私達人間より、聴力がいいのだと。私達の後をつけ、聞いた会話を兄弟に伝える役割だったのだと、彼は言った。

「あれほど緊張したのは、久しぶりだった。君がどう受け答えするのか気が気では無かったし、兄の方は勝手に動くし」
「え……
「ああ、いや、何でもない。聞かなかった事にしてくれ」

 とりあえず、と彼は続ける。

「俺は、君が裏切ったとは思っていない。それは、あの兄弟だって同じはずだ」
「そうでしょうか」
「そうじゃなきゃ、君はとっくに殺されている」

 断言したその言葉は、説得力があった。

「君がこうしてここに居るという事は、そういう事だろう。おそらく」
「おそらく……
「俺にも、あの兄弟が何を考えているのか時々分からない時がある」

 ははっ、と鶯丸は声を立てて笑う。その笑みは友人へ向けるもので、こちらまで釣られてしまいそうだった。

「まあ、あれだな。時間が出来たら、直接あの二人と話した方がいいだろう」

 目元を和らげてそう言うと、鶯丸はお茶をすすった。「分かりました」と言ってみたものの、いつ話が出来るのだろう。果たして、ちゃんと話す事は出来るのだろうか。
 彼を真似るように湯飲みへ口をつければ、渋みの少ない、まろやかな味が舌の上に広がった。お茶に詳しい訳ではないけれど、きっといれ方が上手なのだろう。美味しい。

「お茶、美味しいです」
「そうか」

 鶯丸は笑みを深める。それを見て、緊張がほぐれていくのを感じた。
 そういえば、彼と初めて会った時もこんな感じだった。気を張らなくていいような、穏やかな空気感を、彼は纏っている。

「あの……
「ん? どうした」
「私は、これからどうすればいいんでしょうか?」

 質問すれば、鶯丸は思い出したかのように目を丸くした。どうやら、すっかり忘れていたらしい。
「ああ、それを言い忘れていたな」本人もそう口にする。

「さっきも言ったが、しばらく俺が預かる事になった。あの家では、もう君を隠し通せないとの兄弟の判断だ」
「そう、なんですか」
「大分、色んな方面に居場所が割れてしまっているらしい。それと君には悪いが、当分、一人での外出は控えてくれないか」
「それは、仕事も含めて、ですか?」
「ああ」

 それは困ります、とは言えなかった。もちろん、仕事の心配はどうしても拭えない。けれど、もうこれ以上、彼らに逆らわない方が賢明だろう。それに正直、逆らう気力もなかった。
「すまないな」そう言った鶯丸は、眉を下げる。申し訳なさそうなその表情を見て、ますます異議を唱える気が失せていく。

「しばらく不自由にさせてしまうが、それもおそらくあと少しだ」

 あと少し。
 あと少しで、私は、彼らから解放される。

「分かりました。よろしくお願いします」
「こちらこそ」

 会話はそこで途切れた。出してもらったお茶を飲み干して、キッチンを借り、湯飲みを洗う。シンクもコンロも、汚れが見当たらない。あまり使っていないのだろう。
 料理する必要がないのだから、当たり前と言えばそうだった。 

「ああ、そうだ」

 二階へ戻るとの旨を伝え、部屋を出ようとした時だった。鶯丸に声をかけられ、立ち止まって彼を見る。

「貧血もすぐ良くなるはずだ。あまりひどいものじゃない」

 だから安心してゆっくり休め、と彼は言った。その言葉にお礼を言い、二階へと足を進める。
 部屋に着けば、もぞもぞと布団に潜り込んだ。横になれば、ふっと重みが抜けていくように、筋肉が緩んでいく。
 鶯丸の言うように、貧血は軽いものに思えた。普通に歩く事が出来れば、目眩もない。

 それはきっと、髭切が調節してくれたからに他ならない。

 鶯丸が貧血について言及したのも、私を安心させる意味合いもありつつ、その事を伝えたかったのかもしれない。

 兄弟に嘘をついて、鶴丸に会いに行って。明らかに苛立ちがあった中でも、その中での「食事」であっても、髭切は髭切なりに、私を気遣ってくれたのだろう。
 だから、あんなにも優しかったのかもしれない。

 そういえば、鶴丸──彼は、無事だろうか。

 冷静になり始め、ふと思い出す。
 髭切が車の中で電話をしていた相手は。あの後の、鶴丸の安否は。そもそも、鶴丸の親の仇は、本当にあの兄弟なのだろうか。

 様々な事が脳内を駆け回り、けれど、どれ一つとして答えが見つからず、気ばかりが焦っていく。
 それでも、この状態はあと少しで終わりになるらしい。
 あと少しで、彼らとお別れになる。
 それは、私にとってずっと願っていた事だった。あの兄弟から解放されれば、元の日常に戻る。きっと、もう二度と会う事はないだろう。

 もう、二度と。
 それを、ずっと願っていたはずだったのに。

 この、胸が押し潰され、微かに感じる息苦しさ。

 瞼をゆっくり閉じる。この感情が、一体どこから来ているのか。ここでも、痛いほどそれを実感してしまう。
 それはもう、私の方が心を寄せてしまっているからなのだと、自覚せざるを得なかった。





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