@toasdm
雨の音だけが響いている。時間の流れがゆっくりなのか早いのか、ぼうっとした頭で考えることと言えば、今頃想楽さんは何をしているんだろうか、なんていうとりとめもないことばかりだ。のろのろと伸ばした腕で枕元のスマートフォンを手繰り寄せ、時間を確認してみたけれども、そういえばさっき何分だっただろうか、とまるで覚えていない。頭は全然回らない。風邪を引いたのだから仕方がない。
伝染したら困るから来ないでくださいね、と電話で釘をさしてはおいたけれども、うん、わかったよー、といつもの調子で答えていたから、もしかした来てくれるかな、なんて少しだけ淡い期待を抱いてはいたけれども――…。天邪鬼の想楽さんは、今日に限って顔を出さないみたい。電話を切ってからもう随分と時間が経っているような気がする。雨音にかき消されるような小さな溜め息をついて、私はもう一度布団にもぐりこんだ。一人は寂しい。切ない体に切ない心を抱えたまま、寝ていれば治る程度の軽い風邪を恨んで私は、まどろみの中に沈むように落ちていった。
「んん……」
さっきまで薄日の射していたカーテンから漏れる光よりも弱い、人工的な明かりに瞼をなでられて私は眼を覚ます。だるさのとれない重たい体をゆっくりとベッドの上に起こすと、キッチンの方に電気がついていて、人の気配がする。……誰だろう?
「お母さん……?」
「あ、起きたー?」
耳馴染みのいいおっとりとした口調と柔らかい声が、お母さんじゃないよーと近付いてくる。温かさを漂わせた笑顔の想楽さんが、身を起こした私のベッドに腰掛けて、大丈夫?とおでこに手をあてる。
「うーん、まだ熱っぽいねー」
「伝染りますから、来ないでって……」
「変なことしなかったら大丈夫だよー」
変なこと、って……。何思い出してるのー?と近付いてきたいたずらな顔に、なんでもないです、と答えた自分の声がひどくかすれていて驚く。それに気付いた想楽さんが、喉渇いたでしょー?とペットボトルのスポーツドリンクを差し出してくれる。
「汗だくだったもんねー、後で体拭いてあげようかー?」
「なっ、何を言ってるんですかっ……」
ペットボトルに口をつける前でよかった、と吹き出しそうになる想楽さんの言葉に、少しだけ気力が充実してきたような気がする。別にやらしい意味じゃないよー、と言ってにっこりと笑う想楽さんが、待ってて、と立ち上がってキッチンに戻る。その隙に、と私は一気にドリンクを飲み干す。体はからからに渇いていたらしく、飲みきった後の体は少し軽く感じられる。
「うん、ちゃんと飲めたねー、えらいえらーい」
汗で張り付いた前髪を払いのけるように、想楽さんが髪の毛をそっと撫でてくれる。髪の毛まで汗だくだねー、と撫でながら、ご飯食べられそうー?と聞いてくれたけど、正直体がだるくて食欲なんて沸いてくる気配すらない。正直にそう伝えると、うーん、と腕組をしながら困った顔で想楽さんは何かを考え始める。
「ちゃんと食べないとだめだよねー……」
お薬も飲めないしー、とぶつぶつ言いながら想楽さんはキッチンの方に向かう。これなら食べられそうかなー、と小さなスプーンとプリンを持って、ベッドにとすん、と腰掛けた想楽さんは、本当に心配そうな顔をして食べるー?と聞いてくる。
「ほんとはさー」
ぺりぺりと容器のフタを剥がしながら少し寂しそうに呟く。
「僕が何か、作れたらよかったんだけどねー」
お粥とかさー、の声が寂しそうで、私は胸が締め付けられる気がした。スプーンでプリンを掬うと、当然のように想楽さんはそれを私の口元まで運んでにっこりと笑った。
「はい、あーん」
「じ、自分で食べられます、から」
「病人さんは大人しくしてましょー」
半ば強制的に開けさせられた口の中に、冷たいプリンが放り込まれる。……なんだろう、いつもより、甘くて美味しい……?ような、気がした。
「熱出してて辛いから、きっと美味しく感じると思うよー」
ああ、そっか。風邪、ひいてるからか。
プリンを飲み込んだ私は気がつけば、ぽろぽろと涙を零していた。
「寂しかったんだよねー、よしよし……」
寂しさの輪郭をなぞる想楽さんの優しい手に撫でられて、私は私の寂しさを自覚する。大丈夫だよー、の声が本当に、私の真ん中を柔らかくしてくれるような気がして、涙が止まらなかった。
「プリンしょっぱくなっちゃうねー」
くすくすと笑った想楽さんが、プリンを置いて抱きしめてくれる。落ち着いて再び食べさせてくれたプリンは、すっかり温くなってしまっていた。