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源氏兄弟に飼われる話 後日譚

全体公開 2 9798文字
2018-11-27 18:23:52
Posted by @ayame0601s



「それじゃあ、留守の間よろしく頼むよ」

 私と膝丸を見やった髭切は眉を下げ、大層億劫そうにそう言った。

 髭切から血を分け与えられ、彼らと同じ存在となってから、早二週間。この身体に慣れる、というのはまだ程遠く、それでも何とか二人に支えられながら、毎日を過ごしていた。
 自分の身体なのに、ほとんどのものが変わってしまった。とにかく、全てにおける感覚が鋭すぎるのだ。
 感覚が鋭い事は、彼らと過ごしていた頃から、だいたい予想はしていた。鼻が利きすぎたり、耳が良すぎたり。けれど、実際は想像をはるかに越えていた。
 始めは、薄暗く静かな室内に居たため、問題がほとんどなかったものの。
「そろそろ慣れていこうか」と髭切に外へと連れ出された時は、とにかく辛かった。
 視界に入ってくる光は刺すように眩しく、人がいれば、会話がひどい騒音となって鼓膜を揺さぶる。車の排気ガスは鼻の奥を刺激し、思わず呼吸を止めてしまうほどだった。ああこれは、カレーのにおいはさぞかし辛かっただろう、と、もはや昔の事のようにぼんやりと思い出し、同情してしまうほど。
 入ってくる刺激のどれもが、人間の頃よりも遥かに強い。
 それでも毎日、二人と一緒に外へ出る訓練をしながら、何とか短時間でも歩けるようになっていた。

 そして、それは昨日の話だった。
 穏やかな昼間。薄いカーテンで仕切られた部屋に淡い光が充満する中、髭切は椅子に座って本を読み、私はソファーでウトウトと眠りにつこうとしていた。
 午前中に、訓練という名の散歩をし終え、いまだに慣れない身体は疲れ果てていた。髭切の、ページを捲る音だけが聞こえる、静かな空間。その心地よさに、夢の中へと入りかけていた――その時だった。

「兄者ァア!」

 突然室内に鳴り響いたその声に、鼓膜が悲鳴を上げる。
 キィンとする耳鳴りに眠気も吹っ飛び、思わず耳を塞いだ。

「う……っ」
「大丈夫かい?」

 敏感になりすぎているのか、髭切の声すら反響して聞こえる。何とか彼を見上げれば、心配そうな瞳とかち合った。

「大丈夫、です」
……膝丸」

 髭切が私から視線を外し、弟の名を呼んだ。
 普段、彼は滅多に弟の名を呼ばない。時々忘れてすらいるようだった。そのため、髭切の口から弟の名が出る、という事はあまりにも新鮮で、思わず耳鳴りも忘れて呆気に取られてしまった。
 部屋の入り口に佇む膝丸を見れば、罰の悪そうな、ハッとした表情がこちらを向いている。それもまた新鮮すぎて、意識はもう完全に、そちらへと向いていた。

「すまない……大丈夫か?」
「え、あ、はい。もう、大丈夫です」

 そう答えるも、眉を寄せたその表情に心配の色が浮かんでいる。
 膝丸はあれから、まるで人が変わったかのように私に優しい。根本的に優しい、という事は分かっていたものの、目に見える形で柔らかく接してくれている。彼はあの時の言葉通り、確かに私を「妹」として扱ってくれているらしい。
 いまだに居たたまれないような表情をしている彼に、「ちょっと驚いただけです」と付け加えた。

「で、一体どうしたというんだい」

 髭切のその言葉に、膝丸ははたと思い出した顔をする。

「兄者、大変だ。すっかり忘れていたんだが」
「うん?」
「会合、今年じゃないか?」

 会合? と不思議に思いながら髭切を見れば、彼は何度か瞬きをした後、ああ、と納得した。

「本当だね。しまった。すっかり忘れていたよ」
「俺とした事が……色々あったとはいえ、今頃思い出すなど」
……あの、会合って?」

 恐る恐る会話に入れば、それは吸血鬼の会合だと説明してくれたため、驚いた。数年に一度、不定期に行われ、状況報告をし合うらしい。
 まさか、会合と呼ばれるような集まりがあるとは、思ってもみなかった。
 世界中を探せば、僕達の仲間はひっそりと存在するんだよ。と、以前に言われたその言葉を、ふと思い出す。

「前回の時に、次は四年後って言われたから……うん。確かに今年だ」

 指を折りながら数を数えた髭切は、確認すると眉を顰めた。面倒くさいなぁ、と溜め息を溢す。

「行かなかったら行かなかったで面倒だし、仕方ないか」

 独り言のように呟くと、髭切は私に向かって「そういう訳だから」と続ける。

「悪いんだけど、留守番していてくれるかい」
「はい、分かりました。いつ頃ですか?」

 本当は、もちろん不安があった。普通の身体だったら全く問題ないけれど、いまや慣れないこの身体だ。会合というのだから、膝丸も行くのだろう。彼らが留守の間、もし何かあったら……と思うと心配はあるものの、大切な集まりに対して我が儘は言えない。
 髭切は私の質問に、それがさ、と続ける。

「明後日なんだよねぇ。イギリスであるんだけど」
「明後日に、イギリス……え、明後日?」
「うん」
「という事は、明日には出発ですか?」
「うん。そうみたいだね」

 それは、予想していたのよりもあまりに急な事で。髭切は、面倒くさいなぁ、ともう一度呟く。
 なるほど、これは確かに膝丸も焦るな、と内心で苦笑をした。

 あれから急いで航空券を取り、迎えた翌日。髭切はスラックスにベスト、ジャケットといったスリーピース・スーツを着こなし、出かける準備を着々と進めていた。
 ピシッと決めているその姿は、初めて見る気がする。
 髪を片耳にかけ、そのまま片側へ流すように纏めた髪型まで、普段見慣れないもの。スーツの上からコートを羽織り、革のボストンバッグを持つ彼は、誰が見ても見惚れてしまいそうだった。

「ん? おや、ありがとう」

 玄関に立った際、髭切はふと私を見ると、突然そう言った。
 彼に対して何かしたわけでもなく、それはいきなりの事だったため、一体何に対してお礼を言われたのか分からず、ただ見上げる。

「え?」
「惚れ直してくれた?」

 そう言って、彼は楽しそうに笑う。
「すごく見つめられていたから」続けたその言葉に、顔が一気に熱くなった。

「えっ、あ、いえ、その」
「うん。それじゃあ、行ってくるね」

 髭切は私が何を言おうと、大して関係ないらしい。どもる私をよそに、彼は自らの手を、ゆっくり私の頭に置いた。
 思わず肩が跳ねてしまうも、束の間。
 彼はそのまま、私の額に唇を寄せた。

――っ?」

 流れるようなその動作に、頭がついていけない。ゆっくり離れていく髭切を見上げれば、彼は目を細めて微笑んだ。
 額に、唇を落とされたのだと。そう認識した途端、これ以上ないくらい顔に熱が集まる。込み上げる恥ずかしさに、逃げ出したくなるくらいだった。
 どうにも私は、彼とのこういう関係に、まだ慣れていない。その上、私のすぐ隣には膝丸もいるのだ。恥ずかしくて仕方がない。
 おそるおそる膝丸へと目を向ければ、彼は目をぱちくりさせると、苦笑を溢す。

「兄者、くれぐれもお気をつけて」
「うん、ありがとう。可愛い弟にもしてあげようか」
「なっ……いや、俺は遠慮しておこう」

 そんな会話をしている膝丸は、私と一緒に留守番組だった。てっきり、彼も行くものだと思っていた。もしかしたら、私に気を遣ってくれたのかもしれない。
 そういえば、彼との留守番は二回目だな、とふと思う。

「あー僕も留守番がいいなぁ」

 髭切は大きな溜め息と共に、ドアノブに手をかけた。

「それじゃあ、留守の間よろしく頼むよ」

 膝丸と私を交互に見た彼は、心底億劫そうな表情をしている。眉を下げたその表情は、彼らに「飼われていた」時には、見た事もないもので。一度気を許した相手にはこんなにも感情を表に出すのかと、いまだに驚く事が多い。
「ああ、任された」と膝丸が頷く。続くように私も「行ってらっしゃい。気をつけてくださいね」と口にすれば、髭切は気乗りしない顔で頷き、そのまま会合へと出掛けていった。
 パタン、とドアが閉まる音が響く。途端、部屋に沈黙が生まれた。
 膝丸と、二人きりになってしまった。
 彼は確かに、私に対してかなり柔らかくなった。あの射抜くような視線で見られる事は無くなったし、目に見える形で気遣ってくれる。
 けれど今までの苦手意識が強かったせいか、二人きりというのはどうしても気まずく、何を話せばいいのか分からなくなってしまう。それはもしかすると、膝丸も同じなのかもしれない。
 髭切は家を出ていったというのに、二人して、ただその場に佇んでいた。
 沈黙が、気まずい。

「あの」
「兄者は」

 口を開いた途端、言葉が重なる。お互いが振り向いたタイミングもぴったりで、視線が勢いよく交わった直後、膝丸は居心地悪そうに目を逸らした。

「あー……なんだ」
「あ、いえ、お先にどうぞ」

 先を促せば、少し間を置いた後、膝丸は続けた。

「兄者は楽しそうだな。と思っただけだ」

 楽しそう……膝丸のその言葉を反芻する。
 楽しそう、なのだろうか。先ほどの彼は、どこからどう見ても億劫そうにしか見えなかった。
「そうなんですか?」と素直に返せば、「ああ」と肯定が返ってくる。

「君が来てから、随分と楽しそうだ」

 その言葉は、不意打ちだった。まさか、そう言って貰えるとは思ってもいなくて。
 嬉しさだったり、照れくさい気持ちが込み上げる中、何と返事したらいいのか迷ってしまう。結局、「ありがとうございます」となぜか膝丸に対してお礼を言う形になってしまった。
 膝丸はそんな私を見て、ふっと吐息を溢しながら小さく笑うと、「で、君は?」と促した。

「あ……膝丸さんは、行かなくて大丈夫だったんですか?」

 思っていた疑問を、そのまま口にする。膝丸は質問を呑み込むように、数回瞬きした。

「会合に、か?」
「はい。その、私のために行けなくなってしまったんじゃないかと」
「いや……もともと俺は、会合には出席しない。兄者だけだ」

 参加は限られていてな、と、膝丸は話を続ける。

「血の濃い、いわゆる上層部のものしか参加を許されていない」

 その言葉に、目を見開いた。意外、という感情が先行してしまったからだ。
 血が濃い、というのは、彼と出会って間もない頃に、ちらりと聞いた覚えがあった。けれどまさか、それが「上層部」と呼ばれるほどだとは。

「髭切さんは、この世界でお偉いさんなんですか?」

 その質問した途端、膝丸はいきなりカッと目を見開いた。その勢いと目力に、反射的に肩が跳ねる。
 何か地雷だったのだろうか、と思ってしまうほどの勢いに、身体が緊張する。
 つい後退りそうになるも、何とか留まった。

「ああ、そうだ。兄者は凄いお方だ」

 そう言ったかと思えば。膝丸は、その顔をみるみる誇らしげなものへと変えていく。

「直系の血を注がれ、その身に受け継がれている。兄者のようなお方は、滅多にいないからな」

 よほど、膝丸にとって自慢の兄なのだろう。話を進めるうちに表情がパァっと明るくなり、その無邪気ともいえるような顔つきは、初めて見るものだった。おまけに、雄弁でもある。そんな彼の様子に、思わず呆然としてしまった。

「だからこそ、会合には兄者が必要なのだ」

 膝丸は嬉々としてそう言った。

「そう、なんですね。でも、それなら膝丸さんも会合に必要なんじゃないですか?」

 髭切が直系の血を受け継いでいるのなら、そんな髭切に血を注がれた膝丸も、所謂「上層部」なのではないのだろうか。
 そう思うも、彼は「いや」と否定する。

「俺は直系の者から、直接頂いたわけではないからな」
「あ、なるほど……
「だが、間接的でもその血が流れている事にはなる。兄者のおかげだ」

 そう言った彼は、大層嬉しそうな顔で口角を上げた。そんな表情に再び唖然とするも、心から喜んでいるその感情が伝わり、自然と頬が緩んでしまう。

「髭切さん、凄い人なんですね」

 それは、膝丸から伝わってきた事への、正直な感想だった。
 この兄弟はお互いを信頼し合い、尊敬し合っている事は分かっていたけれど、膝丸がこんなにも強く兄を慕い、敬っている事を、初めて目の当たりにした気がする。
 膝丸は私の言葉に強く同意するように、大きく頷いた。

「俺も君も、恵まれているな」


 私はどうやら、今までこの兄弟を、ほんの表面的にしか見れていなかったらしい。
 兄と弟。そのしっかりとした関係性は日頃のやり取りから窺えたものの、弟は、私が思っていた以上に兄を敬慕していた。
 髭切の事を話す膝丸は、とても嬉しそうで。頷きながら話を聞けば、彼は多弁に語ってくれた。
 そしてこの事が、どうやら彼の中で、ひとつのきっかけになったらしい。
 今まで私に対して、比較的口数の少なかった膝丸が、何かと自然に話しかけてくれるようになったのだ。
 初めて会った頃は冷たく邪険にされて、嫌悪感を隠しもされず。瀕死の彼に血を分けてからは、分かりにくい優しさを。私が仲間になれば、目に見える形で気遣いをしてくれて……といったように、少しずつ段階を踏んで縮んできた距離が、今や。

「君は、これを出来るか?」

 ぷよぷよを片手に、そう問われるまでになった。
 思わず、思考が一時停止する。おそらく、兄の不在で暇なのだろう。けれど、まさか……まさかぷよぷよに誘って貰える日が来ようとは、微塵も思わなかったのだ。
 つい、膝丸の顔と手元のそれを二度見した。

……なんだ」

 あからさまに二度見したせいか、膝丸の片眉がつり上がる。

「え……と、いえ。それ、鶯丸さんが来た日に、やっていたやつですよね?」
「ん? ああ、そういえばそうだったな」

 あの日の事は、よく覚えている。その光景はあまりに衝撃だった。冷たい印象しかなかった彼らが、ぷよぷよをするなんて。そもそも、それを膝丸が買ってきた、という事実がとにかく衝撃だった。
「で、君は出来るのか?」再び膝丸に問われ、はたと我に返る。

「出来る事は出来ますけど……でも私じゃ、膝丸さんの相手にはならないと思いますよ」
「何故だ? やってみなければ分からないだろう」

 不思議そうに問われても、残念ながらはっきりと分かってしまう事だった。
 私には、あんな連鎖の攻防を出来ない。
 結局、とりあえずやってみるだけやってみよう、という事になってしまった。若干気乗りしないものの、せっかくの機会だからと思い、彼の申し出を受け入れる事にした。
 ゲームの準備を甲斐甲斐しく始める彼を見ながら、いまだに信じられない気持ちが胸を占める。
 これは、一体どういう状況なのだろう。どこか他人事のように、そう思ってしまうほどで。
 あんなにも怖くて、苦手対象だった彼と、ぷよぷよをする。
 あの時の私に教えてあげたい、と、そう思えばどこかくすぐったい気持ちになった。
 ゲームは極力音を落とし、画面の明るさも調節してもらったものの。
 結果は案の定、私の惨敗で終わった。

……、君は」
「はい」
「その、何というか」
「はっきり言ってもらって大丈夫ですよ」
「驚くほど不器用なんだな」

 これを、不器用、と表現されるとは思っていなかった。下手くそと言われるよりは大分柔らかく聞こえるな、と苦笑する。

「マリカーなら……嗜む程度にはできると思います。たぶん」
「ああ、あのカートレースのか」

 膝丸は思い出すように視線を上へ向ける。次はそれを買ってこよう、と提案する彼は、案外こういうものが好きなのかもしれない。そんな意外にも思える一面は、どことなく可愛くも思える。
 新たな一面を垣間見れて、私自身も、彼に対する壁がなくなっていくように感じた 。

 膝丸との留守番は、比較的穏やかに終わっていった。
 この数日の間で、彼との距離はだいぶ縮んだように思う。あの冷たくてつっけんどんな頃から考えると、物凄い成長ぶりだ。
 毎日散歩し、なぜかぷよぷよの特訓までされ。
「飢えていないか?」と聞かれた時に、一度薔薇を買ってきて貰った事もあった。花屋に行くまで、私の体力が持たないからだ。
 男性から、薔薇の花束を貰う。そんな事は今まで経験がなく、思わずどきりとしそうになるも、彼らからしたら――今は私からしても、それは「飢えを凌ぐためのもの」で。
 夕飯の材料の買い出しに行ってきたかのような調子で、「買ってきたぞ」と、薔薇の花束をずいっと渡される。
 そこにロマンチックさの欠片もなく、そのちぐはぐさが妙に可笑しかった。

 髭切が帰ってきたのは、彼が出掛けてから 五日後の事だった。
 膝丸の予測だと、いつも一週間で帰ってくるため、おそらく明後日あたりだろうと。この日の朝、彼と会話をしたばかりだった。
「兄者は、こういう時はあまり連絡をしてくれなくてな」そう苦笑していた、まさにその日の夜。
 この日も一日体力を使ったため、早めに就寝しようとしていた。ソファーでテレビを観る膝丸に、おやすみなさい、と声をかけ、自室へ向かう。ベッドに横になり、ウトウトとし始めていた時だった。
 静かに回ったドアノブの気配に、眠りから引き戻される。
 膝丸だろうか。けれど彼ならノックをするはず――そう思いながら上体を起こせば、髭切がドアノブに手をかけたまま、こちらを窺うように覗きこんでいた。

「あ、ごめん。起こしちゃった?」

 廊下の明かりが、暗い室内に入り込む。髭切は行きのカチリと決めたスーツ姿とは違い、ゆるいニット姿だった。
 髭切の質問に「まだウトウトしていただけです」と答える。

「お帰りなさい。今帰ってきたんですか?」
「うん、ついさっきね。お土産があるんだ。今いい?」

 頷けば、彼は部屋に入ると扉を閉めた。間接照明だけをつけ、室内がオレンジの暖かい色で照らされる。
 その時ふと、彼の手に持つものと、鼻を掠めた香りに気がついた。

「はい。お土産」

 髭切はベッドに腰掛けると、それを私へ差し出した。薔薇の芳しい香りが、辺りに広がる。

「わっ、いい香りですね」
「ね。会合に行った時、ここの産地の薔薇が美味しいって教えてもらったんだ」

 香りからして美味しそうだよね、と、にこやかに言うその言葉には、やはりロマンチックさなどない。
 そうとはいえ、鼻孔をくすぐるその香りは、欲が刺激されるものだった。

「これ、全部あげるよ」
「え……こんなに、ですか?」
「うん。弟には別に買ってきたし、これは君へのお土産」

 そう言ってくれる髭切の手元には、溢れんばかりの薔薇が束ねられていた。その量は、つい申し訳なく思ってしまうほどだ。

「髭切さんの分は……
「僕は大丈夫。会合でたくさん貰ってきたから」

 ああでも、と彼は続ける。

「長旅で疲れちゃったから、少し貰おうかな。君から」
「はい。そしたら半分に……ん?」
「君から、貰おうかな」

 二度目はゆっくり言われるも、言葉の意味が呑み込めず、ただ瞬きを繰り返す。
 髭切はにっこりと、いい笑顔を私に向けている。
 そして、はい、と花束を更にこちらへと寄せた。

「先にどうぞ」

 薔薇と、髭切の顔を交互に見る。もしかして、と一つの仮説が脳裏に浮かんだ。
 もしかして、彼は私から、間接的に味をみるつもりなのだろうか。
 そんな事が出来るのかと信じられないものの、髭切を見れば、意味深にその目元を細めた。
 これはきっと、おそらくそういう事だ。
 無意識のうちに、こくりと唾を飲み込む。途端に緊張してきたためだった。
 髭切はきっと、引いてはくれない。
 そういう結論に至り、恐る恐る、彼から花束を受け取った。
 彼に見られているという緊張感があるも、そっと、静かに唇を寄せる。
 ふわりと漂う芳醇な香りに包まれながら、口元から甘く、瑞々しいものが流れるように入ってくる。
 いくら本能的に行っているとはいえ、この感覚は、やっぱりまだどこか不思議な気持ちにさせた。
 ごくりと飲み込む、というよりは、そのものが持つエネルギーを貰う感覚。
 その上、いまだに慣れていないからか、私にとって薔薇からエネルギーを摂取する、というのは難しい事でもあった。小さく細いエネルギーの通り道から、少しずつしか貰えない。
 髭切や膝丸は、唇を触れさせた瞬間にその花びらを枯らすのに、私は時間をかけてやっと出来るか出来ないか程度だった。
 それでも、何とか集中しようとしていた、その時。

 ふと、私の手に髭切が触れ、ハッとする。

 薔薇から唇を離して顔を見上げれば、髭切は私の手元から、花束をさらい取っていった。その動作は滑らかで、ただ見守っていると。
 パサリ、と花束が床に落とされた音と同時に、静かに押し倒される。
 ベッドに背中を受け止められ、そのまま覆い被さってきた髭切の髪が、ふわりと垂れた。合間から覗く表情は柔らかく、けれど艶を帯びるその瞳に、どきりと胸が高鳴る。

 彼は、何も言わない。私も、何も言う事が出来ない。

 髭切は口元に薄く弧を描いたまま、微かに視線を落とした。そしてそっと、唇に、彼の指先が触れる。
 親指で、触れるか触れないかの力加減で。そのまま彼の指で押し下げられれば、唇が軽く開く。まるでそれが合図かのように。髭切はその隙間を埋めるように、自らのものを寄せた。
 彼の滑らかな唇が触れる。角度を変えて、食むように。啄みながら軽く吸い付くその口付けは、決して深いものではないのに、頭の芯が揺らぐほど情欲的なもので。
 触れ合い、離れ、そしてまた触れ合う。その合間に彼は、私の首筋に指を添えた。つぅと撫でられれば、それだけで背筋が震え、漏れ出る吐息は彼に呑み込まれていく。
 髭切は唇を離すと、そのまま下へ下がり、首筋へと落とした。
 この身体になって、吸血時の、あの目が眩むほどの甘く強い刺激は感じなくなったものの。
 それでも、身体の奥が疼くような痺れが走る。それは、髭切の醸し出す艶やかな空気に当てられているから、というのもあるかもしれない。
 彼の、首筋に落とす口付けが、這わせられたその舌が。身体のラインに沿わされた、その指先が。全てが甘く、思考を溶かしていった。

「ご馳走さま。味見はおしまい」

 リップ音の後、髭切は突然そう呟いた。
 ゆっくり離れていく彼を、ただ見上げる。
 名残惜しい。もっと、触れていたい。
 その感情に促されるまま、咄嗟に彼のセーターを、摘まんでしまっていた。
 髭切が目を見開く。それを見て、私も我に返った。
 無意識のうちに、甘えるような行動をしてしまうなんて。
本当は甘えたいのに、はたして甘えてもいいものなのか、本心と遠慮がせめぎ合う。
 結局、静かに手を離した。遠慮が勝ってしまった。
 それでも彼は、いつだって私の気持ちなどお見通しなのだ。離した手は簡単に捕まり、そのままベッドに縫い付けられた。

「言って。ちゃんと。君はどうしてほしいの?」

 柔らかい視線は、慈しむような。落とされたその声は、優しく言い聞かせるようなもの。
 彼は分かっているくせに、私の口から聞きたがる。

「おしまいに、しないで下さい……

 何とか絞り出した言葉は、尻すぼみになってしまう。恥ずかしさから視線が泳いでしまうのは、仕方ない事だった。
 髭切の、吐息が混ざった笑い声が落ちてくる。
 彼へと視線を戻せば、とても嬉しそうに微笑んでいた。

「うん。そのつもりだったよ」

 味見はおしまいだけど、と、彼は続ける。

「このまま、続き、してもいい?」

 その笑みは、あまりに温かく、柔らかいもので。
 胸が淡く締め付けられるまま、私も笑みを返しながら頷いた。




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