@akym_2577
「やっと見つけたぞ」
夏がやってくる少し手前。
逆さまに映るその姿が、青空の中でぼやけて見えた。
「お前、いい加減不定期にサボるのやめろよ」
「えー?」
「何故か俺のところに話が来るんだよ」
俺と荒船は同じ進学校に通っている。
しかしクラスは別だ。今まで同じクラスになったことは一度もないし、お昼ご飯だって週の半分くらいしか一緒に食べない。
それでも、こうやって俺がサボっている時に毎回見つけてくれるのはいつも荒船だった。
「何でかなぁ?」
「知らねぇ。ボーダーだからじゃねぇの」
どさり、と荒船が隣に腰を下ろす。
今日は珍しく荒船もこのままサボるみたいだ。
「サボりだね」
「お前のせいだろ」
「そう?」
「あぁ」
夏ではないとはいえ、日差しは強いし気温も高い。何より湿度が高くて、何もしていなくとも汗が流れる。
「あっちぃな...」
「まだ夏じゃないと思ってたけどこれはもはや夏だよね」
「くそ、トリオン体になりてぇ」
「わかる」
けど二宮さんに怒られたくないしなぁ、そう言って視線を横に向けると荒船がきっちり締められたネクタイを緩めたところだった。
「あ」
「あ?」
「俺いい事思い付いちゃった」
寝転んでいた体を勢いよく起こして、そのまま立ち上がる。ぽかん、とした顔のままの荒船に左手を差し出す。
「行こ、荒船」
「...仕方ねぇな、付き合ってやるよ」
掴まれた手は少しだけ俺より熱かった。
「こっちだよ」
荒船と共にやって来たのは、旧校舎にある音楽室だった。
旧校舎の隣には大きな木がたくさん生えていて、この音楽室の窓は生い茂る緑で影が出来ている。
冷房は入らないが外に比べればだいぶ涼しい。窓をほんの少しだけ開けると、生温い風がうっすらと積もった埃を散らした。
「へぇ」
「ここ良いでしょ?人もあんまり来ないから気に入ってるんだ」
がたん、と椅子をひいて埃を軽く払う。
俺に倣うように荒船も隣の席に腰を下ろした。その視線は物珍しそうにきょろきょろと室内を見ている。
「向こうのとあんまり変わらないでしょ?」
「まぁな」
適当な、中身のない話が飛び交う。
課題のこと、ボーダーのこと。思いの外知らないことも多い。
二宮さんがこの間ジンジャーエールを飲もうとしたらとっくに炭酸が抜けていて変な顔をしていた、という話をすると意外だったのか堪えつつも笑いを隠せていなかった。
「そう言えば、ピアノも置きっぱなしなんだな」
話が途切れた時、ふと荒船がそう言った。
机に頬杖をついてピアノに視線を向けている。その後ろで風に吹かれた木の枝が揺れる。
「うわぁ」
「は?」
「ううん、こっちの話」
絵になるな、なんて思ってみたり。
怒られる前に話を元に戻す。
「ピアノ?」
「あぁ。こういうモンて新しい方に持ってくだろ」
「うーん...たしかあっちにはあっちでピアノ置いてあったよね、新しいやつ」
「そうだな」
「古いやつだったから置いてかれたんじゃない?」
「勿体ねぇな、」
まだ音が出せるのに。
その言葉に、教室の前に鎮座するピアノを見る。そう言われてみると古いとはいえども、まだ音は出せそうだ。黒い部分は埃のせいで少しくすんで見える。
「荒船、ピアノ弾けたりするの?」
「一応な」
「えっマジで?!ほんとに?」
「ンだよ、その反応」
「いやだって、すぐビルから飛び降りるし口も悪い荒船がピアノ弾けるって...」
「喧嘩売ってんだろ」
ガン、と軽く机の足を蹴られる。
「ね、何か弾いてよ」
「はぁ?」
「いいじゃん。大丈夫、俺しか聴いてないし」
暫く無言で視線を合わせていると、俺が引き下がらないことが分かったのか溜息をついて荒船が立ち上がった。
「......思ってたのと違っても文句言うなよ」
「うん、言わない言わない」
荒船がピアノの蓋を開ける。
椅子の位置を直して、軽く鍵盤を押した。
ぽーん、
軽いような重いような音が響く。
一拍置いて、緩やかなメロディーが紡がれ始めた。
「(あ、)」
聴きなれないメロディーが、知った曲に変わる。小学生の時に何度も聴いて、何度も歌った曲だった。
「きらきら星......」
記憶にあるよりずっと色んな音で構成されたその曲に、目を閉じて身を任せた。
ぽろん、と最後の音が部屋に響いた。
「ふー...」
「すごいね」
ぱちぱちと拍手をしながら荒船に声を掛けると、ピアノの蓋を閉めながらこちらを振り向く。
「大したもんじゃねぇだろ」
「いや、すごかったよ」
少なくとも俺にとっては。
教壇を降りてきた荒船が正面に立つ。
「ねぇ、荒船」
「あ?」
「また弾いてくれる?」
「...気が向いたらな」
ぽす、と頭の上に乗った手に笑が零れた。
数ヶ月後
ラウンジに同級生たちが集まっている。
その中心には同じ学校に通うアイツがいた。
「あ、犬飼!」
「何々?どうしたの?」
「荒船がピアノ弾けるって知ってた?」
視線がこちらに集まる。
「うん、知ってるよ」
「え、なんで知ってるの?」
ちら、と荒船を見る。
きっとあの日のことを話しても、荒船は怒らないだろう。けど。
「二人だけの秘密!」
もう少しだけ、俺と荒船二人だけの秘密にしておきたかった。
あの時の、生温い風と美しい音が占める世界は、きっと俺たちだけのものだった。