@toasdm
ああ、雨彦さんって怒るとこうなるんだ。
雷鳴と豪雨の音を遮断しきれない玄関ドアの前で水溜りを作りながら、彼女はどこか他人事のように、冷静に激昂する雨彦を見つめていた。
「聞いてるのかい?」
「すみません」
冷えるから、ととりあえずで渡されたバスタオルで髪を拭いたが、彼女はそれっきり、手が止まってしまっていた。こんな雨彦を見るのは初めてだった。
「納得できる理由を聞かせろよ」
「……」
腕を組み、玄関の壁に左肩をもたれさせて、じっと彼女を見下ろす雨彦の顔からは、一切の表情が消えていた。普段の茶化すような顔付きも、微笑みかける目線もない。ぞくりと背筋が冷えたのは、この豪雨の中歩いて帰ってきたからだけではないようだ。
「……遅かったので」
「へぇ」
風邪引く前に着替えて寝ます、と雨彦の横をすり抜けようとした彼女を、ダンッ!と壁に押し付けて、雨彦はギッと音がしそうな冷酷な目線で彼女を見下ろした。
「俺が寝てるとでも思ったのかい?」
「寒い……」
「この時期にこんなに体を冷やして雨の中歩いて帰る阿呆がどこにいる!」
「っ!!」
初めて、雨彦が怖いと思った。
身が竦む、膝が震える、強張る体が崩れ落ちそうになる。
雨彦が壁に拳を打ちつけた音と、雷鳴と、稲光が同時に彼女に襲い掛かる。
「雨彦さん怖い」
「怖くて結構だ」
「やだ、怖い」
処理しきれない恐怖の感情が、胸のラインを超えて涙になって溢れ出す。怖い、怖いと震えながらその場に崩れ落ちた彼女を包むように、雨彦は身を屈めて彼女をぎゅっと抱きしめた。
「……怖いのがお前さんだけだと思うなよ」
「ふ、っう、うぇぇ……」
「悪かった」
怖がらせたかったわけではなかった。雨彦はただ、心配が過ぎただけだった。すまない、と震える彼女を抱きしめて、雨彦もまた、震えていた。
「ど、して……」
「ん?」
少し落ち着いたのか、彼女は震えの隙間から雨彦に問いかけた。
「俺が怖かった理由かい?」
うまく出てこない言葉を労わる気持ちで補って、雨彦は目を閉じて呟く。
「もしお前さんがいなくなったら、何かあったら、なんて……」
抱きしめているのか抱きついているのかもよくわからないまま、雨彦はただ、腕の中にいる愛しい存在の輪郭を確かめるように腕に力を入れる。
「……考えるだけで、怖かったのさ」
「ごめ……っなさ……」
「もういい」
未だしゃくりあげる彼女を優しく撫でて、次からはちゃんと連絡しろよ、と溜め息と共に雨彦は、彼女の冷えた額に唇を押し当てる。
「…………」
あやすような手が、濡れた彼女の背中を叩く。本格的に風邪引くぜ、と漸く冷静になって、雨彦は風呂の用意をしてくる、と立ち上がった。
「あ」
「ん?」
落ち着いてきた彼女もそれに続いて立ち上がり、雨彦さんも濡れちゃった、と申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「気にするなよ。これ以上冷やすのはよくない、脱いで待ってな」
脱がしてやろうか、茶化す雨彦がいつもの雨彦に戻った安心感からか、じわりと溢れた安堵の涙を拭って彼女は笑う。
「ふふ……世界に二人だけしかいないみたいですね」
何がだい、と風呂の支度をしながら雨彦が聞けば、彼女はその背中に抱きついて、すりすりと甘えて言った。
「雨彦さんの音と私の音しか聞こえなくて、外の音がしないから」
「…………二人きりしかいないならもっと自分を大事にしろよ」
俺を一人モンにするんじゃないぜ、と背中にへばりついた彼女をぐるりと前に回して、雨彦はもう一度、すまなかったな、と謝って、優しい口付けを施した。