「ただの空っぽの缶じゃないッスか……」
浅さん(@asa_mplus)の素敵なお話に、許可をいただいて後日談を書かせていただきました。
@toasdm
シンプルな缶にかつて詰められていたのは、ふんわり甘くてバターの香りがする、道流の手作りクッキーだった。食べてしまうのが勿体ないくらいに可愛い猫の形のクッキーは、今は香りだけをそこに残して、後はただ、甘やかな優しい思い出が詰まっているばかりだった。
要は、ただの空っぽの缶だった。彼女以外の者にとっては。
「やーーーーっ!」
その、ただの空っぽの缶をぎゅっと抱きかかえるようにして、彼女は駄々をこねていた。
「し、師匠~! また焼いて詰めて持ってくるッスから!」
「やだっ! 持ってっちゃやだーっ!」
ぶんぶんと抱きしめた思い出の缶ごと上体を振り乱す彼女は、さながら三歳児のようだった。子供じゃないんスから、と宥める道流の魔の手から大事な宝物を守るように、彼女は必死で抵抗した。
「ただの空っぽの缶じゃないッスか……」
道流のその一言が、彼女には大変ショックだったようで。
「な、なんで涙目になってんッスか!!」
「う~~~……!」
実は彼女は三歳でしたと言われても納得してしまうのではないだろうか、と思いたくなるような涙目が、道流の前にあった。伸ばしていた手を彼女の頭にそっと触れさせて、道流は、とりあえず撫でた。とにかく撫でるしかない、と思ってしまった。
「師匠……」
「違うもん……」
「違うんスか……?」
こくり、と頷いて、撫でてもらえた安心感で、彼女はぽつりぽつりと話し始める。
「そりゃあ、今は空っぽだけど……」
ぎゅ、と缶を抱く腕に力を込めて、道流が彼女を撫でるよりも優しく、彼女は缶を撫でて呟いた。
「道流さんが焼いてくれたクッキーが入ってた缶だもん……」
「師匠…………」
幼児退行しているような口ぶりが、さらに彼女の健気な可愛らしさを引き立てているようで、道流は胸の奥をぎゅうぎゅうと締め付けられる気がした。
「クッキーの代わりに、今はその時の、一緒に食べた時の楽しかった思い出が詰まってるんだもん……!」
「師匠ぉ~~……」
あんま可愛いこと言わないで欲しいッス、としゃがみこんで陥落した道流の魔の手から缶を守りきった彼女は後日、別なクッキー缶を道流から贈られた。それにもまた甘い思い出を詰め込んで、彼女はデスクのそれを眺めては癒されていた。
「師匠」
お疲れ様です、と声をかけた彼女は、道流の一言でまた、ショックを受けた。
「二つあるッスから、一つ持ってってもいいッスか?」
スッ、と表情が一気に凪いで、え、と道流が思った時には、遅かった。
「道流さん」
「は、はいッス……!」
いっそ恐ろしくなるほどに冷静な口調と表情で、彼女は道流に問いかける。
「ある日突然、今ある幸せが勝手に半分になったらどう思いますか?」
「半分ッスか?! そりゃあ、ちょっと落ち込むッスけど――…」
逃げ場を失った、と道流は理論の袋小路で思った。
「二の半分は?」
「一ッス……もうわかったッスから」
だが、それでよかったとも、同時に思ったのだ。
「何度も言いますが、これはただの空き缶ではありません! 思い出の詰まった缶です!」
自分の手作りのものを美味しいと食べてくれる幸せ。
「私の幸せの記憶を半分持っていくと言うのですか!!」
それを一緒に食べたことを、後生大事に思い出として取っておきたいとまで思ってくれる幸せ。
「あだだだだ!! ししょーー! 叩かないでくださいッスーーー!!」
確かにこの幸せが半分になったら、怒るッスよね……。
道流は苦笑しながら、彼女のデスクにクッキー缶を増やす覚悟を決めた。