@toasdm
撮影スケジュールが押している。人気が出てきたありがたさと、移動の煩雑さとで雨彦は、疲弊しながら充実していた。次の撮影は旅行番組のレポート、いわゆる『旅レポ』だ。穴を空けるわけにはいかない、と雨彦は、プロデューサーを信じて車に乗った。
「間に合いそうか」
「間に合わせます」
次の現場まで、普通に走れば四十分。雨彦はちらりと時計をみて、これなら間に合いそうだ、と表情を緩める。雨彦は彼女を信頼していた。彼女が間に合わせると言ったからには、絶対に間に合う、という確信が、雨彦にはあった。
「着替え、青のバッグです」
「すまないな、助かる」
移動中に全てを済ませてしまう必要があるほどに忙しい、というのも嬉しいものだった。彼女がハンドルを握る後ろで、雨彦は長い足を器用に畳んで伸ばして潜らせて、あっという間に着替えを済ませる。
「靴は」
「左の、グレーの箱に」
先ほどの街中での撮影は都会的なアーバンスタイルの衣装だったが、これから向かうのは山奥の別荘地だ。少し対象の年齢層を上げて、雨彦はトラディショナルな印象の強い落ち着いた服に着替える。靴もそれに合わせてビットローファーだ。
「ふぅ……」
「お疲れ様です」
ミラー越しにちらりと互いを確認すると、雨彦はニッと笑う。それに応える形で、彼女もグッと親指を立てた。
「次の別荘地の資料、右のポケットのクリアファイル七番です」
「ありがとうな」
移動の間に済ませられることは何でも済ませる。時間の使い方が上手な彼女を、雨彦は本当に、心底信頼していた。
「私、プロデューサーなんですけどね」
「ははは、そうだな」
やっていることはプロデュースというよりも、マネジメントに近かった。ユニットやアイドル一人ひとりに専属のマネージャーをつけられるほど予算も人員もない事務所の宿命か、と彼女は自嘲する。
「もうこのまま葛之葉さんのマネージャーになっちゃいましょうか」
「今と大して変わらねぇな」
軽口に軽口で答えながら雨彦はドアポケットのファイルを確認する。車の中で文字を読むのは苦痛ではないが、少しだけ空腹感を覚えながらは辛そうだ、と雨彦はポケットを漁る。何かガムでもあれば、と思ったが、生憎と、普段着ているツナギではなかった為にそれらは見当たらない。困ったぞ、とペットボトルのお茶で凌ごうとした時、彼女は、あ、と助手席に手を伸ばした。
「よかったら、これ」
彼女が雑に投げ寄越したのは、雨彦の両手に収まる程度の包みだった。匂いからいって、もしかして、とゆっくり緩んでいく雨彦の表情を、彼女はミラー越しに確認してくすくすと笑った。
「撮影の合間に買っておきました。お腹空いてると資料読みづらいでしょう?」
「……ああ、お稲荷さんか!」
自分の好物を把握して、それを合間で買っておいてくれたこともそうだったし、自分が欲しいと思ったものを、欲しいタイミングですっと出してくれたこともそうだった。あれはあそこにあるだとか、これはそこだとか、かゆいところに手が届く配慮は、雨彦の仕事のしやすさを格段にあげている。
「お前さん、俺の嫁さんにでもなるつもりかい?」
「っふふ、私、プロデューサーですよ」
添えられていた使い捨てのおしぼりで手を拭いて、雨彦は稲荷寿司を頬張った。
「ん、うまいな」
「ですよね!」
「なんだ、お前さん先に食ってたのかい?」
「あ……バレた」
移動中の車内に笑いが溢れる。お前さんみたいに気の利く奴ならいつだって嫁に来てくれていいんだぜ、とからかう雨彦を、貰い手がなかったらお願いします、と軽くあしらって、彼女は車を走らせた。
「忙しくて大変ですけど」
ちら、と彼女は再びミラーで雨彦を見る。また目が合って、笑いあう。
「葛之葉さん、輝いてますね」
「ああ、お前さんのおかげだな」
車はスイスイと、目的地まで進む。夫婦以上の信頼関係がそこにあったが、雨彦はやや本気で、彼女が嫁になったら、などと考えて稲荷寿司を飲み込んでいた。