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[雨彦P♀]愛妻の日

全体公開 1 2208文字
2019-01-31 17:09:46

「今日は愛妻の日らしいぜ」

Pさんを日常的にからかう雨彦さんのお話です。

Posted by @toasdm

 数字の一をアルファベットのIに見立てて、三一を語呂合わせでさいと読む。今日は愛妻の日らしい。カーラジオから流れてきたそんな知識を頭に入れて、雨彦はほくそ笑んだ。愛妻ねぇ、の独り言を車の中に残し、駐車場を後にして、事務所の階段はその長い足が勝手に一段飛ばしにする。今日のネタはこれだな、と事務所のドアを開けた雨彦は、その背中におはようさん、と声をかけた。
「おはようございます」
 背中は背中のまま、振り向きもしない。漂ってくるのは、今日もまたからかうんですよね、の無言の圧力だ。ご明察さ、とにやけた顔は、今日も満足気だ。

 お前さんはからかいがいがあるからな。

 そんな言い訳をしながらしかし、雨彦はからかう以上の気持ちが自分の中にあることも自覚していた。そうでなければ説明が付かないことなら、それこそあちこちにあったのだ。
 軽口を叩いてからかえば、もー、とむくれる顔の可愛いこと。最近ではそれもなくなってしまったが、はいはい、と軽く受け流しているつもりのその返事に滲み出る「勘弁してください」の照れや恥じらいは、雨彦の心の中にある柔らかい部分を上手にくすぐった。
 好いた女をからかいたいと思うのは仕方のないことだろう。そんな風に思うようになったのはいつからだっただろうか。グラデーションに色づいた記憶を手繰り寄せても、出てくる答えはいつも同じだった。
 ――俺は、いつの間にかお前さんを好きになっていたんだな。
 ただのからかいがいのあるプロデューサーだと思っていたはずの存在が、雨彦の中で無視できないほどに大きくなってしまってからは、茶化しながらおちょくりながら、雨彦はからかい以上の気持ちを抱えて日々彼女と接していた。
「今日は愛妻の日らしいぜ」
「そうらしいですね」
 相変わらずカタカタとキーボードを叩きながら、黙々と仕事をしている姿も愛らしい。お前さん知ってたのかい、とくつくつ笑いながら、雨彦は彼女の背後に忍び寄る。
「愛妻弁当作ってくれよ」
 いつもの調子でからかって、雨彦は彼女の、照れ交じりのはいはいを期待しながら背中から、ぎゅっと彼女を抱きしめる。はいはい、と言われたら今日はどういじってやろうか、とにやける雨彦の腕の中で、彼女は一切の動きを止めて、ぽつりと呟いた。
……じゃあ、まずは愛妻にしてくださいね」
「んっ!?」
 びくりと跳ねたのは、雨彦の体と心臓の方だった。不意打ちとはお前さん、やるじゃねぇか、と一瞬驚いて、普段出さないような声を出してしまった気恥ずかしさを誤魔化すように、雨彦は目を閉じた。お前さんがそう来るなら、とまた口元をにやけさせて、紡ぐ言葉を雨彦はすぐに見つける。
 へぇ、ならまずはお付き合いから始めるかい?
 本音を混ぜたからかいは、雨彦自身の照れ隠しでもあった。これで行こう、と彼女の耳元に唇を近づけて、すぅ、と息を吸い込んでからゆっくりと目を開けて、そこで雨彦は本日二度目の珍しい声をあげてしまった。
「へぇ……んんっ!?」
 彼女の耳は、赤かった。なんでもないフリしてお前さん、がっつり照れてるじゃねぇか、と気付いてしまったが最後、雨彦は、これはもしかしたら、茶化してはいけないのではないだろうか、と躊躇った。よく見れば、自分の腕の中で彼女は小刻みに震えている。ははぁ、こいつはガチのやつだな?と冷静な自分と、どうするんだいこのチャンスを逃す手はないぜ?と急かす自分が、心拍数を無駄に上昇させていく。やけに乾く口の中、もつれそうになる舌をなんとか動かして、雨彦は努めて真摯に、選んだ言葉を吐き出そうとしたが――
「し、してくれないんですか……?」
「っ!?」
 声にならなかったのは、彼女が赤くしていたのが耳だけではなかったせいだ。頬も真っ赤で、潤んだ目の縁まで赤く染めている。こいつはいよいよ本格的にガチめのやつか、と覚悟を決めて、雨彦は、じっと彼女を見つめる。
 よし、言うぞ。今言うぞ、今から俺は、お前さんにちゃんと――
「俺で、いいのか」
「なんちゃんてーーー! てへぺろぉーーーー!!」
 全て言い切る前に、こんな見事な棒読みはなかなかお目にかかれそうもねぇな、といわざるを得ない彼女の棒読みが、ぶった切る。誤魔化せてないことは、彼女自身もよく理解していたのだろう、先ほどよりもさらに真っ赤になって、やがてくすくすと、そのうちけらけらと、いつの間にか二人で爆笑し始めた。
「っふふ」
「ははは……
「あっははははははは、ごめんなさい、葛之葉さん、っふふふふふ……
「いや、っくく……俺も、悪かったよ、んっ、はは……っ」
 彼女の背中からぱっと離れて、雨彦は後ろ頭をがしがしと掻く。今度作りましょうか、と笑いすぎて涙の滲んだ目尻を拭いながら言う彼女に、気が向いたらでいい、と答えて雨彦は事務所を出る。いってらっしゃいませ、と送り出す声を背中で聞いて、雨彦は特大のため息をついた。お前さん誤魔化しが下手すぎるだろう、だとか、俺の本気をどうしてくれるんだい、だとか、言ってやりたいことは山ほどあったが、最終的に雨彦の胸に残ったものは、いつか絶対嫁にしてやろう、という決意だけだった。
 お前さんの「いってらっしゃいませ」がいつか、別な気持ちで聞けりゃいい。
 軽やかな足取りは、レッスンスタジオまでの階段を二段飛ばしに変えていた。


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