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「共生」

全体公開 2829文字
2019-02-06 13:59:29

そらみそ氏に捧ぐ十一


かなしみはいつも、ふとした瞬間足元に伸びる影の長さに驚く気持ちで訪れる。


それは女に生まれたが故の身体的な周期かもしれないし、そうでなければ月の、潮の満ち引きかもしれないし、あるいは肌を舐める空気が孕んだ水気に起因するものかもしれないが、晩秋の駆け足に沈む夕陽に突然日の短さを思い知らされるように、自覚したその瞬間に濃い輪郭を露わにして足を竦ませる。
当たり前に地を踏みしめていた自分の足はどこにあるのか、次に踏み出すべきなのはどちらの足か、そもそも私にはいくつの足があったのか。虚ろに暗い自分の影を見ている両の眼の前に、底無しの"なにか"がぐわりと口を開けて待ち構えている気がして、追い払うように首を思い切り左右に振る。後ろに括った髪が頬を打ち、毛先が少し口に入った。

逃げるように拠点である長屋に飛び込むのはなけなしの矜持が許さず、ぐいと面を上げて一歩いっぽを強く踏み鳴らす。大丈夫だ、もう足に力は戻っている。健脚で良かった。
目の端に捉えた自分の影が見覚えの無い容(かたち)を映していることには振り返らず、庇(ひさし)の下にみつばの護符が貼られた引き戸をやや大袈裟に音を立てて滑らせ、両の足裏が敷居の先の土間を踏んだ途端、自分の鼓動が一足飛びに早鐘を打っていることに遅れて気付いた。


彼の岸に近しい場所であるほど、己の精神の在り方は目に見える景色にさえ色濃く影響を及ぼす。
この場所に流れ着いて、それは実体験として嫌と言うほど身に染みていた。しかし忘れた頃―――そうでなければ忘れたと思わせるような周期で確実に訪れるこの暴力的なかなしみを、一体どう手懐ければいいのかに私はまだ答えを見出せないままだ。
だって、この感情が悲しみなのか、あるいは哀しみと呼ばうのか、それとも全く別の何かなのかすら、私には分からないでいるのだもの。ただ、かなしい、という言葉を発した時の、口から音と共に魂の欠片が抜けていくような空虚な感じは、この気持ちによく似ていると思ったからそう呼んでいる。

心の臓はまだ冷たい手足に血液を送ろうとしているのか早足に高鳴っていて、いけない、と今度は控えめに首を揺らす。いけない、立て直さなくちゃ。以前の私は、どうやってこのかなしみをやり過ごしたんだっけ?

ふと、土間までぷんと匂う嗅ぎ慣れた土臭さに誘われるまま歩みを進め、後ろ手に下駄を脱ぎ炊事場に辿り着く。匂いのもとは木通(あけび)でざっくりと編まれた笊にこれでもかと放られた小葱であり、恐らくギリさんが庭で育てていたものを昼に収穫したのだろう。たとえ今この場にいなくても、そこに自分以外の誰かが確かにいたという気配に少し安堵する。
確かこのあたりにと戸棚を探ると砂糖を吹いた羊羹の残りを載せた皿と共に、目当てである南天を使った淡い百々染の襷(たすき)を探し当て手早く袖を纏める。振り乱れた髪も束ね直し、丁寧に手を洗い、ついでに包丁と小葱も濯いだ。

よし、とひとり小さく息巻いて、慎重に小葱の葉先へ刃を落とす。よく砥がれた包丁は自重だけですとんと繊維を裁ち、断面には綺麗な輪の束が連なっている。
最初はゆっくりと、次第にとんとんとんと調子を上げていき、それと反比例するように胸の内は静かになっていく。
ここではない空の色も息苦しかった制服のリボンも忘れられない誰かの笑い皺も次第に遠くなっていき、頭の奥がじんわりと痺れるように、深くものを考えられなくなっていく。
胸の詰まるような葱の匂いも、俎板の立てる規則的な音も、眼下に広がる青々とした刻み葱の山も、多分、取り戻せないものを思い返すには鮮やかすぎた。

此処に誰もいなくて良かったと思う。
ギリさんの使い込まれた包丁に、八墨の手入れが行き届いた流しの化粧煉瓦に、よつばが戸棚に隠している雷おこしに、ここにいないあらゆる"誰か"の気配に甘やかされ、心底安堵しながらもそう思うのは何故だろう。
多分、今こうして考えていることの一割も説明できるほど私は口が回る性質ではないし、なによりこの感情は、誰かと共有して目減りさせていくものではないんじゃないか、と思うから。少しずつ、長い時間をかけて自分の中で定義して、飼い慣らしやり過ごしていくべきかなしみ。
此処に、あの人がいなくて良かったと思う。
聡明で目尻に笑い皺のあるあの人の、疑いようもない柔らかいウールのセーターのような優しさは、きっと私の涙腺を容易に決壊させてしまうから。



……なんだ、この山は」

斜め後ろ、やや高い位置から投げかけられる声。それでも警戒心すら抱かせない慣れ親しんだ気配に、反応が遅れる。まるで自分がもうひとり背後に立っているみたいだ。小葱の緑に薄青い指先で擦った目が少し染みた。

「何って葱」
「見ればわかる」

厚手に作られた桐の俎板にどっさり、という形容が相応しいほど積み上がった小葱の微塵切りに、いつの間に帰ってきたのか風呂敷包みを携えた十夜が呆れを通り越しいっそ面白そうに口角だけを上げているのが腹立たしい。

「今度は何を作るつもりで失敗したんだ」

失敗が前提とはどういう了見だ。
人よりも少々味覚が鈍く、"食べられる"という判断に極めて寛容(目の前の男に言わせるならば"味覚がゴミ")なことには私自身自覚がある。失敗のひとつやふたつ、みっつやよっつはある。それも失敗したとて私が食べるのだ、文句は無いだろう。畜生、顔が良い。

「別に、刻んだだけ」
「そうか」

他の誰かなら何故かと問うてきそうな投げやりな返答にさえ、至極平然と、人肌以上の温度を伴わない相槌を寄越すこの男の隣を心地良いと感じることが、悔しい。
きっと十夜はそこにあるかなしみを増すことも、目減りさせることさえもせず、あるがままに受け入れてくれるのだろう。それが分かるから、あの発作のように暴力的なかなしみの最中(さなか)でたったひとり誰かの手を取るならこいつだと思うし、絶対に手の届く場所にいてほしくないとも思った。

「餃子、食うか」
「は?」
「挽肉、安く手に入ってな」

ひょいと男の手に掲げられた藍色の風呂敷包みは、俎板いっぱいの葱を混ぜてもなお十二分に思われる一抱えで、さてどこまでが天然かとそっと吐いた溜息は、意気揚々と襷をかけ大鉢を取り出す人たらしに気付かれることも無く炊事場の隅に溶けた。



「いいか、お前はもう触るなよ、絶対にだ」
「煩いな、触んないからはやく包んで焼いて」



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さみしいともかなしいともつかない、言い様の無い感情にかられることってあるよね。
男女問わずあるんだろうけど、女は周期的がありそうだよねっていう話。
しかし独自解釈が過ぎる十一、こういうの大好き。二次創作なんでね。

ワンライのつもりが3時間近くかかるなど。


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