@toasdm
ふと見かけた後姿に、躊躇いなく声をかけて、道夫は胸がふわりと浮くような感覚に苦笑した。あまり入れ込みすぎるのはよくない、という自制の気持ちも、不意に見かけたオフの日の後姿にときめく胸を止められなかったからだ。自覚のある大人の片思いは、だいたいいつも、大人という壁が邪魔をする。偶然ですねと振り返った彼女は、見慣れないメイクで見慣れた表情で、道夫を見上げていた。
「硲さんは、お買い物ですか?」
「うむ。欲しかった本が入荷したと連絡を受けた」
書店の紙袋を彼女に掲げ見せて、道夫はさてどうしたものかと思考をめぐらせた。せっかく会うことができたのだから、もう少し一緒にいたい、話がしたい、と誘い文句を組み立ててみるが、どうにもぎこちなく思えて口から出てこなかった。スマートに女性を誘うことが得意ではないとはいえ、できないわけではないはずの自分がこんなにもあれこれ考えてしまうのだから、やはりこれは、自分の中では、本気の恋心なのだと認識を強めて、フッ、と道夫はまた笑った。
「あ、そうだ」
暖かそうなコートのポケットをがさがさと漁り、彼女は中から紙切れを取り出す。さっき貰ったんですけど、と差し出されたそれは、近所のチェーン店のカフェで催している「春のいちごフェア」の割引券だった。
「一枚で二名様まで、なんですけど、一人じゃ入りづらくて」
「ふむ……」
よかったら、の一言に救われて、道夫は彼女と寸暇のデートにありつけた。
店内にはコーヒーの香りが立ち込めている。比較的空席が目立つのは、混雑する時間をうまく避けられたせいだろうか。店員に案内された席は奥まった場所で、周囲の目線を気にしなくてもよさそうだ、と二人はほっと胸を撫で下ろした。
「あまり混んでなくてよかったですね」
「……?!」
コートを脱ぎ席に着く彼女を目の前にして、道夫は絶句した。冬物のコートの下から顔を出したのは、道夫にとっては多少、刺激の強い彼女の私服姿だった。
オフショルダーのゆるいニットから覗く肩はセクシーだと感じた。
ふわりと広がるフリルのスカートは、甘やかで愛らしいと感じた。
そのスカートから覗く足は黒のタイツに包まれてはいるが、包み隠されているのにかえって強調されているようで、知らず喉はゴクリと鳴った。
「あの……?」
「可愛らしいな……」
二つの言葉は同時に飛び出して、テーブルの真上、ちょうど真ん中辺りでぶつかる。はい?と彼女が聞き返したのは、道夫のその本音が小さな呟きであったことと、二人の声が重なってしまったことにより、聞き取れなかったせいだ。慌てた道夫はコートを脇に置きながら、なんでもない、と眼鏡を上げた。
「はぁ……」
「はぁぁ……」
無理やりの納得の「はぁ」と困惑の溜め息の「はぁぁ」をやり過ごすように、道夫はメニューを開く。君はどれがいい、の質問に、これにします、と指を差した彼女と同じものを注文して、道夫は彼女を見つめた。
「メイクも髪型も、着ている服も普段と印象が違うな」
「っふふ、そうですか?」
「うむ。よく似合っている」
だが、と一瞬視線を逸らしてから、道夫はぼそぼそと言った。
「……少々、目のやり場に困るな」
「?!」
びく、と一瞬肩をすくめた彼女を笑って、道夫は改めて言いなおした。
「可愛らしいな」
「きっ、気のせい、では」
そんなことはない、とテーブルの上で肘をつき、道夫は手の甲に顎を乗せて笑う。
「目のやり場に困るが、可愛らしい」
今度こそ、聞き逃すことはないはっきりとした口調で、道夫は目を細めて彼女に言った。普段からこれでいきますか?と真っ赤になりながら言い返してきた彼女の努力だけは認めたが、そこで引くのも癪だと思い、道夫はテーブルの下で彼女のブーツのつま先に、ちょん、と自身のつま先を触れさせる。
「はは、できれば私の前だけにしてほしいものだな」
誘惑はほどほどにしなさい、ともう一度つま先を触れ合わせて、道夫は姿勢を正した。運ばれてきた二つのいちごサンデーを食べながら、その言葉の真意を問うべきか問わざるべきか悶々とする彼女の前、道夫は独占欲を自覚して苦笑しながら、胸を撫で下ろしていた。
ここが、人目につきにくい席で本当によかった、と。