@shinde_iru
元々この話上編だけでしかも一回セッして喧嘩してくにピロが頭突きで長義の額ぶち割って俺は俺だとかなんとかかんとか言って仲直りセッ完みたいな予定だったんですが額ぶち割っても長義が痛いだけで特に何も解決しないなと思ったあたりで軌道修正して現在の上編に近い話になりました(それでももっとピロから恋愛矢印が出てましたが)。
上編だけだった時のタイトルが「World Goes Round」。これはBBBのサントラに入ってる曲のタイトルからひっぱってるんですが世の中いろんなことが起こるけどそれでも日々は過ぎていくよね、というような歌詞の穏やかでゆったりしたグルーヴの素敵な曲です。日本語を添えるなら「つつがなく今日は過ぎ、また明日が来る」かな、と思いながら腕失っても自分失っても分かり合えなくても延々このままの毎日が続くよね…と思ってたんですけど描いてから1か月後くらいにふと続きをを思いついたので足して今の形に近い話になりました。
ので、割とガバガバのガバというか何がおかしいって部屋の間取りや配置がコマごとに変わるガバッガバ仕様なのであんまりじっくり見ないでほしいです…。デフォルトの長義くんの部屋は一番最後のコマの部屋です。奥に四面襖があって手前に入口がある。襖の奥は多分物置スペースなので普通そっちからは出れない(あんまり詳しいことは考えてない)。障壁画としてちょこっと参考にしたのは大仙院本 相阿弥筆「瀟湘八景図」ですがここはあんまりこだわってないので元絵とは全く似てないと思います・・・(https://www.kyohaku.go.jp/jp/theme/floor2_3/f2_3_koremade/cyuse_20150317.html )。
瀟湘八景とは中国の風光明媚な名所図みたいなもので日中共に好まれ数多く描かれてきた画題です。今回は当たり障りなく見ていて落ち着く個人スペース障壁画としてはよくあるタイプの綺麗な風景画という体で描いています。遠い理想の地に思いをはせるための絵。
夢の中の第一室(上21p )の障壁画は銀閣寺方丈の与謝蕪村筆「棕櫚に叭々鳥図」(http://www.dnp.co.jp/denshoubi/works/fusuma/g01.html )。棕櫚の木の間を飛ぶ叭々鳥(ははちょう)は数羽群れで飛んでいる、という訳ではなく、異時同図法で一羽の叭々鳥が飛んでいく様を描いたものらしいです。出口がないまま部屋の中をぐるぐると飛び回っているようにも見える…
というのは建前でこれもガバガバなんですが最初私は描かれているのは叭々鳥ではなくほととぎすだと思い込んでいたのでした。ほととぎすといえばカッコウのように托卵の習性があり鶯などの巣に卵を産み付けるそう。その甲高い鳴き声は日本人の心をとらえ夏の季語として多くの和歌に登場している、らしいです(和歌には全く詳しくない)。一つ聞いて記憶に引っかかっていたのが西行の「うぐひすの古巣より立つほととぎす藍よりも濃き声の色かな」という歌です。当時ほととぎすの声は鶯の声より格上とされていたこととほととぎす托卵の習性を出藍の誉れの例えにかけて表しているそうです。藍というと誰さんの色を思い出します。それよりも濃い色の声を持つのは一体誰なんでしょうか。ところで叭々鳥は八哥鳥(はっかちょう)ともいい、八つの歌を歌う鳥、という名前の通り非常に多彩な鳴き声を持ち九官鳥のように人の言葉を話したりもするそうです。この鳥に声を与えるなら一体何を語るのでしょうね。
第二室(22p)は知恩院本「阿弥陀二十五菩薩来迎図」、通称「早来迎」です(https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/butsuga/item06.html )。今死にゆく人のことを往生者といい、往生の間際に念仏を唱えることによって西方阿弥陀浄土から阿弥陀如来と聖衆が往生者を迎えに来てくれる…というシーンをスピード感たっぷり劇的に描いた作品。来迎図といえば有志八幡講十八箇院所蔵「聖衆来迎図」や金戒光明寺本・禅林寺本「山越阿弥陀」など作例も多く名作揃いですがいずれも正面性が強すぎて見つめあう形になってしまうので早来迎を選びました。これらはもちろん元は障壁画ではないです。
第三室は西福寺所蔵「檀林皇后九相観」(画像を調べたものの個人の方のブログしか見つからなかったので調べてみてください)。22p最後のコマの右側が生前相、左側が新死相、23p1コマ目が骨散相です(各相の名前は諸説あります)。九相図とは死体が腐っていく過程を九の場面(もっと多いものもある)に分けて描いたもので、特に美しい女性が腐っていく様を題材にすることで、外見が美しくても人体は本来不浄なものであるということへの理解を促します。元は不浄を観想するためという意義が大きいと思われますが日本では盛者必衰の無常感に焦点を当て受け入れられてきたような節があります。小野小町の九相図なども有名ですが檀林皇后は熱心な仏教徒であり民衆を教え導くため自らの死体を遺棄するよう指示したという伝説があり、そこから檀林皇后九相観ができています(簡易な葬儀にするよう指示したのは本当であるもののおおむね伝説のようですが…)。衆生を教え導くための絵です。
第四室は地獄絵から取りたいと考え、地獄絵といえば聖衆来迎寺の六道絵15幅、特に阿鼻地獄がこれぞ地獄という感じなのですが、いかんせん軸物は縦長なので横長の障壁画に落とし込みづらいんですよね…(六道絵の中に九相図の古い例、人道不浄相図も含まれます)。現存する地獄絵(六道絵)で最も古い部類の物として東博本・奈良博本の地獄草紙があり、東博本の地獄草紙にみられる火焔(http://www.emuseum.jp/detail/100155/000/000?mode=simple&d_lang=ja&s_lang=ja&word=%E5%9C%B0%E7%8D%84&class=&title=&c_e=®ion=&era=¢ury=&cptype=&owner=&pos=1&num=4 )も素敵なのですが個人的に日本絵画で火焔といえば出光美術館所蔵「伴大納言絵巻」の応天門炎上の下りが個人的に最も好きなのでここから取りました(またサイトが提示できないので調べてみてください…)。平治物語絵巻にも屋敷から勢いよく火の手が上がる凄まじい焼き討ちの描写がありますが個人的にはやっぱり応天門が好き…。うねる火焔と黒煙の迫力は圧巻です。
日本で明確に地獄が意識されるようになったのは十世紀後半に源信が記した往生要集からで、地獄絵もこの頃から始まると思われます。地獄変というのも地獄変相=地獄絵のことで平安時代の貴族の日記から地獄変御屏風の話が出てくるあたり実際そういったものはよく作られていたようです。芥川龍之介の地獄変も平安時代が舞台なのでちょうどこの頃を想定しているのでしょう。とはいえ現存している地獄絵は古いものでも十二世紀からの地獄草紙、それから鎌倉時代まで下った六道絵などで、源信の時代~十二世紀初頭の地獄変や地獄変御屏風の姿は残ったそれらから想像するしかありません。ここら辺は他の仏画も同様で、継承の仕方の問題と思われるのですが、基本的に(平安時代末期頃まで?)仏画は修理して継承するということがされておらず、古くなってきたら写しを作って原本はそのまま死蔵されるということがどうやら一般的だったようです。中には弘法大師直筆など原本固有の霊験ある図像などもあったのですが、どうも中身が重要で霊的な能力は原本と模本どちらにも同様に発揮されるということが大前提としてあったようで、平安仏画は十二世紀以前の物は殆ど残っていないのです。大変残念…。現在残っている作品も原本として扱われているものの、元々それ以前の作品の模本として作られた可能性もあり、非常にややこしい話です。
仏壇の本尊(25p)は東博所蔵の「普賢菩薩像」(http://www.emuseum.jp/detail/100141/000/000%3Fmode%3Ddetail%26d_lang%3Dja%26s_lang%3Dja%26class%3D%26title%3D%26c_e%3D%26region%3D%26era%3D%26century%3D%26cptype%3D%26owner%3D%26pos%3D9%26num%3D1 )。東博の普賢菩薩像といえば国宝絵画部門第一号、日本絵画の中でも屈指の名作と誉れ高い、非常に繊細で美しい絵です。日本絵画界の三日月です(ちょうど時代も近い)。コマの中に描かれた仏壇は一応浄土宗系の物を想定しているので(描写がガバガバですが)本来ここに収まるべきは普賢菩薩ではなく第二室に出てきた阿弥陀如来もしくは阿弥陀三尊です。
普賢菩薩が登場する法華経は二十八巻あり、それにちなんだ二十八品歌(お経各巻の内容を歌にしたもの)が数多く歌われているのですが、普賢菩薩について語った巻に藤原俊成の「しろたへに月か雪かと見えつるはにしをさしつる光なりけり」という歌があります。菩薩は仏教における修行者のことですが、普賢菩薩は修行の成就ため一切衆生を救い、これを阿弥陀浄土へ導く誓願を立てています(これは本来華厳経における教えなのですが複数の経典の内容が混ざっています)。そのため俊成の歌では「にし」=「西方極楽浄土」を「指す光」=「普賢菩薩」という表現をしています。余談ですが仏画の画面には方角が決まっており、上が北、右が東、左が西...となっており、普賢は西方浄土へ導く存在なので右側から現れて左へ向かうという風に描かれます。一方第二室の来迎図では阿弥陀如来は西方からやってきているので左から現れ右を目指しています。
誓願をとってもうがった見方をすると一切衆生を救うまでは自ら成就することなく、自分のことを後回しにし続ける導き手とも取れます。普賢菩薩は身は白玉色であると説かれ、月か雪かというのもそれにちなみます。これで私は誰かさんを思い出してしまったのですが、絵画表現としては白を表すため銀による装飾が多いのも普賢菩薩像の特徴ですね。
夢の中の部屋は現実(叭々鳥)→死の間際(来迎)→死(九相図)→死後(地獄)と深度を深め、最後に死を超えた先の、救いへと導くいまだ成就遠き者(普賢)へと至ります…というのは後付けで考えたもの描いてるときはあ、やばい順番間違えたなとか色々やってしまっているのでそんなに深い意味はありません。経典についても誇大解釈なので真に受けないでくださいね。
最後に下の13・14・16p、国広の部屋にもう一つ障壁画が出てきていますがこれは奈良博本「二河白道図」です(http://www.emuseum.jp/detail/100077/000/000?mode=simple&d_lang=ja&s_lang=ja&word=%E4%BA%8C%E6%B2%B3&class=&title=&c_e=®ion=&era=¢ury=&cptype=&owner=&pos=1&num=1 )。
此岸は現世、彼岸は西方阿弥陀浄土、その間を左に怒りや憎しみを表す火の河、右に欲望や貪りを表す水の河が隔て、その隙間を細く悟りへ至る白道が結びます。その道の前に立つと此岸から背中を押す声(釈迦)、彼岸から招く声(阿弥陀)が聞こえ、それに従って白道を渡れば極楽へと至るという浄土教の教えを絵画化したものです。現存する作例では往生者の背を押す役として此岸には誰もいなかったり釈迦が描かれたりと色々ですが、一つ前の話では西方浄土へと導く存在がいましたね…。導く声に押され踏みだせば西方阿弥陀浄土、極楽へと至ります。背中を押した声を振り返る必要はありません、彼の役目は救うことなのだから。彼がそこへと至ることができないのだとしても。
画中画については以上として、上下編あわせたタイトルを名付けたのは話の流れが決まってからなのですが、地獄変という言葉というと当然芥川龍之介の作品が頭に浮かびますね。人殺しという行為の罪や善悪すら圧倒的な芸術を前に無力という話ですが、まぁ特に話とつながりがあるわけではなく言葉の響きのよさ9割でタイトルを決めました。芥川の地獄変でひっかかっていたこととしては、絵仏師良秀の娘が火にかけられる瞬間の彼女の心情が窺えないところです。良秀は至高の芸術を求め地獄に手を伸ばしますがその中で苦悶しています。地獄へ向かう彼の欲求や探求心のようなものと相反して、それを押しとどめる人間世界の善悪や罪や罰、それを理解する彼の良心のようなものが彼を葛藤させているのかもしれません。良心を捨て去ることはなかなかできないことですが、それ突き崩しその先の至高に触れさせる、娘の前にはもしかしたらその方法が明らかな形でそこにあったのかもしれません。牛車の中で焼かれるのを待つ彼女には抵抗を示す描写が見られません。
だからなんなんだという話ですが親子の間が愛で結ばれているのが分かるからこそ倫理や良心を超越して愛する人を地獄へ堕とす様がたまらなく美しいです。本当に特に意味はないのでそれだけです。
あとは夢の中で長義が幼い国広にかけた言葉はMiliの「Bathtub Mermaid」という曲のAnd then I gave you my eyes~から続く節(とても好き)を参考にしてひねったとか(確かに彼は美しいものを見て聞こえない声を聴いて愛を伝えてしまったという因果応報的なあれです。)、かみさまといえばPeople In IThe Boxの「かみさま」だよねとか。そんな感じでこの話はできています。