@noah_lunas3669
⒈プロローグ
⒉発端
⒊出会い
⒋黒薔薇
⒌利用価値
⒈[プロローグ]
豊かな自然が溢れる人間の住まう国、セレスタ。
大昔は小さな集落が点在するだけだったそこは、隣の地に住む魔法を操る人ならざる存在「魔族」に対抗する為1つの大きな国として纏まり、その後は豊富な資源と魔術を使う人間「魔術師」達の尽力により平和を勝ち得た。
しかし、その平和は長く続かない。
権力を求めた者達は腐敗し、貧富の格差は広まるばかり。国中で様々なならず者が立ち上がり、ある者達は権力者の剣となりまたある者達は貧民の盾となった。勿論そのどちらにも属さずただ金目の物を盗む者達もいるが、その中でも特に目立つ……もしくは恐れられている集団がいる。それこそが、セレスタ国の都「モルセラ」を中心に活動する黒薔薇の盗賊団こと「ニグルメイ」。
特徴的な薔薇のタトゥーを持つ彼らは貴族ばかり狙うことと、組織的な犯行、そして失敗の無さで有名となり、いつしか「セレスタ1の盗賊団」とまで呼ばれるようになった。
そんな国政も治安もあまりよろしくないセレスタ国ではあるが、それは都から離れれば離れる程多少は改善される。その最たる例が魔族の国との国境近くにあるセレスタ国西部の山間部に位置する小さな街「エイダン」。
そこは「平和が売りの辺境の街」とも呼ばれており、人によっては刺激が少なく退屈とも言うだろう。
けれど彼──ハウル・ターナーはそう思わなかった。何せ、平和が1番に決まっているのだから。
とは言っても、物心つく前に母を亡くしミドルスクール卒業前の15歳にして父も亡くし、天涯孤独の身となったのはとても平和ではなかったが。
それでも、ハウルはそれなりに幸せに生きてきたつもりだった。確かに寂しさはあるけれど、カレッジで言語学教授を勤め引退後は本の翻訳をしたり論文もしくは児童向けの本なんかを執筆していた父の背を追うように図書館の司書として本に埋もれた生活をしているのは満足がいくものだ。
そうして今では2年前に18歳となり成人し、来月には20歳を迎える。
……このままずっと、ハウルはこうして生きていくのだと思っていた。
平和な街で、平和に図書館の司書をして、そしてどこに行くことも無く、生きるのだと。
けれどそんな幻想は砕かれた。
代わりにハウルは、世界の外を知る。
⒉[発端 / ハウル]
その日はいつものように、何も変わらず図書館で司書の仕事をしていた。
本の整理、貸し出しの受付と貸出料金の計算、あとは厳密には司書の仕事ではないけれど「無料で一番最初に読む権利」という俺にとってはこの上ない交換条件で館長に頼まれていた異国の本の翻訳……など。
そのどれもが16歳から働いている身としてはもう慣れたもので、特に苦もなく。たまに知り合いから暇そうと揶揄されることはあったし、1週間に2回くらいは「折角魔術師なんだから…」と言われもしたが、それでもやっぱり魔術師として生計を立てるのは嫌で「俺には司書が合ってるよ」と返す。
そんな、何も変わらない「いつも」だったはずなのだけれど。
「ごめんねぇ、ハウル君…」
「いえ、大丈夫ですよ」
今日は別の街から本が届くはずだった。
けれどいつまで経っても御者は現れずすっかり閉館時間も過ぎてしまっている。勿論俺としては別に何時に帰ろうがどうせ家には誰もいないから構わなかったけれど、他の職員達はそうでも無い。だから、皆には先に帰るよう言って戸締りと受け取り役を買って出た。
「それじゃぁ、また明日ね」
「はい、お疲れ様でした」
館長と先輩達を見送って、おやつに持って来ていたマドレーヌを1つ食べてから棚に並ぶ本を読みながら待つ。これがやはり司書の1番の特権だろう。
しかし気づけば日はすっかり落ちていて、それでも一向に馬車が来る音は聞こえない。…流石にいくらなんでも遅すぎだ。
「今日は来ないかなぁ」
真っ暗な中、未舗装の道で馬車を走らせるのは安全とは程遠い。それでもそれだけであれば多くの御者は気にせず荷物の運搬を優先したかもしれないが、如何せんこの国の荷馬車というのは野盗に襲われやすい。それが夜ともなれば尚更だ。一応夕方に隣街を出発した可能性を考慮して待ってはいたけれど、時間的にもうその可能性も無さそう。
となれば別に期日通りに届かないことなんてそこまで珍しくは無いし、特に気にせず母譲りの白いコートに袖を通してから鞄は一旦カウンターに置いて先に本を棚に返しに行った、その時だった。
── カチャ
小さな、裏口の開く音。
勿論最初は本が届いたのだと思った。
けれど蹄の音も車輪の音も聞こえなかったから違うだろう。それなら一般客?いや、それも有り得ない。なんせこの小さな街で閉館時間を知らない人は居ない。
じゃぁ残る可能性は。
「…館長?」
館長は俺が小さい頃から何かと気にかけてくれる高齢の女性で、今でも時々家族との食事に誘ってくれたりする。…とは言っても申し訳なくて殆ど断るのだけど。
でも優しい人なのは間違いなくて、館長が俺を孫のように思っているのもなんとなく分かっていた。だから様子を見に来てくれるなら館長だろう、そう思って声を掛けながら振り返ろうとした……のだけども。
「悪く思うなよ」
返ってきたのは低い男の声と、言葉のキャッチボールにしては明らかに質量オーバーのデッドボール。
もとい、後頭部への衝撃だった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
頭が痛い。あと背中も痛い。
それから頭がグラグラするような感覚もある。
だと言うのに、どこからか無愛想な「おい」と呼び掛ける声が聞こえた。
けれどそれでも反応出来ずにいると、いきなり冷たい水が降り掛かって来て急激に目が覚める。同時に思わず咳き込んだ。
「うっ、ケホッ…ケホッ……」
「お前がハウル・ターナーだな?」
「え…?」
今尚、息が整っていないというのにそんなことを言われて、困惑しながら薄ら目を開けて声の方を見る。するとそこには黒いローブを深く被った人影が2人…いや、よく見れば周囲にもこちらを見ていないだけで黒いローブを被った人影が何人も見えた。
そしてその内何人かはランタンやら杖やらを持っていたけれど、どの人影も黒いローブのせいで顔どころか性別すら分からない。
そんな異質な状況。最初は何か悪い夢だと思った。
けれど変わらず痛む頭と水の冷たさが嫌でも現実だと教えてくる。
「答えろ。お前が、魔法文字使いのハウル・ターナーだな」
「……そう、だけど」
最初は「違う」とでも言ってやろうと思った。
けれど残念ながら金髪や茶髪の人が殆どのエイダンで白髪の若者は父方の祖父が異国の人だったらしい自分しか居ない。更には母親譲りの新緑色の目というのも、比較的珍しい方だろう。
そして俺が「魔法文字使い」なことも把握している辺り、多分誤魔化しようが無い…し、仮に誤魔化せた所で「はいそうですか」と帰らせて貰えるとは思えない。
そのくらいなんだか物々しい雰囲気な集団でつい顔を顰めながら答えたけれど、話し掛けてきた……というか多分図書館で殴りかかってきた男は何かを焦っているのか特に気にする様子も無く、なんとか上半身を起こそうとしていた俺の腕を荒く掴んで思いっきり引っ張った。
「早く立て」
「は、え、ちょっ…」
「もたもたするな」
「い、いや、勝手に殴って連れて来たのそっちだろっ?!」
なんて理不尽なんだ。
そう思って必死に叫んでみたけれど、男も何か作業中か調査中らしい周りの奴らもお構い無しで、そのままズルズルとどこかに引っ張られていく。そして見事に…身長170cmにギリギリ届かない上に同年代の中でもかなり非力な方の俺ではその力に勝てなくて、結局抵抗を諦めた。
一応魔術を使えば振り切れるかもしれないけれど、例え1人から逃げられても状況が全く分からない中で安易に逃げれば街の人に被害が及ぶかもしれない。だから、と周囲を見回す。
「(……どこだ、ここ)」
白い石の壁によって囲まれた四角い建物の中のようだけれど、生活感はまるで無い。代わりに等間隔な縦筋や凝った幾何学模様の彫刻が施された円柱が規則正しく並んでおり、まるで何か「儀式」でもしそうな場所だと思った。
それから、どうやら俺は入口近くから奥へと連れて行かれているらしく徐々に人の密度が増えていく。
そして。
「うわっ」
人混みに揉まれる中で突然、男が足を止めたと思いきや奥の方に向かって押し飛ばされ、当然石畳の地面に手を付く羽目になった。同時に上から冷たい声が降り掛かる。
「その台座の文字を読め」
「…は?」
台座?文字?なんの話だ?
そう思いながら顔を上げると、目の前には丁度テーブル程の高さで椅子の座面程の面を持つ真四角い石が、1つ。
磨かれた側面には柱にもあった幾何学模様と共に男の言う通り文字がビッシリ刻まれており、石の上には今の姿勢からではよく見えないけれど何か光り輝く物が置かれているらしい。
確かに、「台座」と称されるのが正しそうだ。
正しそう…だけれども。
「……なんだこれ」
思わず小さく呟く。
けれど別に台座の上にある物に言った訳じゃない。そうじゃなくて、刻まれた文字に…1度も見たことがない文字にそう呟いた。
「読めないのか」
「…読めない、いや、そもそも見たことがない」
父さんに教わったから様々な国の言葉は大体読めるけれど、勿論全ての言葉を辞書無しで読める訳では無い。
それでも、少なくとも「文字の形」というのは覚えている。
だからそこから「この文字はあの国の言葉だな」と分かるけれど、今目の前にある文字は1度も見たことが無かった。
どう考えてもセレスタ国の文字とは掛け離れているし、魔族の住む隣国…ティーフェ国の文字とも違うはず。現状似た文字すら思い当たらない。
けれど確かに「言葉」ではあるようで、一定の規則性というものは垣間見える。だから膨大な時間を掛ければなんとかなるのかもしれない……けれども。
「解読しろ。魔法文字使いであれば分かるだろう」
「え、いや、そんなこと言われても…」
一切の情報が無い言葉を完璧に翻訳するというのは、その言葉を喋る人がいても年単位の時間が必要だ。
それがもし文面での情報しか無ければ更に必要な時間が増える。あと、魔法文字使いは別に未知の言語を扱う訳でもないのだから正直全く関係ないのだけど…。
けれど、やっぱりここでその現実を伝えたって無事に帰らせて貰えるとは思えない。逃げるとしても、少なくともここが街からどのくらいの距離なのかは把握したい。
ということでなんとか「無理だ」という言葉は飲み込んで、抵抗の意思は無いと見せる為にその場に座り直しながら時間を稼ぎつつ様子を伺う方向に出た。
「せめて俺の鞄に入ってる手帳とかペンが無いと」
「書く物なら代わりの物が」
「必要なのは書く物より、解き方の手掛かりになる情報だ。俺の手帳は父さんから教わったそういうことも書いてあるから…」
本当は、ただ形見としてずっと持っていただけで書いてある内容自体は全部頭に入っている。
けれど俺について調べたなら相手はきっと父さんのことだって知ってるはずだから、この提案は無下に出来ないだろう。なんせ、父さんはこの国の言語学の第一人者な訳だし。……間違いなく、父さんが今も生きていれば真っ先に攫われていたと思う。
そんなことを思いながらの交渉。
あとは男の反応次第だけど、男はすっかり黙り込んでしまった。……と、思いきや小さな舌打ちが聞こえて。
「……鞄はどこにある」
「図書館のカウンターの上。ベージュの布鞄」
そう答えると男はやや面倒そうながらも近くにいた同じく黒いローブで顔を隠した少し小柄な奴に何か耳打ちをし、された側はコクリと小さく頷くと外へ出て行った。
それからすぐ、外で蹄の音が聞こえた…から、エイダンまではある程度距離があるらしい。あとはどのくらいの時間で帰ってくるか…。
「…なぁ、光石無いか?」
建物内に備え付けの照明は無いらしく、現在は黒ローブ達が持ってきたと思われる魔術を利用してるであろう幾つかのランタンで仄かに照らされている。けれどそんな遠い光では文字もハッキリ見えないと主張し、魔力を流すと発光する特別な石「光石」を要求した。…が、今の本当の目的は明るさじゃない。図書館にある光石は俺が軽く魔力を流せば10分は光ってくれるから、それを利用すれば鞄を取りに行った奴が何分で帰ってきたかを大体で測れる。あと、もし簡単に光石を渡してきたなら相手が魔術師かどうかも把握出来る。なんせ魔術の使えない一般の人にとって光石は何の変哲もないただの石と変わらないのだし。
「……他に要る物は」
ポンッと何かを投げ渡され、慌てて受け止めてから手の中を見れば…間違いない、光石だ。それも丁度図書館にある物と近い大きさで、すぐに魔力を流して光らせながら少し考えた。
「んー…解読して欲しいなら情報も要るけど」
「その為の手帳だろ」
「手帳に書いてあるのは解き方のヒント……言うなれば公式だ。でも数学において公式があったって当てはめる数字が無いなら明確な答えは出ないだろ?
それと同じで、文化や生活と密接な関わりがある文字という物を解読するにはそれだけ必要な情報も多い。だからある程度ここのこともその台座の上にある物のことも知らないと推測も何も出来ない。ここがおよそ何年前に建てられた物なのか、建てたのはセレスタ人なのか魔族なのか、そしてなんの為に建てられたのか……その辺も全部、文字を解読するには欠かせない手掛かりだ」
若干の適当を混ぜつつ真剣に…そして怖気ず、むしろ圧倒するつもりで言葉を並べる。そうすれば最初は不満げだった男も、諦めたように溜息を吐いた。
「はぁ、もういい。分かった。…但し、もし変な真似をすればお前の命は勿論、逃げれば街の奴らも無事では済まないと思え」
「…分かってる」
街の人とは…本当にとても仲が良い、とは言えない。
みんな良い人だし好きではあるけれど、“過去の色々”のせいか、俺が壁を感じずに居られたのは父さんだけだ。
だから、そんな関係の街の人の為に命を張るのをバカバカしいと言う人はいるかもしれない。けど、それでも俺は誰かが傷つくのを見たくない。…それはこの水晶を作ったであろう存在に対しても同じだ。
「1度しか言わないぞ。まず──」
それから得られた情報を纏めると。
①男が言うにはここはエイダン周辺の森の中であり、ティーフェ国との国境付近らしい。(鞄を取りに行った奴が街の手前で馬から降り誰にも見つからずに図書館に侵入して…等の時間を含めても1時間掛からずに帰って来た為、多分合っている)
②建てられた正確な年代は不明なものの、外観の老朽具合から相当昔、それこそ魔族との大戦が起きた300年前よりも前の可能性もある。
③外観に対して内部は殆ど老朽が見られないが魔術の痕跡は無い(恐らく魔法が使われている)ことと、セレスタ国には無い建築様式が用いられている為、建てたのは魔族と思われる。
そして、最後。
話の感じからして、どうやらこの黒ローブ達は台座の上に置かれている物…淡く光を放ち思わず見惚れてしまう程に妖麗な、透き通る水色の「水晶玉」について調べているらしい。
けれど台座の文字が解読出来なかった為、現地民…つまりエイダンの住民に解読させようとし、その中でまず「言語学教授の息子であり魔法文字使いの魔術師」である俺が選ばれたようだ。
……そういえば数日前、街の人に「ハウル・ターナーはどこで働いている?って聞いてきた旅人が居たぞー。魔術師としてのスカウトじゃないか?」なんて言われたけれど、それ以降に黒ローブの男以外に街の外から図書館に来た奴は居なかったので、これは間違いなく被害者としてのスカウト(拒否権無し)だったらしい。
そんなことを思い内心溜息を吐きつつ、改めて水晶玉をチラと見た。
「(言うなれば大きな魔力石…か?)」
魔力を流せば立派な光源になるくらい光るのが光石。
逆に撫でるや叩く、握る等の刺激を与えるか魔力を流せば“淡く光って”大きさや質に比例した量の魔力を放出する透き通る石が魔力石。の、はずだ。
そして実際、目の前の水晶玉の光り方は魔力石に似ているし、「魔力の流れが視える」という特別な感知能力を持つ訳ではない俺でも肌に魔力を感じる程。しかし俺は勿論黒ローブ達も水晶玉には触れていない。それはつまり、魔力石は内包する魔力を使い切ればただの石になってしまうはずなのに、この両手に収まるサイズの水晶玉は大昔から魔力を勝手に放出し続けて尚、未だ魔力を内包しているということになる。
であればただの魔力石で無いことは明確。
無限とも思える魔力を有し、それだけでなくまるで「魔力が強くなる」ような感覚さえする。
……こんな怪しい魔術師集団が欲しがるのも納得だ。
「(これで魔具や魔導具を作ったら…とんでもない効果になるだろうなぁ…)」
魔力を持てるかどうかは生まれた時に決まる。
そして魔力を持たない者は魔術が使えない。
けれど魔術師が魔力石を材料に作る「魔具」があれば魔力を持たない者でも擬似的に魔術を使うことが出来る。
勿論魔力石の魔力が尽きればもう使えないし、1つの魔具につき使える魔術も1つだし、魔術師が直接発動する魔術にはどうしたって効果が劣ってしまう。けれど魔術が使えない人からすれば便利極まりないことには変わらず、大昔は半魔族として迫害されていた魔術師が人権だけでなく地位も得られたことの一因になる程に、魔具は重宝されている。
そんな魔具を、もしこの水晶玉で作ったら。
確かに使える魔術は1つだろうけれど、魔力は尽きないし魔術師の魔術にも負けず劣らずどころか数倍の効果をも発揮出来るかもしれない。となればとんでもない価格の魔具になりそうではあるけれど、それよりも危惧すべきはそれが「兵器」として使われること。
並の魔具では日常使い程度のことしか出来ないけれど、この水晶玉を利用すればティーフェ国に攻め入ることも出来るかもしれないし、仮に魔具にならなかったとしても魔術師が魔術を発動させる際に必ず使用する「魔導具」に使えば、発動させる魔術は何倍もの効果になるだろう。
……勿論平和的に利用してくれるのであればこんな憂いは必要無いのだけど、悲しいかな何も擁護出来ないくらいには国政は腐っているし、たまに迷い込んできて捕まった魔族はこぞって貴族の奴隷にされているらしい。そもそも未だにセレスタ国民達の多くは魔族に「なんとなくの嫌悪感や恐怖感」があり、戦争を起こすとしてもあまり反対しない気がする。
俺は…正直小さい頃から魔族に対して「魔族の使う“魔法”を見てみたい!」とか、「魔術は魔法に似た物を再現した物なのだから魔族に教わる方が良いのでは…?」と…まぁ教わりたかったのは魔術を避けるようになる前までではあるけれど、かつてどちらの種族にも受け入れられなかった魔術師達が「自分は人間だ」としつつも魔族をも守ろうと大戦を止めたように、嫌悪や恐怖というものは全く無く代わりに「憧れ」があってそれは今でも変わらない。だから当然戦争なんて嫌だし、この水晶玉を作ったであろう魔族だってそんなことは望んでいないはずだ。
「(出来ればこの水晶玉を壊した方が平和そう…だけど、あんまりそれはしたくないな…。かと言って盗んで守れる自信も無いし、そもそも触れて良いのか…)」
きっとそれが分からなくてこの黒ローブ集団も水晶玉には手を出さず、地道な調査をしているのだろう。
なら願わくば一生その調査が終わらないであって欲しいのだけど…その一生の間に多分何人かは追加で誘拐されてくることになりそうな気がする。
「はぁ…」
思わず小さく溜息。
なんでこんなことに巻き込まれたんだか。いや、心当たりは十二分にあるけれど…。
とは言えこの状況を俺1人でどうにかするのは無謀に近いのにどうにかしなければ甚大な被害が出るかもしれない…と分かっているのが心苦しい。
せめて20年程前に居たという羽の義賊団こと「セリカ=ノイア」が今も居れば助けてくれたかもしれないけれど。
「(そういえば、「セリカ=ノイア」が「ニグルメイ」になった、なんて噂があったけど…あれって本当なのかなぁ。確かに消えた時期と現れた時期は被るけど行動があまりにも掛け離れてるんだよなぁ…)」
ふとそんなことを考えていると近くから「おい」と不機嫌な声が聞こえた。どうやら完全に手帳を捲る手が止まっていた俺を見て痺れを切らしたらしい。が、内心「勝手に誘拐しておいてよく言うよ…」と思った。少しくらい色々考えていても良いだろう、どうせ今日中に解けないのだし…。そう思って、振り返りつつジト目を向ける。
「別の国の言葉を学んだ経験は?」
「……は?」
「無いのか?」
「…あるに決まってるだろ」
「じゃぁお前さんはさぞかし優秀な生徒だったんだろうな。この短時間で何も悩むことなく完璧に理解出来たんだろ?」
「っ、お前っ…」
ローブの下から僅かに見える口元が歪む。それから魔力石の付いた長い杖をギュッと握るのが見えたが、気にせず動じず冷たく見上げ続ければ男は小さく「くっ…」と呟いてから杖を下ろした。どうやら現状俺を殺してさっさと他の人を探す気は無いらしい。…あと、煽り耐性が低いから多分それなりに(学問においては)優秀な人、もしかすると元々解読担当だったのかな。異国の言葉なんて普通は都にのみある「専門分野を学ぶカレッジ」か「専門分野を研究するアカデミー」でしか学ばないだろうし。
とは言え、金銭的に一般市民が通えるのはエレメンタリースクールとミドルスクールまでだし、学べるのはただの一般常識程度なのでカレッジやアカデミーと同じレベルを求められても困るのだけど。
「悪いけど俺はお前さん程の天才じゃないしミドルスクール卒でカレッジにもアカデミーにも通ってないから、もう少し気長に待っててくれるか?」
「…はぁ、分かったから解読に集中しろ」
「はいはい」
軽い返事をしてから、また手帳に視線を落とす。
それでももう男は文句を言って来ず、ただ小さな溜息だけが後ろから聞こえた。
ということで、気を取り直してまた考え込む。
…とは言っても何度も文句を言われると面倒なので手帳に台座の文字を書き写しながら。大昔の物らしい割に保存状態がかなり良くて助かった。
けどよくよく考えれば、そんなに大昔からあるのにエイダンの人は気づかなかったのか?
夜道かつ森の中だからある程度は速度を落としていたはずの馬で片道30分程の距離なら、別に今までに発見されたことがあってもおかしくないはずだ。確かに国境付近に近づこうと思う人は滅多に居ないだろうし、林業に携わる人達も真反対の街道沿いの森で作業しているけれど…。
それでも1人2人は居てもおかしくないはずだから、もしかすると内部には老朽化を防ぐ魔法、外部には魔力持ちにしか見えない魔法が掛かっている…とか?
魔術師の数はかなり少ない訳だし、それなら発見されなかったのも分かるかも。けどそれはそれとして今度は「何故魔族がこんな所に建てたのか」という疑問にぶち当たる。見た感じこの場所に罠とかは無さそうなことからしても、恐らく建てた魔族は人間に…強いて言うなら「魔術師に」悪意があった訳では無いのだろう。となればありそうなのは…ここが大昔の魔族と人間の交流の場だった、という説。
勿論現状から考えれば有り得ない話だけれど、昔ならそうでも無かったはずだ。確か昔読んだ古い本にこんな文があった。
『元々種族ごとに里(例えば「エルフの里」や「人狼の里」等)を作り、あまり他種族と関わりなく生きていた「魔法が使える種族」達(以下、「魔族」と呼称)だったが、増え続ける人間と領地等の問題で争いになることや、人喰いの魔族が人間を襲ったりすることがあった。
しかし人間の住む場所が小さな村から街になり、そして国へと発展して統率が取られていくにつれ、魔族が返り討ちにされることが増える。そしてついには人間から「被害を増やさない為」と攻め入るようになり、魔族は力はあるものの圧倒的な人数差で負け始めた。
更に、魔族の力を畏怖した人間達は人間と友好関係を築いていた他の魔族(例えば「ドワーフ」や「魔女」)も襲うようになる。そこで魔族達は人間に対抗する為に一致団結し、ティーフェ国を築いた』
つまり、大昔の友好関係を築いていた魔族であれば人間と交流することもあっただろうし、水晶玉は贈り物だったのかもしれない。流石にどういう贈り物だったのかとかこれ以上の細かい真意は分からない、というかそれこそきっとこの台座に書かれているのだろうけれど…。
「…ふぅ」
思考を一旦止め、出来上がった手帳に目を落とす。
とりあえず台座の1面分は書き写すことが出来たし、これ以上の考察は進まなさそうだから出来る限りで解読を試みよう。そして、もし何か分かれば黒ローブ達には嘘を教える。俺が1人で出来る抵抗は多分それだけだ。
「(魔族が作った物…だろうけれどティーフェ国で公的に使うらしい言語とは違う。一応文字の種類の数から考えるに近しい言語だとは思うけれど…)」
まずは石への彫り方を見て書き順を判断する。
筆圧…というと少し違うけれど、彫る力の向きでなんとなくそれは分かった。それから左端から少し右肩上がりな文になっているから横書きかつ左から読むので合っているはず。あとは繰り返し出てくる文字を記録して、なんとなくの流れを掴む。
そんな、地道で先の見えない作業。
気づけば周囲にいた黒ローブ達の数は少し減っており、部屋の隅で寝転がっている姿も見えた。とは言え勿論起きている奴はまだ10人以上居るし、俺を連れて来た男と鞄を取って来てくれた奴も近くにいるから逃げる隙は無さそうだ。…と、ふと男がこちらに顔を向けて。
「逃げられると思うなよ」
「逃げないってば……」
何度目かの受け答え。
けれどどうやら相手も本気で警戒している訳では無いらしく、「なら良い」と小さく呟いてから近くの壁を指さした。
「眠くなったら勝手に寝ろ。陽が登れば叩き起すが」
「寝て良いんだ…」
なんというか、優しいのか優しくないのか。いや、優しい訳は無いのだけど…あわよくばもう少し良い待遇を望みたい。
「………ちなみに、1回帰らせてくれたりは?」
「する訳ないだろ」
「でも明日俺が居ないって分かったら探されると思うぞ?それなら…こう、毎日仕事が終わってからここに来る…とか、家で解読を試みるとか…もしくは暫く都に行くって伝えてからここに来るでも良くないか?」
今ならちょっとは交渉も出来たり…なんて淡い期待をしつつ提案してみる。
けれど案の定、男は呆れたような口調になるだけで。
「そんな言葉信用する訳ないだろう。それにこの建物の扉さえ閉めてしまえば魔術師以外には見つからん」
「あー…やっぱりそういう魔法が…」
それでも同じ魔術師であり正義感の強い隣人の幼馴染なら見つけてくれたり…なんて期待したけれどそういや彼は今、都のカレッジに通っているから居ない。一応エイダンには他にも数人魔術師がいるけれど、病弱だったり高齢だったり幼すぎたりで流石にここまで探しに来るのは難しそう。それに、そもそも交渉した理由の1つは街の人に迷惑を掛けたくなかったからなので却下。
となればこれ以上探されるかもということを交渉材料にするのは無理そうだ。
「はぁ、ダメかぁ…」
「分かったら逃げることなど諦めろ」
間髪入れずに男が語気を強めてそう言う。
けれど俺は思わずポカンとしてしまった。
なんせ、逃げることは全く考えていなかった訳で。
「いや、お風呂入りたいだけ…」
「……は?」
今度は随分間の抜けた声が聞こえた。
とは言え俺は別に突拍子の無いことを言った覚えは無いし、そもそも原因である男にそんな反応をされるのが不満で少しムッとしながらジト目を向ける。
「誰かが水かけて起こすから。正直全然乾かなくて凄く寒いんだけど」
ただでさえ寒がりな俺にとって、3月頭の夜に石畳の上でこの状況というのはかなり辛い。
だから出来ることなら1度ゆっくりお風呂に入って存分に温まって、それからしっかり防寒具を用意した上で解読に挑みたい。でなければそのうち手帳に書く字も震えそうだし、そもそも昔から体調を崩しやすいからこのまま行けば確実に熱は出るだろう。
…と、俺としては割と切実なのだけど、男は暫く黙ってから溜息を吐き、そして顔を片手で覆っていた。
「お前は、なんというか…。はぁ、朝になるまで我慢しろ」
「えぇ〜…」
朝まではあとどれくらいだろう。
少なくとも、多分6時間くらいは掛かりそう。ならそれまでに風邪を引かなければいいけど…。
「焚き火とかも無いのか?」
「無い。エイダンの奴らに見つかったら困る」
「あー、確かに。……ちなみに俺は解けるまで帰らせて貰えない感じ?」
火にも当たれないのか…と落ち込みつつも、一応軽い気持ちで聞いてみた。もしかしたら1週間程で諦めて帰らせて貰えるかもと期待して。
すると男は少し黙ってから顔を僅かに逸らし「…あぁ」と呟いたけれど、そのぎこちない様子にキョトンとしているとまた暫く黙ってから……男は首を横に振った。
「……いや、生きたいのであれば帰ることは諦めた方が良い」
「えっ」
別に、いつか必ず帰らせて貰えると思っていてショックを受けた訳じゃない。出来るだけ俺以外に巻き込まれる人が出ないようにする為に解読を試みているのであって、いざとなれば逃げる気満々だったしその算段だってある。
そうじゃなくて、今のこの状況で素直に真実を話してくれた男に驚いた。だって多分普通ならこんなこと言われて解読しようと思う人なんて居ないだろう。
だからそれなりにちょっとくらいは案じてくれているのかな、なんて思いはしたけれど。
「…でも帰るの諦めてどうしろと?逃げろって?」
「逃げるのも難しいだろうな。雇い主サマは独善的で秘密主義だ」
若干投げやりに、そして呆れたように。
どうやらあんまり雇い主と仲は良くないらしい……けれど、それより重要なことを確信して思わず「うへぇ…」とでも言いそうな顔をしてしまった。
「やっぱり貴族お抱えか……」
現在セレスタの裏には様々な組織が存在するが、力のある組織の中で貴族との繋がりが薄いのは恐らく「ニグルメイ」くらいだろう。「ニグルメイ」に次ぐ勢力を持つ暗殺者集団、赤蛇こと「ルベルピエ」だって貴族(もしくは金持ち)からしか仕事を請け負わないことで有名だし、他の大きな組織も貴族が作ったか貴族が雇ったかしているのが普通だ。そして、薄々この黒ローブ達もそうなのではと思っていた。なんせ規模が大きいし、資材や知識も豊富だし、何より職に困らないはずの魔術師が居る訳だし。となれば思い当たる組織名は──
「……俺に「メマス」に入れ、ってこと?」
「生き残りたいならな」
否定…してくれなかったなぁ。
若干遠い目をしつつ、溜息を吐く。
「メマス」は古くからあると言われている魔術師集団であり、歴史書なんかでは「影の者」という名前で書かれていたりする。とは言っても元は別に犯罪組織という訳でもなく、魔術師が迫害されていた頃に魔術師として生まれたとある貴族が魔術師を守る為、そして魔術師には国を守る力があると示す為に作り上げた組織で主な仕事は魔術の研究と普及だったらしい。
……それが時代の流れを経て現在はこんな創設者泣かせのことをしでかす集団になっているのだけども。
「お前には入れるだけの素質がある。まぁ実際それで入れるかはリーダーの機嫌と雇い主の気分次第だろうがな」
「魔法文字使いは万能とでも思ってる?」
「普通よりは有能だろう」
「魔術の勉強をちゃんとしてたなら、な…」
魔術師が魔術発動の際に必ず用いる「魔導具」には種類があり、「詠唱」や「魔術式」といった物が一般だ。
他にも複雑な魔術を発動させる際には魔具を補助として使う為、この魔具も魔導具として数えられたりする。
そして「魔法文字」というのも魔導具の一種ではあるのだが、これだけは他と異なり発動に掛かる時間が非常に短く下準備や声や式を書く為の道具も不要で、ただ魔力を込めた指先で空中に文字を大体1つ書くだけ。それがまるで魔族の使う魔法のように祈るだけで発動する様と似ているからと「魔法文字」なんて呼ばれている。
しかしその分扱うのは難易度が高く、確か魔術協会で現在登録されている魔術師が8000人弱なのに対し、魔法文字使いは1人しか居ない。
勿論俺のような無登録者が他にもいるかもしれないけど、魔術師は登録するだけで身分が保証されたり就職に有利になり、一定以上の能力があればカレッジの魔術科に通う資金援助が得られたりするというメリットがある一方で、デメリットは登録の為に都まで行かなければならないことくらい。とは言っても旅費は魔術協会持ちだし事前に手紙を送れば専用の御者が迎えに来てくれるので道中はかなり安全だ。なんせ「中には申請前か申請直後の魔術師がいるだけで金目の物は無い」「襲うと魔術協会を敵にする」と分かっていて襲ってくる盗賊は居ないだろうし。
…つまり、普通に考えれば無登録の魔術師は滅多に居ないはずなのだ。
俺は…魔術師の仕事に就きたくなかったというのと、両親の遺した家や知識のお陰で1人で生きていくには充分だったから面倒に思って登録しなかったけれども。
「残念ながら俺はあんまり魔術を使えないよ」
「……何故?その力があれば」
「何故って…魔術があんまり好きじゃなかったから」
「は?」
「だって今もさ、ただ魔法文字使いだからってだけで碌に俺のことも知らない癖に誘拐されてるんだぞ?…それが幼少期からずっと続いてて魔術を好きになれって方が無茶じゃないか?」
少し俯きがちになりながらそう言うと、男は黙り込んでしまいもう何も言ってこなかった。……そうやって理解してくれる優しさ?があるなら是非今も逃がして欲しい所なのだけども。
「はぁ…」
小さく溜息。
これから…どうしようかな。
なんともしんみりした気持ちになってしまい、気力が湧かない。…けれど、たまたま捲ったページから栞が零れ落ちて、ふと過去を思い出した。
『父さん、このノートは?』
『これはベルが作った魔術の研究ノートだよ』
『母さんが…?』
『あぁ。ベルはカレッジで薬学科に通いながら魔術科の友人に色々教えて貰っていたようでね。私は魔術が使えないから読んでもよく分からないけれど、ハウルの助けにはなるかもしれない』
そう言って渡された、母さんのノート。
そして、そこに挟まっていた押し花の栞。
……確かに、魔術にはあまり良い思い出が無い。
魔法文字使いだと分かり周囲の大人達にはやたらめったら優遇された一方で、同年代の子供達には見せびらかしたりした訳でもないのに見事に嫌われ続け、そんな境遇に何度も「魔術師なんかじゃなければ良かった」と泣いていた。
けれど、それでも俺が魔術を心から嫌わなかったのは…それが記憶に無い母さんとの数少ない繋がりだったから。
母さんは魔術師でありながらより多くの人を救う為に「魔術に頼らない医療」を目指して薬師になった人だ。だから俺も、「魔術師だからって魔術を使う仕事に就かなきゃいけない訳じゃないんだ」と思えて、歳を重ねるにつれ段々と魔術とも「
お陰で種類は少ないけれど、確かに使える魔術はある。
「(相手はメマスだけど…大丈夫。まずは解読を終わらせて水晶玉について知って、それから魔術を使って逃げよう。最悪異国にでも行ってしまえば良いし。それで、落ち着いたら……うん、水を操る魔術の勉強だけはしようかな…。それが出来たら服が濡れてもすぐ乾かせるだろうし…)」
なんとか心を持ち直して、少し苦笑いしながら先のことを考える。故郷を離れるのはちょっと寂しいけれど、折角なら海という物を見てみたい。それからいつか魔族とも友達になりたい。となれば、まずは…。
「なぁ」
「……なんだ」
「おやつ、食べていい…?」
苦笑いしながらの質問に、男はもう「は?」とは言わなかった。
⒊[出会い / ハウル]
「ん〜…」
おやつ兼お昼ご飯として持って来ていたマドレーヌの残りを食べつつ、たまに冷えた体を擦りながら謎の文字と睨めっこ。
それからしっかり飲み込んで、今度は台座の別の面を書き写す。なんてことをしているうちに、近くでは男が座りながらコクリコクリと船を漕いでいた。とは言っても傍にいる部下?らしき鞄を取りに行ってくれた人は未だ起きているようだけど。
「なぁ、そのー…」
小さく声を掛ける。
けれど返事は返ってこず、代わりにコテンと首を傾げられた。黒ローブのせいで歳どころか性別も分からないけれど、なんだか小柄だしその仕草も相まって…女性か年下の少年に見える。が、そこは一旦置いておいて。
「えっと、飲水とか貰えたりはー…」
食べ始めたのは、自分だ。
けれどやっぱり…焼き菓子を食べると喉が渇く。
ということであわよくば水を貰えないかなぁと期待して聞いてみると、相手は暫く固まってから眠っている男の方に顔を向け、ツンツンと小突いていた。そうすればすぐに男はビクッと肩を上げて。
「な、なんだっ!」
「あー、えっと、水が欲しいんだけど…」
「は、はぁ?」
「だから、飲水」
「……。…はぁぁぁぁ。おい、昼間に見つけた近くの川で汲んでこい」
盛大な溜息の後、男がそう命令するとすぐに小柄な人物はコクリと頷いて外に出て行く。
一方男の方は額を抑えながらまた溜息を吐いていた。
「全く、お前は…」
「なんだよ、水掛けて起こしたどこぞの誰かよりは余っ程良心的だろ」
「そこじゃない…」
「なら最初から被害者用の食料も水も用意してないそっちが悪いんじゃないか?風邪引かせる上に飢え死にもさせる気かよ」
「だから朝になったら、と言っただろ。さっさと寝れば良かったものを…」
「そっちの都合のせいでこっちは晩御飯抜きなんだぞ。大体こんな状況で寝れるかっ」
「今更よく言う……」
すっかり疲れきったようにそう呟くと、男は数度目の溜息を吐いてから立ち上がりそのまま俺の手元を覗き込む。だからどうしたのかと思いきや。
「……何か分かったか」
「え、あー…まぁ?……寝ないのか?」
「アイツが帰って来るまで寝る訳に行かないだろう」
「あぁ…。んと、とりあえず1つ」
「ん?」
「この台座の文字、2人で書いてる」
「…2人?2面につき1人でということか?」
「うん、文字はよく似てるけど微妙に書き方の癖が違った。んで、書いてから設置したんじゃなくて、設置してから書いてると思う。下になるほど文字が潰れ気味だから」
「な、何故そのような…」
「あと文の頭によく出てくる単語があるんだけど、それがそれぞれ違う。だからこれが一人称を表す言葉なのかなって」
「なるほど…」
「……まぁ、今の所分かったのはそれくらいかなぁ」
大事な所…例えば「他にも何度か出てくる言葉があり、それが水晶玉のことかもしれない」という話はせずに、とりあえずの成果を話してみると男は興味深そうに台座を眺めていた。こう見るとただの学者って感じなのだけども。
「そっちは何か調べて分かったこと無いのか?」
「……そういえば外で椅子のように並べられていた石が見つかったと言っていたな」
「椅子?数は?」
「3だ」
「それってつまり」
「お前の推測が合っているなら、ここで魔族2人と人間1人の交流があったのだろう」
「…でも3人だけでこんな建物建てられるか?木造ならともかく石造だぞ?」
「魔族なら魔法で建てるくらい出来るだろう」
「まぁ…そういうことにしとくかぁ。でもそれならそうと、モデルになった場所もあるんじゃないか?普通隠れ家とか遊び場所として作るならもっと生活感があるはずだ。なのにここは…まるで水晶玉を祀ってるみたいで」
「確かにそれはそうだな。モデル無しにこのような建物は普通建てないはず。となれば……一体何の為に?」
「1、ここで宗教でもやろうと思った。2、セレスタには主な宗教って言うのが無いだろ?だから宗教施設も無い…ってことで、魔族が見せてあげようと思った。3、魔族にはこういう場所で集まる、みたいな文化がある」
「1は…無いだろうな。2もその為にわざわざ建てるとは思えん。3はまだ分かるが」
「そうか?俺は2もあると思うけどなぁ…。少なくとも俺だったら見てみたいし」
「……まぁ、魔族と密かに落ち合っていた人間がお前のような奴であればその可能性もあるかもしれんな」
「だろ?」
誘拐犯と被害者、という関係のはずがいつの間にかそんなディスカッション。
その後も殆どの黒ローブ達が寝ている中、2人きりあーでもないこーでもないと議論を重ねていく。
「はぁ、なんというかお前の着眼点は独特だな。夢見がちなガキかと思えば急に芯を突く」
「…褒め言葉だと思っておくよ」
「あぁそうしてくれ。それで、メマスに入るかはどうするんだ」
「えっ、あー……」
「その気があるなら、朝になり次第上と相談して本部に手紙を届けよう。……俺としてもお前のような逸材を無くすには惜しい」
「……そう言ってくれるのは嬉しいな」
未だ相手の顔も素性も知らないまま。
けれどなんとなくその言葉に嘘偽りが無いことは分かって、自分よりも見識を深めているであろう人に認められるのも、難問を2人で語らうことが出来たのも、こんな状況でこんな関係だけれど正直に言えば楽しかった。昔から学術書を読むのは好きだけどその趣味が合ったのは父さんくらいだったし、先生だってこうした議論はしてくれない。
それにメマスに入ることは俺の生存にも繋がる。
──それは分かっている。
「……でも、俺は入らないよ」
「死ぬかもしれないんだぞ」
ハッキリと言い切った俺に、男は少し声を低くして食い気味に言った。それはどこか動揺も見られて、とことん立場が逆だなぁとぼんやり思いもしたが、それでも俺の意思は変わらない。
「人も魔族も傷つけるのは性に合わないんだよ。だから俺としては……このまま解けなくてお前さん達が諦めて解放してくれるのを期待してる」
「……そうなれば、良いんだがな」
苦笑いしながら男の方に顔を向ければ、男は少し黙った後でそう呟いた。
きっと、本気で心配してくれているのだろう。…もっとまともな出会い方が出来れば良かったのだけど。
結局それ以上俺も何も言えなくて、男も黙る。
けれどすぐに男は溜息を1つ吐いたかと思いきや話か空気を変えたかったのか、急に扉の方に顔を向けた。
「……ところでアイツは何をしている。もうとっくに戻ってきてもいい時間だが…」
「え。あっ、もしかして迷子…とか?あの人エイダンの人じゃないだろ?それに夜だし…」
「……。仕方ない、もう少しして帰ってこないようであれば探しに…」
自分が頼んだ手前、焦って言葉を返せば男も少し焦った…というよりはどことなく呆れた様子。けれど言葉半ばで丁度扉がそっと開いて入ってくる人影が見え、すぐにまた男は溜息を吐いた。
「はぁ、やっと帰ってきたか…」
その言葉にすぐ、小柄な人物は小走りで寄ってきて小さく頭を下げてから受け取ろうと立ち上がった俺に皮で出来た水筒を渡す。けれど俺がお礼を言う前に男が「おい」と声を掛けてきて、2人揃って男の方に顔を向けた。
「私は外のテントで休む。お前も水を飲んだらさっさと寝ろ」
「寝れたら、な」
「睡眠魔術を使える奴を呼んで来てやろうか?」
「それなら自分で掛けるよ……」
「じゃぁそうしろ。……見張りは頼んだぞ」
それだけ言うと余程眠たかったのか男はさっさと外に出て行き、俺と見張り役にされた小柄な人物だけが取り残される。とは言っても建物のあちこちでは相変わらず他にも……いや、いつの間にか起きている人はおらず10人くらいが石畳の上で寝ていた。
「ふぅ…」
ようやく、一息。
流石に少し緊張はしていたらしい。
けれど今はちょっと気も和らいだし、水を飲んだら寝ようかなと水筒に口を近づけた。
「………ん?」
口に含む寸前、ふわりと香ばしさを感じて手が止まる。けれどそれは悪臭とかではなく、心当たりすらある。そのままもしやと思いながら飲み込むと、ほんのり体が温まる感覚がした。
「(これ…カリドゥスの実か?)」
エイダン周辺に群生し、猛火の意味を冠するその小さな赤い木の実は非常に辛く、そのまま食べるという使い方は滅多にされない。
けれど水に浮かべて暫く待ってから実を取り出すと香りだけが移りその水は体を温める効果を得る為、冬は雪の多いエイダンでは防寒手段としてよく用いられる。の、だが。
「(もしかして水を汲むだけでなく寒がっていた俺を見てわざわざカリドゥスの実も探してくれたのかな。じゃぁ遅かったのはそれが理由…?)」
そう思って、それなら尚更お礼を言わないとと蓋を閉めつつ小柄な人物が居た方に顔を向ける。けれど気づけばいつの間にか真横に居て、ジーッと水晶玉を眺めていた。
「わっ…」
思わず少し驚いて1、2歩後退る。
けれど相手は気にせずそのまま水晶玉を見ている…かと思いきや、どこかあどけない少年の声が返ってきた。
「これが水晶玉?」
「え?う、うん」
「ふーん」
「……?」
「んで、オニーサンはメマスに入らないんだ?」
なんだろう。なんだろうか、この言い知れぬ違和感は。
それに室内には他に人がいる。外にもいる。それなのにやけに静かに感じて、まるで2人きりのように錯覚する。自然と、冷や汗が流れる。
──けど、それでも自分を曲げる気にはならなくて。
「入らないよ。生き残る為だとしても……入りたくない」
「……やっぱ面白いな、お前」
「え?」
拭いきれない違和感は膨れあがり、確かな疑問にぶつかる。
そうだ、少年はメマスに「入らないんだ?」と言ったけれど、普通なら「入るの?」と聞くはずだ。だって生き残る為にはそうするのが最善なのだから。
確かに俺はハッキリと「入らない」とは言ったが、それは少年が帰ってくる前の話。つまりそれは俺が「入らない」と言ったことを知っていた……要するにわざと入ってこずに外で話を聞いていたことを示す。けどここから扉まではそこそこ距離があるし、周囲の黒ローブ達が寝ているというのもあって俺とあの男は小さめの声で話していたはずだ。だから「入ろうと思ったけれど直前で会話中なことに気づいて入るタイミングを伺った」という可能性は低い。そもそも割り込むことに悩むであろう程の重要な会話でも無かった。なら、あり得るとすれば……台座は扉の反対側にある壁の傍にあるのだから、その壁上部の小さな採光窓からであれば聞き耳は立てられるかもしれない。けど、何故そんなことを?
それに、もしメマスの一員であれば「入らない」という選択を謎に思っても面白いとは言わない気がするし、そもそも今更部外者である俺にこれが水晶玉かを聞くのも興味無さげなのもおかしい。
つまり──
「っ……!」
直後、咄嗟に水晶玉に触れ守るように抱えて少年から距離を取る。そうすれば射し込んだ月光に照らされ僅かに見えた少年の口元は、確かにニッと笑っていた。
……間違いない、この人はメマスの一員じゃない!
「んー、メマスに入らないって言うなら一応オニーサンと敵対する気は無いんだけどなぁ。なんなら連れて帰って匿ってやっても良いし。……勿論その水晶は貰うけど」
「あーもー、次から次へとなんなんだよっ!」
なんで同じ日に2勢力もこの水晶玉を狙いに来るんだよ!
そんな思いで柄にもなく大声を出せば、眠っていた黒ローブ達も何事かと目を覚ます。
それと同時に寝に行ったはずのさっきの男も駆け込んで来ては俺……ではなく少年に杖を向けた。
「貴様、何者だっ!外の者達に何をした!」
「何って寝かせただけだけど?なんならこのローブの元の持ち主も」
悪びれもなく、至って楽しげに少年が笑う。
こんな状況だと言うのに、全く意に介することもなく。
それは果たして能天気というのか、強者の余裕というのか。
「(……後者、だな)」
なんとなく直感でそう思ったけれど、それはどうやら黒ローブ達も同じらしく一斉に杖を少年に向ける。
それでも尚、少年は笑っていた。
「やっぱ魔具って便利だなぁ」
その言葉に先の男が杖を握る手にグッと力を込めたのが見えた。
恐らく大半の者達は眠らされたままなのだろう。
…外は外で見張りだって居たはずなのに。
室内に緊張が走る。
現状の人数的には圧倒的に黒ローブ達が有利なのだけど、少年の手の内も正体も不明すぎて攻めあぐねているのだろう。
現に俺だってどうすれば良いのか分からなくなっていた。
「(なんでこんな三つ巴に…)」
とりあえず分かっているのは、少年も何らかの組織か権力者と関わりがあるであろうということ。
でなければ俺を匿うなんて発言は出てこないはずだし、メマスの動向を探れる訳もない。
となれば少年は陽動役で既にこの建物が少年の仲間に包囲されている可能性も…。……いや、俺としては混乱が起きた方が逃げやすいけれども。
結局俺も黒ローブ達も動けない。
けれど少年だけは相変わらず緊張感が無く、動かない黒ローブ達を見て「んー?」と不思議そうな声を上げていた。
「掛かって来ないの?…なら、先に」
少年がくるっと俺の方に振り返り、思わずまた後退る。
けれど気にせず距離を詰められて…と思いきや突然少年が後方に飛び退き、それと同時にさっきまで少年が居た所に火の玉が飛んで来ては石畳に黒い跡を残した。
なんて状況、勿論俺の理解は追いつかず唖然とする。
けれど少年はそうでもないようで。
「おっと、いきなり随分な挨拶だなぁ」
「はっ、よく言う」
入口、丁度火の玉が飛んできた方から知らない男の声が聞こえてようやくハッとしそちらに顔を向けると、さっきまで少年に杖を向けていた黒ローブ達がサッと壁際に寄っており、開いた道の奥からは金の装飾が施された黒いローブを羽織り、しかしフードは被っていない高慢そうな初老の男と、同じく他の黒ローブ達には無い銀の装飾が施された黒いローブを着て傍を歩く2人が見えた。
どう見ても……幹部とその補佐達、というやつだろう。
「暫く連絡が無いから覗きに来てみれば…随分賑やかになっているじゃないか」
「もっ、申し訳ありません」
知らない男の、震えた声が聞こえた。
けれど幹部らしき男は興味無さげに小さく鼻で笑ってからこちらに顔を向け、顎を撫でながらのその視線は…まるで品定めをするかのよう。
というのは些か気分が悪くて少し表情を歪めたけれど、少年の方は相変わらず気にした様子は無く、それどころかなんだか楽しそうにさえ見えた。
「腰の重そうなオッサンがわざわざ出てくるってことは、そんなにこれ凄いの?」
「なんだ、これの価値も知らずに来たただの賊か」
「そうだぜー、綺麗な水晶があるから盗って来いって言われただけ」
「ふっ、これを使える能も無いようだな。なら手土産ついでに教えてやろう」
無害そうどころか人懐っこささえ感じる少年の口調に、完全に幹部の口元も気も緩んだのが見て取れる。
当然俺や他の黒ローブ達はこの少年を「強いし絶対にただの小悪党なんかじゃない」と確信していたけれど、俺が言う義理は無いし黒ローブ達は……まぁ言い出せる上下関係では無いらしい。
結局誰も止めることが無いまま、幹部はまるで演説でもするかのように、もしくは何かを崇める狂信者かのように語り出した。
「今から20年前、とある魔術師の残したノートが発見され、そこには魔族の友とやらからの贈り物について記されていた」
「それがこの水晶玉?」
「そうだ。そしてそれには……外の世界へと繋がる力がある、とな」
「「……は?」」
思わず出た言葉は、見事少年と被る。
けれどそんな俺達の
「どのようにして魔族がそれを手に入れたかは知らないが、次なる世界への扉を開くというそんな素晴らしい物は力ある者に使われてこそだろう!だから私は調べ続け、そして遂に長年の調査を経てこの場所を突き止めたのだ!」
「…えー、あーそう」
げんなりした様子で少年がそう呟く。
その心境は…うん、痛いほどよく分かる。
けれど両腕を広げて陶酔する幹部にはやっぱり伝わらないようで。
「ふっ、やはりこの偉大さがお前のような小物には分からないか。しかし歳の割には良い魔力を持っているそちらのお前ならば分かるのでは無いか?」
「いや……」
不意に向けられた視線と言葉に、思わず言い淀む。
正直な感想で言えば……完全に少年と同意というか、気を抜けば「拗らせ過ぎでは?」なんて言葉を返しそうなくらいだった。最悪の自体を想定していた分、勿論平和的(?)なのは良かったけれど、だからってそんなよく分からない話に突然付き合わされたこっちの身にもなって欲しい。
とは言えこの状況でハッキリそう言う訳にも行かない。
俺が魔力持ちと分かったということは、どうやら幹部は高い魔力感知能力を持つようだから実力もそれ相応にあるだろうし、何より俺を誘拐した男は雇い主(恐らく出資者である貴族)を「独善的で秘密主義」なんて言っていたのだから、幹部がこうして話すのも所謂「冥土の土産」的な物かもしれない。つまりここで俺は相手の神経を逆撫でしないように、そして何か迷いを生じさせるようなことを言わなければならないのだけど──
「ほーら、やっぱりおかしいのはお前だって。魔術師の癖に夢見すぎだろ。オニーサンも完全に引いてんじゃん」
「ちょっ!」
折角穏便に済ませようとしていたのに……!
そう思いながら少年の方を向けば呑気に「だろ?」と小首を傾げながら無邪気に弧を描いた口元が見えた。
一方で幹部の方はというと…当然のように肩をワナワナと震わせていて。
「(あぁ、こうなるならもうさっさと逃げて風呂に入れば良かった……)」
密かにそう思いながら、内心苦笑いを浮かべる。
けれどそんな現実逃避をしたって状況は良くならない。出来る限り足掻かなければ、少年も俺も命は無い。
「……えぇと、1つ聞きたいんだけど「外の世界」って純粋にセレスタの外って意味じゃないのか?ほら、例えば迷いの森を抜ける為の物で、これを使って会いに来て欲しいって意味で渡したと考える方が納得というか…」
迷いの森というのは1つの国として纏まることでセレスタ国による侵攻を押し返したティーフェ国が魔法で作った霧深い黒い森であり、人間が入れば2度と出られないと言われている。そして停戦後の今ではそこが国境になっており、ここは丁度迷いの森手前の普通の森の中。
つまり、年代を考えても水晶玉は戦争があっても交友が途切れなかった人間に贈った迷いの森で迷わなくなる代物と考える方が自然な気がする。少なくともいきなり「外の世界」なんて訳の分からない物への鍵と考えるよりは現実的だ。
そう思って言うと、下っ端であろう黒ローブ達の何人かはハッとした様子でお互いに顔を見合わせたり何か小声で話している様子だった。……多分水晶の使用目的を何も聞かされていなかったのだろう。しかし当の幹部はというと、どこか呆れたように鼻で笑った。
「ふんっ、私が目をつけた物がその程度の物な訳無かろう。そもそもそれに触れているお前はそれが秘める魔力の強さを理解しているだろう。それがただ迷いの森を抜ける為だけに必要だと思うか?」
「それ、は……」
確かに幹部の言う通り、森を通るだけにしては水晶玉の魔力の純度も質も良すぎる。
勿論それだけ強い魔法が森に掛かっている可能性もあるけれど、迷いの森は広大だ。この水晶玉を使わなければならないレベルの魔法をあの範囲に掛け続けるのは流石に不可能だろう。
「なんだ、もう終いか」
「っ…」
容赦のない冷たい声に、思わず唇を噛む。
幹部は見るからに楽しそうで、俺が話を逸らそうとしていたことなんてお見通しなのだろう。まるで盤上で逃げ惑う駒の気分だ。けれど、それでも大人しく水晶玉を渡すという選択はしたくなかった。
この水晶玉は、確かにここにあった「友情の形」なのだ。
そしてそれをここに残したのはきっと、何か想いがあったのだろう。……それは他人が安易に触れて良い物じゃない。
勿論これだって俺の憶測なはずだ。けれど、水晶に触れていると何故だかそれだけはハッキリと確信が出来た。
だから──
「これだから私の偉大さも分からない浅慮で学の無い者を相手にするのは嫌なのだ。良いか?魔族とは知能こそ低いが魔力の扱いだけは秀でている。であれば奴らの作ったそれも相応の至宝と言えるだろう。まぁそれを贈られた者は使う脳も無い愚か者だったようだがな」
「……愚か者はどっちだよ」
「なに……?」
「例えどれだけ頭が良くたって、人の物を勝手に盗んで使おうとすることに偉大さなんてある訳ないだろっ」
きっと、使えなかったんじゃない。使わなかったんだ。
例え戦争も差別も無い世界へ逃げられるとしても、友達になってくれた魔族達の生きるこの世界で生きる為に。
その想いは、どんな理由があっても踏み躙ってはいけない。──同じ魔術師なら、尚更だ。
「メマスなら、魔術師代表として魔族と和平を結んで直接教われば良いだろ?そうすれば偉大な功績って言えただろうし創設者だって報われるのに」
「ハッ、何故そんな手間をかけねばならぬ。それにあのような下等生物、するなら和平ではなく侵略に決まっておろう」
「それなら俺がこれを返すことは無いよ。そんな使われ方するくらいなら割った方がマシだ」
「貴様……!」
勿論これはただの脅しだ。
けれど幹部は明らかに表情を歪めてギリッと歯を鳴らす。とはいえここから交渉……というのも難しいだろう。
「(これを持って逃げて……なんとか魔族に届けられない、かな)」
流石に300年も経っているし水晶玉を渡した魔族本人はもう生きていないだろうけれど、もしかすると子孫ならいるかもしれない。人間の友達についても聞いているかもしれない。それなら彼らに渡せば水晶玉が戦争に使われることもない、はずだ。とは言っても迷いの森を抜けられるか分からないけれど、想いを守る為には……。
「んー…お取り込み中悪いんだけどさ」
思考を遮る場違いな明るい声に、一気に現実に引き戻される。
そして声の主である少年の方を向けば「飽きた」とでも言わんばかりに溜息を吐いて。
「結局オニーサンとオッサンの交渉は決裂したってことだろ?」
「……そうだよ。俺は外の世界になんて興味無い……し」
なんとなく嫌な予感がしつつも素直に答える。
けれど何故だろう、何か胸に引っ掛かる物を感じた。
今の生活には充分満足しているし、そもそもあるかも分からない異世界に興味もない、はずなのに。それでもどうしても脳裏には見覚えなんて無いはずの、けれど確かに懐かしい水色が過ぎって──
「じゃぁさ、次はオレの番、な?」
「……え"っ」
思考中断、ニッコリした口元に思わず冷や汗が流れる。
とはいえここでメマスよりも素性の知れない少年に渡す訳には絶対いかない。となれば…。
「返す!!」
こちらに向かって歩を進めだしたのに合わせて若干後退りながら咄嗟に少年に渡されていた水筒を放り投げる。そうすれば少年は流石に「へ」と素っ頓狂な声を上げつつ見事にキャッチして見せた。…が。
「おっ、と。はぁ、なんで今……っ?!」
瞬間、少年の体がグラリと揺れその場に膝をつく。
勿論その様子に少年も黒ローブ達も動揺していたけれど、きっと俺を攫ってきた男だけはそうでも無いだろう。
なんせこの発動速度と発動条件の自由さが、魔法文字の強みなのだから。
「(効果は3分。今のうちに……)」
少年に掛けた魔術は「対象に掛かる重さを増やす」という物。これが掛かっている間、普通の人間であれば満足に動くことは出来ないはず。交渉するなら今しか無い。
「街の人には手出ししない、そう約束してくれるならこれは割らないし台座は自由に調べたら良い」
クルリと幹部の方に振り返り、片手で水晶玉を抱えたままもう片方の手で台座を指す。
そうすれば当然怪訝な顔をされた、けれど。
「その水晶玉はどうするつもりだ」
「元の持ち主に返すよ」
あっけらかんに言ってのけると、幹部だけではなく周りも騒めく。なんなら少年も小さく「えー…」なんて言っていたが、今は気にしている場合じゃない。
「なっ、何を馬鹿なことを!」
「もし約束してくれないなら台座も壊す」
「そ、そのようなこと…」
「俺は魔法文字使いだ。ただの石くらい壊せる」
本当は嘘だ。
土の壁程度なら壊せるけれど石はしたことが無いから多分無理だと思う。けれど魔法文字使いの稀少性を利用すればきっと相手は言葉を信じざるを得ない。
という読みは当たっているようで、今度は幹部が唇を噛んだ。なら後は。
「どうする?俺がこれを無事に持ち主に送り届ければ魔族との間に接点を作れる。そうすれば友好的に教えてくれる可能性だってある。仮にそうならなくても、台座を調べたら水晶玉を直接調べるより安全だろ?それとも手掛かりを全て失いたいか?……ちなみに1つ言っておくけど俺はエイダンにある本を殆ど全部読んだ。けどこの水晶玉や文字については何1つ知らないから、他の人に聞いても意味は無いよ」
これは出任せ…ではなく本当。
エイダンで最も本を持っていたのは俺の父さんだし、俺はスクールの本も家の本も図書館の本も全て目を通した。
なんなら街の人を何か手伝った時には対価として蔵書を読ませて貰ったりもしていたからエイダンの歴史には詳しいと自負している。それでも一切手掛かりが分からなかったんだ、俺がまだ読んでいない誰かの蔵書があれば何か分かるかもしれないが、本は高価なのだから内容に寄ってはさっさと売り払ってしまっているだろう。
勿論それをメマスが探すと言うなら止めないが。
「くっ…」
小さな呟きと共に、幹部は持っていた杖を下げる。
流石に情報を全て失うのは惜しいらしい。
「(よし…。後は…)」
恐らく外には少年の仲間がいる。
けれどそちらへの説得はメマスに任せよう。少なくとも少年を無事に返せば最悪の事態は避けられるはず。
それからは…まぁ1人で迷いの森に行くことになるだろうけど、大丈夫。……どうせ俺にはもう、帰りを待っている人なんて居ないのだから。
「……?」
不安を紛らわせるように考えた現実にまた何か違和感を覚える。俺に帰りを待つ人?そんな人はもう誰も居ない。居ない、はずなのに──
「ロダン様、如何致しますか」
「ここであの台座まで失ってはマラク様に…」
「……えぇい、まずはその盗賊から葬ってやる!」
「…は?」
思考の外で聞こえた声に慌ててハッとし、少年の方を振り向く。けれど表情はフードの影になって見えなくて…いやそれどころじゃない。黒ローブ達は既に魔術の詠唱を始めているし、少年はまだ俺が掛けた魔術のせいで逃げられないはずだから、このままだと少年が。そしてそんなことになればメマスと少年の仲間での争いも起こるはずだ。そんなの、絶対に止めないと。何より。
──俺はもう、誰も守れず見ているだけなんて嫌なんだ。
自然と溢れた思考になんの疑問も無いまま、咄嗟に魔術解除の魔法文字を指先に集めた魔力で空中に書きながら水晶玉を抱えたまま少年に駆け寄る。
そして少年に触れて魔術解除すると同時に更に魔法文字を書いた。ここまでずっと、隠していた奥の手を。
「逃げるぞ!」
もう目の前には黒ローブ達が放った光弾が迫っていて、その時に初めて見えた少年の紫の瞳はまるで
……はずだった。
「っ?!」
発動に合わせるかのように、持っていた水晶がいきなり眩い、光弾さえも掻き消すような神秘的な青い光を放つ。
そして、俺達は為す術なく光に飲み込まれて行った。
光の中、確かに俺は
誰かの呼ぶ声を聞いた。
⒋[黒薔薇 / ハウル]
「……い。…ーい?…おー……」
遠くから、ぼんやりと声が聞こえる。
けれどハッキリとは聞き取れないし、頭痛に響く声に煩わしさも感じてギュッと目を閉じた。そうすればやがて静かになって再び意識は底の無い沼に落ちていきそうになるが、今度は声の代わりにペチペチという軽い音と頬への痛みを感じて思わず呻く。更には先程より大きな声が聞こえて、流石に内心で「誰だよ、折角寝てたのに…」とボヤいた。
「(……ん?)」
そこまで来て、ようやく意識が浮上しだす。
なんせ自分には「朝起こしてくれる存在」なんてもういないし、そもそも「寝た」という記憶も無い。
それどころか、段々と鮮明になってきた記憶が定かなら確か今はメマスから逃げようとしていた所…つまり全くもって眠っている場合では無い状況なことを思い出し、一気に意識を覚醒させながら慌てて飛び起きた。
「うわっ」
同時に隣からそんな驚いた声が聞こえる。と思いきやその声の主はすぐに笑い出して。
「はー、やーっと起きたな、寝坊助w」
急に起き上がった故の目眩とぶり返した頭痛を前に、一瞬頭が混乱する。けれど何とか周囲の眩しさに耐える寝ぼけ眼を声の方へ向ければ、そこには見た目的に俺より2、3歳ほど下に見える、鮮やかな赤と黒い毛先が特徴的な髪の少年が座っていた。勿論、それだけの特徴であれば見覚えはなくて誰か分からなかったが。
「あ……盗、賊」
どこか楽しげに煌めくアメジストのような瞳。それは1度見れば早々忘れることが無いだろうと思うほどに綺麗で、先までの盗賊の少年がフードを脱いだ姿なのだとようやく理解する。それと同時に、今がどういう状況なのか何も分からないままだと言うのに、どっと体の力が抜けるような感覚がした。
「よ、かったぁ…」
「…へ?」
思わず出た心からの言葉に、素っ頓狂な声が返ってくる。けれど、本当に安心したんだ。相手は盗賊で、水晶玉を盗みに来た奴で、世間一般で考えれば当然「悪い奴」という区分に収まると分かっているのに、どうしても「“また”失わなくて良かった」と何故だか心底そう思って、深く安堵の息を吐く。それから念の為に少年の様子を確認しながら首を傾げた。
「怪我…無いよな?」
見た感じは元気そうだ。けれど少年はメマスの黒いローブは脱いだようだが代わりに自前の物であろう暗い赤色のポンチョを着ている為その下のことは分からない。なのでそう聞いた訳だが、少年は露骨に困惑、もしくは引くような目を向けてきた。
「無い、けどさぁ…。何?寝起き早々言うことがそれな訳?オニーサンが言った通りオレ、盗賊だぜ?」
「うん。でも、それとこれとは話が別。無事で良かった」
「……変なの」
変わらない俺の態度に、少年は訳が分からないとでも言いたげだ。けれどこればっかりは流石に俺でも自分の方が恐らく変わっている自覚があったというか、どうしてここまで安心しているのかがイマイチ分からなかったので苦笑いを返すと、少年は大袈裟な溜息を吐いて小さく首を傾げていた。
「エイダンの奴らって頭も平和ボケしてる訳?まぁその様子ならこの状況も罠とかじゃないんだろうけど……」
「え?」
少年の言葉に今度は俺が間の抜けた声を返す。すると少年はまた溜息を吐いてからおもむろに上を指さし、その動きに釣られて上を向けば。
「……ん?」
広がるのは、青空。時刻的には昼過ぎくらいだろうか。なんとも綺麗な晴天で……いや待て、さっきまで夜中だったはずでは?というかそもそも屋内だった。つまり?
ようやく異常な状況を理解して、慌てて周囲を見渡す。けれどここには建物1つ無くて、ただ雄大な森に囲まれた草原らしいという情報しか得られない。訂正、もう1つ大事な情報が得られた。
「どこだ、ここ……」
ポツリと呟く。
その声は心地良く吹いた風に攫われ、全く見覚えのない森へと消えていった。
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「えぇ、と、つまり…」
「気づいたらオレもお前もここで伸びてて、メマスの奴らはいねーし全く知らねー場所だった」
「なる、ほど…」
少年からのあまりにもサックリとした説明を聞いてそう返事はしたが、残念ながら現状については何も分からない。それでも思い当たりに検討を付けながら必死に頭を悩ませている間、少年はというと呑気に伸びをしていて…メマスと対峙している時も思っていたが、なんとも楽観的というか肝が据わっているというか。
そう思いながら少し苦笑いをしていると、体を傾けて伸びをしていた動きに合わせてチラッと少年の首の左側、つまり少年からすれば自分の右側に赤黒いバラのタトゥーが彫られているのが見えた。
──バラのタトゥー?
「バラ……?」
最初はオシャレさんなんだなぁと軽く思っていたが、嫌な心当たりに思わず声が出る。そしてそんな俺を見て、少年は伸びるのを止め何事もないようにヘラッと笑って見せた。
「ん?あー…その反応するってことは知ってんの?あんな辺境の街なのに」
変わらず軽い調子でどこか楽しげな少年はあどけなく、今でも無害そうに思える。けれど初めて話した時に感じた緊張感も、単身でメマスの団員達を無力化したという事実も、それはバラのタトゥーと明確に繋がってしまう訳で。
「そっちこそ、なんでまた
きっとセレスタ国に住む人の中で、盗む為なら殺しも厭わないと言われているその悪名も、団員には必ず体のどこかにバラのタトゥーがあるという噂も知らない人なんて居ないだろう。それでも貴族ばかりを狙うという国1の盗賊団の団員にただの一般市民である俺が出会うことなんて無いと思っていたのに、一体あの水晶にどれ程の価値が──
「あー、綺麗な水晶があって飾りたいから盗って来いって言われた」
「……そ、そっか」
理由…軽いな。
それが率直な感想だった。
一体どんな悪事に使うのかと身構えていたというのに…。いや、当然メマスのようにあんな訳の分からないことを言われるよりはマシなのだけれど。それに本当に飾るだけのつもりなのかは分からないし…。
「ま、とはいえこれじゃーなー」
思わず苦笑いしてしまっていたが、不意に盗賊はそう言って地面に視線を落とす。
それにまた釣られて視線を落として見れば。
「……は」
砕けた青いガラス片。殆どは最早粉だ。
でもこの色は、知っている。
「水晶割れてた」
「見りゃ分かるよ!!」
すぐさまそう叫ぶと、盗賊は特に困った風も無くアハハと笑うし、俺は俺で視界が揺れる。
後頭部を殴られた影響だろうか。それとも風邪?
なんて冷静に考えているのとは裏腹に揺れは酷くなって、ついには体がグラッと傾いた……が。
「おっと、もう少し寝るか?」
突然体を支えられて思考停止。
そしてそのまま返事をする間もなく地面に寝かされたが、頭の下には何かある。どうやら脱いだローブは枕代わりにしてくれていたらしい。
「お前…なんで……」
なんで、助けてくれるんだ。
薄れゆく意識の中でそう問うと、盗賊は少し悩んだ後したり顔を浮かべて。
「旅は情け、世は道ずれって言うだろ?」
「逆、だよ……」
ついつい反射で入れたツッコミを最後に、俺の意識はまたそこで途絶えた。
⒌[利用価値 / 盗賊]
「…あれ、逆か」
てことは世は道ずれ、旅は情けか?まぁいいや。
そう思いつつ目の前で無防備に眠る青年を眺めた。パッと見は普通だけど魔法文字使いだって言ってたし、なんか頭も良さそうだし……何より。
「まさかあの状況で庇いに来るとは」
…大した勇気だ、ホント。
正直なことを言うと、最初はいきなり体が重くなって驚いて体勢を崩しただけで、やろうと思えば一応動けた。
そりゃいつもに比べればはかなり遅いだろうけど。
それでも逃げようと思えば投擲武器やら煙幕やら活用して普通に逃げられそうだったから、動けないフリして隙をついて水晶を盗って逃げるつもりだった。……のに、まさか。
「お人好しだなぁ」
感嘆、というよりは呆れ気味に呟く。
他人を、というか
……となると、さては案外ただのバカかもしれない。それでも無駄に正義感を振り翳す頭の硬い奴らより全然使い易そうだから良いけれど。
「さてと、どうすっかなぁ」
小さく呟いて立ち上がる。
時間は昼過ぎといった所。気候は穏やかだが気温は高くも低くも無いくらいで少し風もある。
それからもう1度青年を見た。
気がつくと自分もここで倒れていて、付近には割れた水晶と青年だけ。見ず知らずの場所で黒ローブ達もいない。
とりあえず魘されてたから場所を聞く前に死なれたら困ると思ってローブを枕にしてやったけど、全然起きないくて結局叩き起した。ら、また寝た。いや、ただ寝ているだけならまだ良いが……誘拐された時に水を掛けられたのか寒がっていたし、さっきの様子から考えるに頭でも打った?みたいだし。
「うーん……」
そもそも何があってこんな事になったかは分からないけれども、それと同じように帰り道が分からない。
まぁコイツもここがどこかは知らないみたいだけど、原因となった行動を思い返せば十中八九、この状況はコイツのせいだろう。つまり、打開策もコイツに考えさせた方が楽だし割に合う。んでもし無事にセレスタまで帰れた時は都に連れ帰ろう。使えそうだし。
なんて、頭の中でパパッと考えてはナイスアイデアと言わんばかりに口角を上げた。……と決まれば。
「よっ…と」
一応水晶の欠片を出来るだけ拾い集めてから、軽々と青年を背負いローブを掛けてやって草原を歩く。
いつ起きるか分からないし、まずは野宿出来そうな場所を探そう。
…正直、任務が立て続けだった上に都からエイダンまでの移動も合わせてもう1週間くらいまともに寝てないのが若干キツい。荷物が増えた訳だし、これは流石に後で寝ないとなぁ。
なんて思いながら遠くの森に向かって歩を進めて行くことにした。