@toasdm
『携帯電話』が『電話機能付き多機能端末』になってからどのくらいになるだろうか。連絡先だけでなく写真やメール、仕事で使う重要なデータまで手のひらサイズに収まったスマートフォンは、現代において必須と言っても過言ではない。仕事で使用するスマートフォンを紛失すれば、場合によっては社会的に死ぬ可能性もある。管理はきちんと、と言って聞かせたはずのそれを、山村は今日もデスクに置いていった。
「はぁ……」
ちらりと彼女は時計を見る。山村が「お先に失礼します」と出て行ってから間もなく三十分が経過する頃だ。そろそろ戻ってくるかな、とデスクから立ち上がり、彼女は山村のスマートフォンを手に取った。君のご主人様は何考えてるんだろうね、と彼女はスマートフォンを指先で小突く。それと同時に事務所のドアは、のんびりと開けられた。
「すみません、忘れ物しましたー」
間の抜けた声で、哀れなスマートフォンの持ち主が顔を出す。
「もー、山村君、ちゃんとしてよ!」
「すみません」
恐らくは、駅の改札で気付くのだろう。交通機関だけでなく、主要な店での支払いにも対応している電子マネーの機能すら、このスマートフォンには内包されている。改札であちこち探ってスマートフォンがないことに気付く山村の様子は、見たことがないのに見えるようだと彼女は苦笑しながらそれを手渡した。
「いい加減ちゃんと気付こうね」
「あはは……」
めっ、と子供に言い聞かせるように腰に手を当てた彼女を見る視線が、一瞬鋭くなったような気がしたのは、彼女の気のせいではなかった。
「プロデューサーさんもいい加減気付いてくださいね」
受け取ったスマートフォンをトートバッグにしまいこみ、山村は彼女に背を向ける。え?と聞き返した彼女の方をちらりと振り返り、山村は流し目でにまりと笑う。
「ぼくがわざとスマホを忘れる理由、なんだと思いますか?」
一瞬で、彼女の思考は停止する。
わざと?今までわざと忘れてたの?
なんで?どうして?運動不足を解消するため?
だったら普通に歩いた方がよくない?
なんでわざわざ事務所に戻ってくるの?私がいなかったらどうするつもりなの?
そりゃまあ、私は山村君より確実に後に帰るから絶対いるけど、え?
え?
「え?」
「お先に失礼します」
そんなまさか、どういうことなの、と、引き止めて、真意を問うのが怖かった。そんな風に思ってしまうような視線が、閉じたドアに遮られる。
未だばくばくと早鐘を打つ胸を押さえながら、彼女はぽつりと呟いた。
「や、山村君、あんな顔できたんだ……」
プロデュースしようとは思わなかったが、未だ瞼に焼きついたままの一瞬の色香は、しばらく彼女を悩ませた。いいや、さっきのは聞き間違いかなんかでしょう、と浮かぶ微妙な考えを振り払って、彼女は残りの仕事を黙々と片付けた。
次の日以降、山村はスマートフォンを事務所に忘れることはなくなったが、次は何がくるのだろう、と彼女は今も、身構えている。