@ak1kannya
横開きの扉が滑る音に顔を上げる。止めたペンはそのまま机に倒し置いて、目が合ったのは吉沢君だ。入り口で扉を開けたまま止まっているのは入りづらいからだろうか。
「忘れ物?」
問いかけると、ゆっくり吉沢君は首を一度だけ横に振った。そうしてからゆっくり中に入ってくる。扉は開けたままだけれど、今はもう下校時間だからかな、と思った。普段はきちんと扉を閉めてくれる几帳面な人だから。
言葉もないまま吉沢君は教壇に鞄を置いて、腰をかけた。元々吉沢君は物静かなのでなにも言わないこと自体はあまり気にならないけれど、帰るわけでもなく探すわけでもなく座ったこと、はちょっとだけ気になった。
吉沢君の部活は何だったっけ。さすがにクラスメイト全員の部活動を覚えてはいない。バスケ部とサッカー部、バレー部は今日活動しているから多分違うんじゃないかな、ということだけはわかる。部活中ならこんな風に座り込まないだろうし、でも部活がないならもうみんな帰っている。三階のこの教室は、体育館とか図書室とか、人がいる場所から離れているからあんまり残る人はいない。
誰か待っているのだろうか。だとしたら、自分の席に座らないのは私がいるせいだろうか。吉沢君は私の後ろの席で、誰もいない教室で座るにはちょっと密度が近く感じてしまうのかもしれない。
「誰か待ってるの?」
教科書やノートを出すわけでも、本を読むわけでもないからつい声をかけてしまう。小さく吉沢君は頷いて、それからゆっくり口を開いた。
「金田」
低音の短い返答はクラスメイトの名前で、よく吉沢君と一緒にいる男子のものだ。吉沢君の声は吉沢君に似合う落ち着いた音だからか、大きくなくても聞こえやすいなあと思いながら「そっかぁ」とだけ頷き返す。
吉沢君はあまり表情を変えない。言葉も少ないから怖い、と言う子はいるけれど、怖いと言うよりは物静かで、でも物静かというには律儀だから、嫌かどうかわからないのはちょっと申し訳ないなあと思う。
あまり構わないで私は私のことを終えないといけない。人を待っているんだし、おしゃべりがしたい人とただ待ってるだけで平気な人がいて、私はどっちも楽しいけれど吉沢君はおしゃべりしないひとだから話しかけちゃうのは余計なお世話だろう。
お節介、はあんまりしたくなくて、でもついつい声をかけちゃうから気をつけたいところだ。
「山口は」
決意を新たにしたところで名前を呼ばれて、結局ペンは走り出さなかった。静かな低音は確かに私を呼んでいて、こちらを見る視線はまっすぐだ。貫く、みたいにまっすぐ吉沢君は私を見る。目を見て話しましょう。そういう大事な決めごとを丁寧になぞるようで、吉沢君の真面目なところは私にとって尊敬だ。だから出来るだけ私も吉沢君を丁寧に見返す。
「まだか」
まだ、との言葉につい笑ってしまった。まるで待って貰っているみたいだ。でも言いたいことはわかっているので、もうちょっとです、とこぼれた笑いに返事を混ぜる。
「書き始めるのが遅くなっちゃって。でもあと二つ書けば終わり」
今日の日直は渡辺君が休みなので私一人だ。といっても一人だから遅れたのではなく、書き始める前に色々あって遅れてしまっただけなので大変だったからというわけでもなく、ちょっと気恥ずかしい。
吉沢君はじっと私を見て、それからまた静かに口を開いた。
「、」
けど一回閉じられる。どうしたのだろうか、と首を傾げると、また吉沢君は口を開きなおした。
「平気か」
平気。なにを言っているのかわからなくて、ちょっと考えてしまう。瞬きをしてもじっと吉沢君は私を見ている。ううん、と今度は逆側に首を傾げて、日誌を撫でた。
「日直仕事はもう終わるし、特に急いでないし……あ、吉沢君が待っているのも、平気。ごめんね私がいると落ち着かないかな」
「落ち着く」
被さるように返された言葉に、ちょっと目を丸くしてしまう。吉沢君の眉間に皺が寄って、ぎゅむ、と口角が下がった。私から視線は逸れないけれど、吉沢君は眉間のしわをじんわりと深めながら大きな右手で口をゆっくりと覆った。
「……山口が平気なら、平気だ」
手の中でくぐもって、でも低い音は静かに落ちてちゃんと届く。低音は舞台映えするんだっけ。可愛い声の鈴野ちゃんが悔しそうに言っていたのを思い出す。舞台映えがピンとこなかったけれども、こういう響き方なら確かになあ、と思う。
言葉は終わったけれど、吉沢君は口を覆い隠したままだ。落ち着かないって聞いたことに落ち着くって返したのが恥ずかしいのかもしれない。表情に出ないからわからないけど、私が気にすると思ってすぐ返してくれたんだろう優しさのうっかりをそんなに気にしないで欲しい、と思うのは我が儘だろうか。
もしかするとそういう意味で急いだ訳じゃないかもしれないけれど、もっと言うと蒸し返すみたいになっちゃうからあんまり言えないけれど。口を覆ったままでも目はきちんと私を見てくれる吉沢君に、ちょっと言葉を探す。
ペンの頭がゆらゆら揺れて、日誌の項目は残り二つのまま中々進まない。
「吉沢君の落ち着いたところ好きだから、私は平気」
全然気にならないよ、と笑うと、吉沢君が口を覆った手に力を入れたみたいだった。逆に駄目だっただろうか。うっかりをまた意識させちゃったかもしれない。
山口さんは落ち着いていて安心する、と言われるのは、嬉しい。でもそれは私の基準だし、吉沢君が嬉しいかどうかは違う。それに私も、言葉によってはちょっと寂しくなるし。
ううん、と悩む気持ちがペンをまたゆらゆら揺らす。これ以上なにか言わない方がいい気もするけど、優しいうっかりを後悔されるのが寂しいと感じるのも私の我が儘だけれど。でも、我が儘をちょっと大事にしたくて、吉沢君は話をおしまいにしないでくれるように私を見てくれていて。
「落ち着いている、か」
言葉は同意よりも聞き返すような感じで、私は頷いた。そろり、と動いた手はまだ下がりきらない。
「落ち着いて見えるけど、違う? 嫌だった?」
「嫌じゃない。……落ち着いてる、とか、あまり言われないから」
さっきと同じで、否定は早い。席が前後でも普段はあまり話さないけれど、相手のための言葉を躊躇わない人なのかもしれない。そのあと続いた言葉はゆっくりで、静かだからどういう気持ちかはわからないけれど。言葉が少ないのを怖いって言う子がいたのだから、もしかするとそういうのを言われなくても感じていて、私の言葉が意外に感じたのかもしれない。
それはちょっと、寂しい。
「いつも落ち着いているなあって思っているよ。教室の扉ちゃんと休み時間終える度閉めてくれてるのも嬉しいし、プリント受け取るとき丁寧だし、きちんと名前で呼んでくれるし、大きい音立てないでくれるし」
「……名前」
せっかくだから素敵だと思うところをちゃんと伝えよう、と思って並べていくと、言葉が途切れたところで静かに吉沢君がオウム返しのように呟いた。名前。うん、と頷いて、その理由がちょっと子供っぽい気がして苦笑する。けどそれは私のことだから黙る理由にはならない。今話しているのは、吉沢君のいつもしてくれていること、だ。
「プリント渡すとき、小さく名前で呼んでくれるよね。声をかけてからってところ丁寧だなって思うし、山口、って呼んでくれる人あまりいないから」
じ、と吉沢君は私を見たままなにも言わない。視線の強さなんて私にはわからないけれど、沈黙が問いかけのようにも思える。
「一学期だけだったのに、副委員長、って言われる事のほうが多いから。一年の時からそういうのあったから慣れちゃってるけど、名前で呼ばれるのはちょっと嬉しい」
副委員長、元副委員長、なんて名前よりよほど長い呼び方で呼ばれるのは親しみを込めてのものだから嫌いじゃない。けど、たまに呼ばれる名前は山口さんで、基本的には副委員長で。ちょっとだけ距離があるみたいで、気にはしないけど時々寂しさがあるのも本当のこと。
そういう中で、吉沢君は珍しく私を名前で呼ぶ。さんづけもしないで、他の皆と一緒で、それは私にとってちょっとの特別、だ。
「あ、でもこんなこと言うとみんな気にしちゃうから、秘密、ね」
しぃ、と指を口の前で立てて言ってから、じっと見返すままの吉沢君にちょっと恥ずかしくなって人差し指を手の中に隠した。ちょっと子供っぽかったかもしれない。私は大人っぽいって言われる方が多いから、多分こう言うのは似合わないと思う。だから恥ずかしくなってごまかすように笑ったけど、吉沢君は相変わらずだ。
不安にはならないけれど、ほんの少し気恥ずかしさが残ってしまう。
(あ)
吉沢君が鞄を確認して小さく頷いた。それから立ち上がる。
「帰り、平気か」
静かな問いかけに、最初の平気、の意味がわかった気がした。このことだったんだ、多分。そんなこと言われるなんて思ってなくて、ちょっとくすぐったい。
「ありがとう。駅からすぐだし、平気だよ」
吉沢君がゆっくり頷く。「金田、終わった」と続けてくれたので、金田君がなにかしていたんだなあってことと帰ることを伝えてくれたんだなってことの二つがわかった。
よかったね、と言うと吉沢君はゆっくり教壇から扉に歩いて、でも途中で止まった。
「名前」
「?」
吉沢君は扉の方を見ていて振り返らない。目を見て話す彼だからちょっと不思議に思いながら、いつ振り返っても大丈夫なように吉沢君を見上げて言葉を待った。
少しして、吉沢君が鞄を持ち直す音。
「山口はヨシザワって呼んで」
言葉にぱちくりと瞬いた。クラスにはヨシザワくんが二人いる。吉沢と芳沢で文字が違うから、吉沢君はキチザワ、芳沢君はホウザワってあだ名が付いて呼び分けられている。普段は普通に吉沢君って呼ばれたりするけど二人が一緒の時とか全体で呼ぶときはクラス皆そんな感じだ。
「ホウザワ居ても、俺が呼ばれたって思っとく。そしたらイーブンだろ」
ちょっとだけ振り返った吉沢君が、ニヤリと笑った。口角を少し持ち上げて目を細めた表情は少し楽しげで、あわてて頷く。吉沢君はうなずき返して、片手を持ち上げた。
「行くから」
「うん。いってらっしゃ、あ」
つい行くって言葉に反応して言い掛けてあわてて口を押さえた。こっちをみた吉沢君が無言で、ちょっと恥ずかしい。
「いってらっしゃいじゃないよね。気をつけてかえってね、また明日」
ごまかすように笑ったら吉沢君はすぐに扉に向き直った。あまり言わないでくれるのは優しさだと思う。恥ずかしさをもみほぐすように頬をむにむにしていると、吉沢君が扉を少し鳴らした。
「いってきます、またな」
訂正。言わないで居てくれる優しさじゃなくて、乗っかってくれる優しさだったみたい。扉を閉めるのまで見送って、進んでいなかったペンを持ち直す。
はあ、とため息が出ちゃったのは仕方ない。
「ちょっと、ドキドキしちゃった」
呼ばれたら自分って思うなんて、スマートだなあなんて思う。その言葉はお願いだったはずなのに、私のお願いと秘密を守る約束みたいなのも含めて。普段あんまり話さないけれど、機会がないだけでちょっとお茶目なのかな、とか、色々、色々。
深呼吸して日誌と向き合う。書く内容が飛んでしまった気がするけれど、そんなとっっぴなことは書かないし大丈夫。
大丈夫だけれど笑った顔がまだ残ってて、はあ、ともう一度息を吐いた。
*副音声でお送りします*
*ボリュームの調整にはお気を付けください*
* * *
金田が返す漫画の話で盛り上がっているのをとりあえず置き去って教室に向かったのは、少し気になることがあったからだ。ぶっちゃけてしまえば金田を放って帰ってもよかったのだけれど、今日は山口が日直で一人だった。
そんなに時間がかかることはないと思う、けれど確か帰りに女子から話しかけられていた。手伝うよ、とかならもっと早くに終わってるんだろうけれど、山口の性格から別の可能性もある。山口は人に頼られると自分のことは後回しにしてしまうところがあるし、もしかすると一人かもしれない。
教室の扉は遠目で閉まっている。廊下の電気が付いているから教室の電気についてはあまり違いがわからない。まあ、帰ってる方が可能性は高い。というか一人でいるとしてこの時間じゃ手伝えることもないし不審きわまりない気もする。でも気になるし。見るだけ、見るだけ。
そうして教室に明かりがついているとわかるくらいまで近づいたところでちょっと心臓が跳ねる。どうしようか、といったってどうしようもないというか扉を開くかそのままにするかで、話し声がしないと言うことは山口は一人だ。
金田の話が長いのはいつものことだ。終わったら多分連絡をしてくるから、突然入ってくることもない。人影は他にない。なら。
扉を出来るだけ静かに開ける。滑るように開いた開き戸の後ろが壁にぶつからないように手で押し止めて、教室を見ればやっぱり山口がいた。少し驚いたように見上げてくるのが可愛い。
「忘れ物?」
山口の声は可愛い。高すぎなくて落ち着いていて、尋ねる声の柔らかさをそのまま普段ももっているみたいな声だ。山口らしいと思うし、穏やかに笑い声が混ざるといやされる。今はちょっときょとんとした音で、見上げる表情と相まってかわいさ二倍だ。こっちみて聞いてくれたのが嬉しい。かみしめる気持ちのままとりあえず首を横に振る。
忘れ物じゃない、けど、なんと言えばいいか。山口を見に来たとかいったらどん引きだ。どん引かれたら死ぬ。いやそんなどん引くなんてしないタイプだと思うけどもしも万が一ほらそういうのはあれだ、オトコゴコロってやつだ。想像だけで死んでしまう。
とりあえず突っ立っていても意味ないし、ろくに返事しない俺にも山口は優しいのでさっさと中に入らせて貰う。教室の前から入ったので自分の席からは遠い。けどまあ、それだけでなく今山口が座ってる席の真後ろで、この誰もいない教室で俺が座るのも中々あれかなって思ってやめておく必要からもちょうどいいのだ。あれっていうのはあれだ。うん。ちょっと後ろめたさはあるんだよ。
いつもは閉める扉も開けたままにしておくのとかもそういうのだ。二人きりの教室で扉閉めるとか下心誤解されて怯えられたら泣く。いやどっちかというとあるけど。あるから困るとも言うけれど。いやでもあわよくばお話しできればなあとかそういうくらいなので、そういう、扉しめて云々みたいなのは、その、だめだ考えると落ち着かない駄目な方向に思考が行くのでとりあえず開けておく、それでいい。それでいいとしてほしい。
思考をぶん投げるために鞄を置いて教壇に腰掛ける。どうしよう本を持った方がいいだろうか。でも今鞄にあるのはこの間山口が呼んでた本だ。ストーカーかよ。もしも山口が気にかけて会話のきっかけになったら最高に嬉しいけれど今は困る。読めてない。少し難しくて読むのが遅いから、まだそこかよって段階だと山口も困るだろうし。本は没だ。といっても他になにが出来るというのか。正直山口眺めてバレなければなんでもいいけどちょっととっさに浮かばない。どうしよう。
「誰か待ってるの?」
問いかけてくる山口は相変わらず穏やかだ。気遣わせて悪いって思うけれど話しかけて貰うと嬉しくて仕方ない。テンション上がる。可愛い。可愛いかよ知ってるけど超可愛い。はー、好き。溢れてしまいそうになるものを飲み込み頷いて、慎重に口を開く。
「金田」
そっけないよな俺の声。冷たくなければいいけれど零れすぎても気持ち悪いだろうという自覚がややこしい。多少自覚はあるんだ、俺は多分親しみやすさとかとは違うタイプ。だから山口の声いいなーって思うけど、まあでも親しみやすいだけでいいなってわけじゃない。山口の声は特別可愛い。「そっかぁ」とかちょっと伸ばしながらも間延びしきるとは違うやわっこさとかもう山口可愛い。
ちょっと考えるみたいな山口を眺めてるだけでなんかもう幸せで、いつもと違って教壇座ってるから見上げるみたいなのとか距離もあってテンション本当愉快になっているけれど、山口のペンが中々動かないのが気になる。時間は大丈夫だろうか。暗いと一人は危ないって言うけどまさかそんなこと言ったら一緒に帰るとかああー、金田置いて一緒に帰りたい。
「山口は」
あわよくば一緒になんて、そんなん言えるわけがないけれど一人が心配なのは変わらないから言葉を探す。
「まだか」
帰るのはとかあんまりつっこんで聞くと一緒に帰りたい下心とかなんかよくないもんが出そうなので出来るだけ短く聞くと、山口が笑った。可愛い。いつもにこにこしているけれど空気をだすような笑い方は楽しそうで、この瞬間が奇跡みたいに思える。「もうちょっとです」と笑いを混ぜ込んだような言い方なんてかわいさの固まりだ。最高に可愛い。
「書き始めるのが遅くなっちゃって。でもあと二つ書けば終わり」
遅くなった理由を言わないところが山口だと思う。多分それは山口の問題じゃないと思う。そもそも日直が一人ってのも、まあ当然同じクラスだからみんな知っているとは言えわざわざ言わないあたりとかも山口だ。優しさの固まりかよ好き。
最高に好きだなあと実感するけど問題の解決にはなってない。やっぱり一人で帰るんだし不安とかないのだろうか。一人で帰るの怖がるようには見えないけど危ないし。男女関係なくあんまり遅い一人歩きは危ないんだって先生も言ってるだろ。そこに山口だ。こんなかわいいんだ、かわいさが理由で帰るのが大変とか許される事じゃないけど心配になる。送ってくなんて言えないし。
「、」
帰るの一人で平気かなんて聞いていいかわからなくて、言おうとした言葉はなんとか丸めて飲み込んだ。途中までなら一緒に帰ろうって言えるスマートさが欲しい。そもそも下心ある俺が言っていいのかわからない。
「平気か」
飲み込んだ言葉の最後の部分だけで聞いてみると、不思議そうに山口は瞬いた。かわいい。無防備可愛くてガン見してしまう可愛い。ううん、と首を傾げるのとかもう可愛い。やばい。
「日直仕事はもう終わるし、特に急いでないし……あ、吉沢君が待っているのも、平気。ごめんね私がいると落ち着かないかな」
「落ち着く」
謝られる理由はなくて寧ろ俺が後から来たのに気にされるのは嫌だからあわてて言うと、山口が目を丸くした。驚いた顔のかわいさと一緒に自分の言った言葉のあれさに気づく。一緒にいると落ち着くって色々だだもれだろう。やばい。やばすぎる。
「……山口が平気なら、平気だ」
いろいろ顔も一緒にやばくなりそうで口だけでも覆い隠しながら言う。山口はそれ以上なにもいわないから大丈夫だろうか、気にしていないだろうか。いやでも落ち着くって本当だだもれしている。正確には落ち着かなくて仕方ないのもあるけど、安心するにはなんかもう色々思考が忙しいんだけれどでも一緒にいて落ち着くのは本当にあるので、なんか、もう、これやばいだろう。
少し考えるようにペンを揺らす山口は相変わらず可愛い。
「吉沢君の落ち着いたところ好きだから、私は平気」
とか思ってたら爆弾ぶち込まれた。なん、なんだ。なんだそれ。とりあえず今の録音していない俺が悔やまれるというかどちゃくそやかましい頭の中の自分の声すら滅ぼしたい。好き。好きって言った。ライクなのはわかってるけど山口が!! 好きって!! 言った!! 無理!! 好き!!
落ち着いているかどうかで言ったら全力でテンションがやばいけど落ち着いて見えてそれが好きなら俺はがんばる。というか全力で今頑張ってくれ俺の表情筋。俺が笑うと気味が悪いらしいし本当頑張って。頼りにしてる。
というか気味が悪いって言った妹は中々ひどいと思う。山口を見習ってくれ。いやでも山口が妹だとこれやっかいになるから妹に欲しい訳じゃないんだけれど。気持ち悪いも傷つくけど気持ち悪いじゃなくて気味が悪いって本当ちょっと傷つき二倍ってとこあるぞ。でも客観的理解は助かるから妹の言葉は大事にする。気味が悪いなんて山口に思われたら死ぬ。山口が好きって言う落ち着きある俺頑張って。無理。吐き出さないと死ぬ。
「落ち着いている、か」
かろうじて絶叫ではなくて復唱になったので俺頑張った。落ち着いている。山口がそういってくれるのは嬉しい。でも実感としてはちょっと違う。いやちょっとか? 俺煩いしな。いやでも妹が喋らない分父さんよりはマシ、言ってたから落ち着いていいのか?
「落ち着いて見えるけど、違う? 嫌だった?」
「嫌じゃない」
とりあえず山口が好きって言う落ち着きは大事にしたい。違うなんてそんな好きって言われた場所が違うとか俺が泣いちゃうので全力で否定する。というか山口に好きって言われて嫌なわけない。にしてもどう答えればいいかわからない。
「……落ち着いてる、とか、あまり言われないから」
とりあえず返事になりきらない事実を言う。落ち着いているなんて言われないのは事実だ。なに考えているかわからないは言われる。女子からビビられているのも知ってる。近寄りがたいもあるな。山口はそれをポジティブに言ってくれて優しい。そういうとこも本当好きだ。はー、いいやつ……。好き。
「いつも落ち着いているなあって思っているよ。教室の扉ちゃんと休み時間終える度閉めてくれてるのも嬉しいし、プリント受け取るとき丁寧だし、きちんと名前で呼んでくれるし、大きい音立てないでくれるし」
教室の扉を閉めるのは山口がやるからで、俺はただの真似だ。いや開けっ放しだとわざわざ閉めに来てくれて隣通るから悩んだけど、手間どらせるのもなあって思ったという中々褒められない悩みをしていたあたり罪悪感ちょっとあるけど。でもそれを嬉しく思ってくれるなら私欲だけに走らなかった俺偉い。褒めとく。
プリントはそりゃ回すだけってわかっててもやっぱ山口がくれるし大事に貰うだろ。山口も渡すとき丁寧だし、可愛いし、紙越しでも接触機会多くあると嬉しいし。こんなこと考えてるのバレたら気持ち悪がられるだろうか。言わないし触れないから許して欲しい。ごめん。名前はそりゃ呼ぶし音だって、と考えて、名前、ともう一度繰り返す。
下の名前は呼んでない。名字という意味の名前で、それをわざわざ言うことがちょっと気になった。山口は、あだ名で呼ばれることが多いから。
「……名前」
確認するように繰り返すと、山口が苦笑した。困ったような表情は仕方なさを含んでいて少し大人っぽく見える。それが少し寂しい。
「プリント渡すとき、小さく名前で呼んでくれるよね。声をかけてからってところ丁寧だなって思うし、山口、って呼んでくれる人あまりいないから」
微苦笑、という言葉が似合う山口の表情は、微苦笑という言葉の美しさを教えるみたいだった。読んだ本で滑った単語が、ようやく形を成して理解できた感覚。それでも山口は、言葉を続ける。
「一学期だけだったのに、副委員長、って言われる事のほうが多いから。一年の時からそういうのあったから慣れちゃってるけど、名前で呼ばれるのはちょっと嬉しい」
最後は微苦笑じゃなくて静かな嬉しさで安心した。あと、それなら俺が特別みたいで俺はもっと嬉しい。何度だって呼ぶ。いや呼ぶ機会あんまりないんだけれど。山口って呼ぶ。呼びたいし、呼ぶ。下の名前だって許してくれたら呼びたいけどさすがにこれはだめだ。外堀埋めるみたいでずるいし。でも名前呼ばれたら俺嬉しくて自分の名前大好きになってしまいそう。いや今の名前も出席番号前後になれた時点で大正義だったけど。
「あ、でもこんなこと言うとみんな気にしちゃうから、秘密、ね」
つらつらと思考していたらそんなこと言われて、もう、俺今日死ぬのかな。小さい子供にするように指を唇の前に立てた山口はまるでお姉さん、という感じなのに、どこか秘密を共有したがる子供っぽさにも見えた。えっ可愛い。奇跡の可愛さ。秘密だって。秘密。二人だけの秘密。いや二人だけって言ってないけどちょっと妄想したって許して欲しい。秘密。テンションがやばい。顔がにやけてしまうやばいほんとやばい。立てた指を折り畳んで隠すのも全部可愛い。なにこれ可愛さの上限知らずかよ。少し恥ずかしがるような感じも可愛い。えっ照れてる顔みられるとか本当俺死にそう。
可愛さににやける顔を押さえ込むのに必死になっていると鞄が揺れた。そのまま横着して鞄の中で端末を確認して、金田からの連絡にスタンプで返事をする。山口が心配だけど一緒に帰るわけには行かないし、俺が居ると進みも悪いだろうし潮時だ。あと確実にこのままいたらなんかやらかしそうだ俺。
「帰り、平気か」
それでも最後に、と、なんとか下心を隠しまくって尋ねる。山口は相変わらず優しい顔で笑った。
「ありがとう。駅からすぐだし、平気だよ」
平気、というのに無理に心配を重ねてもまずいだろう。仕方ないし頷いて、金田が終わったことだけを伝える。「よかったね」と頷く山口は優しくて可愛い。はー、金田の長話も悪くない。帰りにジュースでもおごろう。
扉に向かう途中、さっき言わなかった言葉がちょっと浮かんだ。帰りに、いい逃げみたいになる。なるけど、秘密。二人だけの。いや二人だけじゃないけど秘密で、守るって言ってなくて、俺は二人だけにしたくて、
「名前」
山口の方を見るとまたへんな顔しそうになる可能性があるからみれない。けどこう、今なら許されるかなとかいや許すって誰がとか考えながら言葉を探す。山口を山口って呼ぶのが俺くらい、なら、俺も。
「山口はヨシザワって呼んで」
返事はない。ドキドキする。芳沢ってやつがクラスにも居て、名前の読みも同じだから吉と芳で呼び分けられている。俺はキチザワ、芳沢はホウザワ。で、まあ大抵どっちかわからなそうなときはそのあだ名を親しさ関係なく全員使うわけだけれど。もし、もしできるなら。山口が呼ぶのは俺がいい。
「ホウザワ居ても、俺が呼ばれたって思っとく。そしたらイーブンだろ」
なにがイーブンなのかはわかんねえな! と思いながら横目で山口をみたら不思議そうな顔をしていて、好き、とか、秘密がリピートされてしまって表情筋が手放された。にやけてしまったこの悲しさ。でも山口は頷いてくれて気味悪がってないから優しい。もう慌てて頷くだけで可愛い。これ以上居たらやばいが更新され続ける。
「行くから」
「うん。いってらっしゃ、あ」
あ、という言葉に山口をみる。いってらっしゃいって夫婦みたいじゃないかってやばい妄想しかけたけど、口を押さえてちょっと頬を染めた顔が可愛すぎて色々すっ飛んだ。
え、やっぱり俺今日死ぬの?
「いってらっしゃいじゃないよね。気をつけてかえってね、また明日」
照れ笑いで訂正する山口超可愛い。これはそっとしておくべきかわからないけど、また明日もすごく嬉しいけど、いってらっしゃい、と、途中で覆ったとはいえ言ってくれたわけで。
さっきの声がぐるぐると巡って、なんだか俺だけへの特別みたいな妄想を手放すにはどうにも腹の中が収まらなくて。
「いってきます、またな」
いい逃げのように言い切って、山口の表情を確認せずに廊下にでる。扉を閉める音は大きく鳴りすぎないように気を使ったけど、いってらっしゃい、がぐるりとめぐって、いってきます、で。
(事故には気をつけよう……)
盛大ににやけてしまうものをなんとかなだめながら金田に合流したら、気持ち悪いと言われた。気味悪いって言われるのが二倍って考えはしたけど気持ち悪いも傷つくし、妹と合わせると結局どっちもで最悪だと思うんだけど!!
とりあえず表情筋を鍛えよう、動かさない方向で。と堅く決意を改めつつもかみしめるものが多すぎてどうしようもなく、ままならないのがオトコゴコロなのだろう。
(2019/04/21)