@toasdm
それは彼なりの嫉妬なのだということを、彼女は漸く理解した。普段から表情の変化に乏しい彼の、ちょっとした変化から表情が読み取れるようになるまでにはなったものの、よくよく観察してみなければ、それは嫉妬であるということまではなかなかわからなかったものだから、時間がかかってしまった。言わなければ伝わらないことがある、ということを理解できていないとは思えないが、それが嫉妬ともなると、なかなか口に出しづらいところなのだろう。荘一郎の横顔に、彼女はほんの少しだけ、くすっと笑った。
「何笑ってるんです?」
「いえ……っふふ、ごめんなさい」
可愛らしい、なんて言おうものなら、夜はおそらく、とんでもないことになるだろう。沈黙は金、と彼女は言及を避け、さてどうやってこの、わかりにくい仏頂面をする恋人の機嫌をとったものだろうかとハンドルを握りこんだ。
思い当たる節は、あるにはあった。
彼らの仕事の打ち合わせで訪れたカフェ、ディレクターおすすめだというケーキを一口食べて、彼女は心底おいしいと言ってしまったのだ。ちょうどそこに、運悪く(あるいは運良く)とおりがかった荘一郎に見咎められ、彼女はばつの悪い思いをする羽目になった。それでも、いくら仕事相手とはいえ男性と二人でカフェで親密に(実際、ディレクターには昔からよくしてもらっていたがそれはあくまでも仕事の上での話で、プライベートでは全く関わりがない)話していたことよりも、そこで食べたケーキがおいしかったという事情でヤキモチを妬くというのが実に荘一郎らしい、と彼女は笑いをかみ殺しながら駐車場に車を停めた。
「東雲さん」
つきましたよ、と言っても、荘一郎は動こうとしない。それどころか、サイドブレーキを引いた彼女の手首をぐっと掴んで離さないのだ。
「あの」
「今はまだ二人きりですし、荘一郎でええですよ」
「……」
これは、相当におかんむりだ。外で食べたケーキに嫉妬するなんて、とかみ殺しきれなかった笑いが漏れそうになる彼女を掴んだまま、荘一郎はじっと前を向いて呟く。
「……あなたのことですから、ケーキに嫉妬してるなんて思ってるんでしょうけど」
「え」
違うの?と思わず口走りそうになった彼女の方へ体を向けて、荘一郎はやや強引に、彼女の顎をぐっと掴んで自分の方へと向けさせる。
「いくら私でも、無機物相手にそこまでではないですよ」
以前冗談めかして、私の作るものより外のがいいなら今度から買ってきましょうか、と言われたことがあったから、てっきりそういう嫉妬だとばかり思っていたのだが。
「……多少は、妬けますけど」
その多少の加減はどの程度なのか、やはり彼の表情からは窺い知る事が難しかった。でも、と顔を近付けて、息がかかるような距離で文句を言われても、彼女にはわからなかった。真意がつかめなかったというよりも、ドキドキしすぎて、頭がうまくまわらなかったのだが。
「……この唇に触れていいのは、私のケーキと私だけです」
顎を掴んだ手の親指で、荘一郎はそっと彼女の唇をなぞる。んっ、と甘めの吐息が漏れたそこを、強引に、奪うように、噛み付くように荘一郎の唇が塞いで、彼女は思わず目を閉じた。ずるりと滑り込んできた舌は彼女の口の中をリセットするように縦横無尽に動き回って、はぁ、と離れた時には二人の間に、つぅ、と銀糸が張った。
「あんまり、妬かせんといてください」
「う……」
「私以外の男とあない仲良ぉ喋らはって……どうにかなってしまいそうやわ」
それは誤解です、と弁明しても意味がないことは明白だった。実際にどうだったかというよりも、どう見えたかの方が問題なのだから。すみません、と素直に謝る彼女の手首をぐっと引き寄せて、荘一郎は彼女の腕時計を少しずらしてそこへ躊躇なく歯を立てた。
「っ!?」
「……私のもんですよ、全部」
所有の印をつけられた手首は、腕時計でするりと隠される。あわあわと真っ赤になって慌てる彼女を解放して、荘一郎は車を降りた。
「プロデューサーさん、何してるんです?」
促がす彼の表情が楽しそうに見えたところからすると、どうやら満足はしたらしい。なかなかに激しい自己主張をうまく隠した荘一郎の、これが嫉妬の証なのかと、彼女はまだ少し痛む手首をそっと撫でてから車を降りた。
驚いたことに、不思議と悪い気はしなかったし、むしろ少しだけ、気分はよかった。