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「空白」

全体公開 3971文字
2019-05-04 23:54:28

それは、どんな人にでもある、ぽっかりとした、すきま。



「もしもーし!蝶野ですー」
終わったら電話しろと超自我に言われていた蝶野は、念の為、2つ先の駅で降りて、ホームで番号をうちこんで電話を耳にあてた。ツーコールもしないうちに出たその人は、電話先からでもわかる不機嫌さだった。
……随分遅かったじゃないですか。」
「ちょっとお話が長引いちゃってー」
変な沈黙。いつも通りのペースで言っただけなのだが、ダメだっただろうか。
…………今どこですか」
「2駅分離れた、えーと、〇〇駅です。」
……分かりました。行きますから」
「あら。いいですよーわざわざそこまでしなくてもー」
また沈黙。最近超自我さんも疲れてるよなぁ、と蝶野は考える。担当の哲学人でもあり、仕事の相棒でもあり、自分を知って受け止めてくれる人でもある彼の調子が悪そうだということは彼女も気がかりだった。できるだけサポートはしたいが、なんでもないと言われてしまう。
…………待ってて」
ぱっと、沈黙を割いたその言葉に反応する前に、通話が切れる。
仕方が無いので蝶野も携帯をポケットに入れて、改札口の方へ歩き出す。
こういう人が潰れやすいんだけどなぁ、と彼女は眉を顰めた。


喫茶店が近くにあったので、とりあえず時間を潰すために座った。今日の分析もとっととしてしまおうという魂胆だ。ノートパソコンを開いて、文字を打ち込んで、と、店員さんが尋ねてきたので注文について思い出す。……お菓子、貰ってくれなかったなぁー。
初めはそんなものだ。
蝶野は偶然発見した豪華なウィンナーコーヒーを選ぶ。チョコレートがかかっているらしい。コーヒーにチョコは合うけれど、果たしてこうやってかけると上手くいくのか。彼女はこういったちょっとひと手間加えたものが好きだった。美味しさが変わるかは分からない。でも、外れることはない、日帰り旅行のような。
ついでに周りを見渡す。手帳を書き込んでいるおばさま、談笑している老夫婦、疲れ果てたおじさま、仕事の続きをしているお兄さん。みんなそれぞれ、どこか疲れているように見える。一日が終わる数時間前だからだろうか。
パソコンを開いて、電源を入れる。その光はオレンジ色の中では眩しすぎて目がくらむ程だった。


カウンセリング記録
4/3/20■■
担当:蝶野
クライアント:祖久世 治郎

「クライアントの身体的情報」
かなり憔悴していると思われる。目の下の隈が睡眠状態の悪さを示している。
この時間までの仮眠は疲労状態であるからだと推測。
身だしなみの状態から見るに(寝てたからでもあるが)本当に無頓着な性格なのだろう。
眉間に力が入っていた。瞬きの回数が多かった。

「クライアントの状況」
不安定。初め勘違いをしていた時から緊張、警戒、突き放すような言動が目立つ。
心にゆとりがないのだろうと推測。
何をやったか知っていると話すと、逆上し、あからさまに人を避けようとする態度を示す。
その後、なんの用で来たのか、知らないなら同情するな、自分のことがどうでもいいなら関わってくるなという趣旨の発言。
こちら側が相手の話を聞くと、何故今そういう(態度をとるのか?)と言った発言。
それから関係性を指摘し関わりを離そうとする姿勢。落ち着きがない他、軽いパニックと判断し落ち着くよう促す。
カウンセリングという形態を取っていない以上、ただのお節介としか言い様がない。
こちらが普通に話していると相手も落ち着いてきた。
お節介という所までは信じてくれたらしい。次にこちらを心配する形にして忌避行動を正当化しつつ応答。
落ち着いて来たと思われたが、その後も正当化内容を聞きつつ意図に乗らないようにしたところ激昂状態にもどり腕をつかもうとしたため注意。
逃避行動により強制終了。

「分析」
予想以上に体調が良くなさそう。睡眠と栄養を取るように指示したい。
とりあえず食べ物や飲み物を持っていくのは継続する。
祖久世さんは労働環境外でも研究を続けていることが多かったため、過労も心身をむしばんでいると予想される。
まずは休息を得てもらい、ある程度良くなってからカウンセリングに取り掛かりたい。
初回にかかわらず明瞭になっている問題点は
・衝動性の制御が効かない
・感情の波が不安定
・人に対しての不信感
の3点。いずれもが経験によって紐づけられ強化されているものと言える。これらを治療する際、本人の認知が最優先。が、これらは感情の波であるため本人は正常であると思い込んでいる可能性が高い。そのため、数回の接触を試みてクライアントの心を開きつつ、少しずつ問題点の根元を突き止め、それに対しての認知と正当なアプローチを促していきたい。また、これらの症状は二次障害である可能性が高い。そのため、認識の仕方と生涯関連の認知につなげ、薬物療法でよくなるものは投薬にもつなげたい。

「今後の流れ」
クライアントからこちらと対面してくれるよう促す。取り合えず、食べ物をおすそ分けしたい。一人暮らしだとぜいたくしにくかったりもするから、嗜好品は喜んでくれそう。
話ができるようになり次第、カウンセリングを開始したい。



自動ドアが開き、ベルが鳴る。
待ち合わせなので、という聞き慣れ声とともに、蝶野のもとに帽子を被り、ブレザー姿の男が現れる。
蝶野はパソコンを閉じた。
「すみません、夜遅いのにー」
先程とは少し違う、緩い笑みを見せた蝶野に、超自我もうっすらと笑った。でも、すぐにムッとした顔に戻る。
……まーた、業務時間外に。熱心なのはいいんですが貴方は無理したらダメな人でしょう。ほら、帰りますよ。」
いつの間にか超自我に荷物を持たれ、あとはパソコンが入っていた方のバックのみが、蝶野の所に残される。
「あ、すみませんー」
「そりゃ僕は手ぶらですし、英国紳士っぽい見た目してますし。このくらいはしますよ。」
……そういう理屈なんですー?」
「帰りますよ。」
急いで荷物を詰めたカバンをもち、上着をきた蝶野の様子を見て超自我はすぐに店の外まで出ていこうとする、と、振り返って
「意外と終電間際ですよ。」
と、念を押すかのように言った。
蝶野はそれに続いて、ぴったりに用意したお金を払い、店員に軽く会釈して追いかけるように店を出た。


夜の電車は混んでいた。
一つだけ空いた席に蝶野を座らせ、超自我はその前の吊革に捕まって彼女を見る。
小さく見える彼女は、腕いっぱいに荷物を抱えてぼーっとしている。光の当たり方か、目の下に影がある。気だるげに揺らぐ、彼女の瞳。
「蝶野さん」
「はい?」
それも呼びかけるといつもの明るさに戻る。いつもの彼女に戻った姿が、超自我はなぜだか少し痛々しく思えた。
帽子の影が超自我の目元にもかかっている。電車が揺れて、人がぶつかる。
……本当に続けるんですか。」
超自我は彼女の目元を見る。
「ええ。もちろん!」
彼女は疲れを吹き飛ばしたかのように笑って言った。声も、同じように。
超自我はつり革を握りしめる。その手にすこし汗がにじむ。
「手を掴まれたんですよ……。」
蝶野の明るさから目を逸らし、後ろの窓に映る彼女の影を見る。
「掴まれてないですよ?」
笑顔で優しく美しく振る舞う彼女の反射は、小柄で、丁寧に編まれた髪が少し緩んでいて、夜景をうつし、うっすらとしていた。
それでも、彼女は笑う。
なぜだか納得がいかなくて、超自我は問い詰めた。
「でも、掴まれそうだったんでしょう?」
にこやかに笑った表情が驚きをもったものに変わった。超自我は周りを確認するが、大声を出しすぎてはいない。きょろきょろとした超自我を見ていた蝶野は、その行動に対して安らいだのか、また、軽く笑う。
「ふふ、なに言ってるんですかー。

そんなの、よくある事でしょう?」

超自我は、一瞬動きを止めてしまった。
いや、そうだ、確かに僕らはそのような環境で働いている、いや、でも、でも、だ。
彼の中で、彼の、個人的無意識がさざめく。
それは、慣れてはいけないものではないか。
そんな彼を見て蝶野は様子がいつもと異なることに気が付く。と、また不思議そうな顔をしたまま、目の前
「?……どうしたんですかー?疲れちゃったんです?」
それでも彼は考えていた。
寄せ集めは、標本箱は、隙間が多い。
それが美しさと言う人もいるが、そんなことどうでもいいのだ、と、言葉がよぎる。
人間の隙間は、心の隙間は、空白なのだ。行間では、ないのだ。
……蝶野さん。」
超自我は、座っている蝶野の方を見る。
「はい?」
蝶野はにこやかに笑った。
……。」
超自我が言葉を探しているうちに電車は駅に着いた。
沢山の人が出ていったが、蝶野と超自我はまだここでは降りない。
席の周りの人もいなくなって、そこに彼も座る。
座ったまま、同じ方向を見つめ、そのまま景色を見る。
……空白を埋めるのは難しいですね」
ふと、そんな言葉が口を出た。
「そうですよ?だから、ゆっくり、色んな人に幸せを分けて貰えるよう、手伝うんです。」
蝶野はそうやって隣に座った彼の手を握る。
…………
超自我は黙ったまま、握り返して、潰しそうな気がして、手を少し緩めた。
「このお手伝いが少しでも、空白を埋められたらいいんですけどねー!」
彼女は天使を見て笑った。
……そうですね。」
天使は、反射に映る蝶を見つめていた。


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