@corona_moca1111
正午過ぎ、カウンセリングルーム近辺の、別の部屋。
医務室にしては柔らかい雰囲気の部屋の中、蝶野は、パソコンに文字をうちつつ、ご飯を食べつつ、部屋の住人に話しかけていた。
「はいほはんひいへふははいほー」
「ちょっとわからないけど、聞いてるよ?」
この研究所勤務のもう1人の「心のお医者さん」である西湖は、きちんと座って作ってきたのであろうお弁当を広げている。
蝶野は口に挟んだパンを飲み込んだ後、
「分かってるじゃないですかー。エスパーです?」
と続ける。
「いやいや、偶然。んで、何かあった?」
西湖がそう言うと、蝶野はペットボトルのお茶を飲み、大きくため息を吐いた。
「報告書がぁー……ボツになっちゃったんです…………頑張ったのにー……」
「え、あれが。」
「そうなんですよー全くー。」
「……困ったねぇ。」
「本当ですよー。このままほっといたらまた同じような事案が起きても、誰もなんにも言えないですよ?もぉー」
蝶野は文字を打ち込みながら、次の1口を片手で放り込む。
「……器用」
それを見ていた西湖が、呟いておかずを口を入れる。手で口をおさえつつ、
「んで、なんて言われた?」
と話の続きを促した。
「なんか、なぁなぁにされたというかー、すまないけど、証拠不十分でとか言われて。」
「証拠は充分あるねぇ」
「ですよねー?ってことは流されたんですよね、はぁぁー。なんですか?資格とりたてだから?」
蝶野が眉間に皺を寄せている。西湖は軽く苦笑し、続けた。
「……そうだねぇー。試しに私の名前で出してみる?」
蝶野は食事も作業も止めて西湖の顔を見た。
「……ホントですか?」
「だって、これは通さないとー。名前が私で通っちゃうから、申し訳ないのだけれど。」
「大丈夫です、それよりも変わらないまま同じことが起きる方が困るので!」
蝶野の言葉には、まるで今までないような芯の強さがあった。
カウンセリング記録
04/22/20■■
担当:蝶野
クライアント:祖久世 治郎
「クライアントの身体的情報」
憔悴していると思われるが、前回記述したよりも改善はされている。
信頼関係が築けたことにより緊張状態は激減。
「クライアントの環境情報」
部屋に入ることができた。
靴は二足ほど確認。研究所で履いていたであろう業務用の使い古した長靴と、フォーマルな革靴。あまり外に出ないのであろうと推測できる。玄関は靴以外特に物はなく、靴箱の上のほうにほこりがたまっていることから掃除もあまりしていないことが分かる。キッチンには水垢などの汚れや生活感がなく、かつ食器はそこそこたまっている状態。奥の部屋もうかがうことができるが、そちらは廊下側とは比較できないほどものにあふれている様子。ものが散乱している、ごみが放置されてる、等確認。片付けが壊滅的に苦手……?
「クライアントの状況」
終始落ち着いた対応をとっている。
言葉の意味を捉える際、捉え損ねる、または考えすぎる傾向がある。(間接発話行為が苦手)
睡眠時間・食事・清掃等に無頓着(セルフネグレクト)
「指導内容」
ご飯を食べること。野菜もしっかりとること。栄養分を考えること。
きちんと寝ること。眠る時間を決めること。深呼吸をすると寝やすくなる、等
今回は生活指導に終止。
「分析」
食べ物や飲み物を持っていくのは継続する。
問題点
・衝動性の制御が効かない
・感情の波が不安定
・他人に対しての不信感
・セルフネグレクトの傾向
・発話意図の理解・間接発話の不自由
・片付けができない(関連事象)
何らかの発達障害の傾向。まだ言い切れないが、片付けができないことや衝動性などをとる、かつそれを配慮しようとすることからADHDに該当する可能性は高い。感情の波があるというのもここに含まれるが、大きなブレは二次障害。不信感は二次障害と断定できるが、本人の自己評価等の関連性を調査したい。発話意図の読み取りに関しては別の発達障害や性格障害の関連もありうる。その他、前報告書の内容も加味して考えていきたい。
「今後の流れ」
次回からカウンセリングを開始する。まずは直接な要因となった衝動性や動機から話を進めたいと思う。
「それにしても」
西湖は蝶野が作業しているのを見ながら言う。蝶野はちょうど書き終えた記録を保存しつつ、その声に反応する。
「はあい?」
「今日はなんだか大人っぽいね、蝶野さん」
蝶野は意表を突かれた顔をして西湖の顔を見る。
「そうですかー?」
「いつもより赤いリップで、いつもより濃い色の服でしょう。」
蝶野は自分の服装をもう一度見直し、顎を指でかく。
「たしかにー、そうですねー」
蝶野は服の上下どちらかに明るい色を置くことがおおかった。もう片方も混色や白を用いて統一し、アクセサリーや化粧のあでやかさはあまりつけない。しかし、今日の服装は意図したわけでもなく、偶然例外に収まっていた。
「でも、うまいね、黒いのに喪服っぽくなってないし、かといって派手じゃなくて。」
「えへへ、ありがとうございます。なんとなく、選んだんですけど。」
そう、なんとなくだった。赤い色のベルトも、黒い色のワンピースも、色を合わせた口紅も。レースがきれいで、丈も長めに見える、ふわっとした、それでも白衣に響かない形。その上に注目をひく、赤いエナメルのリボン。首元まである襟にも小さな花があり、金色のささやかなアクセサリーが魔法の粉のように光る。
「どこかにお出かけでもするの?」
西湖さんの言葉。確かに少しフォーマル目で、そんな雰囲気を漂わせていたかもしれない。
「いいえー。どうせだったら、って気持ちにはなりますけどねー」
蝶野はそういって、ポケットから甘いチョコレートを取り出し、西湖の方にも差し出した。
受け取ってありがとうと告げ、西湖はまた、すこし含みをもって笑った。
「……彼とお出かけしたらいいんじゃない?」
蝶野は首をかしげた。……と、少し瞬きを繰り返し、ふわっと赤くなった。