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「諦念と夢景色」

全体公開 3311文字
2019-05-08 23:20:03

遅れている分の記録を書くため、その日蝶野は夜更かししていた。仕方がなかったし、明日は別の場所に行く必要すらあったのだ。今日やるしかないと心を括り、色々やったのはいいが、大分無理をしているのか、ふわふわと視界が揺れる。自分の部屋の気温が下がってきて、冷たくなった足を擦る。手も冷える。またぼやけた目を擦って、文字を打ち込み、眠気を、とっぱらって、
……と。
後ろに気配を感じて振り返ると、そこはもう自分の部屋ではなかった。
電車の駅。この前喫茶店から移動した先の駅だ。
周りが花畑になっていること以外は。
元の場所を見ると机が消えていた。仕方なく立ち上がって椅子をどけ、駅の方に歩く。と、その椅子は駅前のロータリーにあるベンチだった。
駅前で彼が待っている。
…………こんな夜遅くまで資料をまとめてたんですか。そりゃ、倒れますよ。……
いつもよりも低い声、負のエネルギー。羽を広げているのは夢だからだろうが、その羽すら傷ついているように見える。上がりきっていない羽は折れているようにも見えた。
彼はそのまま蝶野の腕を掴み、改札口を通り抜ける。蝶野はそのままつられて行く。彼の方を見ても、超自我は1度も彼女を振り返らない。駅のホームまで上がると、人らしき影すらもなく、電車の影もなく、ただ、白く薄暗い明かりだけが周りを照らしていた。
彼はベンチに座り、下を向いたまま、腕を掴んだ手を掌に移して、手を握った。
…………。」
蝶野は見える位置にある時刻表を見る。そこは全くの白紙だった。彼が来ない電車を待つはずがないと知りつつ、手を掴まれているから、と、となりのベンチに座る。ひんやりとしたプラスチックが、体を冷やしていく。
待ち合わせた場所は地上駅だったはずだが、いつの間にか地下鉄のどこかの駅になっていた。茶色いタイルが煉瓦のように積み重ねられた壁。錆びた線路。右を見ても、左を見ても、あとも先も真っ暗なトンネルが塞ぐ。
また彼を見る。
帽子の影で顔が見えない。
服に汚れと、擦れた跡が沢山。
……。」
二人の間に沈黙だけがあった。
蝶野が手を握り返すと、彼は少し緩めて、そのあと、指を広げる。蝶野の手に触れようとして、その手が震えて、離れてしまった。
超自我の方を彼女は見る。
震えた彼はその手を組んだ。組んでもまだ震えていた。
蝶野は繋いでた手で頬杖をついて、少し下向きになった目線から彼を見た。顎にその手を移動し、下から、目を向ける。
綺麗な金色の髪が錆びているように見えた。
浅瀬のような目が、震えて波立っている。
これが夢だからか、蝶野がそう理解しているのか、彼女には区別はつかなかった。でも、きっと彼には助けがいるということだけは分かる。
彼女は立ち上がり、彼の前に来て、頭をゆっくりと撫でる。
……よしよし」
……彼は一瞬蝶野の方を見て間違えたかのように別の方を向き、そのまま、目をつむって、他所を向いた。震えがつたわって、彼が何かを抑え込んでいる、その波を、蝶野は手に感じていた。
突然、撫でている腕を彼は掴んで止めた。
……………夢、だから。どうせ忘れちゃうんですよ。」
彼の瞳の中は深く沈んでいく。腕にかかる圧が強くなっていく。
キリキリとした痛みが走るなか、蝶野はただただ黙って彼を見つめる。
「このあとだって…………残らないんです……のこらないんですよ…………
彼はもっと握る力を強くした、強くして、強くならずに震えた、震えて、それでも彼女の腕を離さず、離さないで潰さないように。蝶野の腕には赤い線が残った。それも、時間の経過とともに変色していく。彼の瞳から透明な水が落ちて地面にあとを残す。
ふわっと、風が吹いた。
蝶野は彼の肩にもう片方の手を置いた。と、ふと起き上がった彼を自分にゆっくり倒れ込みさせ、背中をさするように手を後ろに回し、帽子のつばを避けて、頭の上に、おでこを、こつん。
腕の痛みが消えた。
そのまま時が止まった。
蝶野は目を閉じていた。彼がそこにいることだけが分かった。自由になった腕を彼の肩にまわす。ぎゅ、と、抱きしめた。
超自我の息を飲む音、と、ともに、彼は片方の手を蝶野の背に、ゆっくりと、震えながら、と、力尽きたかのように、置いた。
蝶野は超自我に対して優しく語りかける。
背中をさすりながら、彼の啜り泣きを、聞きながら。
…………疲れ、ちゃった?」
彼は答える代わりに、背中の服をきゅっ、と掴んだ。
「そっか。」
背中をさすりつつ、もう片方の手で、頭を撫でた。
「別に、夢じゃなくても、いいんですよ?」
……
蝶野が整えるにしたがって、彼は落ち着きを取り戻していく。取り戻して、彼はその体制のまま、蝶野のことも抱きしめ返した。
「ふふふ、はいはい。」
蝶野は両手をまた、彼の後ろに回した。
「僕は……
「ええ」
「超自我、なので。ホントは駄目なんですよ。こんなこと。こんなに、…………我儘に動くのは、僕じゃないんです。定義が崩れる、から。僕は……。」
その発言と真逆に抱きしめる力は強くなる。
蝶野は彼を、柔らかな眼差しで見つめる。
……でも、えっちゃんさんは、自我も持ってるでしょう。」
……我慢、して……。」
……頑張ってきたんですね。」
そう………しな、きゃ、……駄目だから」
蝶野は彼のことを抱きしめ返した。彼のように力こそ出なかったが、それでも。
抱きしめあった温かさが広がって、なんだか穏やかで。呼吸のペースも、心臓の鼓動も、同じになった気がした。
ゆっくりと、抱きしめた手を元に戻した時、超自我も蝶野も、お互いの顔を見て、目を合わせていた。彼の瞳の海はどこまでも青く、どこまでも深かった。蝶野が微笑みかけた。彼も、哀しそうに、でも、少しの喜びと共に笑った。
電車の駅が、いつの間にか地上駅に戻って、周りは花が咲き乱れて、線路も、地平線も、どこまでも続いている。
「夢、」
蝶野は呟いた。風がふきぬける。花びらが数枚舞って、飛んでいく。
超自我がとなりの席に手をとんとん、と示した。蝶野はそこに座る。
…………「かみさま」に教わって僕も少しいじれるようにしてもらいました。……そうじゃなきゃ、……居場所が、なくなる気がしたんです。」
超自我は言いにくそうな声だった。それでも、彼が景色を見る目はどこか、満たされているようだった。
「そうですか。……花畑に駅。なんだか、ロマンチック。ふふふ。」
蝶野は漂う春のような麗らかさと、そよぐ緩い花の香りに微笑んだ。
超自我はそんな蝶野を横目で見ていた。
いつも通り、優しい瞳と、困った顔で。
そんな彼に蝶野は向いて、笑顔を向ける。
「哲学人だからといって、役割に縛られなくてもいいんですよ。それ以前に人なんですから。私はえっちゃんさんは、えっちゃんさんとしか見ていないですし。」
すらっと、そんなことを言った蝶野に、彼はまた下を向く。下を向いて、そのあと、彼は蝶野の目を見た。そして、そのまま、
彼女の頭を引き寄せ、額に、口付けた。
また急に彼は手を離し、座り方まで直して下を向く。蝶野は突然のことに驚き唖然として彼を見つめる。
「どうして」……ここまで言って、言葉を手の合図で遮られた。
…………夢だから忘れますよ。」
超自我はそう言うと、いつもよりもいたずらっぽく笑った。心からの笑みだと直ぐにわかった。
蝶野は照れくさくてそっぽを向いた。その後、しばらく蝶野は話すこと、感情の整理で頭が忙しかった。全てまとまって、また向き直った時。
隣には誰もいなかった。


……朝が来て。
蝶野が目を覚ました時、彼女は布団できちんと横になっていた。眠気眼を擦って、ふと、おでこに手を置いた。
その後、隣にあったぬいぐるみを抱きしめる。
「夢……
辿っても、辿っても、出てこない。しかしながら、何故か幸せな気持ちがした。そう、これがあったのは蝶野にとって初めてではない。蝶野の記憶の中で、目覚める前、幸せを恵んだのは。
……天使」
蝶野は微笑んだ。春の香りが、どこからか漂った気がした。


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