@KLEAM_SAN
【Nice to meet you】
キャメラ・トリートマンは、カムパネルラの新しい上司である。同胞というわけでも、主人というわけでもない関係は、彼にとっては物珍しいものだった。
大鐘堂軍に勤める衛生兵、しかして作戦によっては魔法兵の役割も果たす。放つ赤魔法は強力無比、奏でる青魔法はオールマイティ。治療の詩も扱えるがそれに頼り切るでもなく、外科医としての腕も申し分ない。ただし以前のラクシャク侵攻の際に随分な無理をしたらしく、戦線が落ち着いていることもあって、現在は医務室の管理を主な職務としている。
彼女の周囲から聞こえる兵士としての評判は、このようなものだ。多少尾鰭のついている部分もあろうが、カムパネルラの見る限り、そう実際と差異があるものでもない。
キャメラ・トリートマンは、優秀な医師であり、レーヴァテイルである。
キャメラ・トリートマンは、カムパネルラの最も新しい友人でもある。明確にそういう宣言をした覚えはないが、単なる上司部下以上の仲間意識があるのは間違いない。
才色兼備の気立て良し。カムパネルラの損なわれた身体にも、不便は無いかと甲斐甲斐しく面倒を見てくれる。片腕を失くして不便なのは、彼女自身も同じだろうに。かといって過保護というわけでもなく、彼女の下に付いてひと月程で、彼は彼女の業務の大半を担えるようになった。
カムパネルラ手製の菓子を食べて、鋭い目つきが優しげに細められるのを見るのは、こちらに来てからの新しい『好き』の一つだ。美味しい美味しいと評してくれるレシピを、彼女のために教えることは、残り少ない余生でこの世に残せることの一つなのかもしれない。
キャメラ・トリートマンは、優しい女性で、好ましい人間である。
キャメラのことを、『天使』と呼ぶ者がいる。曰く、彼女の治療のおかげで助かった、感謝してもしきれない、と。実際、彼女は多くの兵士を救ってきたのだろう。
酷い怪我を負って痛くて死ぬかと思ったが、彼女の詩魔法と激励に救われた。ガーディアンとの戦いの際、彼女の守護の詩のお陰で怪我をせずに済んだ。クリーチャーの討伐の際、彼女の攻撃魔法の威力がどれだけ心強かったか。キャメラの同僚たちに尋ねれば、そう口々に語ってくれた。
概ね、彼女は好意的にとられている。何かと頼られ、彼女も頼られることを良しとしている。カムパネルラが彼女の直属の部下であることを、羨ましがる者さえいた。
人の手をとり、それを導く者を天使とするならば、確かに彼女には『天使』という呼び名も相応しいのかもしれない。
キャメラのことを、『鬼』と畏怖する者もいる。曰く、彼女の赤魔法は敵であれば人間に対しても容赦がない、と。直接聞いたわけではないが、彼女が殺めた人間の数は、少なくとも片手ではきかないのだろう。
カムパネルラは、キャメラの冷酷さを直接見たことがあるわけではない。だが、彼女は良くも悪くも痛みに鈍いらしい。注射針を刺すことから苦痛を伴う外科処置まで、彼女は絆創膏を貼るのと同じ態度のまま、正確無比にやってのける。恐怖や苦悶に歪む患者の顔を、見ていないわけでもないのに。
恐らくは、それと同じなのだろう。誰が泣こうが悲しもうが、最も冴えたやり方が敵兵の死であるならば、その選択を採ることに躊躇がない。
人に共感せず、心とは真逆の選択をすることさえ出来るのだとすれば、彼女が『鬼』と畏れられるのは当然なのかもしれない。
「……カムパネルラさん? どうしたんですか、さっきから私の顔なんて見て」
「ん、いや、少し考え事に耽っていただけだよ」
火の入ったオーブンからは、甘い香りが漂ってくる。もう固形物を受け付けない身体ではあるが、美味しいお菓子の香りを嗅いで心が踊る感覚は、以前と変わらないままだ。
「そうでしたか。洗い物も済ませてしまいましたし、暇ですものねぇ」
目を伏せたまま微笑む『先輩』に、カムパネルラも微笑んで頷く。オーブンの中でじっくり焼かれているスコーンは、もう少しで焼き上がりそうだ。今は他に使う者も居ない兵舎の厨房、彼はふと思い立って席を立つ。
「今のうちに紅茶を淹れようか。美味しいスコーンには、美味しい紅茶が一番良い」
「良い考えですね。手伝います」
自分の胸下ほどまでしかない背丈が、ちょこまかと駆け回って熱湯の用意をする。エクストラクトが残っていれば、お茶を淹れるのに火を使う必要すら無かったのだが。
やがてスコーンが焼き上がり、オーブンから取り出される。小さな皿に焼きたてのスコーンと、カップ二つの紅茶が並んだ。カムパネルラがつきっきりで監修しただけあって、漂う湯気は甘く香ばしい。
「それじゃあ、いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
感度を操作出来るという義手の左手が、熱々のスコーンをつまみ取る。いくらか息を吹きかけて冷まして、一口目。美味しい、と言葉にはせずとも、綻んだ表情から読み取れる。
彼女は味覚が鈍いのだという。なんでも、ストレスのあまりに味覚が消失していた時期があって、その後遺症が今になっても彼女の舌を苛んでいるらしい。こんなにも幼い──カムパネルラからすれば、50を超えてない"子供"なぞ皆幼い──少女が、そんな酷い目に遭っていたことは、彼にとって哀しむべきことだった。
「……ん、甘くて、さくさくで、うん、すごく美味しいですね。流石はカムパネルラさん直伝ですわ」
丸い頬を薄紅に染めて、喜びを言葉にするキャメラ。こうして料理や製菓を教えることも、美食の喜びを思い出す助けになればいい。比較的原型を留める右手で頬杖をつき、キャメラのティータイムを穏やかに見守る。
「スコーンというと敷居が高く見られるようだが、実のところはそう難しいレシピではない。お菓子というのは、丁寧にやれば必ず成功するからね」
「……私にちゃんと出来るでしょうか」
「呪いめいた失敗が起きるわけでもなし、美味しく作ろうという意思もある。先輩なら大丈夫さ」
プライベートな時間を上司と共に過ごすこと、ややもすれば時間外労働ともいわれそうなものだが、カムパネルラにとっては苦痛ではなかった。先ほども散々回想した通り、キャメラは彼にとって好ましい相手である。残り7,8年の献身を捧げる相手として、不足ではないだろうと思う程度に。
いつしか戦いが終わり、平和になった世の中で、キャメラが己の残したレシピを元に美味しいものを作り、食べる。その情景を想像すると、失われた心臓が温まるのを感じた。
* * *
そして、最近になって判明したことではあるが、キャメラはどうやらカムパネルラの命の恩人だったらしい。ラクシャクに出現した謎の橋、それを謳い紡いだのは彼女の決意だったのだと。どうやら複雑な事情があり、かの事件の英雄のことは伏せられているようだが。
波動科学に対する造詣は、そこまで深いわけではない。だが、大量の兵士たちが駆け抜けても落ちない構造物を詩の力で投影するだなんて、普通の"レーヴァテイルハーフ"なんかに出来る所業ではないだろう。文字通り、命を削るような偉業だったはずだ。
まっこと奇妙な縁もあるものだ。カムパネルラが己を取り戻す、その最後の一歩を繋いだ人を、そうとは知らないまま先輩と仰いでいたとは。きっと彼を助けようとしていたわけではないのだろうけれども、こうなれば結果が全てである。
「はぁ……私としたことが、とんだ失態ですわ。隠し事は得意な方だと思っておりましたが」
物憂げに漂う桃色吐息は、その命の恩人のもの。兵舎の食堂での夕食、大量に並ぶ席の片隅でカムパネルラは先輩と向かい合い、自分は熱々の緑茶をゆっくりと啜る。
「まぁ、バレたことに関しては、相手が悪かったのだと思うよ。恐らく、カナタが居なければ僕も気づかなかっただろうし」
「……結果的には良かったですけど、今後は要注意です」
残り少ないスープをかき回しながら、キャメラは心底困った顔で俯いている。実際、普段の彼女は内面を隠すのが巧い方だと思う。優しげな微笑みは詮索を柔らかに拒むものだ。しかしとりわけ恋愛感情に関しては、隠すのも取り繕うのも苦手らしい。
鋼の如き天使か鬼か、扉を閉じることで護っている心に、カムパネルラが成せることは無いと思っていた。だがこの脆い乙女心は、助けを必要としているように見える。
「本当、こんな風に悩んでいる場合ではありませんのに……」
「そうなのかい?」
「ええ、だって、今は比較的平穏とはいえ、戦時下ですよ? 夢見て現を抜かすなんて、不謹慎だとは思いませんか」
「……いつ死ぬかわからないこそ、というのもあるよ、先輩」
少し悩んで口にした言葉は、やはりキャメラの傷の輪郭に触れたようだった。彼女は正面から視線を逸らして、賑わう食堂の喧騒を眺める。
「いつ死ぬかわからないのは、いつでも同じですわ」
「だが、平時より危険性が高いのは確かだ」
「……それは、そうですが」
「何かを『好き』でいることは、想いの支えにもなる。あの橋を紡いだ先輩なら、理屈でなく心でわかるんじゃないかい」
「……カムパネルラさんも、誰かが『好き』なんですか?」
内緒話でもするように、声を潜めるキャメラ。さてどう答えてやろうか、と首を傾げるが、心にもないことを言って面白がるのは、今回はナシだ。カムパネルラは真っ当な答を用意する。
「僕はね、誰かを守ったり助けたりするのが『好き』だった。今はもう守る程の力は無いが、こうして大鐘堂に身を置いているのは、この『好き』の為でもある」
「なんだか……不思議な『好き』ですね」
「好きになるのは、何も異性の人間に限らないということ。先輩も甘いものが好きだろう?」
「それとこれとは全然違いますよう」
「おや、そうかい?」
カムパネルラからすれば、『ある人が好き』だというのも『チョコレートが好き』というのも、皆同等の愛であり同列に尊い。まぁ、これはソル・シエールにおいても比較的異質な見解だったので、メタ・ファルスの人からすればよりグロテスクに聞こえるのかもしれない。
「……きっと、私の『好き』は、そんなに綺麗なものじゃありませんわ」
「そこは人によるものだし、良いんじゃないかな。僕はあまり参考にしない方が良い、自分で言っちゃあなんだが、僕は変わり者だ」
「変わっているというより、多分とても高潔なのだと思います」
「そう思ってくれるなら、その高潔な僕からの助言を聞いておくれ」
ぬるくなったお茶の最後の一口を、ゆっくり味わって飲む。そうして唇を潤して、彼は言葉を続けた。
「『必要』だけでは喜びは見出せない。『大事』だけでは己を顧みられない。何かを『好き』でいることは、君の幸せに繋がるだろう」
「でも……、良いのでしょうか。私みたいなのが、他の人を好きでいて」
「君の哲学がどうだか知らないが、生命とは望みを勝ち取るためにある。機会というものは限られているからな、君はもう少し享楽的になっても良いだろう」
それきり、キャメラは黙り込んだ。返答に窮したというわけではない、言葉を腑に落とそうと思案するための沈黙。しかし熟慮の末にも噛み砕くことは出来なかったらしく、彼女は難しそうな顔で残りのスープを飲み干した。
「やっぱり、あまり良くはないもののように思います。……きっと、気の持ちようでどうにかなるものでもないってことも。
ああ、こんなことなら、一度失恋でもしておくべきでしたわ。戦争に巻き込まれる前に」
「一度へし折っとくと強くなる理論はやめた方が良いんじゃないかな……」
「ともかく! ごめんなさい、カムパネルラさん、変な話までしてしまって。相談に乗ってくれてありがとうございますわ」
「ん、これくらいならお安い御用さ。キャメラ先輩は、僕の『大事』だ」
良き上司、優しい友人、そして命の恩人。たとえアレクセイのついでで助かったに過ぎないとしても、カムパネルラが最後の数年間を自分の『好き』に生きられるのは、キャメラのお陰に他ならない。
キャメラの助けとなること。それが、恐らくは最期の『好き』になる。