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つくもの社 第3話

全体公開 10020文字
2019-05-20 22:18:21
Posted by @ayame0601s



 橋から出た先は、森の中だった。
 鬱蒼とした木々は風に揺れ、ざわざわと葉が音を立てる。冷たい空気は肌を刺し、この場の不気味さと相まって背筋を凍らせた。
 目の前の人は、私を気にもせず歩みを進めている。歩く度に靴の裏で石が擦れ、辺りは二人分の足音と、木々のざわつきだけが響いていた。
 橋の上にいる時、その先はまるで、全てを呑み込むかのような闇が支配しているように見えたものの。
 実際に足を踏み入れてみると、森の奥深くへと続く細い砂利道の両脇に、ぽつりぽつりと間隔をあけて、灯籠が静かに佇んでいた。
 灯籠の灯りが揺らめき、闇を心許なく照らしている。
 風が吹くと、葉のざわめきと共に明かりが揺れる。その様子は、この陰気な森を更に気味悪く感じさせるものだった。

 ──本当に、ついてきて良かったのだろうか……

 今さらながらにそう思いながら、キャリーケースを持ち上げ、目の前の彼についていく。
 砂利道で、キャリーケースを引き摺って歩く事なんてできなかった。疲労はだいぶ溜まっているも、弱音を吐く暇なんてない。
 目の前の彼はこちらを一度も振り返らず、迷いのない足取りでどんどん先へと進んでいく。
 重い荷物を持ち上げながらの状態と、歩幅の差から、彼との距離は少しずつ開いていった。

「あ、あの!」

 このままだと、確実に置いていかれる。少しでもその歩みを緩めてもらうためにも、何か会話を──。その思いで声をかければ、彼は肩越しに顔だけをこちらへ向けた。

「なに?」

 歩みは止めずとも、歩調はほんの少しだけゆっくりになる。あいた距離を埋めるように小走りで近づきながら、会話を途切れさせないように続きを口にした。

「あの、さっき鬼が出るとか言ってましたけど……それって本当、ですか?」

 言いながら、なんとも非現実的であり得ないような話だと、客観的な自分が頭の中で呟く。科学が発展したこの時代に、鬼が出る、だなんて。
 けれど、彼は確かに言っていた。その橋は鬼が出る、と。だから気を付けてね、とも。
 その言葉は、にわかに信じがたい。それでも、あの場の異様な雰囲気と、非現実的な現象──橋を境に光景が変わったり、橋を出たつもりが戻ってしまったり──を目の当たりにしてしまっては、彼の言う事を真っ向から否定するなんて出来なかった。
 それに彼の言い方は、ごく当たり前の事を伝えるかのような口調だったのだ。その口調は思わず、もしかして、と思わされてしまうものだった。

「ああ、鬼ね。本当だよ」

 前を向いた彼は、さも当然の事のように、さらりとそう言った。

「嫉妬で鬼になった人間の話、知らない?」
「え……? いえ、聞いた事ありませんでした」
……そう」
 
 ぽつりとそう呟くと、再び沈黙が流れる。
 突然の質問に狼狽え、上手い返しも出来ず、会話はそこで途切れた。
 しまった、話を膨らませられなかった。
 そう思っていれば、「あの橋はさ」と、前から言葉が届く。

「鬼も出るし、人ならざるものの通り道でもあるんだよ」
「あ……そう、なんですか……
「うん。だからあそこに人間がいる事なんて、そうそうないんだけど」

 まるで、普通の事のような話の進め方。けれどその言葉の一つ一つは、私にとって全く普通の事ではなかった。
 鬼が出る、だとか、人ならざるもの、だとか。
 そんな異世界的で、霊的な内容は馴染みがなく、すんなり鵜呑みにする事は難しい。

「これも、何かの縁かな」

 独り言のように呟かれた言葉が、風と共に耳へ届く。その言葉は、風音と葉の擦れる音でかき消されてしまいそうだった。
 受け取った言葉に、思わず「え?」と聞き返す。
 しかし、彼は私の問いに答えない。口をつぐみ、ただ歩みを進めている。
 私の言葉が届かなかったのかもしれない。それか、本当に単なる独り言だったのだろう。
 沈黙が落ち、辺りには再び砂利の音だけが響いた。

 本当に、訳が分からない事だらけだった。

 いきなり、異世界に足を踏み入れてしまった。もう、そう表現しないと辻褄が合わない。鬼とか、人ならざるものとか──とそこまで考えて、ふと思う。

 人間がいる事なんて、そうそうない。

 それなら今、目の前にいる彼は? あの橋に居た彼は、一体何者なのだろうか。
 彼は、人間と人間ではないものとを、区別して話す。それが、やけに胸に引っかかった。

「あの、貴方は人じゃないんですか?」

 会話を続ける為の質問ではなかった。ただ単に、疑問からの問いかけだった。
 彼は、どこからどう見ても「人間」に見える。背が高く、引き締まった身体と長い足。しかもかなり端整な顔立ちは、容姿にかなり恵まれているとさえ思う。
 ただひとつ……腰にかかっているものは、刀、なのだろうか。実物を見た事がないため、確定できないけれど。それが気になる事以外は、私と同じ「人間」にしか見えなかった。
 質問をしてみたものの、彼も同じ人間なのだと、その答えが返ってくる予想をしていた。むしろ願望に近いかもしれない。私と同じであってほしい。
 けれど実際返ってきた答えは、否定のものだった。

「うん。人じゃないね」

 淡々と言うその答えに、唖然とする。

……人じゃ、ない」
「うん」
「それじゃあ、貴方は……あ。もしかして、鬼、なんですか?」

 先ほどから「鬼」という単語が出てくるのは、彼がその存在だったからなのかと。思ったまま口にすれば、彼は吹き出したかのか、小さく肩が揺れた。

「僕が鬼かぁ。まあそうか。確かに、今は大差ない」
「え、」
「僕は付喪神だよ。刀のね」

 そう言って、彼は腰にかけたそれに触れる。やっぱり腰にかかったものは、刀だったらしい。
 刀の、付喪神。
 それがどういうものなのか、とか、人の姿形をしているものなのか、というのはとりあえず置いておいて。
 刀の付喪神。その言葉は、どこか胸をざわつかせた。

「付喪神って、神様ということですか?」

 問いかけてから、質問ばかりしてしまっている事にハッと気づいた。質問攻めは、不快に思わせるかもしれない。けれどその辺りの知識がほとんどないため、思わず聞いてしまったのだ。
 付喪神という言葉を聞いた事はあるけれど、単語止まりだった。そのため、神と名が付くのだから神様なのだろうと、安直な繋ぎあわせ方しかできない。
 彼は私の問いに、口を閉ざす。答え方を考えているのか、何も言いたくないのか──ただ靴が砂利を踏み鳴らす音だけが、辺りに響き渡った。

……神様、か」

 やっと返ってきた答えは、その一言だった。呟かれた言葉に何か感情が含まれていそうだったけれど、彼がどんな気持ちでそれを発したのか、私には分からない。
 彼はそれ以上何も言うつもりがないらしく、今度こそ押し黙って先へと進んでいく。 
 質問ばかりしてしまったから、気を悪くしてしまったのかもしれない。もしくは、質問の内容が良くなかったのだろうか。
 思わずそう感じてしまうほどこの場の空気が重くなったような気がして、気まずさに何も言えず、後をついていく。

 鬼と、今は大差ない。

 灯籠の明かりでぼんやり照らされる後ろ姿を見ながら、先程の会話を思い起こす。
 鬼ではないけれど、鬼に近いもの。それなら、妖怪、の類いになるのだろうか。どこからどう見ても人間にしか見えない、目の前のこの人が。「今は」という言葉もどこか引っかかる。もしかして、昔は違った──?

 そんな事をぐるぐる考えていれば、ふと、少し先に細い脇道がある事に気づいた。
 この砂利道から横へ逸れ、木々の中へと続く細い小道。直進するか横へ曲がるかの、小さな分岐点になっている。
 しかし、目の前を歩く彼はその脇道に目もくれず、真っ直ぐ奥へと歩みを進めた。
 彼が真っ直ぐ行くのなら、私もそれについて行く以外に選択肢はない。けれどその脇道の奥がどうなっているのか、ほんの少し、興味はあった。
 そのため、通りすがりに覗いてしまったのだ。砂利道から横へ逸れる、その奥を。
 奥を覗いた瞬間、視界に入ったものに歩みを止め、思わずそれを注視した。

 鬱蒼とした、暗い森の中。
 そこにひっそりと佇んでいるのは、鳥居だった。

 その場所に、明かりなんて無かった。灯籠はこの砂利道にしか無いらしく、光の届かない奥に広がるのは、深い闇だった。

 草が生え乱れ、手入れもされず放置されたその場所に、鳥居が鎮座している。

 しかも、ただそこに鳥居があるだけではない。
 鳥居をくぐる通り道には、細い縄が幾重にも張り巡らされていた。

 まるで、その先へ誰も行かせないように。

 あるいはその先から、誰も出てこれないように。

 そう思った瞬間、背中に冷たいぬめりが走り、胸の奥が異常にざわついた。
 誰も出てこれないように、だなんて。なぜそう思ったのか分からない。そう感じてしまったこと自体が不気味で、得体の知れない恐怖がせり上がってくる。
 その先は、危ない。本能が警報を鳴らし、嫌な感覚が身体を駆け回る。
 見てはいけない。早くこの場を離れなくてはいけない。
 そう強く感じるのに、目がそこから離せなかった。
 恐怖を感じる中に存在する、好奇心のようなもの。気味が悪いのは明らかなのに、奥がどうなっているのか、少しだけ確かめてみたいという気持ちが芽生え始める。

 鳥居の奥に、一体何が──。

 吸い寄せられるように、いつの間にか身体をそちらへと向けていた。

「ねえ」

 突然、かかった声にハッとする。
 振り向けばすぐ目の前に彼がいて、その近さに肩が跳ねた。
 先を歩いていたはずの彼は、今、手の届く距離にいる。
 あまりの近さに、一体いつ来たのだろう、そもそも近づいていた事すら気付かなかったと、そう思えば、心臓が思い出したかのように強く脈打った。

「ついて来ないのなら、次は置いていくよ」

 見下ろされ、淡々と放たれた言葉。彼はただそう言うと、私の返事も待たずに踵を返す。
 その背を見つめながら、無意識のうちに止めていた息を吐き出した。ふと、我に返るような、そんな感覚を覚える。
 鳥居の方から感じる冷たい空気を振り切るように、急いで彼の後を追った。

 あの鳥居は、一体何だったのだろうか。
 歩みを進める間も、脳裏に焼き付いた映像は頭から離れなかった。
 一体誰が、何のために、あんな所へ。
 立ち入り出来ないように張り巡らされていた縄は、今思うと何かを封印しているようにも見えた。
 もしそうなら、一体何を?
 気になって気になって仕方ないのに、目の前の彼はあの鳥居に気付きもしなかったらしい。もしくは、その存在を知っていた上で、気に止めなかったのか。
 そんな彼は、本当に何者なのだろう──そう思い、ふと気付く。
 彼に質問してばかりで、自分の事は名乗ってもいなかった。

「あの、そういえば自己紹介まだでしたよね。私の名前は」

 少しの間だとしても、お世話になるのだから。名乗りもしないのは失礼だったと、その気持ちから、自分の名を口にする。
 ただ、苗字と名前を述べただけだった。
 たった、自己紹介をしただけだというのに。
 言葉を発した直後、今まで一切歩みを止めなかった彼は、いきなりピタリと、その足を止めたのだ。
 突如立ち止まった彼に驚き、私もその場に留まる。

……? あの……

 彼は私に背を向けたまま、動かない。
 まるで、何かおかしな事を言ってしまったかのような空気。声をかけたにも関わらず、彼は振り向きもしない。
 異様な間が、この場に落ちた。歩みを止めた彼との間に風が通り抜け、灯籠の明かりが揺らめく。変わった雰囲気に、身体が緊張を訴え始めていた。
 そんな中、彼はようやく、ゆっくりこちらへと振り返った。その瞳と、視線がかち合う。

「     」

 風が、彼の髪を揺らす。形のいい唇が紡ぐのは、間違いなく私の名だった。

 私の名が。その音が、彼によって紡がれる。

 たった、それだけの事なのに。その瞬間、心臓をギュッと掴まれたかのように胸が締め付けられた。思わず胸元に手をやり、一歩後ずさる。

「それが、君の名前なんだね」

 彼から少し距離があるはずなのに、まるで耳元で囁かれているように鮮明に届く声。緩く弧を描く口元と、細められた目元には笑みが乗っているのに、射ぬくようなその瞳は身体を強ばらせる。

「僕は源氏の重宝。名を髭切という」

 よろしく頼むよ。そう続けた彼は笑みを深めると、再び私に背を向けて歩き出した。

 源氏の、重宝。その名前は、髭切。

 初めて聞くはずなのに何故か懐かしく、違和感が胸の奥深くに広がる。
 彼に名を呼ばれた時も、彼の名を知った時も。どうしてか不安が押し寄せ、落ち着かない気持ちにさせられる。
 胸元を押さえた手は、知らない間に震えていた。

 結局、それからは会話らしい会話はしなかった。
 彼──髭切さんは何も言わないし、私も無言のまま、ひたすら足を動かす。
 体力はもう限界だった。キャリーケースを持つ手にも、力が入らなくなってきている。
 砂利道でも無理やり引き摺って歩こうか……
 そう思っていた矢先の事だった。目の前に広がる光景に肩を落とす。
 道の続く先は、階段だったのだ。
 長く、上へ上へと続く階段。その両脇には、灯籠が続いている。

 そして登りきったところには、大きな鳥居が立っていた。

 それは先ほどの鳥居とは違い、随分と立派なものだった。圧倒されるほどの存在感があり、灯籠の明かりで包まれているからか、とても神秘的なものにも見える。
 けれど今は、その光景に感動する元気もなく。それよりも、登りきれる自信がなく、疲れが更に押し寄せる。

 この階段を、登らなければいけないのだ。キャリーケースを持ち上げて。
 
 考えただけでもげんなりする。足は鉛のように重たい。
 前を歩く髭切さんが、階段のたもとに近づいていた。少し休めないか、お願いしてみようか──そう弱音を吐こうと思ったところで、彼はスッと横にずれた。階段は登らず、そのまま脇道へと歩みを進める。
 そこも小さな分岐点だったらしい。本道であろうこの道から逸れ、彼は森の中へと入っていく。
 その進む先には、灯籠の明かりは存在しないようだった。
 一体、どこへ向かっているというのだろう。階段を登らずにすんでホッとしたものの、彼の行く先はあまりにも暗く、別の不安が押し寄せる。
 暗闇の中へ消えていく髭切さんを見失わないよう、疲れた身体に鞭を打つ。小走りで分岐点に差し掛かり、道を曲がろうとした、その時だった。
 ふと感じた視線に、顔を上へあげる。

……?」

 朱色の明かりが、一段一段を照らし上げていく、その先。
 頂上にそびえ立つ鳥居の側に、人影が見えたような気がした。



「もうすぐ着くよ」

 髭切さんに短く言われたのは、それから少し間しての事だった。突然話しかけられた事に不意を打たれ、返事が咄嗟に出てこない。
 けれど彼は、私の返事を期待していなかったようで、業務連絡を終えると、目の前の鳥居をくぐって行った。

 あれから、砂利道は草の生え乱れた獣道に変わり、足場は更に悪いものだった。足元では、草の下で明かりが滲んでいる。無秩序に生えた草に隠れて、小さな灯籠があるらしい。それは随分と心許ないものの、無いよりは幾分マシだった。
 ただ、いくら明かりがあるとはいえ、森の中の不気味さは変わりない。

 その上、目の前には寂れ、荒れ果てた鳥居が佇んでいる。

 それは階段先で見た大きな鳥居とは違い、その前に見たものと似ていた。細い縄が張り巡らされ、封印でもされているかのように感じた、あの鳥居と。
 おそらく、同じものだったのだろう。
 過去形なのは、まるで切られたかのように、縄が地面に散乱しているからだった。
 散らばる縄と共に落ちている、数枚の紙切れ。
 その紙切れは、よく見ると御札のようにも見える。しかもそれも、スパッと切れられた痕跡があるのだ。
 
……

 これは、見ない方が良いものだったに違いない。髭切さんが平然と行く先は、この奥なのだから。 
 念のため一礼だけして、足元から這い上がる不安を振り払うように、先を急いだ。

 髭切さんの「もうすぐ着く」という言葉通り、少し歩くと目的地と思われる場所にたどり着いた。
 いきなりふっと森から抜け、ひらけたその場所に建っていたのは、立派な門を構えた邸宅だった。それは、武家屋敷と呼ぶに相応しいもの。
 屋敷は塀で囲まれて中は見えず、堂々たる門の両脇には、松明が灯っている。それは時代を感じるもので圧倒されてしまうも、彼が刀の付喪神という事を考えれば、この住まいはどこか納得するものがあった。
 そしてここには、髭切さん以外にも居るらしい。門前に立つ、一つの人影が視界に入る。

……おや」

 髭切さんが言葉を溢すのと同時に、門に背を預けて立つその人が、片手を上げた。
 その人の羽織の袖が、ゆったりと揺れる。

「よっ。待ってたぜ」

 届いた声は、男性のものだった。どうやら髭切さんと知り合いらしく、彼は人懐っこい笑みを浮かべる。その人は髭切さんとは違い、和服を身に纏っていた。

「遅かったな。迷子にでもなったのかい?」
「迷子? 冗談。それより、珍しいじゃないか。君が帰ってくるなんて」
「ああ。どこぞの髭切が人間の娘を連れている、と小耳に挟んでな」

 人間の娘、という言い方に、不意に肩が跳ねてしまった。和服のその人は、チラリと私を見やる。

「へえ。情報が早いね」

 髭切さんは他人事のように、平然と答えた。
「そりゃな」苦笑混じりに肩を竦めてみせると、その人は私へ向けた瞳を細め、口角を更に上げる。

「もしかして、と思って来てみりゃドンピシャだ」

 その人と髭切さんが会話をしている間に、門の前へと着いてしまい、髭切さんが立ち止まったため私も立ち止まった。まだ彼らに近づける距離があるも、これ以上近づくのは躊躇われる。
 初対面にも関わらず、門の前にいるこの人に対して、気後れしてしまった。
 人間の娘、という彼の言い方が、居心地の悪さを生み出す。

「きみが連れてきたのかい?」

 髭切さんに問いかけながら、その人はこちらへと近づき、私を覗きこむ。目線を合わせるように腰を屈めて見てくる彼に、思わず一歩後退ってしまった。
 けれど彼は、そんな私にお構い無しだ。自身の顎に指を添えながら、物珍しそうな視線を寄越してくる。

「いや、この子からこっちに入ってきたんだ」

 髭切さんが淡々と説明する。
「へえ?」と彼は一瞬だけ髭切さんへ視線を配ると、またすぐに私へ戻した。
 話の内容は全く分からないものの、心地の悪さに拍車がかかる。
 目の前の彼も、随分と端整な顔立ちだった。どことなく中性的なその顔立ちは、誰が見ても「美しい」という感想を持つだろう。
 しかし今は、そんな彼の尊顔に見惚れるよりも、いきなりまじまじと見られては警戒心が先立つ。

……ん?」

 人を品定めするように見ていた彼は、突然、言葉を溢した。何か不思議に思ったのか私の顔に何かついているのか、片眉が上がる。

「おい、きみ。まさかもう手をつけたのか」

 こちらを見たままそう問われ、私に言われているのかと思い、どきりと心臓が跳ねる。けれどそれは、髭切さんへ向けた言葉だったらしい。
 少しの間の後、「いいや」と否定する髭切さんの声が届く。

「まだ、何も。ただ連れてきただけだよ」
「本当か? だが、この娘──」

 言葉をそこで切ると、目の前の彼は私を見たまま、その目を見開いた。

「おいおい、まさか」

 独り言のように呟いた、その直後。驚いたように目を丸くしていた彼は、ふ、と吹き出すように笑みを溢す。そしてそのまま笑い出した。

「っはは! これはこれは……こんな事もあるとはねぇ」

 久々に驚いたぜ。言いながら、彼は喉の奥でクツクツ笑っている。
 意味が、分からない。いきなり笑われた不快感よりも、私の理解が届かないところで話が進んでいるようで、不安にかられた。
 髭切さんを見れば、横目で私を見ていた彼と目が合うものの、その視線はすぐに逸らされた。
 髭切さんはその視線を目の前の人に向けると、口を開く。

「これからどうするか、話し合おうか」
「ん、話し合う?」

 不思議そうに呟くと、彼は髭切さんを見やる。屈めていた腰を戻し、髭切さんと向き合った。
 やっと私から対象が外れ、内心でホッとしたものの。
 向かい合う二人の間でピリッとした空気が流れ、息を呑んだ。
 そこに、無言の攻防があるような。私でも分かるような不穏な空気に、突然変わる。それは、息をするのも憚れるようなものだった。

……まあ、いいだろう。三日月を呼んでくる」

 結局、折れたのは目の前の人だった。彼は髭切さんにそう言うと、「それじゃあ、また後でな」という言葉は私へかけ、横を通りすぎる。そしてそのまま、森の中へと入っていった。
 一体、何の話なのだろう……それにどうやら、まだもう一人いるらしい。
 話し合う内容が私の事だというのは明らかで、ついてこない方が良かったのでは、と今更ながらに後悔し始める。
 しかしもう、後戻りなんて出来ない。
 選択肢が他に見当たらないまま、さっさと門をくぐっていく髭切さんの後を追った。

 髭切さんと、門の前にいた和服の男性と、その人が呼びに行った「三日月」という人と。
 その三人だけかと思いきや、もう一人、屋敷の中にも人がいたらしい。
 玄関からお邪魔し、廊下を歩いている時だった。室内を見回す余裕が生まれるより先に、その人と顔を合わせる事になったのだ。

「ああ、兄者。帰られた…………

 廊下ですれ違う形で出会ったその人は、髭切さんを見るなり「兄者」と呼んだ。その呼び方から、弟さんなのだろう。右目は長い前髪で隠れ、露になっているその左目は、私を捉えるなり見開かれる。
 それは当たり前な反応だった。いきなり見ず知らずの人間が、自分の敷地を跨いできたのだから。
 そうは分かっていても、やっぱり居心地の悪さが襲ってくる。

「兄者、この娘は?」

 先ほどの和服の人といい、この人といい、彼らは私を「娘」という言い方をする。「人間の」という形容詞はついていないだけで、おそらく同じ意味だと察しはついた。
「ああ、この子」と、髭切さんは一歩後ろにいる私へ目を配る。

「この子、橋に居たから。連れてきちゃった」
「橋に?」

 怪訝な顔を髭切さんへ向けていた彼は、そのままの表情で私を見下ろす。
 こちらを見定める、という意味合いは、先ほどの和服の彼と同じものだった。しかしあの時とは違い、今回の視線には警戒心が滲み出ている。
 眉をしかめ、鋭く見据えられては体が竦む。挨拶をしなくてはと思っていても、その鋭い瞳にたじろいでしまった。

…………君は」

 しばらくじっとこちらを見ていた彼は、ただ一言。その目を見張ると、一言そう言った。
 それは、同じものだった。先ほどの、門の前での光景と。目の前の彼は眉を寄せたまま、息を呑むように言葉を止める。
 それは何か確信するものがあって、それに対して驚いているかのような。
 まるで、私と誰かの面影とを重ねているような──そんな顔をして、彼らは私を見る。

「紹介するね。彼は僕の弟、の……
……膝丸だ」

 自らぼそりと名乗ったその人は、私から目を逸らさない。その視線は私の心内まで見透かそうとするようなほど鋭く、耐えきれずに視線を逸らしてしまった。

「あ……膝丸、さん。よろしくお願いします。あの、私は、」
「ああそうだ。これは助言なんだけど」

 髭切さんに言葉を被せられ、驚きから口をつぐんだ。
 咄嗟に彼を見上げれば、髭切さんは横目で私を見下ろすと、薄く笑む。

「ここでは、自分の名を言わない方がいいよ」

 いいね? と。優しい声色でありつつも、言い聞かせるような圧を加え、彼は私にそう言った。





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