「レバニラ定食、飯は大盛りで。それと塩にんにくから揚げと塩こんぶキャベツも
つけてくれよ」
雨彦さんがただただひたすらご飯を食べてるだけのお話です。
@toasdm
行きつけの定食屋で冷やし中華の提供が始まって、盛夏の訪れる音を雨彦は聞く。なにが「はじめました」だ、と罪のない冷やし中華とその張り紙とに悪態をつき、雨彦は夏を憂いて八つ当たりをする。湿気混じりの空気の重さがずしりと乗ったような体の重さは、迫り来る夏の気配を受け止めて雨彦の気持ちをも重く沈めた。愛想のない店主と愛嬌のあるその嫁とで切り盛りしている定食屋は、雨彦が五年前に田舎を出てからたまに通う程度の店だったのだが、背丈の高い雨彦の事を、店の人間はあっという間に覚えてしまったようだった。あんた良く食べるね、と狭いカウンターがより狭くなるような注文の仕方をする雨彦に機嫌を良くして、これサービスだよ、とザーサイやらなんやらを追加でそっと出してくれるような血の通った接客は、雨彦の胃袋だけではない他の何かをも満たしてくれていたのだ。
「今日はなんにする?」
おかえりなさいを詰め込んだような、温もりを感じる声の調子や口ぶりは、まるで親戚の家に飯をたかりに来たようだ、と雨彦の「ホッと」を誘った。そうさな、とすっかり覚えてしまったメニューすら確認もせず、雨彦は雨彦の胃袋にお前さんは何にするんだい、と問いただす。くきゅぅ、とタイミングよく返事をした胃袋は、夏に備えてがっつりメニューでお願いしますと言っているようで、だったらおすすめがあるぜ、と雨彦はにんまりと笑った。
「レバニラ定食、飯は大盛りで。それと塩にんにくから揚げと塩こんぶキャベツもつけてくれよ」
「はいよ、あんたー!」
「おう」
スタミナのつきそうなものをとりあえず詰め込んで、雨彦はまだかいと鳴く腹をひと撫でした。カウンターの向こうの調理場では、ジャッともジュッとも取れるような調理の音と、空腹を誘うためだけに存在しているような匂いとが雨彦の方へと手を伸ばしてきて、否が応にも食欲がそそられる。もうすっかり雨彦の舌に馴染んでしまった味は、思い出すだけで口の中が「早く寄越せ」とつばで満たされた。
「はいよ、レバニラと」
雨彦の両手ほどある大きな皿に中高に盛り付けられた茶色と緑の絶妙なバランスのレバニラは、あえて効果音を付けるなら「ドン」といった調子で古ぼけた赤色のカウンターに並ぶ。その隣には茶碗というよりは丼と言った方が正しいような大きな茶碗が並び、その様子はさながら、目の前の店主とその嫁のように相性がよく見えた。
「味噌汁と漬物」
定食セットの味噌汁をちらりと見て、今日はあたりだ、と雨彦は内心ほくそ笑む。ふわふわと漂うわかめと揚げ、その揚げの方は雨彦の大好物だ。郷里で馴染んだ白味噌ではなく赤味噌の味噌汁だが、だしが利いているのか塩味はそこまで強くなく、汗をかく時期などは水のようにごくごくと飲めるほどだった。添え物の漬物はこれも日替わりで、今日は黄色く分厚いたくあんが五切れついてきた。こいつは一番最後が出番、とそれを脇へと避けておき、雨彦はたまらず箸を割る。パキン、と響く音は雨彦対スタミナの超絶バトルの始まりのゴングだ。
「はいお待たせ、塩にんにくから揚げね」
「ありがとうな」
うまそうだ、の言葉は不要だった。大きな手にギリギリ収まる丼茶碗を左手に持ち、雨彦の右手は箸を閃かせてレバニラをさらった。
炊き立てご飯の上にワンバウンド。タレの色に染まった白飯からジャンプしたレバニラは雨彦の口の中へ。口の中が「コレを待っていた!」と歓喜する暇すらなく大きな一口であっという間にレバニラの山は崩されていく。白飯をかっこみ塩分バランスを整えて、最初から最後まで、旨みのピークをキープする。合間合間に挟んだ塩にんにくから揚げはカリッと食感のアクセントを与えて、雨彦の五感全てを食の喜びでバイブレーションさせていく。白を侵食するタレのこげ茶色が徐々に領地を拡大していく様を、味噌汁のわかめと揚げとがいいぞいいぞと煽っていく。ずず、とすすって咀嚼して、皿の上にはもうほとんど、食べられるものがなくなってしまった。
さて、とつまんだたくあんで、雨彦は丼茶碗に残留している米粒を拭い、舐めたかのように綺麗に掃除する。最後に味噌汁をずずず、と飲み干したそのタイミングで、ニコニコ顔がそっとプリンを差し出した。
「相変わらずいい食べっぷりだね、ほら、レアだろう?」
「ああ……ありがたいな、プリンかい」
本当に極稀に出てくることがあるプリンは弾力が強く家庭的で、しかし口の中で解ける甘みは食後のデザートとして最適だった。それも吸い込むようにぺろりと平らげて、雨彦はぽんぽんと、満たされた腹を軽く叩いた。
お前さん、満足かい?おかげさんでな、と内側でのやりとりをすませて、雨彦はいくらだい、と席を立つ。会計の後の充足感を背中に背負って出た道を歩きながら、夏の野郎め来るなら来い、とスタミナを味方につけた雨彦は不敵に笑った。
迫る夏は梅雨の向こうで、入道雲をこしらえていた。