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「おおきさ、ちいささ」

全体公開 1541文字
2019-05-26 22:40:00

蝶野はにこやかに扉を閉めた。
閉めて、ゆっくりとその部屋を離れて。
階段を降りた後、彼女は携帯を取り出し早歩きで駅へと歩き出した。車が近くを通り過ぎた。
電話番号を押し間違えて消してまた打ち直して、切るボタンを押しそうになって通話に直して、3秒くらい。
2コール目で電話が繋がった。
「早いですね」
超自我がいつも通りの声で話してくる、その声を聞き終わる前に蝶野はいつもの穏やかさが嘘であるかのような声で話しはじめる。
「要点だけ言います。クライアントにミーム汚染の症状あり。哲学人との接触があったそうです。」
「は?」
「組織内で会った、と。」
「ミーム汚染系の哲学人と?組織で?」
「ええ。」
……マジですか。」
超自我が大慌てで支度をする音が電波を通じて携帯に響く。蝶野は速度を落とさずに角を曲がり、歩きながら通話を続ける。夜風が強く吹き付けた。止むのを待たずに続ける。
「慌てなくていいです、私がそっちの方に行きますから。怪我してますし、証拠もありません。ただ、緊急会議をしないといけないので。」
感情のない口調で彼女は言葉を並べた。そして、通話を切った。彼の静止も聞かなかった。カツン、カツンとヒールの音が響く。道路の上に終止符を打つようだった。いつも明るいはずの家は今日は留守で。蛍光灯の光はいつの間にかLEDに変えられている。
分かってはいることだけど、と頭の中でこだました。
分かってはいることだけど、改めて直面すると。
信号の赤が全てを不自然に照らしていた。
車のクラクションが小さく何かに警戒を促した。
空から数滴、冷たい粒が落ちてきて、蝶野の頭の上と頰をかすった。
「雨」
超自我の方から聞こえる物音が止んで、声も、ノイズになって。
蝶野は携帯を肩とほおで挟み、急いで鞄をあけて折り畳み傘を広げた。すでに、道の溝のくぼみには小さな池ができている。雨音が傘を通じて反響し、夜の光も反射を強める。
車の光がスポットライトのように照らして、通り抜けた。
声は、聞こえず、音の洪水に流れて消えた。
しばらく、砂嵐のような音が二人を割いて、小雨になって。蝶野の歩みもいつの間にか通常になり、町の音が、意思を持ち始めたころ。
電話越しに大きく息を吐き、そして超自我は、静かな声で言った。

…………出前にしますか、それとも甘いものがいいですか。」
蝶野の歩みが止まる。
駅前商店街はまだ少し遠い。それでも分かるくらい活気に溢れていた。雨でも。
「居酒屋はうるさいですし、ここら辺の店は飲んだくれも多い。お洒落なお店もカラオケも空かないでしょうから。」
その音が聞こえたのか彼はそんなことを言う。緊急事態なのに。
……超自我さん」
「はーあ。怪我人なんで、こーでもしないとやってけませんよ、ホント。やることやって、やれることないなら英気を養うしかないでしょう?……僕だって懲りましたよ。」
超自我はわざとらしく抑揚を付けて、シニカルに笑った。口笛を吹いて誤魔化す彼はきっと髪の毛でも触っているのだろう。それがなんだか可笑しくて。
……なんですかー。」
彼女は力が抜けてしまったのだった。
その声を聞いて安心したのか、超自我は
「ははは、ゆっくり帰ってきてくださいね。あみさん」
と言って、勝手に通話を切った。
さっきまで見えなかった所に赤い提灯があって、人がそれぞれの生活で笑っていた。美味しそうな醤油の匂いもしてきて、お腹が小さく鳴った。
アーケードの傍で傘をたたむ。
近くに生きている人を感じる。
蝶野は流し目で見た。
まるで、自分のことみたいで、まるで、世界のどこかみたいだ。


そんなものなんだなあ、そんなものなんだ、それでもこんなに、いとおしいのだ。


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