@toasdm
まるでくたびれたアザラシのように床に転がる彼女を、雨彦は一跨ぎしてキッチンへ向かう。お前さん邪魔だぜ、と振り返ってみるが、全てのやる気を失った彼女はうんうんと唸りながらごろりと転がるだけだった。
「化粧は落としたのかい?」
「めんどくさいー……」
「はぁ……そうかい」
食ってすぐ横になったら牛になるぜ、と二人分の食器をシンクに置いて、雨彦はがしがしと洗い始める。牛よりもアザラシか、と苦笑しながらちらりと彼女を確認するが、先ほどの姿勢との相違点は見つけることができなかった。
外じゃ結構しっかりしてると思うんだがね、と彼女の仕事ぶりを思い出してみるが、家と外とじゃ大違いか、と至極当然の答えにたどり着き、苦笑を泡と一緒に水で流す。手間のかかる御仁だ、と綺麗に流した食器を水切りカゴに立てかけてから、手を拭き、雨彦は彼女の転がる床に座った。
「お前さん」
「んー」
「風呂入れよ」
「やだー……」
化粧も落とさず風呂にも入らず、彼女はこのまま寝るつもりなのだろうか。女の肌は一日サボると一週間かけて戻さなきゃならねぇんだろう、と彼女の頭を小突いてみるが、雨彦の言葉は彼女の耳には届いていたが、頭や心には今一歩届かなかったようだ。
「めんどくさいー…………」
この世の面倒くささを全て詰め込んだような究極のめんどくさい、が雨彦に向けられる。そうかい、と面倒くさがりの頭を撫でてから、雨彦はおもむろに立ち上がり、それから彼女の手をぐっと引っ張った。
「ちょ、ちょっと、ちょっと雨彦さん」
「面倒くさいんだろう?」
そのままずるずると、彼女の体は床を滑る。お前さん重たいな、とニヤけて言う雨彦をにらみつける気力もないのか、はたまた突然の強制移動に驚いてしまったのか、彼女は言葉未満の呻きをあげて引きずられるままになる。
「面倒なら仕方ないさ、俺がお前さんをキレイにしてやろう。隅から隅まで、な」
「なん、っ?!」
ずんずんと進む雨彦は脱衣所へ向かう。つまりこれは、強制的に風呂に入れられる展開か、と漸く事情を飲み込んだ彼女は待って待ってと床で暴れた。
「ぶつかるぜ、大人しくしてな」
「人の話聞いて!」
「先に俺の話を聞かなかったのはお前さんの方だろう、おあいこさ」
脱衣所に到着した雨彦は未だ転がったままの彼女の前にしゃがみこみ、ニヤリと笑う。さて、と彼女の両脇に腕を差し込んで抱き上げて座らせて、雨彦はわざとらしくゆっくりと、彼女の服を脱がせ始める。
「待っ、ちょっ!」
「服着たまま入るつもりかい?」
「そうじゃない!」
自分で脱げます、とようやくアザラシから人に進化した彼女に背中をぐいぐいと押されて、雨彦はあっという間に脱衣所から追い出された。
「さっき食器は洗っておいたぜ? それの延長戦みたいなもんだろう」
「食器と一緒にしないで!」
ドアの向こうでけらけらと笑う雨彦が彼女をからかっていることは明白だったが、正直風呂にも入りたくないほど疲れていた自分をここまで上手に風呂に向かわせた手腕は、お見事としか言いようがなかった。やっぱり優しい人なんだよなぁ、と気持ちが緩み、彼女は雨彦の評価を上げた。
「ついでに床掃除もできたな」
「雨彦さん!!」
雨彦が余計な一言を追加するまでの期間限定ではあったが、彼女の雨彦に対する評価はかなり高かった。憤懣やるかたないまま、彼女はザブンと湯船に沈んだ。