@toasdm
「お前さんなぁ」
持っていたハンドタオルだけでは拭ききれなかった水分を、手にしたバスタオルでがしがしと雨彦は拭き取ってやる。すみません、と悪びれた様子のない彼女はあっけらかんと、事務所のソファでされるがままになっている。
ちょっとそこまでだったもので、と傘も持たずにコンビニへ出かけた彼女を責めるつもりはなかったのだが、風邪でもひいたらどうするんだい、と言いたくなる気持ちは雨彦の中に確かにあった。
「出たときは本降りじゃなかったんですよ」
「そうだな、本降りじゃなかったが降ってはいただろう」
雨彦が事務所に顔を出したタイミングでは山村が留守番をしているだけで、プロデューサーさんならお昼買いに行きましたよ、と言われて雨彦は、入り口にあった傘たての彼女の傘を思い出した。
この雨の中かい?と濡れたつなぎの裾の水気をざっと拭きながら山村に尋ねてみたが、いつもそんな感じなんですよー、と言われて、雨彦は深いため息をつくしかなかった。その山村の昼休憩と入れ替わりに戻ってきた濡れ鼠を見とめて、雨彦は持っていたバスタオルで彼女を拭くしかなかったのだ。
「ああほら、動くな」
「う、う、葛之葉さん力強い……」
人には「アイドルは体が資本ですから」と言っては雨の中送迎に出てくれたり、お疲れ様ですと差し入れをくれたりマメにやっているというのに、お前さんは自分のこととなると無頓着だな、という憤りのやり場はどうやら彼女の髪を拭く手になってしまっていたようで、すまないな、とこちらも悪びれた様子なく、雨彦は乱暴な手つきで彼女を乾かした。
「自分でできますって」
「そうかい」
がしがしがし。あっという間に髪は乾いたが、彼女の髪はすっかりぐしゃぐしゃに乱れてしまっていた。彼女に着替えを促して、雨彦はバッグの中身を漁った。
「ほら、座りな」
「あの、自分で」
後ろまでは無理だろう、と軽く着替えを済ませて戻った彼女をデスクチェアに座らせると、雨彦は後ろに立って柘植の櫛で彼女の毛先を解しはじめる。
「俺たちに向けるような労りを少しはお前さん自身にも向けてやってくれよ」
梳き解された彼女の髪の毛は、まだ少し湿ってはいたが雫が垂れるほどではなく、しっとりとした毛艶は櫛を入れる毎にその輝きを増していく。返す言葉もございません、と大人しく髪を雨彦に任せて彼女は鏡を覗き込み、化粧の崩れをぽんぽんと直した。
ぱちん、とコンパクトを閉めて仕舞い、ふぅ、と彼女が一息ついた頃には、雨彦の目の前に豊かな艶を湛えた彼女の髪が広がった。こんなもんかい、とその髪を撫で付けて、さらりと髪を広げてみたが、これ以上はドライヤーでもなければ無理なようだった。
「お前さんが風邪でも引いたら、困る奴らばかりだろう、うちは」
「すっかり雨に降られちゃいました」
雨に、ねぇ、とにやけて、雨彦は無防備な彼女の背中から、のしっ、とのしかかるようにして抱きついた。
「はいっ!?」
「俺はお前さんを振ったつもりはないぜ?」
「ふる、いやいや、てへんの方じゃないです、こざとへんの方ですって!」
「そもそもお前さんの方から、そういうアクションもまだなかっただろう」
「雨ですって雨、雨! 雨彦じゃなくて雨!」
「いつになったらお前さんはそういうアクションを起こしてくれるんだい?」
つっこみどころが多すぎてつっこみが追いつきません、と叫ぶ彼女をけらけらと笑って、雨彦はぎゅうっと彼女を抱きしめて、首筋に頬を添えた。
「……冷えてるな、雨のせいかい?」
「く、葛之葉さん……」
離してぇ、とか細く鳴く彼女の耳元に、雨彦の甘い声が響いた。ぶわ、と一気に赤くなった彼女の首筋は、雨彦の頬に冷たさよりも熱を伝えるようになる。
「はは、熱くなってきたぜ? お前さん忙しい奴だな」
からかう雨彦はぱっと離れて、それから彼女の頭をぽんと優しくひと撫でする。
「あ、雨のせいです」
「……ほぅ?」
それが精一杯の、彼女なりの意趣返しであると受け取って、雨彦はまた、からからと笑った。
「その雨になら濡れてもいいぜ」
お前さんを労わってくれる雨だろう、と言い残して、雨彦は事務所を後にした。
彼女に触れていた雨彦の頬が赤いのも、恐らくは、雨のせいだろう。