@KLEAM_SAN
【呪いのまにまに】
キャメラの部屋の荷物の中には、古びた封筒が一つある。何年か前にしたためて、そのまま開けられたことはない遺言状だ。
戦場に赴く前には、これを机の目立つところに置いていくことにしている。自分が帰らなかった時、後処理をする人間が面倒にならないよう。今の所、その気遣いが効力を発揮したことはない。
『私の荷物は適当に処分してください。使えそうなものがあれば、好きに使っていただいて構いません。可能であれば、私と兄の遺髪を、パスタリアにあるトリートマン家の墓に入れてください』
書いてあるのは、たったそれだけ。長らく、それで十分だった。家族はおらず、彼女の死を処理しなければならない縁者も居ない。何かを追記する必要性も思い当たらず、封筒は開けられることのないまま日に焼けていた。
仮に、キャメラがどこかで殉職したとしよう。すると、医務室には穴が空くかもしれない。だが自分が居ないなりに、医師たちは協力し合うだろう。キャメラが居なくなった穴を埋めるのは、ひょっとしたら自分より優秀なヒーラーかもしれない。
魔法兵としてのキャメラの損失があるかもしれない。だが、それもたかが知れている。確かにキャメラは戦場に立っても強いレーヴァテイル、だがそれは他の魔法兵にも言えること。クロシドライトの方が経験豊富、沙華の方が広範囲を網羅出来て威力が高い、カムパネルラの方が知略に長ける。
キャメラを友人と思う者は悲しむかもしれない。しかし、それだってよくあることだ。戦乱において、友情と死別は切っても切り離せない。キャメラの死は、幾千もの死に埋もれて色を失くし、踏み越えるべき屍、あるいはトラウマの一要素と成り果てるだろう。
彼女の死には、絶望する価値もない。彼女の命には、後一度きりの奇跡という価値が有るかも知れないが。
死にたいわけではない。まだ生きていなければならないと思っている。自分が生きて謳うことで、救える命があるのだから。
だが生きていたいわけでもない。人生は苦痛で満ちている。キャメラの魂は辛酸と絶望の記憶に侵されて、常に痛みで彼女を苛む。
しかし事実として、キャメラは生きている。死線をくぐり抜けて、人の命を奪って、それ以上に人の命を救って、キャメラはこの日まで時を刻んできた。
そして可能性として、キャメラは次こそ死んでしまうかもしれない。後衛なら危険は少ないとはいえ、死ぬ時は陣形も何もないのだから。
そこまで考えて、キャメラは初めて自分が吐き気を覚えていることに気づいた。己の死に対して、ここまで深い不快感を覚えるのは、いつぶりだろう。ペンを置き、空いた手で口元を押さえる。
自分はこんなに繊細だっただろうか。いつの間にこんなに貪欲になっていたのだろう。少し窓の外の風景を眺めて、吐き気が収まるのを待つ。
(……もし私が戻らなかったら、あの人は泣いてくれるのかしら)
その仮定を言葉として脳裏に流すと、すっと吐き気に形を与えられたような気がした。自嘲するような笑みが浮かぶ。残していくのはきっと自分の方だ。この心臓と引き換えに、自分はもう一度奇跡を成せるのだから。
キャメラは新しくしたためた遺言状を三つ折りにして、新しい封筒に閉じ込める。封筒の片隅には、小さく宛名書きがされていた。
『将軍へ』
呪いだ。これを読んだ者は呪われるだろう。死者の念という、一度絡みつけば解けない想念に。その重さを知った上で、キャメラはこれをしたためた。
なんという性悪、なんという傲慢。だがそれでも言葉を残そうとするのは、その人に幸せになって欲しいから。酷く差し出がましいことだとは思うけれども、優しいあの人は、キャメラの死を重荷にしてしまうだろうから。
新しい封筒を、古い封筒の下に滑り込ませる。明日、これを残して戦場に向かう。今回、この気遣いは無意味なままで終わるだろうか。死ぬ覚悟は機能を果たさずに済むだろうか。
「死にたくない……」
覚悟とは正反対の言葉が、口端からまろび出た。口にすればするほど、自分が醜悪な怪物になっていくのを感じる。だが、止まらなかった。
「……生きて、帰ってきます。せっかく、約束してくださったんですから」
今の自分の顔は、どれだけ醜いのだろうか。鏡を見る勇気は出なかった。