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張宿と井宿@西廊国

全体公開 3 5 4515文字
2019-06-17 00:38:13

それは淡い桃色と草色の二色で、それぞれ薄く柔らかい紙に包まれていた。縁側に腰掛け、一つ摘んで縒りを解く。中身は指の先ほどの砂糖菓子だった。紅色の、薄くて可憐な花の形。草色のほうを透かして見ると、こちらは緑の葉のようだった。ふいに足に字が現れ、胸がざわめき立ち上がる。花が膝からバラバラと地面に落ちた。

Posted by @satomi8429

 張宿は今、字が出ているらしい。

 背筋を伸ばした彼は、白虎の夫妻に書斎を借りたいと申し入れ、食事までの小一時間引きこもっていた。
 井宿が食事だと呼びに行くと、張宿は両手いっぱいに何かを持ってきて皆に配り歩いているところだった。
「さっき庭でお隣の方にいただいたんです……お菓子みたいなのですが、よかったら」
 昴にもらっておきなさいとでも言われたのだろう。それを全員に配るなんて律儀な子だ。
「井宿さんも、よかったらおひとつ」
 そう言って手のひらに載せられたのは、乾いた重さの包みだった。片側を撚って留めてある。桃色の中身が淡く透けていた。
「ありがとうなのだ」

 そんないきさつで、井宿は今書斎に向かっていた。二重になっていた包みの中に張宿の伝言を見つけたからだ。廊下が無人なことを確認して、なるべく音を立てないようにひっそりと扉を開く。
「張宿」
 小声で声をかけ、伏せた腕の中からのそりと上がった顔を見てはっとする。
 書斎の机上には紙と筆とが散乱し、先ほど配った残りなのか、いくつかの菓子も無秩序に転がっていた。そして机に顔を伏せていた張宿の目は真っ赤になっていた。
「す、すみません井宿さん。まさかこんなに早くいらっしゃるとは」
 手掌で涙を拭いながら張宿が慌てる。井宿はひとまず眉を下げて微笑んだ。
「こんなこと書かれては、早く来ないわけにはいかないのだ」
 先ほど受け取った菓子の包みには、薄墨で小さくこう書かれていた。
『お話があります。時間がありません。誰にも気づかれないように書斎に来てください』
 食事の時は特になにも感じなかったが、と思い出す。普段通り食事をとっていた張宿の泣き顔に、井宿は張宿の足に字が出ていることを素早く確認した。
「ありがとうございます、すみません驚かせて」
「どうしたのだ?張宿」
「大丈夫です。戦局について井宿さんとお話したくて」
 気遣う井宿に構わず、ちり紙で素早く鼻をぬぐった張宿ははっきりとそう口にした。

 橙の灯りが二人の顔と机上を照らす。
 夜の西廊国は寒い。屋外は静まり返っており、家の中も、人のいない場所はとても静かだ。
 張宿はまず、今までのことを確認しようと言った。大きな紙を取り出すと、そこへ地図を描いていく。紅南国、運河、外洋、女誠国、北甲国、黒山。そこから続く砂漠、西廊国。するすると現れる今までの旅の道のりに、丸や三角や山の形など一筆書きの簡単な記号が無駄なく配置される。
「最初の地点では朱雀七星士は七人、星宿様は紅南国に残っていて」
 言いながら、張宿は紅色の砂糖菓子の包みから一片の花をつまみ上げて紅南国の位置へ置いた。
「僕たちはまず国内で角宿に攻撃を受けます。彼は飛び道具を自在に操る。それから、笛で気を操る亢宿、強大な気弾の攻撃力をもつ心宿。女誠国では房宿の攻撃を受けました。彼女は雷を操っていた」
 別の包みから取り上げた草色の砂糖菓子を紅南国へ、そして女誠国へ置き、紅の砂糖菓子もそこへ置いて旅程を確認していく。
「それから柳宿さんを襲った七星士は……神座宝を奪った狼もそうだとすれば、獣と人の両方の特徴を持っていると言えます。そしてそこで僕らは柳宿さんを失いました」
 張宿は震える手で、紅の砂糖菓子をひとつ紙の外へ移動する。冷静な口調だったが、指先も唇も震えていた。
「砂漠では幻覚を見せる術師がいました。これは角宿が殺害しています。また、亢宿は戦線離脱したとみていいでしょう」
 今度は草色の菓子をふたつ、紙の外へ移動する。
「現在、残っている青龍七星は心宿、房宿、角宿、そしておそらくもう一人未知の七星士がいます」
 張宿は余白に気弾、雷、遠隔攻撃、と書き込んだ。
「対する朱雀七星士は、柳宿さんと星宿様を除いた五人」
 間を開けて、炎、術、拳、治癒、知能、と書く。
「それから、現在の状況です。玄武の神座宝は青龍が持っており、白虎の神座宝を探している状況です。神座宝がふたつ揃えば神獣が呼び出せます。つまり」
「現時点で青龍が圧倒的に有利であり、一刻も早く召喚の儀をしてしまおうと思っているはず、なのだ」
 井宿が口をはさむと、張宿はおっしゃる通りです、と硬い表情を紙から井宿へ向けた。
 あたりは灯の芯の燃える音がわかるくらいしんとしている。張宿が一度息を吐いて小さく吸い、その音が書斎に広がり本の壁に吸収される。
「青龍が召喚されて一番恐ろしいのは、朱雀の封印です。朱雀が封印されたら、青龍側の横暴を覆すすべがなくなる……僕たちは朱雀の封印を、なんとしても阻止しなければいけません」
 橙に照らされているはずなのに、張宿の顔面は蒼白だった。おそらく自分の顔からも血の気は引いているだろう。
「単刀直入に言います。ここからは、朱雀召喚・青龍阻止を最優先に動いてください」
 普段なら、そんなに思いつめなくても大丈夫なのだなどとおちゃらけて持っていくのだが、迫真の視線に射られ、井宿は身動きが取れなかった。自分が薄々気づきつつも目をそらしていたことを、この十三歳の少年から断言されてしまったからだ。口が乾いて唾すら飲み込めない。
無言のまま圧されていると、張宿がうっすら微笑んだ。結論だけ言われても納得できませんよね、と。正確には、微笑もうとしたように見えた。頬がこわばって動いていない。
「彼らは今まで、僕達の行く先行く先に現れては攻撃を仕掛けてきました。それも正攻法ではなくありとあらゆる手段を使って」
 張宿が砂糖菓子を動かしながら地図を見やる。確かに、行く先々に彼らは先回りして現れ、裏をかいて一足先を行っていた。これからこちらがどう行動をとるにせよ、同じように周到に立ち回られる可能性は大きい。井宿は腕を組んで静かに息を吐いた。井宿の目線に理解を確認した張宿が続けた。
「さらに彼らの能力は遠隔的かつ多岐にわたっている。獣だとか貝に閉じ込めるだとか、想定外がすぎます。残る一人も何が来るのか想像がつきません。対するこちらの陣営は接近戦には長けているけれど接近戦に持ち込めなければ不利です。しかも僕と軫宿さんは戦闘要員にはなりえません」
 井宿は奥歯を噛み締めた。そんなことは百も承知だった。そもそも不利な陣営なのだ、最初から。象に鼠が立ち向かうようなものだ。
「僕は軍師の役割を期待されてここに居ると思っています。ならば、最悪の事態で最善の結果を出すための方法を考える義務があります」
 朱雀召喚・青龍阻止を最優先にする――それは、『たとえどんな犠牲が出ようとも』という言葉と対になる。
すでに柳宿という犠牲は出てしまっている。これ以上の犠牲を出さないよう最善を考えていた井宿には、それはすぐには受け入れがたい提案だった。
 この子は遥か先までを見ている。これ以上、目の前の大事な人を死なせたくない。その一点は朱雀の他の面々も自分と同じであるだろう。しかし、目の前の犠牲だけに着目していれば、祖国の多くの命が失われかねない現実があった。現実を眼前に突き付けたまま、張宿はまばたきもせず言った。
「こんなこと、井宿さんにしか頼めません。わかって……いただけますか」
……君の言いたいことはわかった。善処、するのだ」
 これが井宿の精一杯の返事だった。口の中に苦いものが広がる。しかし他になんと言えるというのだ、と井宿は自分に言い訳をした。
「ありがとうございます」
 そう言うと、張宿はほんの少しだけ表情を緩め、椅子を引いて深々と頭を下げた。

 どのくらいそうしていただろうか。
「もう顔を上げるのだ、張宿。わかったから」
 空気を変えるべく肩に手をかけると、薄い肩が小刻みに震えている。首をかしげて覗き込むと、張宿がようやく顔を上げた。
「今のは軍師としての僕の意見です。……ここから先は、僕自身の個人的なお願いです。頼まれてくれますか」
「なんなのだ?」
 視線を落とすと、張宿が自身の膝を掴んでいた。力の入れすぎで、爪の部分まで真っ白になっている。
「先ほどの話をわかってもらえたという前提でお話します。もしこの先、僕が足手まといになるようなことがあれば」
「何を言うのだ張宿」
「その時は、僕に構わず先へ進んでください」
  思いがけない言葉に井宿はガタンと立ち上がった。
「切り捨てろということなのだ!?そんなことは、できないのだ!」
 考える間もなく、強い言葉が口をついて出た。
「さっきわかったって言ってくれたじゃないですか」
 張宿の言葉は冷静だ。自分が冷静でない自覚はあった。しかしこれはどうしたって、咎めずにはいられない。
「善処すると言ったのだ!でもそれは、できる手を全部打ってそれからの話なのだ!」
「時間がないんです!!」
 間髪入れずに張宿が噛みつく。張宿の両手が机を叩くと、跳ね上がった砂糖菓子がころころと床に転がり落ちた。
「できる手を全部打っていたら、その間に青龍を召喚されてしまう……時間がないんです!」
……!」
……大声を出してすみません」
小声に戻った張宿が言った。震える声は弱々しく、字のない張宿を思い出させる。
「でも本当に時間がないんです……。僕も、今こうしてしゃべっている間も、いつ字が消えるか気が気じゃないんです。一度消えたら次はいつ出るかわからないんです。こうしている間にも、青龍側はきっと策を講じている。召喚の準備を着々と進めているはずです……字が消えてしまったら、対抗策を考えることもできなくなる」
 張宿の目に、みるみる涙が溜まっていく。それはすぐに溢れて大粒の雫が頬を伝い膝に落ちた。
「体力も腕力もない、その上知力もない、僕は皆さんに迷惑をかけるばかりの、ただの子供になってしまうんです」
 堪え切れない嗚咽の合間の絞り出すような言葉に、井宿は絶句するしかなかった。受け入れがたい正論だった。
「お願いします、僕を安心させてください。どんなことがあっても足手まといにはならないんだと、信じさせてください。僕を、朱雀七星士でいさせてください」
 井宿は自分を非力だと感じた。涙の理由はきっと畏れだ。自分が足枷になるのではという恐怖と、それにより国や家族や多くの命が失われる恐怖が細い肩を震わせている。小さな背に重すぎる宿命を負った少年に、こんなことを言わせている大人の自分がひどく情けなかった。
どうしてやるのが正解だろう?受け入れられるわけがない。しかしこの苦しい告白を無下にもできなかった。
「もう言わなくていいのだ、張宿。そんなにたくさん考えて、今日は疲れただろう。もしもの時はオイラがなんとかするのだ。だから張宿は心配しなくていいのだ」
 我ながら狡い大人だと思う。

 それから何時間経っただろう。
 自分は張宿になんとかすると言った。なんとかしなくてはならない。なんとしても。どうすべきか。どうすれば。
 答えのない問いがぐるぐるまわり、焦りだけが増幅する。
 井宿は庭の木にもたれ、いつまでも眠れなかった。


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