@yga262yf
それは世界のすべてが止まるような、季節の境だった。
きみは肩ほどまでの髪を揺らした。僕にしかわからない笑みのようなものをその頬に乗せていた。
「帰って来いって言っているわ」
「いいじゃない。もう少しぐらい」
僕はそう言いながら、むき出しのスマートフォンが白いパンツのポケットにしまわれていくのを見ていた。
スマートフォンの明かりが完全に沈黙すると、僕らはまた国道を歩いた。
この時きみと何の話をしたのかは、実はよく覚えていない。大切な話だったかもしれないし、どうでもいいことばかりだったのかもしれない。
けれど、少し白んだ空の下の、その止まった時の名前を、これから先忘れてしまう日は来ないだろう。
「凪」
「今日、天神さんに行きましょう」
その日も僕は、朝早い教室に訪れたきみの前に間抜け面を晒すことになった。
きみは時々こうして、決まって僕が一人の時に悪い誘いを持ちかけてくることがあった。
「今日、これからって言ってる?」
「そうよ」
「あと50分で僕らはここに座っていなくちゃいけないんだけど」
「大丈夫よ。座っていなくたって」
「君ね」
彼女の言う天神さんへは、電車を乗り継いでいかなければならなかった。そうとわかっていて、数少ない友人に堂々と学校をサボれと言うわけだ。
僕はため息をついて立ち上がった。彼女も僕が断らないことをわかって誘いにきている。
「わかったよ。今日という日は今日しかないからね」
「あら、わかっているじゃない」
「君がいつも言っていることだよ」
靴底を踏んで僕は彼女についていった。きみは一度家に帰って着替えたがることを知っていたから、鞄を持って扉を閉めた。
電車の規則正しい揺れが、僕らの間に落ちていた。
始業時間を過ぎた午前の車内には、それ以外には何もなかった。
きみはお気に入りの音楽を聴くでもなく、スマートフォンでゲームをするでもなく、ただ黙って座っていた。
僕も黙って座るふたつの影が、電車の床に揺らめくのを見つめていた。
この君の隣にあった影が、かつて僕の形をしていなかったことを、僕は知っている。
「ねえ」
「何?」
「電車降りたら、アイスクリームを買おう」
「いいわね、それ」
きみの横顔は、微かに笑ったようだった。
電車は減速して、やがて停止した。僕らは駅のホームにひっそりと立っている自販機に向かって歩いていった。
境内についても、きみは言葉少なだった。
錆び付いたまま置かれていたゴミ箱にセブンティーンアイスの棒を投げ込み、いつの間にか腕時計は昼を指していた。
きみはカーディガンを脱いで、腰に巻いていた。
身を清めるでもなく、手を合わせるでもなく、木漏れ日の隙間で相変わらず僕らの影は隣り合っていた。
「こっち」
それが風の音だったのか、彼女の言葉だったのかわからない。
見ると彼女は境内の影に歩いていくところだった。靡く髪の色を確かめてから、僕は歩いていった。
玉砂利の擦れる音が、しばらく心地よく響いていた。
音が途切れると同時に、僕は目を瞬いた。
そこは眩しい青だった。雲のほとんどない空をぶちまけた世界の下に、こまごました街がいた。
玩具みたいなアパートの影から鳥が飛び出して飛んでいく、遠くの方には霞むランドマークが見えた。
なるほどね、と僕は心の中でだけ述べた。なるほど授業を急にサボってでも、見にきたくなる空というわけだ。
「……満足しましたでしょうか?」
きみの薄い茶色の髪が揺れるのを見ながら、僕はちょっと口を尖らせて問うた。
きみの睫毛が瞬いて、それからゆっくり振り返った黒い目が僕を見る。
「ええ、とってもね」
その時、生まれて初めて、僕は時が止まるものだということを理解した。
「だからもっと、遠くへ行きましょう」