@toasdm
「うぅ……」
彼女の呻きをおさえて事務所に響いたのは、彼女の腹の虫の鳴き声だった。ぐきゅるるぅ~、と情けない鳴き声をあげる彼女の腹は、なんでもいいから固形物をちょうだい、と泣き叫んでいる。もうこの際デスクでも、と突っ伏したデスクにかじりつこうとしたその時だった。
「……何、してるんです?」
「うぅ……いじゅーいんさぁん……」
レッスンを終えて事務所に顔を出した北斗に、たすけて、と生きながらにしてダイイングメッセージを残す彼女に近寄るまでもなく、腹の虫もたすけてと北斗にヘルプを求めていた。
「ちゃんとお昼食べました?」
「はい……」
彼女が自分のガス欠に気がついた時には、既に彼女には何かを買いに行くだけの気力も体力も残っておらず、ダイエット目的で処分してしまった買い置きもなくなってしまっていたのが敗因だった。もーダメぇ、と再びデスクにかじりつこうとする彼女をまぁまぁと優しく制して、北斗はジャケットのポケットから個包装のビスケット菓子を取り出した。
「よかったらどうぞ」
「神かな!?」
「アイドルです」
キラリと白く光る歯を見せて笑う北斗は確かにアイドルだったが、今の彼女にとってはそんなことはどうでもよかった。幼児向けのパッケージをむしりとるように開けて、彼女はなんの躊躇いもなく口の中にビスケット菓子を放り込んだ。
「んんぅ~……血糖値の上昇を感じるぅ……」
「あっはは、面白い喜び方ですね」
よっぽど限界だったんですね、と必死で食べる彼女の姿に目を細めて、北斗は一瞬伸びかけた手を引っ込めた。まるで小さい子供を撫でるような感覚で彼女の頭を撫でようとしてしまった自分に一瞬驚いたが、血糖値の上昇に夢中な彼女には幸い気付かれていないようでほっと胸を撫で下ろす。
一瞬で彼女の口の中へと消えていったビスケット菓子は彼女を満たすのに十分だったようで、ふぇー、と落ち着きを取り戻した彼女はゴミ箱にパッケージをぽい、と捨てて、ん?と北斗の足元を見る。
しっかりとしたつくりの革靴はきちんと磨かれていて、トレンドの足首を魅せる丈感のスラックスは素材がいいのだろうか、品のある光沢感とナチュラルで素朴な素材感を感じさせた。そのまま視線を上げるとサマージャケットは裏地もないのか、さらっと羽織った気軽さが北斗らしくオシャレに見えた。大人らしさを嫌味なく着こなす北斗のルックスに目を奪われて、彼女はぼそっと呟いた。
「……誘拐犯?」
「はい?」
ある意味命の恩人と言えなくもない相手に対してなんという言い草だろうか、という自覚はあったものの、まだまだ彼女の血糖値は彼女の頭を働かせるまでには至っていないようだ。
「いえ、だって……子供向けのお菓子がさっと出てくる大人、ってなんかもう、誘拐犯かな、と……」
「……ええと」
北斗の困惑は当然だった。たまたまですよ、と苦笑して答える北斗は大人びていて、彼女はますます、誘拐するつもりなのかな、ととんちきな考えを強くした。
「でも……伊集院さんなら警戒心なく誘拐さらっとできちゃいそうだし」
「しませんって」
くすくすと笑いながら北斗は、彼女の目線の高さに合わせて腰を屈める。え、と一瞬固まった彼女の顔をじっと見つめると、悪戯っぽい笑みを浮かべて北斗は囁く。
「それとも、プロデューサーはお菓子で俺に誘拐されてくれるんです?」
「え…………うーん……」
真剣に悩まないでください、と吹き出した北斗は涙目になりながら笑って姿勢を正して、彼女の頭をぽんぽんと優しく叩いた。
「そ、そもそも私小さい子じゃないですよ!?」
「あれ、そこです?」
「あ、ええと……」
真剣に悩まないでください、と爆笑する北斗の前、彼女はか細い声でごちそうさまでした、と呟くしかなかった。
「今度はちゃんと、プロデューサーを誘拐する為のお菓子を持ってきますよ」
「だ、だから私小さい子じゃ」
不服を表現するようにぷくっと膨らませた彼女の頬をつん、とつついて、北斗は意味深にウィンクをする。
「はい。ちゃんと大人の女性を誘拐する為のお菓子を用意しますよ」
誘拐の時点で大人じゃない、とわぁわぁ喚く彼女はすっかり元気を取り戻していたようだった。チャオ、といつもの調子で事務所を出た北斗は内心、小さい子でも変わらないかも、とまだ彼女の髪の柔らかな感触が残る手のひらをじっと見つめながら事務所を後にした。