@toasdm
「プロデューサー、この後時間余裕あるか?」
満員電車の中、英雄の声は小さな囁きだったが妙に力強かった。大丈夫なはずですが、と腕時計を確認した彼女にニッと歯を見せて笑うと、英雄はその眼光を最大限まで鋭く光らせた。
「おいあんた」
え、と彼女が見上げた顔は、見慣れているはずの彼女でも思わずひぃ、と悲鳴をあげてしまうほど強烈な圧を放っていて、人いきれの中、膨れ上がっているはずの弱冷房車の熱気の中で、絶対零度の凄みが英雄そのものからゆらゆらと立ち上っているようだった。
「次で降りろよ」
「っだだだだ」
彼女が漸く全てを理解した頃、英雄の目線の先、腕をねじ上げられて悶絶している小太りの男の影で小柄な女性が崩れそうになって震えていた。
「もう大丈夫だよ、この人、元々おまわりさんだからね」
彼女の口から自然にそんな言葉が溢れて、ゆるやかにホームに滑り込んだ電車が四人を吐き出した頃には、すっかり痴漢撃退の役割分担はできあがっていた。
「よしよし、大丈夫。大丈夫だよ、怖かったね」
がたがたとただ震えるばかりの小柄な女性はよく見れば制服を着ていた。声も出せないほど怖かったのだろうか、彼女にぎゅっとしがみついて抱きついて、少女はひたすらに頷くだけだった。
「あんたも怖かっただろ、そのお姉さんに付き添ってもらってたら大丈夫だから、な」
自分の顔が人を怖がらせるという自覚があるのか、英雄は振り向かずに背中越しに少女に語りかける。鉄警に引き渡してやるから安心しろ、と親指だけを立てて、英雄はひっ捕らえた最低な犯罪者をずるずると引きずっていった。
出来心だったんです、魔が差したんです、と言い訳までも最低で小さな痴漢はすっかり観念したのか、鉄道警察の詰め所の中から嗚咽を漏らしているのが外で待っている二人にまで聞こえてきた。険しい表情のままぎり、と奥歯を噛み締める英雄の隣で、彼女は女性警察官に少女を引き渡そうとしたのだが――…。
「お姉さん、おねがい、します……」
少女の手は、彼女のジャケットの袖口をぎゅっと掴んで離さなかった。時間、余裕あるんだろ、と英雄は彼女を快く送り出し、別室で軽い調書を取っている間、じっと待っていた。
英雄の胸に去来する、様々な感情のやり場はどこにもなかった。自分の目の前で最低な犯罪を未然に防げなかったことへの不甲斐なさ、抵抗できない、年端もいかないいたいけな少女に対する暴行への憤り、怖かっただろうな、ごめんな、という少女に対する労りもあったが、ぎりぎりと奥歯を噛み締める強さが、英雄の感情の強さを如実に表しているようだった。だからこそ。
「お待たせしました」
「ん、お疲、れ……?」
もう大丈夫みたいです、と戻ってきた彼女が手渡してくれた一枚のメモを見た瞬間、感じた思いは、英雄にとって何よりも力強い応援になっていた。
「今日、英雄さんは、大人としても、男としても、アイドルとしてもあの子を支えてあげられたんですよ」
「…………」
誰も助けてくれないと絶望した瞬間に、自分の体をまさぐる卑劣な手が退けられて泣きそうなほどありがたかったこと。
「…………はは」
それが、大ファンのFRAMEの、握野英雄だったこと。
「そっか……」
自分なんかの為に、大人が二人も身を挺して心を砕いて救ってくれた事。
「呼んでくれてたんだな、あの子……」
お願い助けて、FRAME助けて、と心の中で呼んでいた自分を、本当に助けてくれた奇跡が、未だに信じられないこと。
可愛らしいメモ用紙に、まだ震えの残る手で書かれたのだろうか、多少読みづらい字ではあったが丁寧に綴られた感謝の言葉は、何よりも英雄の心を打った。
「……って、龍のファンかよ!」
最推しは同ユニットの他メンバーだと裏に書かれていて思わず膝がガクン、となった英雄だったが、それでもその、たった一枚のメモは、英雄を前へと押し出す強い力になった。握野さん、と微笑む彼女も、十分エネルギーになった。
「よかったですね」
「よくないけどな」
彼女が怖い思いをしたことには変わりない、とまだ英雄の胸はちくりと痛んだが、顔は先ほどよりは怖くなくなっていた。
「……頑張ろうぜ、プロデューサー」
決意を新たにするには、小さな呼び声とそれを余さず拾う心構えだけで十分だった。