@toasdm
彼女を家まで送り届けてから、冬馬は最寄駅へととぼとぼ歩く。彼女の手前、一人で帰れると虚勢を張ったのはいいものの、寂しいか寂しくないかで言えば寂しい。ついさっきまで二人で歩いていた道を一人で歩く寂しさは、さながら友達が帰ってしまった後の自室を片付けているときの感覚と似ていた。はぁ、と夏の月を見上げて立ち止まり、冬馬は、ふ、と見知った香りに心を撫でられた。
「……そっか」
その香りの正体と出所に思い当たって、冬馬は今度は下を向いて目を閉じる。そっか、とまた呟いてから、冬馬は公園の自販機で缶コーヒーをひとつ買った。
甘く冷たい缶コーヒーを、冬馬は公園のベンチでひとくち流し込む。喉の奥を灼くような甘さも気にならない程の甘い記憶が、思い出そうとしなくても冬馬の脳裏を過ぎっていって、羽織った薄手のサマーカーデの袖口を口元に当ててから、やっぱりそうか、とどこか納得した様子で冬馬はスマートフォンを取り出した。
「お」
歩いている間は気付かなかったが、彼女からメッセージアプリに、未読メッセージがひとつあると通知が来ていた。明かりのない夜の公園は、日中は子供たちが遊んでいた遊具もぐっすりと眠っているように静かで、その暗闇の中、冬馬のにやけた表情を、スマートフォンの画面が下から照らしている。
今日、楽しかった。
たった一言、それだけが、冬馬の頬をゆるゆるにゆるませる。俺だって楽しかった、と素直に入力した文字を送信する前に、冬馬は少し考える。
あんたはそんなんでも喜ぶんだよな。そんななんでもない一言だけで、ありがたがって、喜んで――そりゃ、嬉しいけど。
冬馬の中に生まれたこそばゆさが、せっかく入力した文字を全て選択して一気に削除させた。代わりにさっきの冬馬の気持ちを掴んだ小さな一瞬を教えてやろう、と冬馬はにやけた口に缶コーヒーを流し込んだ。
俺からあんたの匂いすんだけど
それは、素直に「俺も」と言うのが悔しかったせいだとも言えるし、さっき感じた彼女の香りに、またすぐ会いたい気持ちが呼び起こされたせいだとも言えた。送ったメッセージに既読がつくまで、冬馬はにやけた口元を彼女の香りがついた袖口で隠しながらじっと待っていた。
「……っへ」
しかし待つまでもなく(あるいは彼女もずっと待っていたのか)既読はすぐにつけられて、代わりに年頃の女性らしい、可愛らしい猫のキャラクラーの画像スタンプが送られてくる。
私も、冬馬君の匂いするよ。
これシャンプーかも
おそろい使う?
女くさくなるからヤダ
私の匂いでもダメ?
「……反則だろ」
短いセンテンスのやりとりが、楽しかった夜の名残をほんの少しだけ延長しているようで、冬馬の頬はゆるみっぱなしになる。あんたほんと可愛いよな、ずるい、と返して真っ赤になった冬馬は立ち上がり、空き缶をゴミ箱に入れて公園を出た。終電の時間には間に合いそうだが、これ以上のんびりもしていられない。
「……ん?」
公園の出口、着信を知らせたスマートフォンには、先ほどと同じえへへの猫の画像スタンプが送られてくる。
「だから、そのスタンプも反則だって……」
照れた猫がえへへと笑って恥ずかしそうにしているその画像スタンプと、今の冬馬の表情とはさほど違いがないことを、夏の月以外に知っているものはなにもなかった。