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『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』終盤の展開についての雑感

全体公開 2673文字
2019-07-23 22:19:03
Posted by @nomu1214

↓の記事の続きですが、この記事だけでも読めるように努めました。
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』に関する雑感 (https://privatter.net/p/3592965




 人間兵器として育てられた主人公ヴァイオレットは、育ての親かつ上官であるギルベルトから死の間際に告げられた「愛している」の意味を探すために、戦後、代筆屋として活動していく。そして、かつては軍隊の語彙でのみ世界を認識し、上官の命令に従う兵器と自己認識して生きてきたヴァイオレットは、多様な依頼人の語りを聞いていく中で、世界や自己の内面を認識するための多様な言葉と物語を知っていき、世界の認識のあり方を大きく広げていく。他方で、それは自分がかつて戦場で奪ってきた多くの命やありえた物語の重さを認識していくことにも繋がり、その罪悪感に苛まれていく。それでも、戦後に代筆屋として積み重ねたことに背中を押され、兵器としてではない、自らの意思で戦後の世界を生きる自分をついに肯定できるようになる。

 以上が9話までの話。その上で、本作について興味深いのは、終盤に近付くと9話までの物語に対するアンチテーゼとも思えるような展開に突入し、その中で冒頭の問いである「『愛している』とは何か」を探っていくことです。

 11話では、これまで戦後の平和な世界を描いてきたのから一転して、辺境ではむき出しの戦場がいまだに残っていることが突如として描かれます。作中の描写から推測するに、その背景には、戦後処理の過程で、不穏分子の後始末が負けた側、それもその中でも立場の弱い小国に押し付けられ、戦争が終わったにもかかわらずそこで血が流れ続ける、そうした強者が弱者に暴力をアウトソーシングするシステムの上に、これまで描かれてきた戦後の平和が成立しているという構造が読み取れます。
 さらに、そうした構造は主人公たちが住む戦勝国・ライデンの側にも浮かび上がってきます。12話では、不穏分子によるテロの可能性が高い中で、和平交渉に向かう特使の列車移動を護衛するという危険な任務が、なぜか陸軍ではなく海軍のディートフリート(ギルベルトの兄)に委ねられます。8話のホッジンズとギルベルトの会話のシーンに見られるように、ギル&ディート兄弟の一族は辺境伯という貴族ではあってもそんなに裕福ではない一族だと思われます。そして、そうした立場の弱い一族に血が流れる可能性の高い危険な任務を押し付ける構造がライデンの軍に存在することが窺えます。

 このように、歴代京アニ作品の中でも屈指の美しい作画で描かれる本作の作中世界は、その覆いを外してみればむき出しの権力が作用する非常に厳しく冷酷な世界であるように思えます。そして、それは本作が9話までで描いてきた物語、新たな世界と言葉を知りながら小さな歩みを積み重ねていくミクロな個人の歩みを一気に吹き飛ばしてしまうような強固さと残酷さを持っています。
 実際、こうした残酷な世界の構造に対して、その中に生きる個人はあまりにも無力です。11話で今も残る戦場とそこで命を落とす人間に触れたヴァイオレットは命を救えなかった悔悟を胸に「もう誰も死なせたくない」という願いを持つようになります。そして12話では、襲撃するテロリストに対峙しつつも、彼らの命をも守ろうとしますが、その結果敵につかまり自身の命を奪われる寸前まで追い詰められます。そこを救ったのは、ディートフリートが放つ銃弾であり、守ろうとしたテロリストたちはヴァイオレットの願いもむなしく次々と命を落としていきます。

 そして最終回の13話、悔悟と無力感と傷心を胸にライデンに帰ってきたヴァイオレットを待っていたのは、戦争が終わった世界を生きつつも、戦争で失われた命に対して諦めきれず、どうにもならない無力感の中で当てのない手紙を抱えた大勢の人々でした。そして、その中には、他ならぬギルベルトの母もいました。認知症が進行しつつある彼女は、おぼろげな記憶を辿りながら、自分も、そしてディートフリートも、いまだに死んだギルベルトのことを諦めきれないのだとヴァイオレットに告げます。そして、次のように続けます。

 「あの子は生きてる。心の中で。だから決して忘れない。思い出す度に辛くても、ずっと想って生きていくわ。だって今も、愛しているんだもの。」

 ここに、本作の1話以来の問いであった「『愛している』とは何か?」という問いに対して、本作の答えが示されます。戦争が終わった世界の中で、それでも戻らない誰かを諦めきれず、消せない痛みを抱えて生きること。それをこの作品は「愛」なのだと定義しました。
 それは、新たな世界で前向きに生きなおすことを肯定した9話までの展開とは正反対のものに思えます。確かに、過去を振り払い、新たな世界で積み重ねたことを肯定して、前向きに生きるということは正しく、大事なことだと思います。しかし、それは時に、消せない痛みや後悔、無力感、諦められなさを抱えて、終わらない過去を生きている人にとってはある種の暴力にもなるのではないでしょうか。そうしたどうやっても振り払えない薄暗い感情を指してそれを「愛」なのだと言うのだとしたら、それはとても優しくて、美しくて、とんでもなく重要なことなのではないかと思うのです。

 最後になりますが、公開が予定されている本作の劇場版を、僕は今でも心から楽しみにしております。たとえどんなに多くのものが失われたように感じられても、本作9話で印象的に描かれた台詞に言葉を借りれば、「これまでしてきたことは決して消えない」と思います。9話でヴァイオレットが代筆屋として積み重ねてきたことが彼女が再び歩き出すのを後押ししたように、これまで積み重ねた数多の物語が、再び立ち上がる人々をきっと支えてくれると信じています。そして何より、惨禍を越えて甦った世界の中で新しい人生を歩むことも、どうやっても消えない後悔や痛みを抱えて終わらない過去を生きることも、その両方を受け止める『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の物語が、きっと寄り添ってくれると信じています。

 本当に素晴らしい作品でした。劇場版、ずっとずっと待っています。


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