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「修験道辞典」より【里山伏】項

逆名
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2014-11-01 12:03:58

◆里山伏 さとやまぶし 【組織】
 山伏の一形態で里修験ともいう。修験道の分類には、本山派・当山派・羽黒派など、所属する組織によって分類することも可能であるが、組織を越えた観念や様態を示している物が多い。里山伏・里修験という観念は、山と里という地理的空間と、山岳抖擻(とそう)・廻国に対する定着という山伏修験の行動性との二点を基準にし、山伏修験の存在携帯に基づく分類の一形態である。つまり里山伏・里修験は里に定着している山伏修験で、一般的に抖擻性を稀薄化させ、山岳修行よりも対庶民の布教活動に中心をおく山伏修験といえる。
 修験道の組織化は、主として中世期から近世初頭に掛けて進展するが、修験道自体の組織化と、大名領国制・幕藩体制の確立に伴う社会的変化、山伏修験に対する移動の制限などによって山伏の定着かが顕著となる。山伏の定着には、山岳に定着し周辺諸地域に広く信仰圏を成立させ、信者の宿泊と廻檀とを中心的活動とする御師(おし)、里に定着し祈祷師・呪禁師として活動する里山伏・里修験との二つのタイプに分けることができる。
 なかでも江戸時代、本山派・当山派に所属する修験の中では、里山伏が支配的形態であったと称しても過言ではない。江戸時代の里山伏は、聖護院、醍醐三宝院門跡を頂点とする修験道界の支配と、江戸幕府を頂点とする俗的権威との二重の支配を受けている。
 江戸時代後期から幕末にかけて作成された「仙台藩風土記書出」(宮城県史所収)によると、里山伏には士分格の山伏と百姓山伏とがあり、百姓山伏には更に本百姓格の山伏と、水呑み、借家山伏など百姓の中でも最下層に位置づけられる山伏とに分けられている。
 このように、宗教的活動以外は一般の農民と何ら変わるところがない山伏も出現しており、その存在形態も地域社会の在り方との関係で様々な様相を示している。概して農村部に居住する里山伏は農業を営みながら宗教活動を行う者が多く、街に定着した里山伏は宗教活動のみに依存している者が多いと言える。又街に定着した里山伏は借家住まいの者が多く、農村部の里修験と比較すると定着性に乏しいと言える。
 里山伏は、地域社会の人々から法印様・別当様・山伏様などと呼ばれ、民間信仰の中で指導的役割を果たしてきた。一派引導の例に見られる如く山伏自身の葬祭を執行する場合もあるが、一般に現世利益的領域においてその力を発揮し、治病や除災などは里山伏が一手に引き受けてきたと称しても過言ではない。里山伏と地域社会の宗教との関わり方は、ムラ・家・個人と異なった三つのレベルに分けることが出来、その宗教活動は庶民の日常生活全般に及んでいる。ムラレベルの宗教では地域で祀る氏神の別当職の任に当たったり、ムラ日待や恒例化している宗教行事の祭祀を執行するほか、雨乞いや除災のための加持祈祷を行っている。家を単位として師檀関係を結び、春秋二回あるいは定期的二年数回の廻檀をして家の神・屋敷神の祭祀を行うこともしばしばである。その際に家族全員の厄除けや無病息災を祈念することも多く、こうした檀家に対する宗教的活動が、里山伏の経済的基盤となっていることも少なくない。また定期的に行われる怪談は、荒神祓い・春祈祷・秋祈祷・日待祈祷など、地方によって異なった名称で呼ばれている。
 里山伏の手法も、読経や祓い、加持祈祷、調伏、呪符やまじないなど、執行する目的によって様々な方法が採られている。また修験と巫者(妻・母・娘)とが一体となって活動する場合もあり、易を使用するほか、巫女に神霊を憑依させて託宣を行う例も認められる。更に里山伏と地域社会との関わりは、宗教活動に留まらず寺子屋を開設している修験もあり、法印神楽や能舞・権現舞の例に代表される如く、里山伏は教育や芸能関係に置いても重要な役割を果たしてきた。(宮本)

引用終了 「修験道辞典」(宮家準・編/東京堂出版1986)より


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