@toasdm
所用を済ませて事務所に戻ると、見慣れた長身が見慣れない姿でソファにゆったりと腰掛けていた。お疲れ様ですと声をかけると、手元の台本から顔をあげ、左耳のヘッドフォンを外してお疲れさん、と返事をした。
「次のドラマの台本ですか?」
「ああ。お前さんの無茶振りを全力でやっつけてやるところさ」
てっきり監督の方かと思ったんだがな、と見慣れない、落ち着いた黒のヘッドフォンを首までずらして、雨彦はニヤリと笑った。
「俺が高校生か」
「葛之葉さんならいけますよ」
次のドラマのスポット配役として彼女が持ってきたのは、青春ドラマのバスケットボール部員の役だった。バスケット部の青春模様を描いたそのドラマの、ライバル校の部長役に抜擢された雨彦は最初、耳を疑った。
「背が高いだけなら他に適任がいるだろう」
「ミステリアスで何を考えているかわからない、どこか大人びたところがある背の高い男って言ったら、葛之葉さんが適任ですよ」
「大人びた、ねぇ……」
苦笑と共に雨彦は、台本を応接テーブルに投げ出して足を伸ばした。
「大人びたもなにも、立派な大人のつもりだぜ?」
「だからこそですよ。高校生が無理して背伸びして大人びたように見せる演技、通ってきた葛之葉さんならできるんじゃないですか?」
無茶苦茶だな、とのびをして、雨彦はヘッドフォンのつながったスマートフォンを操作する。何か聞いていたんですか?と近付く彼女に、雨彦はため息混じりに答えた。
「ドラマの主題歌と作中BGMをいただいてな。ま、雰囲気作りってところさ」
「勉強家ですね」
「そいつはどうも。干支一回り以上サバを読むもんでな、イメージするのも一苦労だぜ」
作品全体の雰囲気を掴んで、その中で、自分が演じる役がどのように動くのか。それをイメージする為にサウンドトラックをエンドレスリピートしていた雨彦が努力家であることは明白だった。さすがは葛之葉さんだ、と感心してからふと彼女は思い立ち、何の気なしに聞いてみる。
「普段はどんな音楽を聴いているんですか?」
「普段?」
さしたる意味はなかったものの、気になるかい、とニヤつかれてしまうと俄然気になってしまう。教えてくださいよ、とデスクに荷物を置いた彼女を手招きして、雨彦はヘッドフォンを彼女の耳にあててやった。
「お経とかじゃないですよね?」
「っははは、そいつはありがたくなっちまうなぁ」
お前さんの中の俺のイメージがなんとなくわかったよ、と苦笑いをして、雨彦は再生リストのボタンをタップした。
「……あ」
流れてきたのは、聞き覚えのあるイントロだった。これって、と雨彦を見上げてみるが、お前さんもよく知ってるだろう、と目が語りかけてくる。
「♪~……」
ヘッドフォンで遮られていて聞き取ることはできないが、手元のタイムカウンタで歌いだしをあわせたのか、彼女から見るとまるで、目の前で雨彦が歌っているように見えた。
「すごい、ですね……」
「おかげさんでな」
目の前の口パクは完璧にシンクロしていた。雨彦の所属するユニットが最初に与えられたデビュー曲、その全てを、雨彦はしっかり彼女の目の前で歌い上げたのだ。
「その他に、北村や古論のソロ、俺のソロも入ってるぜ」
「普段から聴いてるんですか?」
ヘッドフォンを外した彼女からそれを受け取って、雨彦はまたそれを首にかける。いい歌だろう?と茶目っ気たっぷりにウィンクまでして、雨彦は再び台本を手に取る。
「俺たちにとっては、始まりの歌さ。歌もダンスも全部、自分のものだって言えるように、ずっと繰り返し聴いてるのさ」
そのプロ意識に舌を巻いて、賛辞を投げかけようとした彼女の前、雨彦はヘッドフォンを耳にあてて台本へと目を落とした。なんでもない顔をしながらヘッドフォンのイヤーパッドの下で、耳を赤くしているのかもしれない、と彼女は勝手に忖度をする。密閉型の、遮音性の高いヘッドフォンからはなんの音漏れもなかったが、恐らくは先ほどの、自分たちの歌の続きを聞いているのだろう。
そんな葛之葉さんだから、無茶振りだってできるんですよ、と音の向こうへ語りかけて、彼女はデスクに戻った。
始まりの歌は、誰よりも何よりも強く、今も雨彦鼓舞し続けていたのだ。