@corona_moca1111
蝶野あみはその日、いつも通り研究所に向かっていた。
ヒールの音が小刻みにリズムを奏でる。
人の波が彼女の横を通り過ぎて曖昧になる。
とある路地裏が目に入って、彼女の足は止まった。
何か予感がしたのだ。
蝶が迷い込むという表現が似合う路地裏、少し進んだところですぐに、その感覚が正しかったことがわかる。
……何かをぶつぶつ呟きつつ、しゃがんでる人がいる。
「……?」
帽子が深く被られていて顔が見えない。緑色の髪の毛、派手な色の服。中々に目立っているのだが、周りの人は目もくれない。
ぶつくさ、ぶつくさ。
近づくと声が大きくなる、クリスマスローズの人の声。
出来損ないのアスファルトに響く靴音。
「……で、…神は……」
神さま?んー。そういう妄想症状はあるけど。そのレベルまで行っているのならますます保護しないと、死んじゃうような気がする。それこそ、呼ばれてる気がして飛び降りるような。
声は大きくなる。
「わたしの心は一つであり分割することはできずわたしの心の中に存在するのであって、わたしはわたしをみることによってわたしとしてこのせかいにそんざいできるのであり」
……どう聞いたって落ち着いていない大きな声にもかかわらず、そばを別の誰かが通り過ぎていく。
忌避の目も向けずに。
なんだかなぁ。
「……えーと」
蝶野は彼の前にしゃがみ込んだ。
「大丈夫ですかー?」
彼が顔を少し上げた。
目が、ぱちりと音を立てた気がした。
「……ぇ」
彼が息が止まるかのような声を出した。顔も汗もすごいことになってる、と蝶野はどこか空事だった。と、
「神様?!」
あら。
「……へ?」
「神様、だって神様でしょう?そうですよね?そうだよ、ね、ほら!そうだ!ああ!え、へ、じゃ、じゃあ!」
手を差し伸べられた蝶野は、相手が危害を加えなさそうということを確認してその手にいつも通り、ぽん、と手を添えた。
そのまま握手して軽く振る。
相手は大きく、目を見開いて
「ぁ……ああ!触れる!……握ってる!へ、ぁ!……神様…ありがとうございます…かみさま……ほら……ねぇ…」
そのまま手を撫でるので蝶野は少し避けた。
「……くすぐったいですよー」
わざとらしくイントネーションをつけて笑う。が、それでもこういう患者さんは中々にショックがることを彼女は知っていた。
だからすぐに繋ぎ直す。くすぐったくないような握手にして、ではあるけれど。
「触れてなかったんですか。」
「ご存知の通りです。……ほら、失礼じゃないかそんなこと言っちゃ。」
「ふふ、どなたかいらっしゃるんですかー?」
「ああ、幻覚、です」
蝶野は少しびっくりした。自覚がある?
「あら。お友達とかじゃ、ないんですねー。」
「ええ。うん。良かったな君のこと分かってくれるよ。……はは。」
それでもそこにいる誰かに対して話しているようで、蝶野は不思議な気分がした。幻覚なのに、お友達らしい。どうしたものか。
握手の手をしっかりと握っているその人と、引き上げる形で立ち上がる。
立ったとき、光の反射で彼の髪の毛に波紋が見えた。目の中にも特殊な模様があるらしく、変わった色をしている。
と。
電車の音がして、一気に時間の感覚が戻ってきて。蝶野が慌ててスマートフォンの画面をつけると、時間が表示される。時刻を20分超えていた。 完全に遅刻だ。
「んー、どうしようかなぁ。お仕事に行かなくちゃー行けなくてー」
蝶野は正直に話し出す。
「そのー、んーーー」
と、相手にも焦りがうつったのか、急に握る力が強くなる。
「ぁ、」
ああ、離したくないんだなー、と蝶野はちょっと軽く握り返す。
「ふふふ、大丈夫ですよー、じゃー、一緒に来ますかー?」
と、それに対して「相方」が反応したのか後ろを向いて彼は話し出し、
「……うるさいな、ちょっと待って……あ、すみせん、……いいんですか?」
それでも、多分わるいひとじゃなさそうだなーと呑気に考えた蝶野は、そのまま、そのクリスマスカラーの人と共に電車に乗ることにしたのだった。
よく考えてみれば、そんな派手な格好の相手が見られないはずがないのだが、その時はまったくもって気がつかなかったそうだ。