@toasdm
暑さ寒さも彼岸までとはよく聞くが、だったらこの暑さはなんなんだ、と雨彦はキレ気味にソファに身を投げ出した。革張りのソファは汗を吸わずにじっとりと、雨彦の肌に張り付いて不快感はさらに増す。お疲れ様です、と彼女が差し出した麦茶を受け取って一気に飲み干し、はぁ、とため息をついた雨彦はさながら、燃え尽きた花火か水遣りを忘れた夏休みの朝顔のようだ。
「お前さん、冷房」
「それが……」
調子が悪いみたいなんですよ、と天井を見上げた彼女につられて、雨彦も埋め込み式の空調を見上げた。
ゆらりと緩慢な動きで立ち上がり、壁に取り付けられたパネルに近付いてボタンを押してみるが、電源は入るもののエラーコードを表示した液晶パネルは快適な室温を提供してはくれないようだ。
「マニュアルはあるかい?」
「えっと、確か倉庫に」
倉庫!と雨彦は天を仰いで叫ぶ。倉庫と言えば誇りっぽく、空気が淀んで、快適さの正反対にある場所だ。彼女がマニュアルを取りにいかないのは恐らく、そのマニュアルのある場所がやたらと高い位置に置かれた箱の中にでも入っているからだろう。世話の焼けるお嬢さんだ、とまたふらふらと歩き出し、雨彦は別階の倉庫へと向かった。
業者さん呼ぼうかと思ってたんですけど、と不安げな顔が脚立を支える。げんなり表情選手権があれば余裕の優勝を決められそうなげんなり顔の雨彦は、マニュアルと一緒に脚立を持って事務所に戻ってきたのだ。
「この程度なら俺でもなんとかできそうだからな」
脚立の中ほどの段に腰掛けて、雨彦はマニュアルを再確認する。エラーコードが指し示していたものが電気系統の異常だった場合はさすがに業者に任せるより他になさそうだが、どうやらそうではないらしい。フィルターの目詰まりだな、とぶつぶつ言いながら、雨彦はぱらぱらとページを繰った。
「なんとかなりそうですか?」
「ん、そうさな……掃除は任せてくれていい」
水入りバケツと雑巾と、掃除に使うのか歯ブラシをデスクに置いて、雨彦はカットソーの袖を捲り上げた。
「アヤカシ清掃社に落とせない汚れはないぜ?」
どんな汚れでも、な?とウィンクをした雨彦は、袖口をくるくると巻き上げて肩まで露出させる。背が高くひょろ長い印象のある雨彦の二の腕から肩にかけて、がっしりとした筋肉が隆起していて、彼女は思わず目線が釘付けになる。
「こら、お前さん」
「え、う、うぇ、あ、はいっ!」
葛之葉さんってすごく着やせするんだ、などとがっつり凝視していた彼女は、出し抜けに上から降った声に慌てた。ぼーっとするなよ、と苦笑した雨彦はニッと歯を見せて笑ってそれを窘める。
「流石に支えも補助もなきゃ掃除ができない」
慌てて脚立を支えなおして、彼女は気持ちと呼吸を落ち着ける。しっかりしてくれよ、とあまりしっかりしていない顔が見下ろして、よ、っと掛け声と共に雨彦は軽々と脚立を上った。
「お前さん、ドライバー取ってくれ、プラスだ」
「は、はい」
脚立の天辺に跨って座り、雨彦は腕を伸ばす。う、二の腕、とまたたじろいだ彼女はできるだけその眼福から目線を逸らして工具を手渡す。お前さんなぁ、と苦笑する雨彦はそれ以上つっこむことはせず、慣れた手つきで空調カバーを外した。
「ああ……こいつは酷いな」
「なにか詰まってました?」
外したカバーを受け取って、彼女は天井を背景に汗をたらした雨彦を見上げる。遥か上にあるぽっかりと空いた穴は薄暗く、よく見えなかったが、雨彦は工具をつなぎのポケットに放り込んでまた手を伸ばす。
「濡らした雑巾と、歯ブラシも取ってくれ」
「はい、どうぞ」
言われたとおりに手渡してまた、彼女はぼぅっと雨彦を見上げる。
がしがしと目詰まりを取るように掃除をする雨彦の生きている筋肉の動きから目が離せない。つぅ、と額を伝った汗をカットソーの裾を伸ばして拭う仕草もワイルドで、ありていな表現を使うなら、キュンとくる。
そもそもこういった作業をしている頼りがいのようなものも、彼女の胸を高鳴らせるのに十分だった。できるだけ埃が落ちないように雑巾で受け止めながらささっと手早く掃除をした雨彦はまた彼女を見下ろして、呆れたようなため息をついた。
「そんなに俺の体が見たけりゃ後で存分に見せてやるからしっかりしてくれよ」
「そ、そういうんじゃないですっ!!」
慌てて必死に否定したところで、雨彦はそうかいと苦笑するばかりだ。カバー取ってくれよ、と掃除の道具とカバーとを交換して取り付けて、雨彦は脚立から飛び降りた。
「電源、入れてみてくれよ」
脚立を畳んで落ちた埃を雑巾できれいに集めて片付けて、雨彦はまたカットソーの裾を伸ばして汗を拭う。見た目がそわそわしちゃう、と直視できない彼女は壁のパネルに逃げるように駆け寄ってスイッチを入れた。
「あ」
「お」
天井から、救済の駆動音が低く響く。多少埃っぽいぬるい風は最初だけで、後は涼しい風が二人の上から、お待たせしましたぁ、と暢気に吹いてくる。
「掃除の不行き届きだったんですね……」
「次からは山村にでもやらせてやれよ」
狭い事務所を冷やすには十分な速度で、冷気は熱気を駆逐する。湿度の低いドライな空気が汗を乾かしてくれたが、汗だくになったあちこちを拭いた雨彦のカットソーには汗のしみがついたままだ。
「ぎゃあ!」
「ん?」
汗で色の変わったカットソーを、雨彦はノーアクションからいきなり脱ぎだして、彼女は叫びながら顔を覆った。幕間の着替えで見慣れてるだろう、と気にする様子のまるでない雨彦は脱いだシャツで残った汗を軽く拭って、そういえば、と思い出したように彼女に近付いた。
「そういや後で、って約束だったな」
「なっ、なんっ、何の、なんっっ!?」
にやにやとにやつきながら雨彦は、壁際にじりじりと彼女を追い詰めた。
「約束しただろう、後でたっぷり堪能させてやる、ってな?」
どうだい?見せて恥ずかしい体のつもりはないぜ、と壁に手をつき、雨彦はこれでもかと言わんばかりに彼女に剥き出しの上半身を見せつけた。
空調はすっかり事務所を冷やしているというのに、彼女の頬からは熱が引く気配はまるでない。今度グラビアの仕事でも取ってきてくれよ、とからから笑って着替えに出た雨彦が去った後、彼女はその頬を両手で押さえたままずりずりと、壁に背をつけたままへたりこむことしかできなくなってしまった。