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蜃気楼の器4

全体公開 2095文字
2019-09-24 09:49:35

カメラマン長谷部×古物店店主酸素 というパロだ



 更に一ヶ月が経った今でも変わらず、長谷部は暇になると必ず柊の元を訪れている。最低でも週に一度は顔を見に、時には仕事を持ち込むこともあって、文字通り”入り浸る”という表現が正しいほどだったが、柊はそれを咎めるどころか喜んでいるように思った。
 歩道に木の葉を散らす木々はすっかりと衣装を変え、ほんのりとくすんだ赤色が視界の端を占めている。しばらく取り掛かっていた仕事を終えた長谷部は、いつものように柊の店への道中を歩いていた。初めてこの道を歩いたときとは打って変わって、乾いた冷たい空気に入れ替わろうとしている。もう間もなく冬が訪れるだろう。過ごしやすい季節だというのに、秋の逃げ足はめっぽう早い。
 風の冷たさに比例して、柊の発作が多くなってきたように思う。身体に障る時期だから当然かもしれないが、それでも長谷部は気を揉まずにいられなかった。そんな身体だというのに、柊の格好がいつまでも夏と同じような装いであるせいかもしれない。冬にも変わっていなかったらさすがに怒ろう、と長谷部は決意している。
 店に到着すると、柊が自ら歩いて出迎えてくれたため、長谷部は内心ほっとした。そんな長谷部の内心を知ってか知らずか、慣れた様子で茶を入れるため奥に引っ込んでいく。
 いつもは丸椅子に腰掛けてじっと柊を待つ長谷部だったが、今日は壁に作りつけられた棚の一点を見つめ、おもむろに商品を手に取った。それは盃だった。手の中にすっぽりと収まるほど小さいそれは、なめらかな白い陶器の肌に、紺色の線で桔梗の描かれた代物だ。古物の価値に精通していないため長谷部に値段のほどは計りかねたが、気になった点は高級品か否かなどではなかった。
「なあ、なんでこれは売られたんだ?」
二人分の茶を入れて戻ってきた柊に、振り返りざま問いかける。柊は一瞬不思議そうな顔をしたが、長谷部の手に握られた盃を見て合点が行ったようだった。
 盃には金継ぎの跡が残っていた。しかも小さいものが複数箇所あり、継ぎ目は極力目立たないよう繊細に施されていた。腕の良い職人に任せていたのだろう。そんな風貌の盃が、汚れひとつ見当たらない。丁寧に手入れされていた様子だった。素人の長谷部でも、長い間大切にされていたものだと見当がつく。それが今古物店に売られているという様子が、妙にアンバランスだった。
「それは……遺族が持ち込んだものだ……
柊は静かに語る。代々受け継がれた盃を祖父から譲り受けた持ち主が病死した際、遺品の整理をしていた遺族が見つけ、売りに来た。遺族曰く「彼のように大切にできる気がしない。誰か他の人に大切にされた方が、この盃も本望だろう」とのことで、これを手放したそうだ。長谷部から言えばそんなものは建前で、少しでも金になればと思ったんだろうことは想像に難くない。しかし、柊にとってはそんな本音や建前など瑣末なことに過ぎず、ただ静かに、盃に満たされた歴史を飲み下しているようだった。
「受け継ぐ、というのは……そういうものだ」
「え?」
唐突な話の切り替えに、長谷部は戸惑ったが、それはどうやら長谷部の考えていたことを見透かした上での言葉のようだ。末恐ろしいな、と思いつつ、長谷部はその先を促した。柊が緩慢な動作で頷く。
「次の主に思いを受け継ぐ……よくある話だが、それは所詮……譲り渡す側の願望であり、幻にすぎない……。譲渡する側と、される側……その両者の精神には必ず……明確な違いがあるものだ。人はそれを無意識にでもわかっているからこそ、変えないでほしいと思いながらも、よりよく変えてほしいとも……思っている」
……
……受け継がれる物に込められているのは、意思などではない……。それは、願いだ。未来に繋いでほしいという、何かを変えてほしいという、望みだ。だから、たとえ責任の重さから逃れるためだとしても、はした金を受け取るためだとしても、どちらでも変わらない……。その器には、多くの時間とともに、すべての持ち主の願いが満たされている」
ガラス戸の外の光をぼんやりと見つめている柊は、まるで自分を語るように饒舌だった。口元を覆い隠したような、ぼそぼそとした声量は変わらなかったが、長谷部はそう語る柊の目に宿った光を見逃さなかった。それは長谷部が初めて、柊が柊自身のことを話してくれたような、そんな実感を得た瞬間だった。
「これ、俺が買ってもいいか」
気がつけばそう口にしていた。思わず、といった具合ではあるが、それは長谷部自身の心のままに放った言葉だったから、驚くこともなく柊を見た。柊は外から長谷部へと向き直り、ほんの少しだけ、目を見開いた。それから口元をゆるめて、静かに目を閉じた。柊からこれほどに強い感情を向けられたのは、この先にもついぞないかもしれない。それは喜びだった。
……ありがとう……
それが店主としての言葉でないことくらい、長谷部にはわかっている。桐の箱にしまい込まれたそれを、長谷部は厳かに受け取った。柊自身から手渡されたそれを、大切に抱えているとなぜだか泣きそうになったが、ぐっとこらえた。


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