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特集「<前衛短歌>再考」巻頭言/瀬戸夏子

@tankaritsu
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2014-11-18 23:30:41

 <前衛短歌>――この、いつのまにか膾炙しはじめたある一群のうた/歌人をさすようになったその名称、その名前、短歌、という形式の上に冠せられた<前衛>というひびきはまぎれもない茨冠であったと、いまの私には思えてならない。
 <前衛短歌>ときいたときに、おそらくはまず第一に思いうかべられるであろう歌人・塚本邦雄が「負数の王」という呼び名を持っていたことは、この前衛短歌運動が最初から負けいくさであったことと関係がないはずもない。
 なぜか。
 それはまず五七五七七の韻律が和歌ではなく短歌とよばれたときのことに、遡らねばならないと思う。もちろん、その移行にもまたさまざまないきさつがあったがここではそこにふれることはしない。
 <近代短歌>、という言葉がある。そう、短歌は近代にうまれた。しかしながら、現代につくられている短歌はおしなべて現代短歌と称されるはずであるが、<前衛短歌>、そしてそれを継いだ<ニューウェーブ短歌>(ニューウェーブと称される歌人たちのほとんどは前衛歌人に師事、あるいは私淑している)とそうではないものを区別するために<近代短歌>的というタームはいまも使われている(そう、たとえば、ポストニューウェーブ系の歌人において)。……しかしながら、いわゆる保守(的なるもの)―前衛(的なるもの)―保守―前衛―保守……というシーソーゲームはなにも歌の歴史に限ったことではなく、文学において、いやそれすらもこえてごく一般的な原理である。
  現代において<近代短歌>と呼称されるものはほぼニアリーイコールでアララギ的なものをさす。むろん、そのアララギ以前の時代、そして同時代にアララギ派以外にもすぐれたうた/歌人は多数存在していた。しかしながら現在、<近代短歌>とその原理を呼ぶときにそれはほとんどアララギの原理をさして使われることが多い。穂村弘の言を借りるなら近代短歌OSをつくったのはアララギにある、ということだ。
  ならば<近代短歌>、アララギ、といえば誰かといえばこれもほぼおおかたのところ斎藤茂吉の名前があがるだろう。しかし、ポストニューウェーブを代表する歌人である永井祐が本誌5号にじつに興味深い論考を寄せてくれた。近代短歌のOSを書いたのは斎藤茂吉ではなく土屋文明だというのだ。
  私は永井本人と直接会ったときにこの件についてもうすこし詳しくきいてみた。彼は「前衛短歌と(斎藤)茂吉とが切断されたものだとは思えない。塚本(邦雄)の真の敵は(土屋)文明であり対峙すべきであったのは文明のほうであったと思う。」と述べていた。この意見にはなるほどと思わせられた。塚本は偏愛的な茂吉論を何冊も書いている。それは従来の茂吉読解を大きく更新するものではあったが、しかしながら、それを塚本が書くことができたというのは、逆に言うならば、斎藤茂吉の歌には(ふしぎないいかたになるけれども)塚本邦雄的なるものが含まれていたということになる。この問題はこの稿においてはここまでとするが、このさきこの視点からも<近代短歌>はまだまだ再考されていく余地が充分にあるだろう。そして、さきの会話において、私はやはり永井祐が口語における近代短歌OS延命の核心となる歌人であると確信したということもつけくわえておきたい。
  話題をもどそう。短歌について。<近代短歌>について。
  雑誌『短歌研究』2014年11月号の特集は「短歌の<わたくし>を考える」である。このテーマは今年度の短歌研究新人賞がその虚構性についての是非を問われ議論になっていることもあり非常にタイムリーではあったが、もとよりこの<わたくし>性、<自我>――<われ>の問題は短歌の世界においてホットイシューであり続けている。かんたんに言ってしまえば短歌表現のなかにおける主体はほぼイコール作者である、という前提において歌はつくられつづけられ、それに抗ったのが<前衛短歌>である。
 なぜ、短歌においては作中主体ニアリーイコール作者と見なされるようになったのか?
 それは、歌が和歌ではなく短歌になったからだ、と言いかえることができるのではないかと思う。
 さきの『短歌研究』において斉藤斎藤が「文語の<われわれ>、口語の<わ><た><し>」という助詞の分析を中心においた明晰な評論を書いているが、アララギが典とした『万葉集』は別として、中世・中古の和歌の時間軸は多元的な並立であり、近代文語短歌の時間軸は一元的な<今>であり、また、中世・中古の和歌のカメラ位置は「<私>を離れる」となっているが近代文語短歌は「<私>に固定」されていると述べている。
 アララギにおける写実という手法においてはこの時間軸の設定もカメラ位置の設定も的確なものであったということができるだろう。そしてこの手法を使っていけばつくられるその歌は<私性>の濃度が濃いものとなっていくのも当然の帰結だろう。
 ではなぜ、数々の流派のうちアララギが短歌を代表するようになったのか。その秘密はやはりそのもの<私性>にあるといってしまってよいのではないか。
 和歌が短歌となったときに――いや時代の流れによってうたが短歌へと変化しなければならなかったときに、失ったもの。数々の華麗な技巧。それはもちろん、しかしながら、それを支えていたのは、「春」「夏」「秋」「冬」「雪」「花」もとより和歌にそう明るくはない私には到底挙げきることもできないが……そのむかしうたが和歌であったころ、うたの共同体はほとんどの語彙を共有し、そのなかで本歌取り――これまで詠まれてきたそれらの遺産を共有しながら、その表現を更新してきた。
 しかし近代になってそれは通用しなくなった。さまざまなこころみがあったなかで、うたは<私性>という延命装置を見つけたのだ。共同体の言語が、失われた。ならば、自我という装置に言葉をひきつけ、繰りだせばいい。当然ながら歌の語彙は増えていった。時代が現代に近づくにつれ、圧倒的に増えていった。そしてその臨界点はおそらく、穂村弘の無数のフォロワーたちとなった。穂村自身が自分自身にも言えることではあるけれども、と批判したように。制限をかけなければ語彙は時代を反映する。そして現代には無数のクラスタが存在する。そのなかで自身の嗜好する(これまでに短歌にもちこまれていない)名詞を用いた若者たちの歌は島宇宙化などと批判されもした。けれどその欲望の中心はほんとうのところ近代からはじまる<私性>の延長であったのではないか。初期の穂村の評論(が存在するとすれば)を読んだことはなく、私が知っているのは『短歌という爆弾』からであるが、そのときから穂村の評論の中心のキーになっているのは<自我>だった。かつて論じたことがあるのでここでは省略するが、無数の固有名詞の氾濫を批判したのち、穂村の興味の中心は時代を反映した自我をうつしとった歌へと急速に傾きつつある。けれど私はそういった歌に興味をもつことができない。そんな歌に私は関心がない。私が歌にもとめているのは短歌にうつされた現代のありよう、あるいは現代の若者像などでは断じてない。
 話をもどさなければならない。
 短歌を短歌たらしめたもの。
 それは連作という手法だ。
 うたの語彙の共同体がうしなわれ、一首を屹立させることはむずかしくなった。そこで、連作が生まれた。連作ならばプロフィール紹介ができる。地の歌がうまれた。確定された<わたくし>から発せられる声を信じることによって、自分以外の他の<自我>、そしてその歌を理解することができるという幻想。私は連作形式そのものを全否定しているわけではない。けれど斎藤茂吉の「母を恋ふる歌」以降、ごくごく少数の例外をのぞき、<前衛短歌>を経て<ニューウェーブ短歌>の穂村弘の「手紙魔まみ」のアクロバティックな成功にいたるまで、連作自体が語りつがれているケースはほとんどない。塚本邦雄や山中智恵子のものでさえ連作として成功しているといいきれるものはないと私は思う。ただし、塚本邦雄の種々の功績はもちろんのこと、山中智恵子は現代において最高峰の和歌を詠んだ歌人であると私は考える。
 結局、残るのはひとつの歌なのである。にもかかわらず、新人賞など、さまざまな<自我>のショーケース展覧会、また、品評会のようだ。塚本の一首へとむけられた鋭い選歌眼が新人賞で通用しなかったのはその形式からいって当然のことである。
 短歌は革新的だ。
 短歌は短歌として成立した時点ですでに革新的だったのである。つまり、短歌というものそのものがイコール前衛なのであり、前衛を意味する短歌に前衛を冠した<前衛短歌>というものはそもそものところが言語矛盾なのである。
 私は、<ニューウェーブ短歌>に夢中になり、<前衛短歌>に耽溺して歌をつくりはじめた。短歌に前衛も新しさもない、それ自体が新しさであり、前衛であったのだから。
 それらは苦しい戦いだったかもしれないし、現状を見れば、それはもしかしたらほんとうにむなしい戦いだったのかもしれない。けれどその矛盾に耐えながら歌をつぎつぎにつくりだし数々の否定論への<前衛短歌>という反論は私の目にはこの上なく美しいものに思われた。
 そして、いま、ポストニューウェーブ……以降の歌人たちにとってその<前衛短歌>のこころみはどんなふうにうつっているのだろう。そんな純粋な興味がこの企画のきっかけだった。よって、ポストニューウェーブ以降の歌人たちに原稿を依頼した。枚数は問わない、前衛短歌への態度の是非は問わない、とにかく好きなように書いてほしいと依頼した。それぞれの評論から、現代における<前衛短歌>の有効性/無効性が浮びあがるようなものになればとねがっている。
 さいごに。
 私は最初、前衛短歌運動がそもそものところ負けいくさであったと書いた。けれど私自身、負けいくさを悪いものだとはすこしも思ってはいないのである。もちろん、敗北の栄光は、しばしば文学における栄光と同義であるからだ。


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