薫殿にも語りたくない過去があったのかな…って数年前に妄想して書いたものです。のたうちまわりたくなるくらい恥ずかしいので、心の広い方だけお進み下さい。
@Hima_wari_Sep
薫が初めて剣心から逆刃刀を預けてもらったのは雪代縁との闘いの時だった。
いつも竹刀を握るその手で持った逆刃刀はズシリと重く、薫は緊張したのを覚えている。
剣心は、いつもこの重い刀でその目にうつる全ての人の幸せを守っているのだと。
この逆刃刀の重さを忘れない。薫はそう誓った。
剣心と薫の祝言をひと月後に控えた初春のある日。
薫は神谷家を出て左之助が住んでいた破落戸長屋へ住処を移した弥彦と肩を並べて歩いていた。
前川道場への出稽古帰りだ。
弥彦はまた背が伸びた。
育ち盛りとは恐ろしい、と薫は思う。
身体も心も凄い速度で成長していく。
自分の時はどうだっただろう…と考えていると、弥彦がわざとらしく大きな溜息をついた。
「お前さ、いい加減門下生達を何とかしろよな。来月には祝言だろ」
「何とかって何よ」
恐らく、出稽古が終わっても門下生達が薫を取り囲んでしまい、帰りがいつも遅くなってしまう事を弥彦は言いたいのだろう。
しかし門下生達は稽古熱心なだけなのだ。
その向上心を無碍になど薫はできない。
確かに今日はいつもよりも遅くなってしまったけれど。
弥彦は赤べこでの仕事もあるし、彼の都合もあるのだろう。
「悪かったって謝ってるでしょ。門下生達のやる気も尊重してあげたいのよ。弥彦は先に帰って良かったのに」
「それが出来るなら最初からそうしてるよ。お前を残して先に帰ったら、俺が剣心に怒られる」
「何よそれ。そんな事で剣心は怒らないわよ」
呆れたように笑う薫を、弥彦は更に呆れた目で睨む。
門下生達が稽古熱心だと思っているのは薫だけで、実際は薫に想いを寄せる門下生達が薫と離れたくないだけなのだ。
下心丸出しの門下生達の元に薫だけを残して帰るなど、剣心に怒られなくても弥彦にはできない。
世界一無防備で鈍感な女でも、弥彦にとっては恩人であり尊敬する大事な師匠だ。
「薫さん」
ふいに背後から呼びかけられた。
薫と弥彦が振り向くと、長身で痩せ型の若い男が立っている。
また薫に告白でもしようとしている男か?と弥彦が薫を見ると、青ざめて少し震えている薫の姿が目に入った。
「か、薫?」
弥彦が声をかけるが、薫の視線は若い男から外れない。
「作太郎くん…」
作太郎と呼ばれた男は、妙に長い竹刀袋を背負い、薫と弥彦に一礼した。
「薫さん、大切なお話があります。あの時の件で…」
薫の身体が大きく震えた。
弥彦が心配そうに薫を見ると、大きく深呼吸をした薫が弥彦を見た。
「弥彦、ごめん。先に帰ってて」
「薫!」
薫を一人で行かせてはいけない。弥彦の第六感が警鐘を鳴らす。
「大丈夫。これは私の問題だから」
そう言って、作太郎と来た道を引き返す薫の背中を見ていた弥彦は、神谷家で薫の帰りを待っているだろう剣心の元へ走った。
弥彦が走っていると、此方に向かって歩いてくる剣心が目に入った。
帰りが遅い薫を迎えに来たのだろう。
弥彦の様子に、一瞬で剣心の表情が鋭くなる。
「弥彦、薫殿は」
「剣心…それが…」
切れる息を整えながら弥彦は今あった事を伝えた。
弥彦の話を聞いていた剣心は、顎に手を当てて何かを考えた後、弥彦を見た。
「弥彦は、その男を知らないのでござるな」
「ああ、初めて見た」
「…ならば、その作太郎という男、拙者達が薫殿と出会う前の、彼女の知り合い…竹刀袋を持っていたという事は、恐らく神谷道場の門下生だった男の可能性が高いな」
弥彦は驚いた表情で剣心を見る。
もしも元門下生だったとして、今頃なぜ薫の前に現れるのか。
そして先程の薫の青ざめた表情。
「剣心。薫は…あの男に怯えてたんだ」
「ああ、急ごう。前川殿なら、作太郎という男について何か知っているやもしれん」
剣心と弥彦は、前川道場へと走った。
「作太郎だと?」
剣心と弥彦から話を聞いた前川元師範は、声を荒げて驚いた。
「知っているのでござるか」
「知っているも何も…神谷道場の門下生だった男で…」
そこで言い辛そうに言葉を切った前川だが、二人の視線に意を決したように話出した。
「薫くんへの暴行未遂と、市井の人への真剣による傷害事件で逮捕され、神谷道場を破門になった男だ」
剣心と弥彦の目が見開いた。
「薫くんの父親が亡くなり、薫くん一人で道場を経営していた頃だった。薫くんは必死に頑張っていたんだが、門下生は段々と去って行き、数十人いた門下生も数名だけとなった。そして、あの事件が起きたんだ。稽古が終わり、皆を見送った後に作太郎が戻ってきたらしい。忘れ物をしたと。道場で二人、作太郎の言う忘れ物を探していた時に、奴は急に薫くんへ不貞を働いたらしい。薫くんは必死に抵抗し、何とか作太郎を退けたのだが、作太郎はその夜に真剣で辻斬り騒動を起こしたんだ。薫くんは酷く自分を責めた。自分のせいで作太郎が人に怪我を負わせたのだと。父や自分の教えも何も彼には伝わっていなかったと涙を流した。自分は暴行されそうになったと言うのに、薫くんは最後まで彼の身を案じていてな…」
剣心の表情が歪んだ。
弥彦も、拳をグッと握りしめる。
「作太郎は、町外れにあった佐山道場に出入りしていた。あそこは今は空き家になっているがもしかしたら…そこに。此処から近い。緋村くん、弥彦くん、頼めるか」
「前川殿、忝い」
前川道場を出ると、剣心は弥彦を見る。
「弥彦、浦村署長の元へ走ってくれるか。俺は元佐山道場へ先に行く」
「分かった!」
剣心の一人称が俺に変わっている。
剣心の怒りが弥彦に伝わってきた。
弥彦だって怒りに身体が震えている。
「…剣心、不殺の誓い、忘れるなよ」
剣心は小さく頷くと、全力で走った。
「ここは?」
作太郎に連れて来られた薫が周囲を見回す。
道場のようだが、埃や蜘蛛の巣があらゆる所にあり、今は使われていない事が見て取れる。
「神谷道場を破門になり警察に捕らわれた俺は、すぐに父のおかげで釈放され、しばらくの間、この佐山道場に世話になっていたんです。佐山道場は父の知り合いが経営していました。その知り合いに騙され全財産を奪われた父は自害。俺は父を騙した男を殺しました。この場所で」
薫の顔が歪む。
人を傷つけるだけでなく、殺めてしまったというのか…神谷活心流の剣で…
「安心して下さい。活人剣で殺めた訳じゃない。佐山に教わった剣で殺めましたから。薫さんを悲しませる事は、したくない」
「今更…私に何の用?」
薫は作太郎を睨みつける。
あの時の恐怖が蘇りそうになるのを必死に堪えた。
あの時よりも、自分は強くなっている。
命を賭けた闘いも乗り越えてきた。
「薫さん。祝言を挙げるというのは、本当ですか?食客の男と…」
「…だったら何?」
薫の返答に、作太郎は溜息をついた。
「あの男が強いからですか?」
「違うわ」
「あの男は人斬りだ」
「今は違う」
「強い人斬りならば、俺だってそうだ」
「剣心を貴方なんかと一緒にしないで!!」
薫の叫びに、作太郎は背に背負っていた竹刀袋に手を伸ばした。
長い鞘。
作太郎は鞘から真剣を抜く。
更に反対側からも真剣をもう一本抜いた。
「二刀流?」
作太郎は真剣を一本、薫の足元に投げた。
「刀を取ってください。俺と、真剣で勝負をして下さい」
「作太郎くん…何を…」
作太郎は剣を構える。
「貴女が誰かの物になるくらいなら、俺は貴女を殺します。貴女は神谷活心流で、人を活かす剣で自分を守って下さい。あの時のように」
薫の身体が大きく震えた。
道場で押し倒され、覆い被さる作太郎。
乱暴に広げられた道着。
身体中を這う作太郎の手、唇。
荒い男の息遣い。
「やめて!!!」
薫は真剣を手に取り、作太郎に構える。
真剣の重みに、目眩がした。
必死に呼吸を整えようとするが、心臓がドクンドクンと鳴り響く。
「そんなに動揺していては俺には勝てない。死にますよ、薫さん」
斬りかかる作太郎を、薫は何とか躱したが左腕を斬られた。
「死んだ後に、ゆっくり貴女を抱いてあげますよ。あの時の続きだ」
「黙りなさい!!」
ガキンッ!
作太郎の剣を受けた薫の剣が火花を散らし、金属音が容赦なく薫の耳を劈(つんざ)く。
薫の左腕の傷が疼いた。
「剣心は…貴方とは違うわ。剣心は人の命の重みを知ってる。あの人は自分の幸せを犠牲にして新時代の為に人を斬った。そしてその罪にずっと苦しんでいる。例えここで私が死んでも、私は貴方なんかの物には絶対にならない!!!」
重ねていた剣を跳ねのけ、薫は作太郎と間合いを取る。
左腕から流れ落ちる血が、血溜まりを作っていた。
「だから…貴女の心が手に入らないなら…身体を手に入れるしかないじゃないか!」
薫は震える身体を必死に奮い立たせた。
怖くない。
あの時のようにはならない。
必ず剣心の元へ帰るんだ!
薫は作太郎を睨みつけた。
作太郎はそんな薫を見て、ニヤリと笑った。
薫に剣先を向けて走り出す。
避けようとした薫は、自分の血が作り出した血溜まりに足を取られ倒れ込んだ。
男が迫る。
駄目…嫌だ…
こんな男に貞操を奪われるくらいならば…
いっそ…
薫は真剣を握りしめる手に力を込める。
薫の目から涙が一筋流れた、その刹那。
薫に迫っていた作太郎が後方に吹っ飛んだ。
一瞬にして現れた剣心の背中が、薫を守るように立ちはだかっていて薫の目が見開く。
「な、何でお前が此処に!!」
頭からの流血を押さえながら、作太郎が剣心を睨み付ける。
「お前は、俺が殺す」
剣心の冷たく低い声に薫はゾクリとした。
いけない、抜刀斎に戻ってしまえば、剣心はまた罪を重ねてしまう。
「殺す?あんたは、もう人を斬らないんじゃないのかい?」
作太郎の言葉に、剣心は殺気を強く放った。
「薫殿に真剣を握らせ、怪我をさせ、あまつさえ辱しめようとするなど…お前だけは許さん」
剣心が逆刃刀をカチャリと返す。
峰側にある刃を作太郎に向け、剣心は剣を振り上げた。
そのまま作太郎目掛けて振り下ろす。
「剣心っ!!!」
作太郎の眼前で、逆刃刀が止まった。
作太郎は意識を飛ばし、そのまま倒れ込んだ。
剣心は逆刃刀を鞘に納め、薫の元へ駆け寄ると強くその身体を抱きしめた。
「薫殿…遅くなって済まない」
「剣心、ごめんなさい…私…」
「良い。今は何も言わなくて良い…」
剣心は薫の左腕に晒しを巻き、止血する。
出血が酷い。
「すぐに医者へ行こう」
「でも…」
薫が倒れている作太郎へ視線を向けると同時に、警察の笛の音が聞こえてきた。
「薫!!」
警官に混ざって弥彦が駆け寄ってきた。
「弥彦…剣心と警察を呼んでくれたのね」
「薫、大丈夫か?その…」
薫の恐怖を思うと弥彦は言葉が出てこない。
男の自分には到底分からない恐怖を、薫はまた味わったのだろうと思うと、弥彦は怒りに目の前が真っ暗になる思いだった。
「弥彦、大丈夫よ。ありがとう」
薫が弥彦を安心させるように笑った。
出血が酷く、薫の顔色が悪い。
「剣心…薫が…」
弥彦が剣心を仰ぎ見ると、背後から浦村署長の声が響いた。
「俥を用意しています。早く薫さんを!」
「署長、忝い」
剣心は薫を抱き上げ、弥彦と共に俥に乗り込んだ。
薫の傷口は深く、十針を縫う重症だった。
それでも薫は剣心と弥彦に笑顔を向けた。
「大丈夫」という言葉を、繰り返した。
まるで自分に言い聞かせるように。
弥彦を長屋へ送り、剣心も薫と共に帰路についた。
剣心は湯を用意し、手拭いと一緒に薫に渡した。
「今日は風呂は我慢でござるよ。身体を拭いておいで。簡単な物になるが、飯を用意しておくから」
薫の頭を優しく撫で、剣心は薫の部屋を出る。すぐに、薫の啜り泣く声が聞こえてきた。
剣心は表情を歪め、厨へと向かった。
着物に着替えた薫が、居間へと顔を出した。
剣心はニコリと微笑むと、自分の隣に座るように促した。
薫の好きな豆腐の味噌汁と沢庵、おにぎりが用意されていた。
「ありがとう」
一言だけお礼を言い、薫はチョコンと座る。
だが、食事に手を伸ばそうとしない薫を、剣心が覗きこむ。
「薫殿?少しで良いから、腹に入れねば…」
「剣心」
薫は俯きながら剣心の言葉を遮った。
「剣心…私ね。その…父を亡くして一人で生活していた時にね…」
剣心は薫を見る。
身体を小さく震わせながら、過去にあった作太郎の事件の事を必死に自分に話そうとする薫に、剣心はまた表情を歪ませた。
「薫殿」
剣心は優しく薫の言葉を遮る。
「誰にでも語りたくない過去の一つや二つ、あるでござろう?」
剣心の言葉に、薫が顔を上げる。
その表情は不安げで、目は少し腫れていた。
剣心は薫を安心させるように優しく笑った。
「無事で良かった」
剣心の言葉に、薫の目から涙が零れた。
「私…真剣の重さが怖かったの。剣心はいつもあんなに重い真剣で戦っているんだって思ったら…刀を交えれば怖い音がするし、火花も散るし…斬られたら痛いし…」
「そうでござるな」
「さっき…作太郎くんに貞操を奪われるくらいなら、私は自分の手で命を断とうって思ったの。そして、それが可能な物が私の手にあった」
「…薫殿」
剣心の視線が鋭くなった。
「剣心は、いつもそんな極限の闘いを乗り越えてきたのよね。生きる事の方が辛い時も、傷付いて辛い時も。剣心は生き抜いてくれたんだって思ったら、何だか涙が零れちゃって…」
剣心の目が見開く。
どうしてこの人は、いつも自分の事よりも他人の事を心配するのか。
今日なんか命を落としかけたと言うのに。
「薫殿の言う通り、真剣は重い。簡単に人の命を奪えてしまう。だが人を守る事もできるでござるよ。拙者はこの逆刃刀で薫殿を、この目に映る人々の幸せを守る。薫殿は、竹刀で自分自身と拙者達を守ってほしい」
「剣心を、守る?私の竹刀で?」
「そう。薫殿の竹刀には真剣よりも強い信念がある。信念は強い。薫殿がその竹刀を持ち笑ってくれるのなら、どんな強敵が現れようとも拙者は必ず生き抜くでござるよ」
薫は、自分自身の掌を見つめた。
その手を、剣心が握りしめる。
薫の身体がビクッと震えた。
剣心は薫の頬に手を当てる。
「薫殿、拙者が怖い?」
あんな事があったのだ。
男に対して恐怖心があっても何らおかしくはない。いくら祝言を控えている仲とは言え、剣心も男だ。
「剣心は、怖くない…」
「本当に?」
「作太郎くんは…怖かったし、気持ち悪かったけど…剣心に触れてもらうのは好き。安心するの」
その言葉に、剣心は薫を抱きしめた。
薫の背中をトントンと優しく叩く。
「薫殿。何があろうと、もう二度と自分自身を殺めようと考えるのはやめるでござるよ。必ず拙者の元へ帰ってきて。拙者も必ず薫殿の元に帰るから…」
薫は剣心の腕の中で小さく頷いた。
ぐぅ…と薫の腹がなった。
剣心がふっと笑うと、真っ赤に頬を染め見上げる薫と目が合った。
「さぁ、たくさん食べるでござるよ」
剣心は抱きしめていた腕をはずし、薫を自由にする。
おにぎりを頬張る薫を、剣心は微笑みながら見つめた。
あの時、作太郎を斬るつもりはなかった。
けれど、一瞬我を忘れた。
薫の呼ぶ声がなければ、作太郎を斬っていたかもしれない。
人斬りの血が、自分の中に未だ燻っている。
しかし、今の自分が緋村抜刀斎ではなく、緋村剣心であると実感させてくれるのはいつも薫だった。
生きたいと思えたのも、薫がいたからだ。
来月にはその薫と夫婦になる。
彼女を傷付ける者は誰であろうと許さない。
この剣で、必ず守る。
この剣の重みは、命の重みだ。
人を救うたびに重くなる。
だが、その尊い重みも悪くはない。
薫が隣で支えてくれるから、自分は迷わず歩いて行ける。
「やっぱり、剣心のご飯は美味しいね」
そう言って笑う薫が愛しくて、怖い思いをした彼女に無理をさせないように暫くは自粛しようと考えていた理性はあっという間に崩れ去る。
「薫殿の為ならば、何でもするよ」
そう言って、剣心は薫に口付けた。
左腕の怪我は重く、暫くは稽古も出稽古も休まねばなるまい。
その間、薫の事を思い切り甘やかそう。
剣心は密かに、決意した。