ダンゲロスSS1023 ‘19トップ
https://privatter.net/p/4845351
その1
https://privatter.net/p/5097675
その2
https://privatter.net/p/5097680
@YashiroHyoga
思い出は日々褪せゆく運命にあるならば、
秒針を噛み、永遠を願って休眠する。
熱が薄れ、声が濁り、映像が歪もうと、
蒸気の一滴にまで刻み込むために。
【A bad workman always blames his tools.】
————十年前。
ドイツの銀行にて強盗事件が発生。
強盗犯は拳銃を持っており、中学生を人質に金銭と車を要求。
若干十四歳の神楽・ロールドールは、人質の一人であった。
「再度勧告する。大人しく投降しろ、そうすれば弁護士をつけてやらんことも無い」
「うるせぇ! さっさと道を開けろ!」
強盗犯は盾を持つ警察に囲まれている。その中のリーダー格と思われる人物が先ほどから交渉を行うも状況は改善せず、人質の身を案じるが故の拮抗状態が続いていた。
(クソッ……このままじゃ拉致が開かねぇ……)
強盗犯は焦っていた。状況は実質的に詰んでいるも打開策が思いつかない。彼にとって幸いで警察ひいては神楽にとって不幸だったのは、神楽の親友の頭に拳銃が突き付けられていたことだ。引き金一つで命が失われる状況下、瀬戸際ではあるが主導権を握っているのは強盗犯の方である。
「人質は二人いるんだ……」
「下手な真似をするのはよせ!」
「ヒィィッ!!」
男の人差し指に力が入る。突き付けられた銃口の先では、親友が大粒の涙を流している。
絶体絶命の状況、神楽は震えながら自分にできることを必死に考えていた。
(どうする? どうする? どうする?)
「俺が本気だってことを証明するしかねぇよなァ!」
(誰だっていい、何だっていい、頼む————!)
引き金が引かれる瞬間、
——逃げる
——身代わりになる
神楽の視界に文字が浮かび上がる。
(なんだ、これ)
彼はそれが何かを理解できなかった。
しかし、今この瞬間から自分が生まれ変わってしまったことは直感的に理解していた。選ぶべき選択肢だけは、本能が教えてくれていた。
(——助ける!)
目覚めた魔人は強盗犯に飛び掛かり、人間を超えた力を奮い————
*
(————それから、どうなったんだっけ)
ここは大時計台に備えつけられたエレベーターの中。それは最上層を目指し、ゴウン、ゴウンと音を立てて上昇している。
過去に耽っていた神楽・ロールドールは、夢から醒めたように意識を現代に寄り戻した。
彼は着ている防弾ジャケットを整え、背負う弓矢の位置を合わせ、腰に揃えたナイフの本数を確認する。
(間一髪でアイツを助けて、犯人が捕まって)
室内上部に付けられた階層灯は四十八階が光っている。全五十階層ゆえ、間もなく到着である。
(事件は解決して)
神楽の脳裏に、人間を辞めた自分に怯え切った友の顔が一瞬浮かぶ。
だが、それもすぐに消えてなくなる。別の意識を強く持ち、塗り潰すようにして消去した。
(こいつに手を通すハメになったんだ)
神楽は左手の甲を見る。装着した黒き手袋に縫い付けられていたのは、鍵十字の紋章。事件を経て優位人類——魔人としての生を歩むことを余儀なくされた彼は《忖度された三択》の示すがままに生きていた。二十まで軍人として歩むも唐突に退官し、今に至る。全ては忖度された選択肢の下に。
(まっ、今の俺には関係ない話か)
彼は深呼吸し、深く深く意識を沈めていく。ノイズを削除し、思考を研ぎ澄ます。為すべきことを成すために、己が目的のために。
(魔人としての生を今日こそ終わらせる)
午後十一時を迎えると同時にエレベーターの扉が開く。扉の向こうには、体育館ほどの大広間が広がっていた。
しかし、床に見えたのは巨大な歯車。それは壁に埋め込まれた他の歯車と連動して駆動している。また、広間内部を貫く柱にも大小様々な歯車埋め込まれており、それらは音を鳴らしながら一つの目的のために駆動していた。
(——アーネンエルベが悲願の一つ、星の力を触媒に世界を作り直すための儀式装置)
天井を見上げた神楽の先にあったのは巨大な時計。刻一刻と正確無比に時を刻むそれは、ほのかに発光しており今宵は魔力に満ちていることが伺える。
「最も」
神楽は目線を落とし、左右に振る。目に写るのは、軍服に身を包んだ人、人、人。
「それは叶わなかったようだけど」
改めて中央に向き直ると目視二十メートル先、部屋の中央に立つ少女と目が合った。彼は床の代わりとなっている歯車の上に乗り、少女に向かって真っすぐと歩き出す。
「周囲のそれはキミが?」
「——はい。儀式の権利が得られるのは、最も猛き者と聞きましたので」
声を聴いて初めて神楽の存在に気づいたのか、少女はワンテンポ遅れて返事をする。
しかし、その表情は変化しない。それはまるで精巧な人形のように端整な顔立ちのままだ。
「ところで貴方は?」
神楽は返事の代わりに、少女に見えるよう左手の紋章をかざす。
「!」
二人の距離が十メートルを切ったあたりで神楽は足を止める。彼の両手は腰に付けられたナイフに伸びており、瞬時に投擲を可能とする。
「……理解しました。貴方も周囲の軍人と同じ、アーネンエルベの一人」
「”元”だけどな」
対する少女は軍隊格闘の構え。周囲に倒れる魔人達を屠り続けた熟練のそれを扱うべく、肘や肩からは蒸気が噴き出し高らかに歌っている。
両者の間には、一本の糸で保っているような緊張感が走っていた。
「私はゾフィ。基幹プログラムに刻まれた自己保全の命令に則り、貴方を破壊します」
「俺は神楽。本物の人生を歩むべく————過去の改変を執り行う!」
先手を取ったのは神楽。
素早く抜き出されたナイフは距離の利を活かし、ゾフィの頭部と胸部に向かって空気を切る。
「————戦闘、開始」
ゾフィは腰を落として屈むことで頭部狙いのナイフを躱し、胸部狙いのナイフは横から腹を叩くことで弾き飛ばした。そして、その低姿勢のまま地を蹴り、足首から蒸気を噴き出して走る。彼女は神楽が放つ矢の雨を弾き、躱し、受け止める。二人の距離は瞬く間に縮まっていった。
(——疾い、が)
神楽は弓を背負い直し、右手にナイフを構えて迎え撃つ。残り二メートルの距離に入ったとき、ゾフィは左足で地面を踏み込み勢いそのままに飛び跳ねる。身体をコマのように回転させると、関節部より噴き出す蒸気が竜巻状となって彼女を覆う。
「フッ!」
白のベールを切り裂き、繰り出されるは旋風脚。身長差をものともしない跳躍からの一撃は、真っ直ぐに神楽の頭部に向かって急襲する。
「……浅い」
しかし、それが頭蓋を砕くことは無い。神楽の十字防御を崩すには至らない。
一点攻勢。
神楽は衝撃を受けきれた右手を使い、浮かび上がっているゾフィの右足首を狙う。
近距離戦で最も脅威ある武器とはナイフである。どんな武術であれ基本的には単発の砲撃だが、ナイフだけはワンアクションで行きと戻りの二回行動が可能。この攻撃も腱を切断し、返す刃で大動脈を切り捨てる二撃必殺の一手となる。
「なッ……!?」
——但し、それは彼女が人間であったならばの話である。
ナイフは確かにゾフィの腱に刃を突き立てた。熟練たるその一撃は、寸分の狂い無く切断するに相応しいはずであった。
だが、砕け散ったのはナイフ。その組成が現代においていかに優れた物であろうとも、遺失された存在たるゾフィの蒸気駆体に現代の技術は通用しない。
「ハッ!」
両足が地についたゾフィの正拳突きが神楽の鍛え抜かれた腹筋に叩き込まれる。その衝撃は彼を数メートル滑らせ、膝を付かせるほどであった。
彼の纏っていた防弾ジャケットは焼け落ち、腹部には痛々しい熱傷の痕が刻まれた。
「!」
再び跳躍してきたゾフィによる踵落としを間一髪のところで避け、神楽は即座に距離を取る。周囲の歯車に次々と飛び乗り、縦横無尽に跳ね回る。
(ハァ……ハァ……蒸気機関……!?)
神楽は約三メートル上方にまで距離を取り、ゾフィを見下ろして呼吸を整える。
(アレは身体から蒸気を発する魔人でも、熱を操る魔人でもない! 蒸気によって駆動する機人……アーネンエルベが生み出すも遺失された研究成果の一つ。 文献でしか知りえなかった存在がここで立ちはだかるのか!)
彼の眼光が細く鋭く尖る。背中に備えた弓を引き抜き、両手で構える。背丈ほどの長さを誇るそれを、中央が胸元に来るように握り、末端部を自身より後方に置く。その姿は槍術士のようであった。
(バケモンにはバケモンを、遺物には————)
ボシュッ……ボシュッボシュッボシュボシュボシュシュシュシュシシシバアボオォォォォゥ!!
ゾフィは両掌を地に着け、小さな密閉空間内で水蒸気を爆発させる。轟音が室内に響き渡り、爆風と共に彼女は舞い上がる。魁た蒸気の雲を抜け、神楽に対して一直線に突き進む。
「————遺物をぶつける!」
神楽は手に持っている弓そのものをゾフィに向かって突き立てた。その動きは彼女が持つ、雑学の詰まった頭脳ユニットである哲学機関にも映像が存在しない。それゆえわずかに反応が遅れ、蒸気噴射による回避が遅れてしまう。
「きゃあ!」
過去に中世ヤンキーであるポテトフライを血の池に沈めた一撃がゾフィに突き刺さり、カウンターの要領で弾き返される。
彼女が床の代わりを果たす歯車に叩きつけられると、積もり積もった埃が宙を舞った。
(『右肩部・左脚部に損傷発生、出力五割未満に低下。燃料漏出に伴い残燃料限界域に到達』————問題なし、戦闘続行を選択)
ゾフィは素早く立ち上がり、飛び降りてきた神楽の一撃を転がって回避する。
(——検索結果、一件。『それは弓を槍術または棒術のように用いることで、近寄らば突き、離れれば射る近遠一体の戦闘形態。ケルトのルーン魔術で加工された武器を鍛え抜かれた膂力で扱うことで成り立つとされていたが、アーネンエルベの解体に伴い遺失した技術が一つ。その名は————』)
ゾフィは口を開く。
代り映えの無い表情を浮かべ、驚嘆の声色で叫んだ。
「————“槍弓術”!」
「ご明察だッ!」
神楽とゾフィは同時に駆け出す。獲物は拳と弓、選択されたのは近距離戦。
リーチの優位を持つのは神楽。彼は的確に損傷部位である右肩部と左脚部を狙って弓を突き、ゾフィは身体を捻って回避を試みる。
しかし、槍術の軌道を示そうと弓の造形は曲線である。しなる鞭のように湾曲された刺突と弦による裁断の刃、それらを哲学機関が捉えるには経験値が不足していた。
「ぐぅ……!」
数度の攻防を経て、ゾフィの小柄な体躯が弾かれ宙を舞う。彼女はすぐさま左掌より圧縮された蒸気を下方に噴出させて浮かび上がり、神楽の射程から離脱する。息をつく間もなく下方より噴出口を狙って襲い来る矢を掻い潜るべく右掌でも蒸気を噴出して進行方向を操作し、空を駆けて着地した。
二人の距離は約二十メートル。最初に出会った時と同様に、再び視線が交差した。
神楽は駆ける。距離を詰めてゾフィを破壊するまで、最早五秒とかからない。
(『残量・出力共に限界域突破。非常事態発生。自己保全の為、強制休眠に移行』)
しかし、ゾフィはその場から逃げようとしなかった。彼女は右手を神楽に、左手を逆方向に構え待機する。
(却下。————限定解除を宣言)
彼女の願いは守ること。父と友人と過ごした記憶を守り、彼等が生きた証を残すこと。
そのためならば、自らの魂を灰に還すことも厭わない。
「自我意識・記憶保全に用いる熱源を両腕に移行」
ゾフィの瞳から、涙が零れる。それは両腕に集められた水蒸気で生まれた水滴が付着しただけ。だが、彼女を見据えて走る神楽にとってはそう見えたのだ。
そして、彼がそれに気を取られた瞬間——
「うおおおッ!!」
——右掌より砲撃のように大爆発が放たれた。
これは彼女にとって最大火力の水蒸気爆発。リミッターの解放によって繰り出される最期の切札。
神楽は水蒸気の濁流に飲み込まれ、全身に熱傷を負いながら壁に叩きつけられる。
ゾフィは右掌が衝撃に耐えきれず崩壊する中、身体だけは左掌から同時に放たれた蒸気で勢いを相殺し、辛うじて体勢を保っていた。
————さようなら、お父さん、ベーデガーさん。
最優先されるべき自己意識と汚されたくなかった大切な思い出。その両方を失うリスク負ってでも、彼女は彼等が生きていた世界を守ろうとしたのだ。
限界を超えた機人は項垂れ、膝を付く。
儀式の刻限まで、あと五分。
*
暖炉の火がちろちろと揺れている。強い雨が窓を叩いているものの、室内では暖かな空気が保たれていた。
そこにはロッキングチェアに座る禿頭の老人とソファに寝転ぶ赤いロングヘアの女性、カーペットに足を崩して座る少女の姿があった。
「ねえ、お父さん」
少女は両手に持った棒針を画一的なリズムで動かし、糸を編み込みながら話しかけた。
老人は身体を少女の方に向け、柔らかな笑みを浮かべて応対する。
「なんだい」
「マフラーが仕上がったら、月を見に行きませんか」
「月か」
「はい。惑星が並び、光が満ちる夜が訪れます」
「いいじゃないか、あたしも観てみたいね」
「もちろん、ご一緒に」
少女の手が少しだけ早まる。このペースであれば、きっとその日が来る前に二人分のマフラーができあがるだろう。
彼女は変わりつつあった。訪れていた変化は降り積もる雪の結晶を見分けるように些細なものであり、それは日頃から見ている二人であろうと気づけないほどゆるかかなものであった。
きっと、それを知ったら老人は誤作動を覚えたと肩を落とし、女性はらしくなってきたと笑うのだろう。
それは訪れなかった未来。少女が願った幸せな世界のif。
*
視界が暗転する。
感情が流転し、現実が湧き起こる。
*
掌底を受け、軍服の男が地に伏せる。そこに立っていたのはゾフィのみであり、その周りには数多の軍人が倒れていた。
「戦闘終了、待機状態に移行」
ゾフィの瞳から光が消えていく。情報を保全する為の休眠に入るのだ。
(……お父さん、ベーデカーさん)
ゾフィは毎回記録を再生しながら眠りに着く。それは時間の経過とともに劣化し、戦闘のたびに思い出せなくなりつつある記憶を一秒でも刻み込みたいからである。
(……忘れなくないよ)
機人の少女は夢を見る。それは全てと呼んで差し支えない、数年だけ過ごした世界の物語。
次の目覚めが訪れないことを彼女は願う。もう、思い出せないことが増えないように。
*
神楽はゾフィの前に立っていた。
彼に水蒸気の濁流が与えたのは、全身を焼き尽くす熱だけではなかった。生み出された熱源は、彼女の意識と記憶の一部をそのまま共有させたのだ。
彼は、夢を見ていた。一人の少女が願った幸せな世界と生きてきた物語の一端を観ていた。
「……」
神楽は天井を見上げる。時計の針は零時を迎えようとしていた。
「……キミは、俺と同じだったんだな」
ゾフィは機人である。その思考回路はプログラムされたものであり、一定の法則と規律に従って判断を下していく。それは人間と異なり、誠実で合理的な生存本能である。
「《忖度された三択》お前はどうして俺の中で生まれたんだ」
幾度行ったかわからない自己問答に答えはない。
ただ、彼もゾフィと同様に、誠実で合理的な生存本能に基づいて生きてきた。
そして、それと決別することを目的とし、そう願ってここまで来た。
「俺は——」
ゴォーン……ゴォーン……!
時は来た。
今、太陽系が一筋に連なる。装置が起動するためのエネルギーが満ちる。
大時計は光輝き、勝ち残った者——神楽の望みを叶えんと駆動する!
————過去と決別する
————何も願わない
————悲願を達成させる
神楽は再びゾフィに視線を向ける。
彼は自身と同じように敷かれたレールの上を歩んできた存在でありながら、自らの本能を凌駕して一つの目的を達成しようとした。
「……俺もキミのように生きられるだろうか」
在るべき生き方を示してくれた先人に対し、彼が抱いたのは尊敬であった。
「大時計!」
彼は叫ぶ。心の底から力を込め、彼だけの物語を始めるために声を上げる。
「俺が願うのは————」
例えこの選択が間違いであったとしても、自分の力で正しかったと受け入れられる。
神楽は少女の生き方を見て、自身もそうなりたいと願ったのだ。これから先の未来、悔いを残したくは無いと!
「ゾフィの自我と記憶! 彼女が守ろうとした大切な思い出を忘れないようにしてくれ!」
彼は天に向かって弓を構え、矢を射る。秒針を貫き、時を止め————永遠が誕生した。
*
ちろちろと揺れる暖炉の火の前。長机に横たわるのは、義肢が装着された機人の少女。
神楽が電源を入れると、ゾフィはゆっくりと目を開けた。
「……理解不能。なぜ、願いを放棄したのですか」
彼女は開口一番、眉一つ動かさずため息交じりにそう言った。
「俺がそうしたいと思ったんだ。キミからは大切なことを学んだから」
神楽はそう言って、彼女の手を握る。
「……やはり理解できません」
「それでも構わないさ。だって、もう雨は上がったんだから」
窓の外を見れば、そこには満点の星空が浮かんでいた。
胸に宿るのは記憶に残る世界とは違う温もり。
けれど、彼女はどこか懐かしい気持ちを思い出す。
あの日のように、穏やかな夜を。