ダンゲロスSS1023 ‘19トップ
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その1
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その2
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@YashiroHyoga
雨が降っている。
鍵十字のワッペンをつけた魔人たちが倒れ伏す中、氷の柱に閉じ込められ、先程までただ破壊されるのを待つばかりだった
「本来、僕の力でも君の力でも、イェンネヴァインは討てなかった」
『氷獄』イェンネヴァイン。”篝火”最強の単独戦力。即応性、自由度、威力、全てにおいて比類なき凍結能力の使い手であるばかりか、極度の温度低下は
だが、勝利した。イェンネヴァインは磔にされた少女の背後に横たわっている。
「これで合格かな?
「ええ、貴方の力は疑いようもない」
おどけたように微笑む青年——神楽・ロールドール。ゾフィは躊躇なく彼の手を取った。
「私は、ナチスの亡霊……『篝火』を止めたいだけだから。貴方が多少利己的な願いを——あるいは悪の願いを持っていても、協力できます。よろしく、カグラ」
「やっぱり?」
何が可笑しいのか。くっくっと彼は笑う。
「そうだと思ったんだ」
*
超大型のハリケーンによって外界と隔絶されたディース・シティ。住民の避難が済んで閑散とする街並みをビルの一室から眺めつつ、
惑星直列に伴う大気圏外からのエーテル照射までは、僅かな日数を残すのみ。
いかなる仕組みによってか、町の中心に聳える時計塔の姿は未だ大気に透けて朧気だ。それでも、確かにその輪郭ははじめより濃くなっている。
(エーテルの集積点、一度だけならどんな願いも叶られる願望器。それを求めてディースに集った魔人たちの多くが、既に死亡し、あるいは敗北し、まるでそれと連動するかのようなつむじ風の襲来によって市外へ放り出されてしまった)
最後に残った2人だけが、時計塔に入ることが出来る。
最後の2人になるまで、時計塔はこの世に存在しない。ただ、朧な影となって佇むのみ。
数多の魔人との戦いを彼女が思い出していると、ノックも無しにガチャリと扉が開いて軽薄な笑みを湛えた美青年が入ってきた。
「おや、君の体、そんな風になってるんだね」
「カグラさん」
彼と行動を共にするようになってそろそろ一週間だ。ゾフィはいそいそと補給をやめて服を着こむと、協力者の青年に向き直り、いつも通りの硬い声で返す。
「何の用ですか」
「出るよ。ここはそろそろまずい」
短く要件を伝えると、神楽・ロールドールはゾフィの手を引いて走り出す。数秒後、さっきまで2人がいた部屋から爆発音が聞こえ、複数の魔人の戦闘音に紛れた怒声が響いてくる。
「七色の爆炎、『アルカナフラッグ』イザベラ・コルノーと、その相手は声紋を照合するにロサノ・ファミリーの配下です」
「2人で当たれば多分、勝利の目はある。でもここで『アルカナフラッグ』を倒してしまってはまずいんだ。俺の『
「私たちでは倒せない魔人を、倒させなければいけないからですか?」
「賢いね。おそらくそういう、事っ!」
同時に窓から飛び出し、室外機を踏みつけて跳躍。直後、2人のいたフロアがまるまる消滅し、達磨落としの様にビルの背が低くなった。
3つに色分けされた『
(だから『氷獄』も打倒できた。その能力が、なぜ私を相棒に選んだのかは分からないけれど)
特筆して他より優れているのは感情を持たない所だろうか。
「無事かい?」
柔らかく微笑む彼の差し出す手を取って、一拍遅れた着地。
ロールドールは本名ではなく、『形代』を意味する語なのだそうだ。自由意思なく能力からの強請に従い続ける人形、そういう自虐を込めた名乗りらしかった。赤が嫌いなのにリンゴやナポリタンを好んで食べるのも自傷のような真似なのか。
そういえば、私は破損しても赤い血を流さない。
「どうかした?」
「いえ。私達、良いコンビだなって」
「確かに。出してるやつにすら終着点の見えてない指示に従って、そんな言葉が出てくるのは君くらいかも!」
初めて会った時よりも嘘くささが抜けた笑い。楽しげな彼を見る。
フレーベに教わった技術でシリンダー錠を開け、屋上から別のビルに侵入する。心なしか普段よりタービンの回転が速くなる。
室内に転がり込むと、そこでは隣のビルの騒ぎを聞いて逃げを打とうとしたのか、顎髭のいかつい男が荷物を纏めている所だった。
「彼は?」
「倒す!」
神楽が3つの毒矢を番えて放つ。男の伸縮する腕がそれらを打ち払う隙にゾフィが接近し、腕を捉え膝を踏み抜き顎を揺らす。蒸気爆発を加えたとどめの掌底をお見舞いすると、窓を割って放り出された敗退者はつむじ風にさらわれていった。物資を回収し、『アルカナフラッグ』たちに捕捉されぬよう地下鉄へと向かう。
「……ネオナチ『篝火』、マフィア『ロサノ・ファミリー』、華僑『黄幇』、呪具蒐集結社『クリザリッド』、暗殺教団、各国の軍や諜報組織。それらに属さぬ個人災害たち、即ち『アルカナフラッグ』『絶滅の剣』『シャゲンセーグェ』『カンテラウォッチャー』」
いくつの勢力が生き残っているのかは分からない。
「……私は感情が無いから平気ですが」
この青年は、自分が目的にどれだけ近付いているのか分からぬままに、ずっと戦い続けられるものだろうか。
ずっと、戦い続けてきたのだろうか。
「平気だよ。『
少しも誇らしげでなく、彼はそう呟く。
「こいつの法外さは、俺が一番よく知ってる」
*
そして、彼の言う通りになった。
戦闘と撤退、特定勢力との共謀や離反、罠の設置。綱渡りに次ぐ綱渡りの中でぼろぼろになりつつも、2人の撒いた種はドミノのようにディースを侵していく。
彼らの工作におびき出された勢力を、『ジャゲンセーグェ』の超重力が次々と壊滅させてゆく。一方で、光を歪めて姿を隠している重力使いの座標を、『アルカナフラッグ』の煩雑で多岐に渡る能力の残滓から”偶然”発見した『カンテラウォッチャー』の呪殺能力が、力場の壁を貫通して『ジャゲンセーグェ』を始末する。呪殺の行使の度に高まり続け、数十年前には無敵の域に達していたという『カンテラウォッチャー』の不死性は『絶滅の剣』が一刀のもとに否定した。代償に武器を失った『絶滅の剣』と、それを好機と見て現れた『アルカナフラッグ』の戦いに『篝火』の残党が漁夫の利を狙って介入し——
「ここです」
ゾフィの頭脳ユニット……哲学機関による完璧な弾道計算を乗せた神楽の矢が篝火の魔人のうち1人を撃ち抜いて彼らの連携を破綻させる。制御を失った光の奔流がディースの街並みを吹き飛ばし、視界が戻った時、そこに立つ者は誰も居ない
「……大丈夫ですか」
ゾフィ自身にも、愚かな質問だと思えた。
ふらりと立ち上がる影がある。安らぐときの無い戦いに晒されたその人は彼女と同じように疲れ果て、傷だらけで。
それでも、あの軽薄な笑みを浮かべてこう言った。
「行こう」
促されて振り返ると、そこには確かな実体を得たバロックの外壁。一体いつ、いかなる者の手によって作り上げられたのか。
ディース時計塔がそこにある
*
1人と1機が階段を上る音が響く。
「ありがとうございます、カグラさん。『篝火』は打倒され、ナチス・ドイツが敗北した歴史は変わることが無い。私の目的は達成されました。後はこの先で、私が貴方に降参すればいいのですね」
「2日目くらいに戦ったFBIの捜査官はそう言っていたね」
他の殆どの勢力も、そういった前提を元に行動していた節がある。
即ち最後に生き残った2人は時計塔に招かれ、そこで勝敗を決することでどちらかが願いを叶える。
だが、どうして外で2人に絞ってからわざわざもう1度戦わせるのかを把握している者は誰も居ないようだった。
「カグラさんの戦う目的を、聞かせていただいてもいいですか」
それは、間を繋ぐための特に意味のない質問だった。彼が嘘をついても、きっとゾフィがそれを疑うことはない。道具らしく素直に降参し、素直に全てを彼の手に委ねるだろう。
だが、目の前の彼は何か、迷っている風だった。
人形相手にどう応えるも、『
/
神楽・ロールドールの視界に、3つの選択肢が表示されている。
【嘘をつく】【はぐらかす】【正直に話す】
(あー……これはどういうパターンだ?)
金が欲しいんだ、みたいな適当な答えで満足してくれるのは間違いない。問題ははぐらかしたり目的を素直に伝えた場合にどれくらいのデメリットが発生するのかという話だ。
かつては力に支配されることへの反発から、どうでもいい選択肢だと判断したら好きなものを選んでいたが。それで犬の散歩の時間を遅らせたらえらい目に遭ったことがある。
一方で、共に無数の死線を潜ったゾフィにだけは誠実でいたいという気持ちもあった。これまで誰に対しても誠実でいることが出来なかったからこそ。
疑問を発したゾフィの側も、この問答にさして興味があるわけではなさそうだった。ならば。
ごくり、と唾を飲み込む。大丈夫だ。
不安要素となる勢力は全て打倒した。
今、極限まで狭まった台風の目の中、居るのは俺と彼女だけ。
赤の選択肢を選んでも、大きな問題はない筈だ。
「能力を捨てたいんだ」
「それは、解が分かっている人生はつまらないという事ですか?」
【肯定する】【否定する】【補足する】
冷や汗が噴き出る。今すぐにさっきの決断を曲げたくなる。なんだ、これは。この力は俺に何を伝えようとしている?
「それもあるけど。言ったろ、この力は世界を救うことだってできる。例えば住んでいる街を、国を、世界をとてつもないカタストロフが襲うとして、真っ当な方法ではどうにもならない時、俺にお鉢が回ってくる」
自分の不幸を避けるために人類全体を救わねばならない時、それに対して行動できるという事が分かってしまう。それは呪いだ。彼の鍛えられた体も、研ぎ澄まされた戦闘技術も、ありふれた幸せを得るための血のにじむ努力の結果。
少女は大仰に驚くでもなく、茶化すでもなく、注意深く彼の言葉を聞いている。
「それに、俺からは何が滅びに分岐するか分からない以上、日々のどうでもいい事や、実際には殆ど損得が変わらないような、加えて俺の信条に反する行動であっても青いパネルの指示に従う事になる。後から何を守れたかって、分かることもあるけど」
1つの赤いパネルが発端となっていくつもの命が失われ、あわや3度目の世界大戦が起こりかけたこともある。流血によって自分の体から血が失われていく記憶は生々しく、今でもそれを思い出す度、無性に赤い食物を摂取したくなる。
それからは徹底的に青い選択肢だけを選び続けた。犯罪者となっても、望まぬ戦いをすることになっても。
「俺はこの能力を誰かに押し付けて、まっさらになって、別の並行世界に行きたい。俺じゃない誰かが守ってくれてる地球で、平凡な人生を送りたいんだ」
「並行宇宙へ? ただ能力を消すだけではいけないのですか?」
「青いパネルに従って結構、犯罪にも手を染めちゃったからね、食い逃げとか」
ゾフィからの反応はない。
やってしまった、と溜め息をつく。赤い選択肢を選んだのは実に11年ぶりだ。
正直、晴れやかな気分だった。ようやく、誰かに内に秘めた心情を吐露することが出来た。それも、ウマの合う相棒に。
「……そうですか。ありがとうございます」
やがて、2人は階段を上り切る。機械仕掛けの扉が開き、現れたのは真鍮の壁に四方を囲まれた空間。
踏み入ると、歯車の音とともに扉が閉じた。
「では、カグラさん」
淡々と前進するゾフィは、10歩ほど歩いた所で神楽を振り返ると案の定、高く澄んだ声でこう言った。
「申し訳ありません。貴方と敵対します」
*
「どうしてだ!」
青年が拳を躱す。少女が矢を躱す。哲学機関の軌道演算と『
「貴方が『篝火』でないという確証が得られていませんでしたから、やっぱり私が優勝する事にします」
「約束が違うぞ! 契約のみが君を縛るんじゃあなかったのか!」
「……」
蒸気を噴き出しながら赤熱する拳が、魔人の膂力で引き絞られた矢が、床を、壁を抉る。謹製の麻痺毒は何の役にも立たず、さっきまで頼れる相棒だったはずの少女は一転、最大の脅威だ。
「ふざけるな! これまでの君は感情が無い
「
「いいよそういうのは! お腹見られた時とか怒ってたじゃん!!」
「怒ってません」
転がって攻撃を避ける。床に次々と穴が開く。
戦闘型魔人に伍する身体能力と哲学機関による正確な体捌き、機械の躰と蒸気噴射による加速。その攻撃を能力、体術、弓、ロープ格闘、持てる全てを駆使して往なしていく。
(落ち着け、何が敵対のトリガーを引いた? 彼女の身上は知っている。俺が能力を他人に押し付けて消えることに頓着する理由がない)
それに、ゾフィは彼女自身の事を、神楽・ロールドールの最高の相棒だと認識していた節がある。友好度合いは悪くなかったはずだし、いや、待て、そうか。
敵対というか、これは。
「もしかして、君……」
「何ですか」
距離を開けて向き合い、深呼吸する。また赤い選択肢だ。まだ悪くなるのか?
いや、でも。
気になる。
「嫌なのか? 俺が居なくなると」
「っ……!」
絶句した後立ち止まり、わざとらしい溜め息をつくゾフィ。
「ありえません。私には感情がありませんし」
またそれか。
「乙女のような扱いはやめてください。私の実年齢は70歳を超えています。貴方のような成人ほやほやの人間に分かったようなことを言われる筋合いはない」
「乙女のようなって、別に恋愛感情とは一度も言ってないじゃないか」
「~~~~~!!!!!!」
肘と肩からけたたましい排熱音。笛のような甲高い音が鳴り、高速でファンが回っている。にも拘らず手足の動作が完全に停止しており、どんな馬鹿にも今の彼女が隙だらけだと分かるだろう。そして。
その隙を見のがす神楽ではない。
体術の動作から射撃に入れるよう、神楽の矢筒は腰に備えられている。ゾフィが我を取り戻した時には既に流れるような高速の一射によって、鋼の
「えぁっ……」
続いて飛来した矢が
さらに矢を
「降参しろ」
そこで彼は気づく。
赤いパネルが決定打となって勝利を呼び込みつつある、そんな状況は『ありえない』と。
背筋を駆け上がる猛烈な危機感に駆られて矢を放つ。それはゾフィの前に突如出現した柱によって阻まれた。
何かが起きている。
何が。
*
(以前から、薄々、おかしい気はしていて)
(でも、お父さんの事を思い出して、考えないようにしてて)
カグラさんに、助けられて、契約して、一緒に、戦って。
助けて、助けられて、助けて、助けて、助けられて、助けられて、助けて。
いなくなるって聞いて、訳が分からなくなって、修正も言い訳も効かないくらい、『外れた』行動に踏み切って、ようやく。
レナ・ベーデガーに「苗字で呼べ」と言われて少ししゅんとしたことを、クンツ・フレーベを「お父さん」と呼んだ時のかすかな胸の高鳴りを、レナから教わる戦闘技術や、クンツの広範な知識に舌を巻きながら自分の簡易的な整備方法を教えてもらった記憶を、篝火の蛮行に対して、激しく炉を燃焼させたことを。
あるいは、この青年と共に、信じられないような冒険を繰り広げたことを。
(確かに、私にも感情があるのかもって、思って、それで——)
それで、これは何だ?
何が起きている?
ゾフィの目の前、床から生えた黄金の柱。折れ曲がっているのは、神楽が放つ魔人の矢の射線を逸らしたから。
これをやったのも、やれると思ったのも自分だ。だが、なぜ。
◆
時は、過去に遡る。
「賢者の石、ですか?」
「そうだ」
初老のクンツ・フレーベの前に、髪を後ろに撫でつけた壮年の男が座している。賢者の石。土塊を黄金に変え、無限の生命力を実現すると言われる、錬金術の到達点。
「我らが総統による永世統治の実現のため、資料は取り寄せられる限りの物を用意した、好きなアプローチで構わん」
アーネンエルベは単なる学術機関ではない。天文、魔術、呪術。超越的なオカルトに手を伸ばそうとするセクターがいくつも存在していた。クンツ・フレーベは『錬金』管区へと配属された凄腕の技師だった。
大役の栄誉を授かりながら潤沢な予算を与えられて研究に没頭するという事態に技師は狂喜し、大ドイツの繁栄の為に侵食を惜しんで実験を繰り返した。
「これまで賢者の石を精製するアプローチが成功してこなかったのは、原料たる哲学者の卵、その製法だ……内包する小宇宙を物体のみで再現しようとしていたからだ! 土、水、空気、火の四元素と
ゾフィ。正しき名を
結論から言えば、実験は失敗だった。失敗だと、フレーベは言い張った。
*
神楽が立て続けに4本の矢を放つ。次の瞬間には横に転がって、撃ち返された4発の弾丸を避けている。
ゾフィの前に前触れなく出現したクランク機構が矢の運動エネルギーを吸収し、連動する歯車によって弾体を射出したのだと気づいた。役目を終えたそれらの機構は、勢いを殺された矢とともに音を立てて彼女の足元に落ちる。恐らくは、かつて共に暮らしていたという『魔弾』レナ・ベーデガーの戦闘スタイルの模倣。たった今起きた超常現象の代償か、周囲の床の一部が抉れて消えていた。
「——『黄金錬成』。鉱物の組成を出鱈目に弄って、成形することが出来るみたい」
「みたいって、感情が芽生えたら魔人能力にも目覚めたと?」
「魔人能力――なんでしょうか。感情が芽生えたというか、ええ、自覚ですね」
ゾフィの胸に空いた大穴が塞がっていく。より頑丈な、強靭な素材で。
「人の感情も——錯覚みたいなものだと、お父さんは言っていました。私も、自身に感情があると思い込むことが最後のトリガーだったのかも。図らずも貴方に……その、恋心を指摘されたことで、スイッチが入ってしまった」
居直りすぎだろ、と苦い顔をする。
少女の無表情はそのままだが、いつの間に造り替わったのか、頬には朱が差していた。これも黄金錬成とやらの能力か。
「俺は別に、君に好かれるような上等な人間じゃない。誰かのために戦うなんてまっぴらで、自分の為に行動しているだけだ」
「じゃあどうして度々私を庇ったりしたんですか!」
「君がどこまで傷ついたら使い物にならなくなるのか分からなかったからだよ! 自分の体と違ってな!」
「『黄金錬成』」
足元に生成したスターティングブロックを蹴って少女が迫る。火傷を承知で拳を弾き、足を払う。空中に足場を錬成しての蹴りをロープで絡め捕って投げ落とし、脳天の哲学機関を射貫こうとするも出現した壁に阻まれる。
「私、小さな頃のベーデガーさんに似せて作られてるので大抵の人間よりかわいいと思うんですけど、そこに関してはどうですか」
「っは、可愛いって言ったら降参してくれるのか?」
「こんなにかわいい彼女が居たら、こっちの世界も捨てたもんじゃないってなりませんか」
そうかもしれない。
一瞬沸き上がった不埒な考えを、ぶんぶんと頭を振って追い払う。
「この世界は、嫌な思い出が増え過ぎたよ」
「いっぱい良い目に
「それに、人の間で生きていくには、結構後ろ暗い事をやってるし」
「山間に風光明媚なコテージを買って暮らしましょう。黄金錬成がありますから、お金の心配はいりません!」
正直、魅力的な提案だ。今すぐ降参して、壁の向こうの美少女の軍門に下らない理由は無いように思える。
だが依然、その選択肢は赤い。
「……分かった。分かったよ。並行世界に行くのは無しにする」
「! では!」
「でも、勝つのは俺だ」
壁を回り、隠し札を切る。呪具結社クリザリッドを打倒した際に回収した、一本の木の枝を弓に番えてゾフィへと放った。それは黄金錬成によって阻まれた瞬間に四方八方に枝を伸ばしながら爆発的に成長し、ゾフィの体を串刺しにしようとする。
意思遡及型迎撃呪具『
——だが、気が付いた時には、そこにゾフィの姿はない。
直後、神楽・ロールドールの首筋に衝撃が走った。
「『黄金錬成』。私の全身の駆動装置は、先程までとはものが違います」
壁を挟んだ問答の間も、彼女はその能力によって自己を強化し続けていた。カーボンナノチューブの人工筋肉は自重の十万倍の物体を持ち上げ、0.025秒で収縮を終える。ひとたび視界に捉え損ねれば勝機はない。
「く、ぁ…………」
どぅ、と音を立てて青年の体が沈む。
世界各国の勢力が入り乱れ、数百の魔人が争ったディース・シティの戦いは、蒸機の少女の裏切りによる勝利という形で幕を閉じた。
—————————そして。
同時、その時が訪れる。
*
太陽系の全ての惑星が一直線に並ぶ事による、大規模な
地鳴りのような音を立てて時計塔が揺れている。穴だらけになった床や壁が剥がれ落ち、無数の歯車装置が噛み合って回転する様子が露になる。細部は違うものの、その緊密で整然とした配列を、ゾフィはフレーベ技師の図面で見た事があった。まさか。
「時計塔などではなく、これは……」
解析機関の後継……
直後、ゾフィの体は緑色のエーテル光に飲み込まれ、手足の自由が利かなくなる。黄金錬成で光を遮ろうとするが、既にその機能も掌握されている。ハッキングを受けている。
(っ……何が!)
剥がれた真鍮の壁は、戦闘によって空いた穴を情報子にしたパンチカードとなって、『時計塔』を起動させていく。情報のフィードバックがゾフィの哲学機関を侵していく。
「ゾフィ!」
轟音と振動で意識を取り戻した神楽が、苦悶に喘ぐゾフィへ呼びかける。
少女は、エーテル光の繭に包まれて、遠い過去の光景を夢見ていた。
◆
『……』
『…………』『……!』『……』
『……の行動は目に余ります」『…父の事は……』『退学だと!? ……』
『クビツェク、君は』『……!』『芸術家としては……』『……は理解に苦し……』
『…』『は剣によってのみ守』『の試練の中でたとえ我が民族が滅びても、私は』
『ジーク・ハイル!』『『『『『『ジーク・ハイル!』』』』』』
それは、ある男の挫折と栄達の記録である。
オーストリアに生まれた青年が、戦火の後に政治家として頭角を現し、ドイツ史上かつてない権力を持つ独裁者となって、やがて死ぬまでの。
とてつもない情報がゾフィの脳へと共有され、同時にハッキングされた黄金錬成によって時計塔に新たな歯車が増設されていく。
『——フレーベ技官は、哲学者の卵の制作に失敗したと』
(……お父さんの事?)
滝のように降り注ぐ情報の中に、ゾフィの知っている名が現れた。
『それで問題はないと言うのか! 貴様らに注ぎ込んだ予算の分の見返りが我が党にあると!?』
髪を撫でつけたアーネンエルベ『天文』管区の指導者を、『彼』が怒鳴りつけている。だが、男は自信を感じさせる笑みでそれに応えた。
『ええ。計画は全て順調です。あとは『時計塔』さえ完成させる事が出来るのなら、我らの”預言”は、成る。あれにはクンツ・フレーベ程の狂気的な小型化の技術は必要ありませんし』
決定的な敗戦の中であって。その男は笑っている。嫌な笑みだ、と思った。これはきっと、お父さんが言っていた、物語に囚われた者の笑みだ。
自らが大きな潮流の中にいると、笑って死んでいく者の
(……ああ)
『あとは遠い未来に因果を収束させる、総統閣下の魔人能力が。第三帝国の繁栄を約束してくれることでしょう』
お父さんはきっと、この計画の存在を、詳細は知らぬまでも把握していた。だから私が感情を自覚することのないように、ああやって……
*
技術的特異点、という言葉がある。発達しすぎた機械はより発達した機械を作ることで、人の手を離れて無限に進化し続ける。『黄金錬成』の手綱を奪われたゾフィは、時計塔に蓄積されていた情報を元にして、仮構した『彼』の人格をシミュレーションし、そうして生まれた新たな材料から、新たにより正確な『彼』を仮構する。無数の歯車が形作られ、史上最悪の独裁者の人格が、限りなく正確な亡霊となって時計塔へとインストールされていく。
それはさながら、蒸機の
「——私は、アドルフ。アドルフ・ヒトラー」
「おいおい、勘弁してくれ」
ゾフィの口で、ゾフィの声でそいつが喋ることに猛烈な苛立ちを覚える。
この装置は、そこに最後まで立っているのがゾフィでなければ、真に万能の願望機だったのだろう。『そう作られている』から、各国の情報取得能力を持った魔人たちも計画に気づけなかった。
ゾフィが、『篝火』の——『天文』管区の計画を妨害するためにこの時代に現れ。
自らの心の存在を自覚し、賢者の石の容れ物として覚醒して。
その能力を奪うことで願望の主体自体を外付けで編み上げ、ゾフィに上書きしてしまう事が、彼らの計画だったのだ。あと僅かでアドルフ・ヒトラーの人工知能は完全なものとなり、ゾフィの願いを掌握する。
「だとしたら」
未だ杭のように1枚の壁と、神楽が立つ床の一部を縫い留める、
「さっきの青い選択肢はゾフィに勝つためじゃなく、この時間を稼ぐためか——全く」
ガリガリと頭を掻きむしり、能力を行使する。
*
全ての選択肢が、赤。その中で、僅かに色味が青に近いものへ手を伸ばす。意思で能力の発動間隔を加速させ、選択肢を更新する。更新する。更新する。超高速で3つのパネルが明滅する。
この空間自体が、おそらくはかつてナチスとやらに属していた連中の、いくつもの魔人能力によって成立している。その中にはきっと、運命を引き寄せる力があるのだろう。
だから、本当は運命に干渉できる自分こそがその手綱と引き合わなければいけなかったのに。
亡羊と中空を見つめる、陶器のような肌の少女を見る。
「君が悪いんだぜ。君があんまり可愛いから」
つい負ける方を選んでしまった。赤は駄目だって、知ってる筈なのに。
それでも。
目から血の雫が流れ落ちる。明滅する視界で気分が悪くなる。それでも。
より青い結果のための、行動をするための、思考の切り替えを行ったことによって僅かに未来が変わり、更新され続けるパネルは、少しずつ赤以外の色を取り戻しつつある。
それでも、俺の相棒を。
「時代遅れの独裁者ごときに、好きにさせられないな!」
正しい予言が成就するとは限らない。人はいつだって未来を言い当てる度、それより良い未来のために奔走するのだから。引き寄せる。今見えている以上の未来を、次に見える以上の未来を、その次に見える、それよりもハッピーな未来を。際限なく最良の未来へと手を伸ばす、もう一つの、予言の
——それは世界すら救うに足る、反逆の
「こっから先は——予測不能だ、ぜっ!」
足場から振り落とされる瞬間、永遠にも思える一瞬の中で無数の分岐を剪定し、渾身に引き絞った矢を放つ。血で赤く染まった視界に、青いパネルがひとつ。
身体のコントロールを奪われたゾフィが手をかざすと、当然のようにその弾道を黄金錬成の壁が阻む。
「——————————はっ」
そして、目的を果たしたことを彼は知るだろう。いつものように軽薄に笑って、落ちていく。
怪訝な表情で弱者の抵抗を眺めていた『彼』は、自らの思考に亀裂が入るのを感じた。用意した障壁をすり抜けたかのように、その矢がゾフィのボディに激突し、吹き飛ばしている。
——トンネル効果、と呼ばれる現象がある。あらゆる物体は粒子としての性質と共に波としての性質を持っており、波として障壁をすり抜けることが出来る。だが、それが観測されるのはあくまで量子スケールでの話だ。目に見える矢のような物体が、同じく厚みを持つ壁をすり抜けるなどあり得ない。微小数論のような確率を潜り抜けて、彼は。
神楽・ロールドールは、奇跡を起こした。
「—―黄金錬成!」
我に返ったゾフィが落下しつつある青年を衝撃分散フレームで受け止め、時計塔に形成されつつあった独裁者の精神回路を破壊する。
「カグラさん!」
*
(さっき見た記憶、哲学者の卵、賢者の石——)
走る。無数の歯車を跳び移って彼のもとへ向かう。
閉じられた両目から夥しい血を溢れさせた神楽・ロールドールが、そこには横たわっていた。
(私の力なら、彼を癒せるはずだ。だから大丈夫、大丈夫……)
呼吸が止まっている。ゾフィは彼に駆け寄ってくちづけると、自らの内にある賢者の石に語り掛けた。伝承によれば、それは黄金を錬成し、人に永遠の命を授けるという。仄かな燐光を纏った呼気が吹き込まれ、神楽の体に負った傷が治る。
だが、それだけだ。死者は目を覚まさない。
「カグラさん、カグラさん……!」
どれだけ力を行使しても、彼が目を開けることは無い。
「……なさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
そして、敗者を抱きしめて呆然と途方に暮れる勝者の上に。
緑色の光で編まれた繭が落ちてくる。
***
「……さん……がぐら…………ざん……」
始めに感じたのは、暗闇。
次いで、ぽたり、ぽたりと熱い雫が頬を濡らす感触。
「うそつきぃ……」
声が、聞こえる。
常人よりずっと高い蒸機の体温が、自分を包んでいる。
「自分の為に戦ってるだけだって、言ってたじゃないですか……なんで死んでるんですかぁ……!」
「嘘じゃない。俺は、みんなのために戦うなんてごめんだ」
目を開けた。いつの間にか顔をぐしゃぐしゃにして涙を零すようになっていた彼女に、ただいま、と短く言う。
一度死んだからだろうか、三色の選択肢が彼の前に現れる様子は無かった。無茶に扱ったせいで愛想をつかされたのかもしれない。
「君だからだ。ゾフィ、君だから」
そう言って、疲れた顔で。
目を丸くする蒸機の乙女へと、青年は気障に笑った。