@toasdm
深いこっくりとした秋色が、ティーポットから注がれる。カップの中のミルクと混ざって、ふんわりと、甘い香りが広がった。
「紅茶のシーズンは春のファーストフラッシュだけじゃないんだ」
どうぞ、と差し出して、神谷は彼女の向かいでにこにこと、嬉しそうに話しはじめる。
「例えばインドの紅茶には、オータムナルっていうシーズンがある」
「オータムナル」
「うん、秋のオータム。その年最後の新芽を摘んだ、秋の恵みの紅茶だよ」
いただきます、と香りに誘われ、彼女はカップを鼻先へと近づける。瞬間、ふわりと漂うミルクの香りに負けないしっかりとした紅茶の香りに、思わず目を細めて香りを楽しんだ。
「夏の日差しと雨の恵みを蓄えた茶樹から摘んだ、一年の締めくくりのお茶だからね」
うん、いい香りだ、と納得のいった表情で、神谷も香りに目を細める。深みのあるどっしりとした、重厚な紅茶の香りと渋みは、ミルクティーにぴったりなのだという。
「わ……ほんとだ」
主張の強いミルクの存在と喧嘩することなく手を取り合って、オータムナルはカップの中で、さながらワルツでも踊るかのように品の良い風味をこしらえている。滑らかな、ベルベットのような舌触りといつまでも余韻の引かない上質なミルクティーの芳香に、温もりと香りは彼女の心を、すとん、とあるべき状態に落ち着けてくれる。
「ファストフラッシュのようなマスカテルフレーバーは感じられないけれど、フレッシュさの代わりにまろやかさが登場、ってところかな」
神谷はウィンクしながらデザートプレートに、シフォンケーキを飾って差し出し、彼女の頬はますます綻ぶ。
「え、も、もしかしてこれ」
「うん、紅茶のシフォンケーキだよ」
贅を尽くした紅茶尽くしのフルサービスに、ここしばらく続いていた激務のストレスがはらはらと、落ち葉のようにはく離していく。添えられたクリームをひとすくい、彼女はケーキと共にそれを口の中へと放り込んだ。
「ん……っふふ」
思わず漏れた感動の笑みに、よかった、と神谷は胸を撫で下ろす。東雲の自信作だよ、と自分も一口食べて、ミルクティーとのマリアージュを二人で楽しむ。
「もしかして、このケーキの紅茶もオータムナルなんですか?」
「ううん、それはダージリンのセカンドフラッシュだよ」
また難しそうな言葉が出てきたぞ、と身構えた彼女に、神谷はゆっくりと、シフォンケーキがほどけるようなスピードで話を進める。
「ファーストフラッシュはフレッシュ感、オータムナルは深い味わいとコク、その間に摘まれたセカンドフラッシュは、そのどちらの特徴も兼ね備えたバランスのいい紅茶だよ」
ケーキにしても主張しすぎない芳香と、ミルクティーにしても負けない深み。旬にあわせてそれぞれ適切な使い道を熟知している神谷は、本当に、紅茶が好きなのだろうと彼女は思う。
「よかった」
「はい?」
ふぅ、と一息ついて、神谷はまた、にこにこと、紅茶の香りが咲くような穏やかな微笑で彼女を見つめてそう呟いた。少し恥ずかしそうに笑いながら、神谷は言う。
「リラックスてきたみたいだね」
「あはは……はい、ありがとうございます」
「最近とても忙しそうで、心配していたんだ」
俺が役に立てることはこのくらいだけど、とはにかむ神谷のその存在に、彼女はどれほど支えられているだろうか。心の底から紅茶の香りと共に吐き出したありがとうございますの後、彼女はふと、何の気なしに、思ったままを口にした。
「きっと、神谷さんの奥さんになる人は、一生ずーっと、こんな優しさと一緒に生活できるんですよね……」
うらやましいな、とおまけをつけた彼女の一言を、神谷はじっくり考える。目を閉じて、それから開いて。
「じゃあ、なってみようか?」
「はぇ?」
「俺の奥さん」
「…………!?」
なんてね、とからかってくれたのならどれだけよかっただろうかと、バクついた胸を押さえて彼女は神谷の次の言葉を待った。
「…………っふふ、なんてね」
よかった、と思う気持ちと、やっぱり冗談だったのか、という落胆する気持ち。
その二つは彼女の中で、ふんわりミルクとオータムナルの紅茶のようにぐるぐると混ざり合っていた。