@toasdm
それは今なのか、それともずっと昔の話なのか。深堀りすると取り返しのつかない事実が発覚してしまいそうで、彼女は言葉に詰まる。でも、だったら。どういうつもりだったのか、気になる気持ちをどうしたらいいのか、彼女はわからなくなってしまう。にやりと笑う雨彦の真意が読めた試しもそんなになかったが、今はひたすら、雨彦の真意が読めなかった。
「で、お前さんは?」
「へっ……?」
「お前さんは、何味だったんだい?」
俺だけ言うのもフェアじゃない、とくつくつ笑い、雨彦はデスクに手をついたまま、じっと彼女を覗き込む。まるで奥に隠された思いまで見透かすような瞳の強さに、彼女は思わず視線を逸らした。
なんと答えるべきなのか。彼女の頭はぐるぐると思考をめぐらせる。
そもそも、雨彦のような整った容姿や思いやりのある心根の良さ、そしてどこか人を寄せ付けないようなミステリアスな雰囲気は、さぞかしモテただろう、という彼女の読みが当たっていたのか外れていたのかすらも、今となってはわからない。
いうなれば、それは、ほんの出来心からの質問だった。
ブレイクタイムのコーヒーを飲みながら、何の気なしに、ソファで次の仕事の資料に目を通している雨彦に、彼女は先ほどこう尋ねただけだった。
「葛之葉さんのファーストキスって何味だったんですか?」
と。
済ませているはずだと踏んでの軽い質問だったのだが、雨彦は彼女の背後で、ぴくり、と反応して顔を上げる。初恋はレモンの味というのなら、ファーストキスはそれに似た、柑橘類のような甘酸っぱい思い出の味だったりするのだろうか。そんな何気ない疑問からふと湧いて出た疑問をそのまま投げかけただけの彼女に、雨彦は立ち上がり、ゆっくりと近付く。
「葛之葉さ――」
何の音も立てずにそれは、柔らかく重なった。
雨彦の、厚みの乏しい薄い唇が、彼女の唇に軽く触れる。
んふ、と驚いて漏れた鼻息がかかってくすぐったかったのか、雨彦はキスの奥で少しだけ、くすりと笑った。
「そうさな」
ゆっくりと、スローモーションで離れていった雨彦の瞳がうっすらと開かれて、にまりと笑みを浮かべたその唇に、さっき自分の唇が重なったのか、と彼女は無意識に自分の唇に触れていた。
「コーヒー味」
「っ……?!」
見上げていた顔をバッとデスクの方へと逃がしたが、今度はデスクについた雨彦の手が目に入ってきて、うわぁ、と内心彼女は悲鳴をあげた。
なにこれ、なにこれ、なんなのこれ?!
今、そんな、急に、しておいて、しかも、コーヒー味、って?!
今のが、葛之葉さんの?!いや、嘘でしょ絶対、からかってるだけだよね?!
ばくばくと早鐘を打つ心臓の音、かぁっと紅潮する頬の熱、目のやり場に困る雨彦の存在と、にやけた顔。彼女の顔を覗き込み、雨彦は、彼女の肩に回していた手をそっと離して、口元を親指でぎゅっと拭った。
「で、お前さんは?」
「へっ……?」
「お前さんは、何味だったんだい? 俺だけ言うのもフェアじゃない」
自分だけがこんなにドキドキさせられている悔しさのようなものが、彼女の中でふつふつと湧き上がる。先ほどの雨彦の言葉を借りて言うなら、彼女の方だって、コーヒー味だ。ぎっ、と雨彦を睨んで、彼女は意を決して意趣返しを試みる。
「くっ、葛之葉さんの知らない、コーヒー味です!」
「へぇ」
その彼女の挑戦をまっすぐ素直に受け止めて、雨彦は今度はやや強引に、彼女の後頭部に手を回して引き寄せて、奪うようなキスをする。
「んっ……!!」
「これで」
一瞬の永遠が訪れて離れて、吐息のかかるような近さで雨彦は言う。
「俺の知ってるコーヒー味になったな」
口では敵わない、色々な意味で。二人のファーストキスは、同じコーヒーの味になってしまった。