@toasdm
我慢、節制、世間体。その他諸々を抱えて加味して考えて、輝はとぼとぼと街路を歩いた。なんで今なんだよ、の感情は、怒りにも似た後悔。味はそこそこ、苦かった。
よくある話と言えばまあ、よくある話だと言えるだろう。学生時代の同級生に道端でばったり再会して、昔話に花の咲く光景は、街中のありとあらゆるところで見かけられてもおかしくなかった。懐かしいねこの店、と指差した古ぼけた喫茶店は、輝が彼女を含めた友人グループとよくたむろしていた時のまま、ぴたりと時間が止まっているようにも見えたが店主の顔が変わっていた。二代目か、と若返った店主の顔に懐かしい面影を見て、輝は値段以外変わり映えのしないメニューからナポリタンを注文した。
「まだ好きなんだ」
「ん、まぁ、思い出の味ってやつだよ」
そういう彼女の方も相変わらず、レモンスカッシュを注文している。学生の頃これ四百五十円だったよね、とこそこそ耳打ちする悪戯めいたその顔に、輝の心は学生時代に振り戻る。
「なんにも変わらないね」
「値段以外はな」
「天道くんの方だよ」
「ん、そうか?」
制服は着ていなかったし、ひげも生えている輝は、あの頃と変わらないとはお世辞にも言えない気がしたが、彼女の目からしてみればそう映ったのだろう。あんたもだよな、と苦笑して彼女が煙草を取り出したのを、輝はぎょっとして目を見開いた。
「……吸うのか?」
「うん。私は変わっちゃったからね」
細い一本を挟んだ左手の、薬指にはきらりとリングが光っている。そういうことかよ、と内心苦虫を噛み潰して、輝はそっと灰皿を彼女の方へと差し出した。
「テレビ、いつも見てるよ」
「おっ、そうか!」
ありがとな、と反射的に出たアイドルスマイル(あるいは紫煙)に、彼女は目を細める。そういうとこも変わんないよね、と心を許した彼女の笑いに、忘れていた想いが少し顔を出す。
俺、あんたのその顔好きだったんだよな。
既に添い遂げる証を宿した彼女の左手から目線を逸らして、輝は窓の外を見る。
「うまいことやってんのか?」
「ん?」
「結婚、してんだろ。子供とかいるのか?」
「ふふ、いないよ。まだもう少し、二人の時間を楽しみたいなぁー、って」
その一言と、自分の知らない笑顔と、煙草の煙。彼女は彼女の幸せを見つけて、うまくやっているのがそれだけでよくわかってしまって、輝は苦虫をひとつ増やした。苦い。
「私ね」
ふーーー、と煙を細く吐き出し、彼女は明後日の方を見ながらぽつりと漏らした。
「天道くんのこと好きだったんだよ」
「……そっか」
過去形で、今は他の誰かと一緒にいる彼女が、偶然の再会で気を許してつい、そんな事を漏らしても。法律上何か問題があるわけではなかったし、倫理的にもギリギリセーフだろう。
ただ――彼女の、真意が、読めなくて。
ああ今こいつが何考えてるかわかんない俺だから、すぐ不倫だとか法律だとか、そんな風に浪漫のかけらもないような考え方をする俺だから、その指に指輪嵌めてやれるわけがなかったんだよな、と輝は自嘲する。今幸せなんだろ、に笑顔で答える彼女が煙草の火をもみ消して、それで、二人の間にかつてあった想いは消えたことになった。
「俺も、色々あったけど今は楽しい」
「うん、見てればわかるよ。応援してる」
もう一度、ありがとな、と返したそのタイミングで、テーブルにレモンスカッシュとナポリタンが並んだ。
それから、適当な話をいくつかして、ごめん私そろそろ帰るね、と彼女は店を出て行った後、冷めたナポリタンをつつきながら輝は思うのだ。
……旦那と、デートでもすんのかな。
輝の知らない彼女を知っていて、恐らく煙草も教えたその男を、見返してやろうとすら思う権利もない輝は弱々しく、彼女がいなくなってからつぶやくことしかできなかった。
俺も、あんたのこと好きだった。
ひしゃげた吸殻に残る紅から目を逸らし、輝は冷たいナポリタンを平らげ店を出た。