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紅の糸(5)

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2014-11-24 01:58:45

 こんな小さな身体のどこに、これだけ大きな声を出すエネルギーがあるのだろうか。弟――リヒャルトは、顔を真っ赤に染め上げて、力いっぱい泣いていた。その赤い頬を見るたび、レオンはナディアの紅い髪を思い出す。
 理想の世界ができたかと思えば、すぐに崩壊してしまったあの日以来、ナディアとは話をしていない。というのも、リヒャルトが生まれて以来、今こうしているように家で子守をしている時間が増えたからである。――いや、正直に言おう。積極的にではないにせよ、避けていたのは事実だった。水色のティルグコートを見るだけで、それが明らかに違う人物であっても、心は竦んでいた。
 こうやって、こちらの都合など全く考えずに泣き喚く弟と過ごすのは、ある種の逃避行動だったのだが、何かにつけて思い出しまう。
「おー、元気よく泣いてるなぁ」
 いつの間にか父が帰ってきていたようだ。弟の必死な様子に比べると、のんきなことこの上ない。もっとも、先ほどまでナディアのことを考えていたレオンも他人のことは言えない。弟が喋れれば「お前が言うな」とツッコミを入れられていたところだろう。
 しかし、弟よ、許して欲しい。無理もないのだ。
 確かに、最初の頃は目の前でわあわあと声をあげられる経験などしたことがなかったから戸惑ったものの、3日もすればこういうことにもすっかり慣れたし、5日も経った今ではすっかり3人目の親状態だった。今泣いているのは、眠いというただそれだけの理由。こうやって抱き上げて、気が済むまで泣かせてやればいい。――と、教えたのはそこにいる父だ。
「まったく、元気がいいなんてもんじゃないよ」
「リヒャルトはまだ大人しいさ。お前の泣き声なんかこの比じゃなかったぞ。メイビ区に入ってきただけで聞こえてきたからなぁ」
 嘘か本当か分からないが、たぶん、嘘、だろうな、うん。
「よしよーし、父ちゃんが来たぞー。……ほらほら、レオン、交代だ」
 父が、レオンの腕の中からリヒャルトを奪いとる。すると、その泣き声はみるみるうちに小さくなり、やがては泣き止んでしまった。
「さすがオレだなー。どうだ、尊敬してもいいんだぞ?」
 そうやってしたり顔さえしなければ、本当に尊敬していたかもしれないのに。なに、父が特別なことをしたのではない。ただ単にリヒャルトが泣き疲れただけだ。レオンは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「そういえば、さっきそこでナディア・グレトリーさんに会ってな」
 ナディア・グレトリー――その名を聞いたとき、心臓がどきりと脈を打った。
「コイツの出産を祝ってくれたんだけど、『レオンさんはお元気ですか?』って。お前のことを心配していたみたいだったぞ。留守番しているだろうからうちに来ないかと誘ったんだけど、独身の女性に言う言葉じゃなかったかな、これは」
 また母ちゃん――もちろん、父にとっての妻である――に怒られるかもなーなどと言いながら、父は快活に笑う。
 しかし、そんな父とは反対にレオンの表情はいつにも増して固くなった。
 そうだ、具体的な年齢は把握していないものの、ナディアは自分とは違い、成人の身であることに変わりない。だとすれば、結婚していてもおかしくはなかったのだ。父の言葉を鵜呑みにすれば、今はまだ結婚をしていないようだが、それもいつまで続くか分からない。
 ナディアが誰かと結婚する。それはおそらく祝福すべきことのはずだ。だが、想像するだけでこんなにも胸が騒ぐのは何故だ。微笑むナディアの姿は、見ているこちらでさえも幸せにしてくれそうなのに、その横に知らない男が立つのだと思うと――笑顔を向ける相手が自分ではないのだと思うと、苦いものがこみ上げてくる。この想像図は決してあり得ないものではない。急に不安が押し寄せてきた。
「まあ、そろそろリーグ戦も近いし、バスケットに訓練用のサプリメントがいくつか入っていたし、たぶんティルグにでも行ったんだろうな。顔でも見せてやったらどうだ?」 
「そうする」
 もはや居ても立ってもいられなくなったレオンにとって、父の提案は、渡りに船だった。別に後ろめたいことをしに行くわけではないが、この父にいろいろとからかわれるのは面倒だ。どう理由をつければ自然にナディアに会いに行けるだろうかと思案を巡らせるところだったが、ありがたいことに、その手間が省けた。
 今にも駆け出したい気持ちを抑えて、レオンはあくまでも静かに家を後にした。
 だが、レオンはこのときも気づいていなかった。親というものは、子をよく観察しているものなのだということに。

 
 父の言葉を頼りにして、レオンはナディアの所属でもあるアクアス・ティルグへと急いだ。
 リーグ戦が近づいているということは、つまり、競技会の受付も間近に迫りつつあるわけで、ティルグは練習試合を求める老若男女で溢れていた。そのために、全体を見通すことができないのだが、苛立つことはなかった。ナディアはここにいる――根拠など何もなかったが、レオンにはそうした確信があった。
 なんとか人波をかき分けて進むと、訓練場のエリアにたどり着く。一歩足を踏み入れると、神聖な空気と、ピンと張り詰めた緊張感が肌を刺した。こちらにもそれなりに人はいたのだが、ここでレオンがその瞳に捉えたのはたった1人の人物だった。不自然なくらい目深にティルグ帽をかぶった人物――もちろん、ナディア・グレトリーである。
 
 レオンの両親は共にどこかのティルグのどこかの騎兵隊に所属していた経験がある。何でもそこでチームメイトになったのが、2人が絆を深め合ったきっかけだったとか。……いや、違うティルグの騎兵同士で剣を交えたのがきっかけだったか。まあ、よく覚えていないが、とにかく親2人には、剣に打ち込んでいた暑苦しい時代が少なからずあった。
 だが、その子であるレオンはあまり剣に興味がない。基本型ですら、身についているか怪しい。しかし、そんな彼の目にも、ナディアの剣筋が普通とは少し違うということくらいは分かった。
 少し剣を振るっては、ゆっくりと確かめるように基本の型を再現し、再び訓練人形相手に剣を振り下ろす。基礎の確認、といったところだろうか。その剣には目にも留まらぬ速さもなければ、大地揺るがすような力強さもなく、舞うような美しさもない。ただひたすらに堅実そのものである。
 もし、自分ならば、あれを延々と続けるといったことができるだろうか。考えるまでもない。だが、その姿を眺めるとなると違ってくるから不思議なものだ。まだ日は高く、世界は明るかったが、光はそこだけを照らしていたかのように、その姿は輝かしく、一種の神々しさがあった。

 ティルグ見学の日か、競技会の日でもない限り、ティルグに子どもがいることは滅多にない。理由は明確、訓練人形を使うことが許されているのも、練習試合ができるのも大人だけだし、そもそも子どもがウロウロするには危険な場所だからである。そのため、ここで長い間ぼーっと立ち尽くしているレオンの存在はとても目立つはずであり、誰かから邪魔だと咎められてもおかしくはなかったのだが、それをするような人物は誰もいなかった。レオンの目的が傍目にも明確で、邪魔立てしてはならないものだと皆が感じていたからである。彼の目的に気づいていなかったのは、おそらく、その"目的の人物"だけだろう。
 やがてナディアは、身に纏っていた緊張を解いた。もっとも、それは自分を見つめる存在に気づいたわけではなく、ただ単に疲労によるものだ。しかし、話しかけるタイミングを覗っていたレオンにとって、それは待ち望んでいた機会の到来であったことに違いはない。
「訓練中でも、帽子はとらないんだな」
 ああ、第一声がこれとは。もっと気の利いたことが言えないのか。そんな声がレオンの脳内で聞こえた気がしたが、黙らせる。今日もナディアの紅い髪は、水色のティルグ帽の中に隠されている。その尻尾のような編み下げも含めて。
「帽子を落とさないようにするのも訓練の一環です。帽子が落ちるようなことがあっては負けですから」
 本当なのか冗談なのか分からないことを言って、ナディアは小さく笑った。それはとても可憐で、上品で。もっと前に話しかけなかったのことを悔いると同時に、靄がかった心を晴らしてくれた。
「無事に弟さんが生まれたと聞きました。お祝いを申し上げたかったのですけれど、お忙しい様子でしたので、少し心配していたんです。お元気そうでよかった」
「あ、ああ、うん。……今日はまだ、訓練を続けるのか?」
「ええ。そのつもりですけれど……?」
 歯切れの悪いレオンに対して、ナディアは何か感じるところがあったのだろう。だが、そうやって小首を傾げるナディアの姿は不意打ちだった。直視できずに、パッと目を逸らす。
「そ、そうか」
 そして、落ち着けるように、ふう、と息を吐いてから、再びナディアに向き直った。

「ちょっと話があるんだ。訓練が終わるまで待ってる。終わったら声をかけてくれ」


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さりゆ @slry_p 2014-11-24 01:59:16
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さりゆ @slry_p 2014-11-24 19:14:23
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